10.魔女さん、ほのぼの生活をスタートさせる
「すぐにこの国を出るぞ」
ショックのあまり、少しの間、まともに口をきけなかったクロがリサに言った。
数十分前にミカは退出している。
聞きたいことはちゃんと聞けた。
この国に関しての情報も集められた。
情報を聞く限りこの国は地位の格差が大きく、円状に五つに区切られ、真ん中の階から一層、二層と呼ばれているそうだ。
一層には王家や国の重鎮である貴族たちが。
二層にはそれよりも地位の低い貴族。
三層には大きな城下町が広がり身分の高い商人たちが住んでいる。四層が平民。
五層は貧民街いわゆるスラムのような場所なのだそう。
ちなみにここの宿は三層にあり、三層の中でもグレードの高めなお宿で名物は取り揃えた見目麗しい奴隷たちなのだとか。
奴隷は人より下に見られているが、働き手の足りない場所には欠かせない道具でこの宿ではその奴隷の中から厳選して見た目の良い男女を選び抜き働かせているらしかった。
平民と違い、給料を払わなくていい分安上がりでいいのかもしれない。
奴隷に差別意識を持ち、触れることさえ拒んでいる貴族の人々はこの宿には絶対止まらないらしいが、それが人間として良いことなのか悪いことなのかは分からない。
奴隷市場は五層にあるらしく、ミカも新しい奴隷を仕入れる時はよく主人に同行すると言っていた。
奴隷同士の相性を確かめるという理由もあるが、奴隷には他の奴隷が壊れていないかが分かるそうだ。
壊れた奴隷は使い道になりませんから。買っても返却できないので壊れていないかは最初に判断しておく必要があるんです、とミカは悲しげに語っていた。
得た情報を頭の中で復習していたリサはクロの発言に驚いて顔を上げる。
「え、なんで!? なんで出るの?」
「聞いてて分からなかったのかっ! 勇者の国だぞ? お前は魔女だぞ? 魔女は忌み嫌われる存在だぞ?」
「そんな連呼しなくっても分かってるって。クロちゃん。で? だから? 具体的にはどんな危険性があるんですかー?」
一夜明かしたぐらいで、大して害はないと思うが。
そう危惧しているクロを笑ってみせる。
クロは冷静になったのか、強気な微笑みを浮かべるリサをじっと見つめて。
「魔女狩りって知ってるか?」
「そりゃあ、まあね」
リサの世界にもその単語はあった。
意味は文字通り、魔女の駆逐。
人間は自分たちの常識とは違う特異なものを受け入れるのが下手くそなのだ。
「お前の身が危ないことぐらい察しろ」
クロがぶっきらぼうに言った。
ん? それって......とリサが首を傾げる。
「もしかして、私のこと心配してくれてたの?」
「......」
照れ隠しなのかクロがそっぽを向く。
可愛い。リサはにやあと顔を歪ませた。
「へぇ。そっかそっか。そんなに心配してくれてたんだあ」
「うるさい」
クロが拗ねたように言う。
リサは小さく笑い、
「でも、心配いらないよ?」
クロが瞠目してリサを見た。
これだけ言ってもまだわからないのか、って顔をしている。
「クロちゃんはほんと、分かってないなぁ。私のことも。賢者のことも」
「なぜ、そこで賢者が出てくる?」
意味深に笑うリサにクロが尋ねる。
最も、それは裏返せばクロの長所でもある。
疑うことを知らないお人好しさ。
リサがクロのそんな一面に救われたのも一度や二度ではない。
悪く言えば鈍感と言えるそれが働いてしまうのも仕方のないことだ。
賢者の魂胆に気がつけたのはただただリサが賢者と同じ腹黒い思考を持っていたからに他ならない。
「賢者がどうして、ここに、勇者の国に私とクロを召喚したのか。まず、最初の疑問点はそこからだね」
無邪気に指を立てて、説明の手順を提示するリサ。
クロはいかぶしげにリサを見たが、無言でリサの説明に聞き入る。
「賢者の目的。それは、賢者の家でクロが当てた通り、『クロを再び魔王の座につかせること』ならば、なぜその手段として私とクロをサラマンダー王国に送り込んだのか」
リサが楽しげに語り、わざと言葉に尾を引いてクロの注意を引く。
クロの尻尾が不機嫌そうにゆらゆら揺れた。
「それはね、嫌がらせして私たちがこの国で困ったところを助け出して恩を着せ、自分たちの言うことを聞かせるため、だよ」
もし、クロが単独で賢者の元を訪れていたら確実に賢者の駒になっていただろう。
クロが驚きを顔に出し、すぐに殺した。
「......困ったこと、といっても具体的にはなんなんだ」
「私の正体がバレて王国に捕まったたりとか。どんな扱いを受けるかなんてクロちゃんが危惧してた通り目に見えてるもん」
「なら、今日中にここを出ればその危険性はない。賢者の思惑にはまることだって」
「たーんま。早とちりしないの」
まんまと賢者の思惑にはまろうとするクロをリサが制止する。
賢者だってリサが自分の思惑を見破ることを予期していないわけじゃないだろう。
まだ手は打ってくるはずだ。
「賢者はそこまで分かってて、もう一手は用意してるはず。例としてあげれば、関所に金を握らせて事前に私たちのことを伝達してあったりとかしてね」
「......関所を無視すればいいだけの話だ」
「無視できないから、通るしかないんでしょ。整備されてない道はどーせ、魔物だらけで困難に陥るだろうし? 帰る手段がないってのが私たちの一番弱いとこなんだよね。だからさ、帰るのやめよ」
「は?」
リサの驚愕の言葉にクロが唖然とする。
予想通りのナイスリアクションにリサは上機嫌で口笛を吹いた。
「賢者の思い通りになるのは納得いかない。なら、賢者が考えてもいない選択肢を取るべきじゃない?」
「そこまで賢者が予測していたらどうするつもりなんだ」
「その時はその時だよ。といってもその可能性は低いと思うんだけどね」
リサの自信満々な言い草にクロが物言いたげな顔をするが、クロがなにかを言うよりも先にリサが言い放った。
「賢者はクロを自分の傀儡にすることにこだわってる。だから、勇者の国の手中にクロが置かれるのは望んでない」
「物扱いするな」
「相手にクロが見つかれば、また勇者を召喚される可能性が高くなる。本当にバレちゃいけないのは私の正体じゃなくってクロの正体なんだよ」
「なら、お前は何も関係ないじゃないか」
クロが突き放すように言った。
クロなりの優しさだろう。
自分が目的なら、リサを巻き込む必要はない。
が、リサはそれを受け止める気はない。
「言ったでしょ? 養ってあげるって」
「......俺に売りたい恩でもあるのか?」
クロがリサの裏を探る。
ないことなど、分かっているだろうに。
リサは意表を突こうとできるだけ上品に、にこりと作り笑う。
「クロが隣にずっと居てくれればそれだけで充分なんだけどなあ」
「それは......充分強欲な願いだな」
「でしょ?」
魔王に向かってリサはにやりと笑う。
まるで本物の魔女のように。
クロが一瞬だけ、その面影を誰かに重ねたかのように目を細くした。
次に見た時には当の本人は欠伸をして、寝台に向かっていたが。
整えられたベットに飛び乗って、リサは布団に包まる。
それから、心底幸せそうな顔で寝入った。
「おやすみ、クロ」
「ああ。......おやすみ」
迷うような躊躇いのあと、クロが確かにリサへと意識を傾ける。
リサはそれを感じ小さく吐息した。
クロに打ち明けたのは嘘じゃない。
リサが考えていることそのものだし、推測として立てていることには違いない。ここまですんなりと信じてくれたのはそれなりにリサのことをクロが信頼しているから、なのだろう。
それは喜ばしい兆候だ。
が、リサの心の中にはしこりが残る。
そもそもの初めから。リサが賢者ユウキに会った時から感じていた疑問。なぜ、ユウキはここまで計画性のあることを実行できたのだろうか。
村長の家に偶然居合わせたこともそうだし、魔術による罠を家に仕掛けていたこともそう。
助手である猫耳に念話で伝えて、頼んでいたとしてもある魔術の術者自体はユウキだった。
それはユウキ自身が肯定し、猫耳も同じく肯定していたことだ。
そこに嘘はなかったと睨んでいい。
―――しかし、それはまた新たな可能性を引き立たせる。
つまり、ユウキがリサとクロの存在を事前に知っていたということだ。
賢者の得体の知れなさは徹底している。内面の読めない、道化を装った胡散臭い笑顔もそうだし、なによりリサの不安を掻き立てるのが、リサのことをどこまで把握しているのかということ。
もし、もしリサの
リサは身震いし、頭の上まで布団を被った。
恐らく、それはリサの敗北を意味するだろうから。
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