序章 『魔王との出会い』
1. 魔女さん、もふもふ使い魔と出会う
「キツネの使い魔とはまた新たなジャンルが開かれたような......」
「じゃんる? 何を言っているんだお前は。というか、誰だお前。お前も勇者の仲間か? 人間の分際で俺を倒そうなどいい度胸だな」
呆然としながらつぶやくリサを見上げて黒キツネは首を傾げた。
濃緑の瞳とリサの黒瞳が絡み合う。
が、今度はリサが首を傾げる番だ。
「勇者? この世界には魔王的なラスボスでもいるの?」
「はあ?」
黒キツネが怪訝そうな顔をした。
可愛い顔が台無しになるほど眉間に皺を寄せている。もったいない。
「どう見ても俺が魔王だろうが」
「へ?」
リサは自分の目がおかしいのかもしれないと疑い、目を擦ってから再確認してみるが視界に変化は見られない。ついに頭までおかしくなったのか。
それともただ単に黒キツネの頭がおかしいのだろうか?
そもそもしゃべるキツネという時点でおかしかった。
「あのー」
「なんだ? 焦れったいのは嫌いだ。率直に申せ」
「魔王さまは人間でいらっしゃいますかね?」
「なにを言っている。当然だ。産まれながらにして魔王という職に選ばれたのが俺だからな。常識の欠落しているやつだな。我が偉大なる姿を見て気づかんとは」
黒キツネが嘆くように首を振る。
魔王を自称する黒キツネいわく魔王は職業の名前らしい。
そして、口ぶりからするに魔王は人間ということになる。
つまり彼は自分がキツネだということに気づいていない。
「あのー。大変言いづらいことなんですけれども」
「なんだ。言え」
「どう見てもあなた、
途端に黒キツネから憐れみの篭った眼差しを向けられた。
なにか誤解の気配を感じる。
「その年でまさかお前、頭がイカれているとは。私の部下にも一人いたが、お前もあいつと同類か。可哀想に」
同情のこもった目にリサはむっとして言い返す。
「嘘だと思うんなら鏡で確認してくださいよ。そしたら私が嘘をついているかどうか分かりますから」
黒キツネはリサを憐れんだのか、リサの言う通りに何もない空間から鏡のようなものを取り出した。
空中にぷかぷか浮きながら鏡が黒キツネの姿を反射させる。
「おお、流石はふぁんたじー。今のが魔法ってやつですかねー?」
「......」
感動するリサとは対称的に黒キツネは鏡を前にして絶句していた。
わなわなと肩を震わせ、鏡の中の自分の姿に見入っている。
リサも黒キツネの背後から覗き込む。
黒色の毛並み。緑色の瞳。毛並みと同じ黒と先っぽだけがほんのり白っぽい色をしたふわっふわでもふもふの極上なしっぽ。震えている大きな両耳。
リサは自分の目に狂いはなかったことを物理的な意味で理解した。
ただ、黒キツネがものすごーく痛い勘違いをしていただけで。
リサが同情のこもった生温かい視線をそっと黒キツネにむける。
あまりにもショックだったのか黒キツネがふらりと揺れる。
魔法の鏡がパリーンと音をたてて粒子となり消失していった。
リサがそっと黒キツネの肩? らしき部分に触れる。
「大丈夫。誰にでも失敗はあるものだ。気にしないで」
リサはそっと見えない涙を同じく見えないハンカチで拭いた。
「......馬鹿な。俺が、魔王であるこの俺が獣堕ちするなど」
獣堕ち......用するに人間から獣になってショック~って感じだろうか。
この世界での偏見とかがよく分からないからリサには何とも言えない。
「あれ? でも獣ではなくない?」
リサが召喚したのはあくまで使い魔のはずだ。断じて獣堕ちしてしまった魔王などではない。
「魔王さま。ショック受けてるとこ悪いけど獣堕ちじゃなくて使い魔だよ。私が召喚したの使い魔だし」
黒キツネの動きがピタリと止まった。さっきまでの震えが嘘のようだ。
役者になればけっこういい線いくんじゃないだろうか。
しゃべる上に演技までできる優秀でベリーキュートな使い魔。
マスコット的な立ち位置で売れないだろうか? 金儲けの悪だくみを思案していたリサに声がかかる。
「今、なんて言った?」
まるで、この数秒間で何歳も老けたのではないかというほどしゃがれた声だった。ショックのあまりもふもふの黒い毛がもふもふの白毛になったりしてしまわないか実に心配だ。
「私が召喚したのは使い魔。獣堕ちした魔王じゃないよ」
少しの間、二人(正確に言えば一人と一匹)を静寂が包んだ。
リサは気まずさを欠片も感知せず堂々と佇んでいる。
図太いというかむしろ気づいていない、つまりは相手の感情に鈍いのだ。
黒キツネは鏡の無くなった空間に視線を彷徨わせ、虚ろな濃緑の双眸とだらしなく座り込んだ姿勢でどこからともなく笑いだす。
「使い魔、はは。史上最悪の魔王とまで言われた俺が使い魔だと? あはは、ははははははははは。しかもあろうことこんな小娘の?」
黒キツネは力なく項垂れながらひたすら笑い続ける。
もはやマスコット的可愛さは残っていない。不気味さが完全に黒キツネの愛らしい撫でまわしたくなるような可愛さを塗りつぶしている。
リサすらも引くほどの気味悪さ。
さすがは魔王とでも言えばいいのか。
そもそも、本当に彼が魔王なのかすら分からないが。
「待て。では、俺が使い魔だということは、お前まさか、もしかして」
笑う動作をぴたりと止め、勘づいて目を見張る黒キツネ―――を前にしてリサは待ってました、と言わんばかりにほくそ笑む。
「もちろん。我こそは魔王を救う伝説の存在。聖と真逆にありて、聖を滅ぼす者。よーく覚えておくがいい。我が名は―――」
「なぜ、最強の魔王がっ、魔女などに! しかもこんな小娘にっ」
決めポーズを取りながらの中二病を匂わせる自己紹介。
それは一瞬で黒キツネが木に頭突きを食らわせる音によって遮られた。
リサは思う。痛くないのかな、あれ。
「あのさー。言いたい放題言ってくれやがってるけどさあ、魔王さま? 魔王さまの方こそ本当に魔王だって証拠はあるのかなー?」
「はっ、なにを馬鹿なことを。俺が魔王でなければ一体誰が魔王なのだ」
「いやー、その姿で言われても説得力皆無だよ黒キツネさん」
「......っ、お、お前こそ本当に魔女なのか!?」
「黒キツネさんを召喚できてる時点で証拠あるでしょ」
「いいや、俺は自分が使い魔なんて認めん! ただの獣の可能性だってあるからな! 獣堕ちは百歩譲って認めるとしても使い魔に堕ちるなど一万歩譲って認めん!」
「どんだけ使い魔になるの嫌なの」
リサは往生際の悪い魔王を前にして大きくため息を吐く。
仕方ない。お互いの存在を証明できるなにかを探すしかないだろう。
「使い魔と獣の違いってあるの?」
「もちろんある。使い魔は主人に名前をつけられると首輪が現れ――」
「黒キツネさんは今日からクロだ!」
「ふっ、ほら何もな......なっなんだこの首輪は!?」
どこから現れたのか、黒キツネことクロの首元に赤い首輪が迫ってきた。
クロが警戒してうなり身構える。
その姿はどこからどう見てもただの黒いふわふわ毛並みのキツネだった。
二、三度のキツネパンチを繰り広げる格闘のすえにクロの隙をついて赤い首輪はするりとクロの首元に滑り込む。装着が完了した。
赤い首輪に『KURO』の文字が刻まれるのを見届けてクロはがくりと俯いてぶつぶつ言い出した。
「魔王であった俺がこんな辱めを受けるとは......まだ既婚前だというのに」
「大丈夫。大丈夫。狐の一匹や二匹ぐらい養ってあげるから」
そのとしタイミングよくリサの腹の虫が鳴いた。
クロがじっと冷や汗を流すリサの顔を感情のない深緑の瞳で見つめた。
「金は?」
「......節約って大事でしょ?」
「飯は?」
「......ちょっと食べ過ぎちゃったからダイエットでもーと思って」
クロが無言でリサに背を向けた。
「ちょっと狩ってくる。ここにいろ」
「は、はーい」
クロが二匹の兎を咥えて帰ってくるまで小一時間ほどだった。
割と手際よく解体していくリサを見てクロが意外そうに言う。
「てっきり平和ボケした小娘かと思ったが最低限の技術ぐらいは持ち合わせているようだな。頭はおかしくても案外やれるものなんだな」
「まあ、おばあちゃんが特殊な人だったからねー」
平和な国にも『魔女』のような人はいたのだ。世界は広い。
その魔女から聞いた金運アップの方法を実践し、財布に蛇の抜け殻が入っているのをクラスメイトに見られて驚かれたのは記憶に新しい。
「クロ。落ち葉とか小枝とか集めてきてくれる?」
「その必要はない」
クロの言葉にリサは首を傾げる。
リサが問いかけるよりも先にただの地面に突然赤い光が瞬いた。
「わっ、びっくりした」
本気で驚いて目を見開くリサをクロが愉快そうな顔で見ていた。
地面に走った赤い閃光はどうやら炎のようだった。
燃えるものがないにもかかわらず勢いよく燃えている。
「お前のような図太い小娘も驚くようなことはあるのだな」
「図太いとか失礼な。今のどうやってやったの?」
「土のマナに干渉しただけだ。土のマナに火の色をつけて炎を発生させた」
なんだかよく分からないがハイテクのように見えた。
おそらく、魔法だろう。
マナとかよく分からない単語も出てきた。リサは素直に尋ねる。
「マナっていうのは?」
「魔法を使うのに必要なエネルギーのことだ。通常は自分のオドにあるマナを使うが今のは大気中のマナに命令した。後者の方が楽だからな」
「つまりハイテク?」
「はいてく? なんだそれは」
顔をしかめて説明を求めるクロ。
リサは兎肉を木の棒に刺して炙りながらクロに説明する。
「ハイテクニック。通称、ハイテク! ようは高度な技? ってこと」
「も、もちろんそうだ。俺レベルでないと使えないぞ。お前がどうしても教えて欲しいというなれば教えてやらないこともないがな」
鼻を高くする元魔王さま。
実は案外ちょろかった。にしても、元魔王なせいか変にプライドが高い。
悪い癖は早めに直させた方がいい。
リサは器用に二つの兎肉串を片手で持ちもう片方の手をクロのおでこに置いた。親指と人差し指で丸を作る。
ほめられて 機嫌がいいクロはそれほど咎めていない。
「えい」
おでこをデコピンで弾くとクロが痛みに悲鳴を上げた。
耳としっぽが同時にびくんっと大きく揺れる。リサの見えない悪魔の角のしっぽと悪戯げにふらふら揺れた。
「な、なんだ、今の! ものすごい威力だったぞ!」
「ふっふふ。私の馬鹿力コンプレックスをなめるなよ」
母親から聞いた話だが赤ん坊のころ哺乳瓶を握っていて目を離した隙に握力だけで哺乳瓶を木っ端微塵に砕きかなり青ざめたそうな。
犠牲になったのが哺乳瓶で本当によかった、と穏やかに語っていた母親の姿が蘇る。今では笑い話だが、握っていたのが哺乳瓶でなかったらと思うとリサもぞっとする話だ。
母親に一途で娘は二の次な父親に聞かれたらたまったものじゃない。
回想を終え現実世界に帰還するとクロがリサに警戒心を露わにしてずるずると距離を置いていた。
「分かった。もうしないからもどっておいで。なにもしないから。本当になにもしないから」
「なぜ二回言った? お前なんぞ信用できるかこの魔女め!」
「分かった。......じゃあ、この兎肉は両方とも私のものってことでいい?」
いい感じに焼けてきた兎肉を見せびらかしながらにやけるリサが言う。
クロがむっとした顔で背を向けた。
「俺の手にかかればラビルなど何羽でも捕ってこれるわ」
香ばしい匂いにちらちらと振り返りながらも森へと入って行く。が口にした言葉をもどすのは魔王だったころのプライドが許さない。そしてリサも情けなどかけてはやらない。
早速いい感じに焦げ目のついた兎肉をほおばる。鳥肉に間違えそうな淡白な味の肉を飲み込み、祖母に食べさせられた兎肉の味を思い出す。
兎の肉、この世界ではラビルと呼ばれているらしい生物の肉はリサの知る元の世界の兎肉そのものだった。食べさせられたのは一度だけではない。
「やっぱり『魔女の血縁者』ってスキルである程度の日常に困らない程度は翻訳機能あるけど呼び方には差があるんだよなあ。リンゴとかミカンとかも違うのかなあー」
クロが帰ってきたら聞いてみようと思いリサはうとうとして横たわる。
地面は固くて冷たかったが寝れないほどではなかった。
床や地面で寝るのには慣れている。
これも祖母からよくやらされていた訓練だ。反対した両親への言い訳の名目は確か「災害時のための訓練」だっただろうか。無理がある。
祖母と比べれば両親はどちらも常識のある人物だったといえる。
親戚が他所に迷惑をかけるたびに頭を下げにいっていたのはリサの両親だ。
『みんな、目を離すとすぐに問題を起こすんだからまったく』
呆れながらも奔走していた母の姿が蘇った。それがひどく懐かしい。
少しだけ意識を手放すだけのつもりだったがリサの意思に反して瞼がだんだんと閉じていく。睡魔の誘惑に襲われリサはとうとう意識を手放した。
「い、起きろ」
目覚めを促す声を聴くのは久々だった。けれど睡魔は甘い愛撫でリサを再び眠りへといざなう。
「おい、起きろ! 起きろって!」
聞き覚えのない、いや聞いたことはあるのだ。いまさっきまで聞いてはい
たもののまだ交わした言葉の数は少ない男の子の声。
頬をぺちぺちと柔らかいものがつついてくる。なんだろう。
顔を包み込むようなふわふわとした感触。柔らかくて暖かい。こんな上等な毛布うちにあったかな?
「いつまで寝てる気だ! このくそったれ魔女め!」
頭を地面に打ってリサは目を覚ました。重たい頭をふらふらさせて上半身だけを起こす。そのまま地面に座り込み目をそっと開けた。
まだ暗い。クロの出した炎だけが唯一の明かりだった。
夜の森は余計に不気味で今にも木陰から何か飛び出してきそうだ。
ホラー映画とかでよくあるやつだ、とそこまで認識して記憶がもどる。
「クロ?」
「他に誰がいるんだ」
目の前にムスッとした顔でピンク色の肉球をリサの太ももに突きつけているクロがいた。
クロの足元には四匹のラビル。
どれも絶命している。
あまり寝起きに見せてほしい光景ではなかった。
「なに? どうしたの?」
「あ、いやその。別に意味はない」
リサは脳内の記憶を再生しクロをはめるために企んでいたことを思い出す
わざわざ起こされたということはやはり、リサの予想は正しかったらしい。
「分かった。やってあげる」
リサは兎を解体し木の枝に手際よく突き刺していく。
この動作がクロにはできないとリサは寝る前に予想していた。
だから、リサに頼んでやってもらうしかない。リサを頼る必要がある。
本当ならクロがお願いしますと口にするまでリサは手出しするつもりはなかったがクロがもうすっかり参っているようなのでやってやった。
炎の下に黒く焼け焦げたラビルの残骸がいくつか見えたから。
このままではこの森のラビルが全て駆逐されかねない。
あとリサが眠かったというのもある。
「炎の調節とかはできないんだ」
「純粋な炎ならできるが無理やり変化させたマナの炎は、な」
クロは苦々しい顔でリサをじとーと睨みつけていた。
リサが礼を促してもクロは何も言わないだろう。ならば、クロから言い出すまで待ってやるしかない。
「......」
「......」
静かな森に沈黙が落ちる。
音は何もない。時折、気まぐれに吹く風が木々の葉を揺らすだけだ。
「魔女。お前、名はなんという」
「そういえば名乗ってなかったっけ。リサだよ。外国風にいうとリサ=カオウになるのかな」
「リサ?」
クロがリサの横顔を見つめた。
リサは顔に何かついているのでは、と不安になり顔に触れるが何もない。
少ししてからクロはリサから視線を外し、口を開いた。
「いや、知人と同じ名前だったからな。にしてもお前の家名は珍しいな。家名があるということは貴族だろうがどこの国の令嬢だ?」
「この世界だと平民にはまだ家名がない設定なのか。やっぱ今のなし」
「言葉を撤回するとはそれでもお前、それでも魔女か」
「魔女ってずる賢いでしょフツー」
リサの答えを聞いてクロは「それもそうか」と同意を示した。
やはりこの世界でも魔女は蔑まれがちな職業らしい。
「……感謝してやる」
「どういたしまして。どーせこれからいっぱい迷惑かけると思うからよろしくお願いしやがるねー。クロちゃん」
「クロちゃん言うな。あと公言されてもこちらとしてはどうしようもない」
クロが吐息しながら呆れたようにじとーとリサを睨む。
リサは視線から逃れるようにしてクロの毛に身を沈めた。
「クロもっふもふ、ふかふか」
「もふもふ言うな。俺を枕代わりにしたら本気で噛むぞ?」
「いけずー」
立ち上がりまた距離を取るクロを見てリサが唇を尖らせた。嫌がることを無理やりする必要はない。
リサは追及せずに黙って、また地面に体を預けた。
数分とまたずにリサが寝息をたて始める。炎にまだ幼さの残る愛らしい顔立ちが照らされた。
クロが片目を開いてリサが寝ていることを確認し立ち上がる。
クロの視線が暗闇と化した森に向けられた。ここで黙って逃げ出せばリサは追ってこれないだろう。
クロは晴れて自由の身。契約を交わしたとはいえ、まだまだ未熟な魔女に元魔王であったクロが負ける気はしない。だが、
「......よろしく」
クロが小さな黒い手でポンとリサの黒髪を撫でた。
ここでリサを放置すればあっという間に魔物の餌食になるだろう。
幼い少女を見捨てるほど人間として堕ちてはいない。
たとえ人間に人間と認められずともクロは人間でありたかった。
今はもうクロを縛り付けていた『魔王』という枷は外れている。
今度こそ手に入れられなかったものを求められるチャンスがある。
―――魔王の死が訪れ十年の時を経て、彼は再びこの世界に降臨した。
(......本当は起きてるけどね)
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