15.魔女さん、ドラゴンに遭遇する
「お、見つけた!」
新たなアカノ草を見つけたリサが歓声を上げて、地面にしゃがみこんだ。
赤い葉の上にちょこんと黄色い花が咲いている。
ギルドで見たものよりも生き生きとしていて、生命の神秘を感じる。
『もうちょっと声を抑えろ。魔獣が来たらどうするつもりだ』
『ごめんごめん。なんか、カブトムシを見つけたみたいな嬉しさがあって、つい』
『よく分からないことを言うな』
『あー、カブトムシってこっちにはいないのか。でもさ、魔獣になんて全然遭遇しそうにないし、そんな心配しなくても』
『油断するなってことだ。お前、魔獣の住処がたくさんある森の中にいるっていう自覚が皆無なんだな』
『えー? 褒められても別に嬉しくないよ』
『俺は、褒めたつもりは少しもないぞ』
木漏れ日が差し込む、昼前の森の中はいたって平和で、寝転べるスペースさえあれば寝転んで昼寝したいぐらいの気持ちよさ。
風は時折吹く程度で、冷たすぎずまさにお昼寝びよりの天気だった。
『なんか懐かしいなあ、こういうの。おばあちゃんにもよくやらされたっけ』
『リサに、か?』
『そ。正確には
漢字の違いだけで呼び方は全く同じ。
自分の孫に同じ名前をつけるなんて、変わった趣味してる。
『......莉沙は、そっちの世界ではどういう人間だったんだ』
『賢者さまの言ってた通りだよ。まさに魔女って感じの人。性格悪いし、すぐ孫を訓練に駆り出すし、両親が死んでもすぐに立ち直れーとか言ってくるしさ。あ』
リサが口を滑らせ、黙り込む。
クロが少しして念話で追及した。
『親、いないのか』
『......まあね、数年前に事故にあって他界しちゃった。おばあちゃんもその一年後にいなくなっちゃったし、そっからはずっとひとりかな。親戚もなかなか会えないし』
『寂しいとは思わないのか? なぜ、そんな明るくしていられる』
『寂しかったよ。最初のころは。でもまあ、人間適応しちゃうもんで、もう慣れちゃったから気になんないかな』
『......そうか』
あっけらかんとしたリサの言動にクロは追及を取りやめた。
リサがアカノ草を摘み取り、アイテムボックスの中に入れる。
『めそめそ泣いてても、どうにもならないし、過去には戻れないから』
『......』
『って、おばあちゃんが言ってたからね』
リサは苦笑しながらクロを振り返る。
受け売りの言葉だ。元気付けられてきたおばあちゃんの言葉だ。
だからリサは過去を見つめ直さない。
『クロが知ってるおばあちゃんはどういう人だったの?』
リサの問い掛けにクロは少し沈黙してから答えた。
『素晴らしい、人だった。俺の恩人だ。俺を魔王としてではなくひとりの息子として育ててくれた。返しきれないだけの恩がある。だから、まだ信じられない』
何が、と聞かなくても分かった。
クロはまだ振り切れていないのだ。
莉沙の死を。おばあちゃんがもうこの世にはいないという事実を。
『理解しなくてはいけないのは分かっているんだ。だが、俺にはまだ諦めきれるだけの勇気がまだない』
希望。それは、時に人を縛る鎖にもなる。
クロにはまだ希望がある。
正しくは、希望に縋っている。
人は、一度依存したものから離れるときもっとも苦しい思いをする。
希望。憧れ。依存対象。かけがえのない何か。
諦めるという行為は難しい。
諦めをさらに別の希望へとつなげることはもっと難しいことだとリサは知っている。
ほとんどの人間が依存と依存を繰り返し、苦しみもがき悩みに悩んでいる。
『クロは、おばあちゃんのこと好きだったんだね』
『嫌いになれるわけがないだろう。育ての親だ。ずっと、俺と一緒にいてくれた。俺に手を差し伸べてくれた、手を引いて、世界へと導いてくれた』
熱い口調でクロが語る。
リサがほおを膨らませた。
『クロちゃんはおばあちゃんにばっか縋ってるんだね。私じゃ物足りない?』
『......お前と莉沙は違う』
『私は、クロがいるから今は少しも寂しくないよ!!』
リサが信頼を込めて笑いかける。
クロが固まった。
『ん? どしたの?』
『......別に』
そっぽを向いてぶっきらぼうに答えたクロにどこか不自然さを覚えたが、リサは新しいモコモコ草を見つけ、駆け寄る。
『見てみて! クロちゃん、アカノ草と合わせて
『もうそろそろ取るのやめた方がいいんじゃないか。だいぶ、奥まで来たし』
『そうだねえ。もう何キロぐらい歩いたかな?』
『かなり奥まで来たのは確かだな』
辺りはもうかなり深く、薄暗い。
日中のはずなのに夜のような静けさだ。
『
クロの一言に若干フラグが立ったのを感じるリサ。
リサの思考を肯定するように、目の前にあった巨木が動き出した。
「げ」
『退がれ、リサ!』
クロの怒号で跳躍すると、巨木が尻尾のようになり大きく薙ぎはらうように動いた。
風を切り、周囲にあった数本の木をなぎ倒していく。
「リアルドラゴン......かっこいいー」
平地になった森で、ドラゴンの姿が露わになった。
薄茶色の巨体には所々に緑が見え、翡翠色の瞳には怒りの色が差している。
『なにぼんやりしてるんだ!? 逃げるぞ』
『えー? クロちゃん勝てないの?』
『勝てるわけがないだろう! ドラゴンだぞ!? 聖獣だぞ!?』
『じゃ、あの
『は?』
リサがドラゴンの目に映るようにわざと前に進み出た。
翡翠の宝石の中で少女の姿を見咎めたドラゴンが尻尾を振るう。
「っ、馬鹿か!?」
叫んだ声はクロの物ではない。
クロは目を丸くして、リサに向かって飛んでいく黒い影を眺めていた。
「『
リサを脇に抱き、黒影が魔法スキルを発動させる。
大気中に生じた黒い炎の球体はドラゴンの尻尾を燃やして喰らい、悲鳴と苦痛を生み出した。
「なんつーことをするんだよ、新人ちゃん。リノンが心配すんのも無理ねぇわ」
「危機一髪でしたねー。あ、密偵的な職業の方です?」
「なんだよ、その危機感の欠片もない発言は」
黒影。その正体は、茶髪碧眼の中年男性だった。見覚えはない。
「えーと、リサだったか。若いころから無茶ばっかりしてると死ぬぜ?」
「いえ。いつもならこんなことしませんよ。ただ、つけてるのがどういう人なのかなーって気になっちゃって」
「......この頃のガキは図太いな」
「ガキじゃないです! レディですよ私!」
「どこがレディだよ」
初対面で突っ込まれながらリサは男に抱えられたまま主張する。
「どう見ても、レディでしょう! この可憐な乙女をなんだと思ってるんですか!」
「可憐な乙女は自称しねぇよ。っと、あっぶね」
軽口で返した男が、ドラゴンの身体から伸びてきた草の鞭をぎりぎりで避ける。
追撃してくる草の鞭を男がいつの間にか手にしていた小さめのナイフで切り裂いた。
「面倒な奴を怒らせやがって。この事は上に報告させてもらうからな」
「上って、ギルドの?」
「俺の機嫌取り次第で、お前の冒険者生活が終わるかどうか決まるからな」
「へぇ。そんな偉い人なんですねぇ。ひょっとしてギルドマスターさんとか?」
男の瞳が僅かに動揺した。
だが、再生した草が迫ってくるのを見て表情が真剣に戻る。
「『
男の吐き出したブレスが、冷気を放ち植物を凍らせていく。
ブレスはドラゴンの巨体を半分ほど侵食したところで止まった。
ドラゴンの肢体はもう地面に縫い付けられて動かない。
「ギルドマスターがこんな修羅場にひょいひょい出てくるわけねぇだろ、ガキ」
「えー? でも、隠蔽工作って可能性もあるよね。それに、受付の人とも親しげに話してたし。ただの冒険者がギルドの秘密事項を知っているとは思えないなあ」
「......お前、聞いてたのか!?」
リサはにんまりと微笑む。
その顔には恐怖は欠片もない。
「地獄耳は昔からなんですよねー。ジャスパーさん」
名前を呼ばれ、男は頬を引きつらせた。
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