9.魔女さん、宿屋で休む
軽い衝撃を受けて反射的に目を瞑る。
瞬くと景色は一変していた。
美しく明るい街並みにリサは瞠目した。
「綺麗......」
赤レンガの塀に手を置いて、リサはその美しい夜の街に見惚れた。
その傍らに座り込んだクロが不機嫌そうに言う。
「そんなこと言っている場合か。たくっ、あの賢者どこに飛ばしたんだ」
「さあ。それはよく分かんないけどこっちの世界にもこんな立派な街あったんだね」
「人族どもの街だろう。こんな貧相な街どこにだってある」
「これで貧相なんだ。案外、この世界の文化も発達してるんだね」
よっこいしょ、と塀に登りバランスを取りながら立つリサ。
クロがリサを見上げて呆れたように言う。
「呑気なものだな」
「まーね。取り敢えず今日どうすればいいかの目安はついたから」
「なにを言っている?」
クロが怪訝そうに眉をひそめた。
リサが塀の上を歩きながら微笑む。
「今夜は硬い寝床とはおさらばできそう」
「お前......」
「ま、私はクロちゃんを枕にして寝ても幸せなんだけどね?」
「絶対に嫌だ」
否定されてリサが頬を膨らませるが、すぐに立ち直り塀から飛び降りた。
そして、クロをびしっと指差す。
「まずは宿探しといこうじゃないか!」
リサが見つけたのは、設備の整った比較的大きい宿屋だ。
受付の女性も可愛らしい。
「一泊ですね? そっちの子は部屋に連れて行ってもらって構いませんよ」
クロを見て、嫌な顔をされるかと思ったがそうでもなかった。
街の中でも特に指さされることはなかったし、珍しいものではないのかもしれない。
部屋まで案内され、豪勢なベットにリサは目を輝かせる。
洗面所や、シャワーまでついている。
「ご夕食はいかがなさいますか? 今からでしたらすぐ持ってこさせますが」
「お願いします」
「別料金なので、お金は料理を運んできた者にお渡しください。それではごゆっくり。失礼いたします」
女性が去ってすぐにリサはベットへジャンプして倒れこんだ。
弾力が違う。幸せだ。
「ああ、至福だ」
上機嫌なリサ。
クロが顔をしかめる。
「その格好のままそこに乗るな。汚くなるだろう。風呂に入ってからにしろ」
「はーい」
リサは大人しく頷いて、テーブル付きのソファに深く腰掛けた。
クロはソファの下の絨毯に座り込む。
「クロちゃんもここ座れば?」
「馬鹿か。主人と一緒に座る魔物がどこにいる。いいか? ここでいる間はあくまで魔物使いのフリをしろよ。魔女だとバレると厄介だからな」
「ん、分かった。けど、なんで無口なの? ここの街についてから」
クロはリサと宿探しに明け暮れる最中一言も口を聞かなかった。
するとしても動作だけで、リサの言葉にかすかに頷いたり、首を振って否定したりといったものだけだ。
「魔物は喋らないんだよ!」
「だって、あの狼男のモンスターは喋ってたじゃん。カタカナ混じりだったけど」
「あれは上位種だからだ! 下位種の魔物は人語を喋るどころか理解すらできないぞ」
なるほど。あのモンスターは案外レア系の上の方だったのか。どうりでクロ相手にあれだけ太刀打ちできるわけだ。
ラビルなんてクロに狙われたら数分後には食われてるのに。
「じゃ、ここにいる間は当分話さないってこと? でもそれって不便だね」
「案ずるな。念話を使えばいい」
「あ、その手があったか! ってクロちゃん念話使えるの?」
リサの問いにクロが鼻を鳴らした。
床の絨毯に寝転がって、寛ぎながら返す。
「念話は初級魔法スキルの一つだぞ? お前でも使えるはずだ」
「ああ、そういえば賢者さんがそんなこと言ってたっけ」
賢者ユウキの場合は魔道具だったが。
にしても、ユウキを思い出して疑問に思ったがなぜユウキはリサ達をここに連れてきたのだろうか。
「ここに私たちを連れてきたのもあの賢者さんでしょ? なんでだろう」
「さあ。あの小僧が考えることなんて一度も当てられた試しがない」
「そんなに古い付き合いなんだね」
「腐れ縁だ」
リサがニヤニヤしながら言うと、クロは短く答えてふいと目線を逸らした。
その時、ドアをノックする音が響く。
「失礼します。お食事をお持ちしました」
控えめな小さい声がした。
リサは許可を促すと、小さな赤髪の少女が入室してきた。
重そうな首輪を巻き、足首には枷のようなものを装着している。
容姿は整っているし、清潔な服装をしているがどこか怯えたような雰囲気が感じ取れた。特に、クロを見る目が心細い。
クロはそれを察してか、尻尾すらも動かさずに瞼を閉じた。
「どうぞ」
「ん、ありがとう」
お盆に乗せられたお皿には色とりどりの食べ物が山盛りに乗っている。
隅にクロ用なのかドッグフードのようなものが乗せられていた。
リサはフォークらしきものを手に取り、スパゲッティのような麺を口に運ぶ。
「うん、美味しい」
リサの綻んだ表情を見て落ち着いたのか、赤髪みの少女が小さく息をもらした。
それを見たリサの視線に少女が小さく身をよじり誤魔化すように両手を胸の前で振る。
「ご、ごめんなさい。つい、わ、私みたいな奴隷が息なんてしてごめんなさい!」
奴隷。前の世界では、ごく稀に聞いた言葉だったものがリアルに感じられる。
目の前の少女はあからさまに怯えている。
自分が叱咤されるかもしれないという上位者への恐怖に。
その反応だけで、彼女がこれまでどんな目に遭ってきたのかが容易に予想できた。
「いえ。気にしてないから大丈夫。それより君の名前は?」
怒られると、肩を震わせていた少女がリサの言葉でピタリと止まる。
少女の大きな瞳がさらに大きく見開かれた。
「み、ミカですっ。ミカ=ラルドっ」
「そう。いい名前だね」
「あ、ありがとうございます」
嬉しそうに瞳を輝かせる少女。
クロと同じ、緑色の瞳が綺麗だった。
「ミカ。いくつか聞きたいことがあるんだけど時間はいい?」
「はいっ、女将さんに許しを貰えたら......」
「そう。なら、借り料金のチップを払うから。前払いでいい?」
食事代とミカを借りる分の料金をおおそよで決め、ミカに預ける。
ミカが驚いた顔でリサに問い詰める。
「いいんですか!? こんなにいただいて、私みたいな無知な者より他の方のほうが」
「生憎そこまで持ち合わせはないから。できれば一時間以内には戻ってきてくれると助かるけど」
宿の壁に備え付けられた時計を見上げながらリサが言う。
時刻は夜刻の9時。10時までに来てもらい、いくつか教えてもらえれば助かる。
「は、はい。分かりました。では、確認してまいります」
ミカはわたわたしく、部屋から出ていった。
その後ろ姿を見送りクロが振り返る。
リサは食べ物を口に運んでいる真っ最中だった。
「おい、なに勝手なことしてるんだ」
「勝手ってなにが?」
「あの娘を呼ぶことだ! こちらの正体がバレたらどうするつもりだ!?」
クロの異様な怒りにリサは肩をすくめた。
リサのへらへらした態度が気に食わなかったのかクロが立ち上がり抗議する。
「大体、そんなもの金の無駄遣いだ。質問なら俺が答えてやる」
「じゃあ、クロちゃんはここがどこだか分かるの?」
「っ」
クロが瞠目した。
そう。リサ達はここのことをなにも知らないのだ。
ここがどこであるか。どのような文化を持ち、どのような制度があるのか。
「知っておくべきことは知っておくべきだよ。おばあちゃんがそう言ってた」
「リサが、か」
「それに知っておいて損することはないしね。念には念をってやつだよ」
「お前にそれを言われるとは屈辱だな」
「なんですと!?」
過剰反応したリサをクロがおかしそうに見て笑う。
やっと笑った。リサもつられて笑い、密かに安堵する。
クロはここへ来てから不自然なほど笑っていなかった。
機嫌悪く、苛立ちを隠さない。
その肩荷を少しでも下ろしてくれたなら反応したかいがあるものだ。
夕食を完食し、シャワーを浴びてすっきりしたところにミカはやってきた。
どうやら許可がもらえたようだ。
ほっとして、ミカに座るよう促すと、全力で断られた。
「奴隷がお客様の前で座るなんて、絶対に許されないことですから、無理です」
涙目で断られれば、流石にリサも諦める。
背筋を伸ばして立つミカを見上げて、リサは早速問いかけた。
「私ここへ来たのは初めてだからここのことはなにも知らないんだ。よかったら、教えてもらえる?」
「はっ、はい! なにから説明すればいいでしょうか。あ、国名からでいいですか?」
「うん。お願い」
リサの外面な口調にクロが胡乱げな眼差しを浮かべた。
ミカが思案するように顎に指を触れさせたあと少しして口を開く。
「この国はサラマンダーと呼ばれている人族がほとんどの人間の国です。火の精であるサラマンダーによって守られています」
「サラマンダーというとトカゲ?」
「はい。サラマンダーはトカゲの姿をしていると言い伝えられております。中央通りの奥、王城の外壁にはサラマンダーのトカゲの姿が描かれていますよ」
精霊という新たなワードにリサは密かに胸を高鳴らせる。
精霊に統治された国。が、しかし王城があるということは王はまた別にいるということになる。
精霊というのがお伽話の可能性もあるな、とリサは受け止めておく。
「火の精霊の名前をそのまま国名にしたんだねえ。分かりやすい」
「はい。この国にとってサラマンダーは偉大な存在ですから」
ミカが微笑んだ。
はにかむとただでさえ可愛らしい顔が数十倍愛らしくなる。
「サラマンダー以上に偉大な存在もこの国には近代関与してしますが」
「火の大精霊よりもっと上がいるの?」
「はい。なんせ、相手は神様ですから」
ミカは当然というように告げた。
リサは瞠目する。
「神? 神ってあの神様?」
「え? はい、そうですが......」
「神がいるってまじでやがりますか......まあ、いいや続けて。その神について」
まじか。この世界にはリアルな神様がいるのか。
戸惑いつつも、不審に思われないよう先を促す。
もう充分不審かもしれないが。
こんなことになるんだったらクロに聞いておけばよかった。
リサは横目でクロを睨む。
クロはピンクの肉球で顔を洗っていた。
「私たちをお救いしてくださった神はあくまで人間にとっての神様です」
「あ、神様そんないっぱいいるんだ」
「え? は、はい。全部合わせればゆうに百は越す人数ですが」
神様いすぎだよ。
誰だ、そんな量産した奴は。
「人間にとっての神様ということで、他の神と区別をつけるとき人々は彼女を人神と呼んでいます」
彼女、ということは女神様だろうか。
にしても、この国になにをしたんだろう。
飢饉の救世主? 戦争の守護神?
なんであれ、この国の危機を助けた神様なのだろう。
「人神様は今から15年前に魔王討伐を志しました」
ん? 雲行きが怪しくなってきたぞ。
リサは小首を傾げる。
クロの耳が立った。
「しかし、我が国には魔王に太刀打ちできるほどの強力な人材はいない。そこで、人神様は我らに勇者を召喚してくださったのです!」
「!?」
クロの耳が大きく震えた。
緑色の瞳が大きく見開かれる。
リサが恐る恐る尋ねた。
「ってことは、つまりここは......」
「はい。お客様も名前ぐらいなら聞いたことがあるのではないでしょうか?」
ミカは可憐ににこりと笑う。
リサは引きつった笑みで返した。
「ここ、サラマンダー王国は火の大精霊の国。そして『勇者の国』でもあります!」
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