花の色は移りにけりな

 ついこの間までつぼみだった桜の花もいつのまにか散ってしまった。

 柔らかい気緑色の葉が目立つ桜並木の道は、午後から降り続いた雨で少しぬかるんでいる。


 大学進学の際に上京してから10年。

 一流企業でバリバリ働くうちに、もう28歳になってしまった。

 先日、地元の友人から届いた手紙には『結婚して2年、新しい家族が増えました。』の文字。

 学生時代の友人達と時々やり取りするSNSでも、幼い子供や優しそうな伴侶と笑っている写真をよく見かける。


「…そうよね、この歳だったら家族がいてもおかしくないわよね」


 雨音と傘に隠れて小さく呟く。

 研究に明け暮れた大学時代、それなりに交流もあったけど興味はなかった。

 就職して、必死に仕事を覚えて、働いて…気がついたら独り身のまま今年も春を迎えた。

 結婚願望は強くないし、この10年間を後悔することはないけれど…


「きっとこのまま、歳をとっていくのかなぁ」


 雨に濡れた歩道の隅で、泥にまみれている桜の花びらが目に留まった。

 4月の終わり、午後8時の道はまだ暗い。


『花の色はうつりにけりないたずらに 我が身よにふるながめせし間に』


 平安時代の美女でさえ、移り変わる季節に自分の老いを感じたという。

 小野小町のような美女ではない私なら、なおさらだろう。

 電車を待つ駅のホームで見かける女子高生の姿に、私にもあんな時代があったのだと思い出される。



「あのぉ、社員証、つけっぱなしですよ。」


 振り返ると同じくらいの年の頃の、穏やかな雰囲気のサラリーマン。


「あ、すみません。ただ、ウチの会社って社員証目立つじゃないですか、だから…」

「すみません、ありがとうございます。気づきませんでした。」


『ウチの会社』ということは、気恥しそうに笑うこの人は同じ会社なのか。

 だから見覚えがあるのだろうか。

 いや、もっと前から知っている気がするのだけれど。


「…違ってたらすみません。もしかして、二高のトロンボーンだった小野さんですか?」


 何故、私の出身校と高校時代に吹奏楽部だったことを知っているのだろう。


「あの、自分は三高の吹部でトロンボーンやってた大友です。」

「あー!合同演奏会で一緒にやりましたよね!」


 高校時代の部活で一緒に演奏したことのある隣の学校の男子部員。

 いつもニコニコと穏やかだった彼が、同じ会社だったとは驚いた。


「やっぱり、そうじゃないかなって思ったんですよ。3年の時の合同で小野さんのやってたソロが印象に残ってて、あれ?って思ったんです」

「10年ぶりですかね。同じ会社だとは思いませんでした。」

「この春に、こっちに転勤になったばかりなんです。小野さんに会えるとは思わなかったなぁ。」


 こんな所で会うとは思っていなかった人との再会に、話が弾んだ。

 気が付けば帰りの電車が来ていた。


「自分はこっちなので、また」

「はい、同じ会社ですしね。」


 電車の窓越しに見た東京の空は、もう雨が上がったようだった。



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うたものがたり 見月 知茶 @m_chisa

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