そして、朝起きたら――

「おはよう、シル。ほら、眼を開けて周りを見て」


 耳元でささやくと、シルフリートは眠たげに目をこすりながら身を起こした。彼女は寝室の中を見回して口をぽかんと開けると、俺の胸に顔をうずめてまた泣いた。


「スオウ様……私は……」


「帰ってこれたんだ、それでいいじゃないか。君はここで、みんなに必要とされてるんだ」


「そうですけど……わかりますけど。私は、あなたの『現実』でありたかったです……」


「俺だって――」

 

 俺だって悲しかった。だがいつまでも泣いているわけにいかなかった。ここが彼女の「現実」なのだ。婚礼のあと二日間とはいえ姿を消していた王女を、エルフたちの前に示して、安心させてやらねばならない。

 俺たちは互いに手伝いながら、この国の新しい女王とその連れ合いにふさわしい盛装に着替え、ゆっくりとドアを開けた。



 新女王の帰還と即位は国を挙げての祝賀となった。シルフリートの一時的な失踪については表向き病気ということになり、様々な憶測が乱れ飛んだようだが俺は努めてそれを耳に入れないようにした。もちろん、長い方の耳にも。


 俺たちは随員を引き連れ二週間ほどかけてフォレスティアの各地を巡り、エルフやドワーフ、人間は言うまでもなくゴブリンやコボルドに至るまで顔を見せ、訴えがあれば彼らの要望を聞いて書き留めた。


 その間も夜ごとに眠っては目ざめ、俺は現実のアパートとフォレスティアの城や館を行き来した。例の金貨も売りに行った。手数料の関係で一枚五万円ほどに目減りはしたが、それでも現実での生活はずいぶんましになった――



 ようやく巡幸が終わったその日。俺とシルフリートは王宮に戻ってのんびりした時間を過ごしていた。


「シル……お疲れ様。強行軍だったけど、楽しかったなあ」


「はい。以前冒険したときには廃墟になってた町や村が、にぎやかになってて……それが何よりうれしかったです」


「挿し木をして魔法を使えば家ができるんだもんな……君たちの建築術は非常識すぎるよ、俺には」


「だって、私たちにはあれが常識ですから。それに、この王宮はドワーフの石工たちが何十年もかけて作った、手間のかかったものですよ」


「そうだな」


 厳しい現実も少しはましになった。夢の王国は平和を取り戻した。だったら、何も嘆くことはない。


「君の国は本当に美しい……いい国だなあ」


「今は、あなたの国でもあるんですよ。このシルヴァンウッドが、世界全てが――私たちの生きる場所です」


「……ありがとう」


 シルフリートの言葉を胸に、俺は幸せな気持ちで眠りについた。

 それが夜ごとの夢の中だけのことであっても。絵空事のような気やすめだとしても。彼女は紡げる中でいちばんやさしい言葉を俺にくれたのだ。



         * * * * * * *



 ジリリ ジリリ ジリリリリリ――

 目覚ましが鳴っている。


 俺はいつになくさわやかな気分で目を覚ました。布団の中から手だけを出してまさぐり、100均ショップで買った安物の目覚まし時計を――掴めなかった。

 そもそも、目覚ましが鳴っていない。


 どうやら目覚ましに起こされる夢を見たらしい。なんとも手の込んだ目覚め方だ。


「あーあ。また出勤――」


 言いかけて目を開き、俺はそこで固まった。

 広々としたベッドの上に、ふっかふかの羽根布団。俺はいつものようにTシャツとトランクスに短パンという姿で寝ていたが、そこは六畳間に敷いた布団の上ではなかった。


 フォレスティア王宮の寝室で眠りにつく前と同じ、フォレスティア王宮の寝室だ。傍らには、裸の肩に金髪を散らして眠るシルフリートがいた。一体何が起きているのか。

 窓辺に立って鎧戸を開くと外は一面の緑。深く清冽な森林の空気が吹き込んできた。


「あー……」


 眠りにつく前の、彼女の言葉を思い出す。


 ――今は、あなたの国でもあるんですよ。

 ――このシルヴァンウッドが、世界全てが――私たちの生きる場所。


 どうやら、俺はうっかりこの世界そのものを「自分のもの」だと認識してしまったらしい。だが、現実の世界に持ち込むには、さすがに世界一つは大きすぎた。

 自分の体より重いものにロープをかけて引っ張ればどうなるか? 自分が、ロープの先にある物体に引き寄せられることになる――簡単な理屈だ。


「まいったな……」


 俺の肉体は今、現実バージョンだ。エルミームはじめ廷臣たちに理解してもらうには骨が折れそうだし、多分これからは、フォレスティアバージョンの俺が夢の中のファミレスで働くことになるに違いない。

 だが、俺は気にしないことにした。夢の中で世知辛い浮世を生きるのは妙な感じだろうが、向こうは向こうでうまくやっていけないことはないはずだ。こっちでは乗馬も剣も、また一から覚え直すことになるだろう。


 夢も現も前途多難、だが俺は最高に幸せな気分だった。さて、これからどうするか――

 

 俺はこのまま朝食の時間まで寝ていてもいいし、シルフリートを起こしてこの嬉しいニュースを伝えてもいい。なにせ彼女は俺の妻で、これからずっと、いつまでも一緒にいてくれるのだから。

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