朝起きたら布団の中に斧が

 TVの画面が特撮ヒーローから女児向けヒロインアクションアニメ「マジカルカワイイマジカワ!」に切り替わる。シルフリートは俺に抱きかかえられたまま、ぽかんと口を開けて画面に見入っていた。


「スオウ様……絵が、絵が動いてます。すごいです!! ああ、青い女の子が窮地に!?」


 アニメなんて初めて見るだろうに、よくそんなスムーズにパターン認識できるなあ。すごいのは君の方だわ。

 ともあれ、彼女と現実でも体を重ね満ち足りたところで、俺はこの状況がいよいよもって現実なのだと思い知らされていた。


 シルフリートがこっちに出てきてしまったことについては、後悔こそあれ、さほどの驚きはない。そりゃあ物品を持ち出せるのだから人間だって連れ出せるだろう。

 問題なのは、彼女が向こうへ帰れないということだ。これまでも、夢の中から持ち出した品物は何一つ、再び夢に持ち込むことができなかったのだから。



         * * * * * * *



 俺が最初にこの能力に気が付いたのは、およそ一か月前だった。

 ファミレスのフロアの仕事が終わって帰ってきたのが夜の零時三十分。シャワーを浴びて汗を洗い流すと、俺はそそくさと万年床に潜り込んだ。


 普通ならスマホのゲームでもやるところだろうが、俺はそのころ三年続けたソシャゲに見切りをつけて、夜はしっかり寝ることにしていた。だってあのゲーム、課金ガチャでのレアカード排出率が理不尽に低いのだ。

 剣道少女の二年生・杜若かきつばたあやめさんは可愛いのだが、しょせんコモンだしもう三十枚目だ。格納できる倉庫もカツカツ、素材にして他のレアキャラに合成するにも、それはそれでゲーム内で稼ぐ通貨がしこたま必要になる。

 もういいよ、そういうの。


 翌日というか明けて今日は早番で、遅くとも九時には店に出なければならない。開店業務が待っている。だったらもう寝るしかない、寝るしか。せめてぐっすりと眠っていい夢を見たい。


 ぐう。


 意識が途切れたと思った次の瞬間には目を覚ましていた。疲れ具合と眠りの深さが絶妙だとこういうことはよくある。だが背中に感じる布団とは違う硬い感触に俺はぎょっとした。


 気が付くとそこは石灰岩のような白い石材でできたモニュメントの上だ。石の表面に陰刻され、赤い塗料で着彩された渦巻模様が目を射た。

 モニュメントの周りには日差しが差し込む柔らかな緑の草地が、学校の教室ほどの範囲に広がっていて、その周囲は鬱蒼とした木立が取り囲んでいる。


(ああ、わかった……こりゃまだ、夢の中だわ)


 それにしてもえらくリアルな夢だ。まばゆいばかりの光が空から降り注ぎ、俺の足ごしらえは簡素な革製のサンダル。草地にはしっとりと露が下り、足の指に触れた水滴の冷たさが俺を驚かせた。


 紡いだまま染めていない感じのざっくりごわごわした毛織物のシャツと半ズボンを身に着けて、腰には手斧が一本。


(ちょっと昔のファンタジー系MMORPGみたいな感じだなあ……)


 やや奇妙な気がした。俺は実際にそういうものをプレイしたことはないのだ。ああいうゲームにはそこそこのスペックのパソコンが必要だが、俺はネットを見るのも人と連絡を取るのも、だいたいスマホで済ませている。


 とにかくこれから何かが始まるのだろう。まずは人里へ、そう思って歩き始める。

 前方から聞こえてくる音はどうやら川のようだ。であれば、川に沿ってどちらかへ進めば、集落の一つくらいは見つかるはず。

 川のそばまで来ると森は途切れ、少し幅のある小川に小さな石橋がかかっていた。いい兆候だ、どうやら人里が近い。橋の上から川を覗き込むと、当然ながら俺が映っていた。


(へえ……)


 少し面はゆい気持になる。水面に映る俺は現実よりもう少しスリムで頭身が一つに足らない程度増え、頬が引き締まって精悍に見えた。そういえば、最近気になってきた腹回りのぜい肉も、気が付けばどこかへ消えている――さすが夢だ、都合よく美化されている。


(なるほど。俺はこういう風に自分を理想化して意識していたわけだ。いや、こりゃあ照れくさいな……)


 そんなことを考えながら再び歩き出す。橋を渡った向こう側にはわだちの深くくぼんだ小道があり、道の端はどちらも丘の稜線に隠れて見えない。

 左右どちらへ進んだものかと迷っていると。上空を巨大な影が横切って小道に沿った左の方向へと飛翔していった。


 あとで考えればそれが邪竜ドラグナスだったわけだが、その時はただただドラゴンの威容を感嘆して眺めるばかり。さすがにそいつが飛んで行った方向へ行くのは何やら恐ろしい。

 右へと進んでいくと小さな村があり、腹が減った俺はそこで薪割りを手伝って食事を恵んでもらった。麦と何かの乳をまぜて煮たどろどろした粥と、かすの一杯浮いた薄いエールに固いチーズ。絵にかいたような中世ファンタジー農民のお昼ごはんと言った感じだ。


 村には風変わりな装備を身に着けた、十名ほどの一団が滞在していた。ひざ下まで覆うコート状の鎖鎧に顔の見える円錐形の兜、細いサーベルに深紅の長衣――農民たちとは対照的に何もかもが優美な曲線で構成された飾り物のような騎士たち。

 彼らはエルフだった。先ほど上空を飛んで行ったあのドラゴンに対処すべく、小道のこっち側の方向――北東にあるという、シルヴァンフォレストから急派されてきたのだという。

 俺は結局その夜は村に泊まることになり、豚肉とカブの入った塩味のスープをふるまわれ納屋の隅で眠った。



 目覚ましの音ともに目覚める。いつものアパートの六畳間、万年床の中。うん、やっぱり夢だ。


 だが腰のあたりに何か異様な感触がある。ずっしりと重い金属の冷たい肌触り。ごつごつとした木材と革ひもの、かさばる棒状の何か。

 何が起きたかさっぱり理解できなかったし、理解した後も信じられなかった。薪割りに使ったあの斧が、右腰のあたりにそのまま出現していたのだ。

 余り就寝中に寝返りを打たない方であることを、これほど感謝したことはない。下手したらぶっつり切断していたであろう。何とは言わないがその、ナニを。


 どうやら夢の中からこっち側へもってきてしまったらしい。それ以外に考えられなかった。細部までしげしげと眺めたが、どう見てホームセンターの類で売ってるようなタイプではなかった。


         * * * * * * *


 以来、一か月。夢の中から持ってきた斧は、手に持って寝ようと腰に縛り付けて寝ようと、どうしても再び夢の中で手にすることはできなかった。翌日も薪割の仕事を頼まれたが、その時は伐採用の大きな重い斧を借り受けなければならなかった。


 眠るたびに見る夢は同じ中世風の異世界――ドラゴンが飛翔しエルフの騎士団が闊歩する危険だがどこかのどかな世界。いくつかの事件を通じて俺はこの国を襲う危機に深く関わり、その一方でエルフの王女シルフリートと親密になっていった。


 そして、三日に一回はなにか向こう側の品物を手にして目覚めることを繰り返した。

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