彼女を失った異世界
寝室。 広々としたベッドの上に一人目覚め、そこがフォレスティア王宮の中であることを確認する。傍らにはシルフリートが残した婚姻の証だけが、シーツににじんで残っていた――なんといういたたまれなさ。
枕元に用意されていた部屋着を――現実で俺が彼女に与えたものとは比べ物にもならない、豪奢な部屋着を仕方なく身に着けた。さもなくば俺は全裸だったのだ。
扉を開けて回廊に出ると、そこには大勢のエルフたちが今や遅しと新たな女王とその王配――つまり俺が出てくるのを待っていた。
ちくしょう! やっぱり逃げられないのかよ!
「スオウ殿。つつがなく婚儀を終えられたこと、お祝いを申し上げます……して、姫は?」
大臣のエルミーム候が俺の右隣のあたりをいぶかしげに視線で探っている。そこに当然あるべきものがない、といったふうに。
当たり前だ、そこに居るべき者は二十一世紀日本の安アパートで上下合わせて三千円のジャージに身を包んで、現実側の俺の隣で寝てるのだから。
包み隠してもしょうがない。ここはもう、起きたこと、やらかしたことを素直に白状してしまおう。
「すまない。当然予測し、備えるべきことだった……俺はシルフリート王女を俺の世界に拉致してしまった。彼女をこちらに戻す手立ては、多分ない」
「何ですと!」
「そんなバカな! それではフォレスティアの未来は!」
「姫様をお返しくだ……返せ! この人間の流れ者め!」
「エリンドール卿、それは言い過ぎですぞ。スオウ殿はドラグナス討伐の功労者、スオウ殿なくしてはやはり我々の現在も未来もなかったのですから!」
エルフたちが一斉にわあわあと叫び出し、回廊は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。エルミームだけは俺のそばにやってきて、親身な様子で手を取り、そっと訊いてくれた。
「ともあれ姫様はご無事なのですな? 詳しくお聞かせください。あるいは、何とかする手立てを思いつけるかもしれませぬ」
「頼む……」
ホント頼む。俺には彼女を日本でまともに生活させてやることは、今のところできそうにないのだ。
眠るたびに
「単に魔法、というだけの話ではなさそうですな。この世界そのものの根幹にかかわるものかもしれませんが……ただ、この世界がスオウ殿の夢に過ぎない、ということはないと思います」
そりゃまあ、自分たちの存在が一個人の脳細胞の活動に依存するものだと言われても認めたくはないだろうが。
「実は、前例があるのですよ」
「何だって!?」
「スオウ殿の出現からおよそ二百年ほど昔になりますか。フォレスティアに隣接する
「と、いうことは……」
ほかの人間もこの世界に来ることができた――そういうことであれば、ここは日本があるのとはどこか別の、次元を異にする世界に実体として確かに存在していることになる。
ではなぜ、よくあるゲームやweb小説みたいに体ごとではなく、夢の中という形で意識だけがこちらの世界へ来てしまうのだろう?
エルミーム候に訊いてみると、かれはためらいがちに答えた。
「……お話にあったような肉体を伴って行き来できる世界というものは……おそらく相互の『距離』とでも申しますか、近しい関係にあるとか間の障壁が薄いとかなのでしょうな。スオウ殿の『物品を持ち帰る』能力は、限られた物体にだけその距離と障壁を越えさせることができるものなのでしょう。異能と言われればまさにその通りです」
うむう。まあ正直、解釈はどうでもいいのだ。何とかしてシルフリートをこっちの世界に戻してやりたい。
いや、そりゃもちろん現実の生活の中に彼女がいてくれれば最高なのだが、このままではどう考えても、彼女を緩慢に殺してしまう気がする。
インフルエンザにでもかかったらどうするのか。保険はないし薬が効くかどうかも分からない。似ていると言ってもやはり人類とは別種の生き物であるし。
エルミーム候は、ともあれ俺の抱える問題にまず一つ、解決策を出してくれた。
「そちらの世界でも金は貴重なのでしたな。ならばこれを持ち帰るとよろしい。ドワーフたちの手で鋳造される金貨、フォレスティアでも流通している主要通貨です。そちらでは地金として売るしかないでしょうが、宝飾品を売るよりは容易いでしょう」
手渡されたのは金貨で膨らんだ、ずっしりと重い革袋だった。
シルフリート抜きであちこちへのあいさつを済ませ、俺はその夜再び彼女の寝室で眠りについた。全裸で、金貨の袋を小脇に抱えて。
アパートの部屋で目覚めると、それは確かにそこにあった。傍らにはシルフリートが寒そうに寝ている。俺は自分の毛布を彼女にかけてやり、出勤のために布団を脱け出した。
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