未来を描く距離感

 明日にも実現しそうな、「売られて」音声データベースに収録された誰かの声が、生活の中に満ち溢れる未来。

 その、本来人格とともに存在するはずの「声」が商品として切り離されたことで生まれた、悲劇というよりもっとひそやかで、耐え難い悲しみを描いた傑作だと思う。

 実際にはこんな商品が開発されることはない、と信じたい。ボーカロイドや「ゆっくり」の隆盛を踏まえればすでに合成音声はそれ自体のキャラクター性を獲得する段階まで来ていて、あえて法務上の困難で微妙な問題を生じる肉声を搭載する必然性は薄れていくから――そう、信じたいのだが。
 商品として差別化を志向したときに、企業があっさりとそのラインを踏み越えないとは言い切れない。

 そこの恐ろしさを、この作品はついている。


 価値観も慣習も目まぐるしく変わり、あるいは崩壊しあるいは新生する現代に、我々は生きている。それがほんの少し足を踏み外し――あるいは歯止めなく突き進めば、我々はいつかこのように、窮して売り渡したもののために、最もプライベートな記憶、追憶まで搾取される、そんな日を迎えてしまうかもしれない。

 次のドアの前に待ち構えるかもしれない近未来の、そんな悪夢との距離感を提示してみせる本作は、どこにいても同様のサービスが受けられるといった均質化した世界が、決してバラ色の居心地の良いものでないことも暗示して終わる。

 多様性、多層性が保たれなければ救われない物事がある。赤坂さんの真意は、そのあたりにあるような気がしてならない。

 

 

その他のおすすめレビュー

冴吹稔さんの他のおすすめレビュー261