佐々木しのぶ

 白いベッドに白い壁。

 佐々木しのぶの背景は、そんな感じだった。


 彼女が中学に来たのは数える程度。話すことも無かった。


 昼休み。俺は、級友とTRPGで遊んでいた。

「おりゃ」

 振った4面ダイスが床に転がり落ちた。それを拾って俺に手渡しながら、佐々木さんは言った。


「変わった形のサイコロだね」


 話しかけてくるとは意外だった。


「4面ダイスって言うんだ」

「お芝居の練習?」

「違うよ。TRPGって言う、演技しながら進めるゲームでさ」


「へぇ、そんなのがあるんだね」

 彼女は笑った。

 ありふれた紺の制服。黒髪の間の無表情に、生命が吹き込まれた瞬間、凄く可愛いと思った。


 ◆


 お菓子かな? でも、何の病気かわからないな。彼女が笑ったのは……。


「お邪魔するね?」

 病室で佐々木さんが寝ていた。「TRPGリプレイ集」の文庫を渡す。


「漫画じゃないの?」

「凄く面白いんだよ。掛け合いがさ」

「ふーん、ありがと」

 ぶっきらぼうに返ってきた。


 ◆


「読んでみてわかったよ」

 彼女は破顔した。


 やった!


「どのへんが面白かった?」

「落書きが」


 小説本文の余白に、落書きを入れてあったんだ。

『いや、その発想はおかしい』

『ドラゴンが転んで泣くとか!』

 みたいな感じで。


 俺はお見舞いに行く度に、続刊を持参した。落書きで埋め埋めにして。

『衝撃の展開!』

『一体どうなってしまうのか!』


 から返してもらった第2巻がうちの親父に見つかり、「後で高く売るつもりだったのに! 書き込み入れたな!」と怒られたりもした。


 ◆


「しのぶ、何? この本の山」


「儂じゃよ?」

 俺の後ろからひょっこり現れたその人は、しのぶの父親、健吾おじさんだった。

 デジタル土方のIT奴隷。娘の見舞いにすら中々来れないらしく、初の顔合わせだった。マルヤマで働いているのだそうだ。道理で、マルヤマの本が多いわけだ。


「お見舞い、ありがとうな」

 頭を下げるおじさんの、土のような顔色と、目の下のクマで、ああ、寝る時間無いんだなとわかった。

 おじさんは、うちの親父と同年代のようで、俺が持ってきたリプレイ集を見て、

「懐かしいなぁ」と言っていた。


 ◆


 ある日。病室にパソコンがドーン! と置いてあった。

「これ、どうしたの?」


「儂じゃよ?」

 IT用語を、嬉々として話しまくる健吾おじさんには辟易した。

「その構造がペラペラ。病院が通信ポートをペラペラ。ペラペラプロトコルがペラペラペラエモン。なんて素敵にペラペラペラ」


「うっさい!」

 しのぶに怒られたおじさんは、「いやぁ、それほどでも」と、万更でもない様子。メンタル強いなぁ。


 TRPGチャットの環境を整えてくれたのだった。


「ネット経由でみんなと遊べるだろ?」

「ありがとう、お父さん」


 ◆


 級友を俺の家に呼び集めた。


「まじで? ネットでTRPGできんの?」

 みんな乗り気だった。


 谷村が持ち込んだノートPCと、俺の家のPCの2台を4人でシェアして、アプリを立ち上げる。

 

谷村:佐々木さんは戦士役でお願い。他の職業だと、覚えること多くて大変だからさ。

谷村:殴ってりゃいいよ。俺、田口な。

一ノ瀬:慣れてきたら、好きなキャラを作ろうね? 木崎です。

一ノ瀬:そだね。(一ノ瀬)

佐々木:ありがとうございます。


 頭の良い谷村がゲームマスター。田口、木崎、俺、しのぶの4人がプレイヤー。谷村が仕込んだダンジョンを探索していく。


 しかしその時間は、長くは続かなかった。


「しゃべった方が早いじゃん」

 麦茶を飲みながら田口が言った。


「話が進まないね」

 木崎もそんな感想。


「慣れてくれば、早くなるよ」

 谷村は擁護してくれた。


「でもさ。治療の都合か知らんけど、佐々木さん、居ない時があるんでしょ? マスターの谷村にも負担かかるだろ? 突然居なくなるとさ」

 田口は正直な奴だった。


「短いシナリオにすれば、対応できるからさ」

 と笑う、優しい谷村のおかげて、「次もやってみるか」となり、みんなは帰った。


 ところが。

 翌日の学校で、その谷村がしょげ返っていた。


「みんなで勉強したい。調べ物に使う」

 と持ち出したノートPCに、ロガー? とかいう監視ソフトが入っていて、お受験ママに激怒されたらしい。勉学に専念させられるそうだ。


「本当にごめん。僕、協力出来なさそうだよ、駆駆」

「ううん……ありがとうな」


 元々、会ってTRPGが出来るメンツなだけに、健吾おじさんのチャットルームはさびれた。


 そんな中。俺だけは入室して続けようとした。俺がゲームマスターをやればいいんだ。

 

「駆駆、これ使ってくれ。途中までしか書き溜めてないけどさ」

 谷村が、シナリオのテキストデータをくれた。

「ありがとう!」


 谷村のシナリオをやりながら、俺が続きを書く。大丈夫、できるはず。


 しかし……。

 

 人の作った物に感想っていうか、ケチをつけるのは簡単。

 でも、作るのは、全く別だった……。


 ◆


 学校で、田口が声をかけてきた。

 田口の「駆駆がチャット話なんか出さなければ、谷村とTRPGで遊べてたのに」という恨み節は、スルーしてきた。けど……。


「まだ佐々木さんと遊んでんの? 好きな子と話せて良かったよなぁ、駆駆よ」

「てめぇ! この薄情者が!」

 俺は田口を殴った。暴力は良くない事だとはわかる。しかし、感情の抑制が効かなかった。


 それ以来、奴らとTRPGをする事は無かった。


 ◆


「そっか……じゃ、一緒に遊べる人工知能でも開発すっかな。大人が混じっても、つまらんだろ?」

 激務で、混ざる事自体が出来なかったおじさんは笑った。


 しのぶは痩せていった。勝気な目だけは変わらなかった。

 ある日、病室のドアを開けようとしたら、室内から、綺麗な歌声が聞こえてきた。


見せてあげる 素晴らしい世界を

今はまだ 覚束ないけれど


花は咲き 鳥が唄う

光が見える 水平線の先に


自由の羽は 僕らの背中に

羽ばたこう 一緒に


いつか きっと


「誰かいる?」

 赤面しつつ俺は入室。しのぶの白い頬にも、朱が灯る。


「来てたなら言ってよ!」

「あまりに良い声だったからさ」

 プレゼントを手渡した。


「ダイス?」

「そう。4面だよ」

 都心に出かけて入手した。店員さんに相談して、パワーストーンを4面ダイスの形に無理やり加工してもらった。小遣いを前借り投入して。


「ご病気ですか……であれば、赤を基調にするのがお薦めですね」


「綺麗な赤だね」

 しのぶは何度か、ベッド備え付けのテーブルの上で、不格好なソレを振った。

 カラリとした、軽い音がした。


「駆駆さ、あたしが居なくなっても、泣かないでね?」

「居なくならないでよ」

 元気になって、一緒にまた、TRPGをやりたい。


 その願掛けのダイスだ。


「現実は過酷だよ」

 しのぶは窓の外を見た。痩せたパジャマ姿で。外は青空だった。


「現実は小説より奇なりって言うじゃん」

「『事実は』でしょ? 国語力無さすぎ」


「んなもん必要ないんじゃ。燃える魂さえあれば!」

える、の間違いじゃない?」

「それは、否定できないけどさ……」


「あはは。駆駆は面白いよ」

「バカにされてる?」

「いや、ホントだって。お見舞いとか、へたくそなゲームマスター続けてるのも、あたしを笑わせてくれるためでしょ?」

「いんや? 学校で使うシナリオの、練習ついでさ」

「嘘が下手だねぇ」


 見抜かれていたのか? と、ドキリとした。


「し、しのぶみたいに、人をからかうより、マシじゃね?」

「はーマジかー。女心を分かったほうが良いね。超絶に! 鈍いからさ。駆駆は」


「鈍くなんて無いし」

「わかんないかなー」


 白く清潔なベッドが、軋む音。

 表情が消える。目が閉じられる。近づく。

 俺の頬に、薄い感触。

 しのぶの唇は、少し乾いていた。


「さすがに理解できたかな? ここから先は……将来、別の女の子と、ね?」

「あ、あわわ」

「顔真っ赤だね。女子か! おなか痛い。あはは」

 しのぶは笑い始めた。頬に少しの朱を灯して。元気な、普通の女の子に見えた。


 そして彼女の声のトーンが、不意に変わる。

「でもさ……できれば、あたしが居なくなってからが、いいな」


 頭を下げて顔を隠し、そしてまた顔を上げ、彼女は微笑んだ。


 窓のカーテンがふわりと揺れた。

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