第9話 12時なんて来なければ良い

「敵意は無いから安心して。こっちの世界でほとんど魔法が使えなくなるのは知っているでしょう? 私も何も出来ないから」


 里音りおんさんはそう言うと、膝を付き、頭を床にこすり付けた。

 土下座である。日本の謝罪のスタイルなので、もちろん僕には伝わった。

 そして、全てを理解するのには、次の一言で十分だった。


「許してください。妹が……恵良えらが人質にとられていて。言いなりになるしかないんです」


 人質。だから牢屋にいたのだろう。

 里音りおんさんは必死になって続ける。


「何かの魔法で隠されてしまって、助けに行けないんです。下手な動きを見せれば恵良えらが殺されてしまう。それで、啓吾けいご君と恵良えらが同じところにいるって聞いたから、教えて欲しいんです。何か、場所の手がかりみたいなものがあればお願いします」

「……すいません」


 目覚めた時は既に牢獄で、外がどんな場所なのかなんて知れる状況じゃなかった。

 里音りおんさんは絶望の表情を浮かばせる。


「良いの。謝らないで。全部私が悪いの。恵良えらがあんな目に遭っているのも、希下月きげつき君が牢屋に連れて行かれたのも」

「どういうことですか?」

「全部説明するわ。希下月きげつき君……私達が転移したのは三年前なの」


 三年前?


「そんな昔から、姉妹で」

「ううん。最初は親子だったわ。母もいたの。でも、母は殺されてしまって」


 ギュッと拳を握る。異邦人だから狙われたのだろう。


「でも、あっちの世界で男の人に助けられたの。魔術師だったわ。私達、弟子にしてもらって。恵良えらはあんまり魔法を覚えられなかったけど」


 僕と一緒だ。


「でも、それなら、どうして今の状況に?」

「愛してしまったの」

「え?」

「恋人になったの。別の世界でしか会えない恋人。しばらく幸せに暮らしてて、でも」


 里音さんは言いずらそうに一拍おいて、それから言う。


「突然いなくなったの。書置きがあって、書いてある人を頼るようにって。それが三ヶ月前。それで、その言葉通りにたどり着いたら、恵良えらが捕まってしまって。でも、一通だけあの人から手紙が来て、助けに行くから耐えていて欲しいって」

「そんなの信じてるんですか?」


 この人は何を言っているのか。

 全部自分が悪い? その通りだよ。

 三度みたびがあんな目に遭ってるのが、そんな理由なのかよ!

 だが、そんな僕の言葉にたいして激怒したのは、あろうことか妹の恵良えらだった。


「好きな人を信じたいって、当たり前じゃない! 悪いのは捕まってる私なんだから、お姉ちゃんを責めないでよ!」


 僕は言った。


「そんなの違うよ。間違ってる! だって、こんなことで、死ぬんならそれでも良いなんて言うの、悲しすぎるじゃないか。頼むよ、三度みたび! 本当の事を言ってくれ。 本当は死ぬなんて嫌だろ? 本当は辛いんだろ?」

「そんなこと言って、どうなるのよ! 私が、こんなのなんとも無いって言わないでどうするのよ? だって、そうしないと、お姉ちゃんが……」


 三度みたびはそのままボロボロと涙をこぼす。


「もう止めてよ! こんなの、なんでもないんだから! 捕まってる私のせいなんだから……!」

恵良えら……ごめんなさい、恵良えら!」


 姉妹は抱き合って泣いた。泣き続けた。

 その後、二人は時間をかけて気持ちを落ち着かせ、里音りおんさんが思い出したかのように「夕食、食べていって」と言い、僕らはまるで昔からそうしていたかのようにして食卓を囲んだ。


 ご飯は出来合いで、それでも美味しかったが、ほとんど味がしなかった。

 全員が無言で、静かに食べ物を口にする。

 そうしてすっかり夜になり、何の救いのもならないテレビ番組を呆然と見ながら、僕らはただただ時を過ごしてしまった。


 僕は言う。

 

「あの、里音りおんさん。昨日はああ言いましたが、僕は全く魔法を使えないと言うわけではないんです」

「そうよね。恵良えらと同じくらいかしら。魔法が無いと、異世界で他人と会話も出来ないものね」

「はい。それに転移した時、特別な魔法を覚えたみたいなんです。里音りおんさんは、灰の魔法なんですよね?」

「そうよ。私にしか使えない魔法だってあの人は言ってたけど」

「僕の師匠もそう言ってました」


 そうだ。

 師匠なら、なんとか助けに来てくれないだろうか。

 だが、それを思いついたその瞬間、めまいがして僕はふらついた。


 時計を見ると、11時59分。転移の時間である。

 いつの間にと思う間もなく、里音りおんさんもふらついて、三度みたびが頭を抱えて叫ぶ。


「い、嫌! 行きたくない! もう、行きたくない!」


 それはまるで、生きたくないと言っているようで、僕は思わず三度みたびの手を取った。

 その手は震えていて、酷く冷たい。


里音りおんさん、お願いです! 師匠は王都の王国ホテルに泊まっています! 部屋の番号は……」


 言いたかった。でも、言えなかった。

 ぐにゃりと歪み始めた視界を最後に僕は気を失い、意識はあの世界へと転移を始めてしまった。

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