西暦2017年 5月15日

第3話 イントロダクション3 不可思議な少女

 目覚まし時計を止めて、数秒。

 慣れ親しんだ自室の空気にホッとした。


 着ているパジャマの生地が、元の世界に戻れたことを教えてくれる。


 両親は共働きで朝は早く、夜の帰りは深夜になるので、昔から僕はいつも一人だ。

 僕は支度を整え、学校に向かった。


「よう、啓吾けいご。おはようさん」


 声をかけてくる友達。

 顔を見なくても小学校からの腐れ縁、花谷野かやの健介けんすけだと分かる。

 二日ぶり……と言っても、僕自身の体感として二日経っているだけで、この世界では昨日に当たる5月14日の日曜日に遊んだばかりなのだけれど。


「おはよう、健介けんすけ

「へへ、啓吾けいご。恋をしてるか? 恋は良いぞ?」


 突拍子もない事を言う奴だと思う。

 同時に、この世界がすごく平和だと思い、笑ってしまった。


「笑うなよ、啓吾けいご

「ごめんな。でも、恋ってなんだよ」

希下月きげつきの旦那。高校に入学して一ヶ月と少し。そろそろ高校生になった自覚と浮かれたテンションでカップルが出来る時期なんだぜ? この高校生活ハウトゥーの本にそう書いてある。俺は詳しいんだ」


 そんな本買うなよ……

 とは言え、手を繋いでいる高校生カップルが目の前に現れて、すごい複雑な気分になった。


「ほら、当たってるだろ? そんなわけで、今こそ彼女を作る時だぜ」

「お前が一番、浮かれてるんじゃないか? 勝手にしろよ」

「するさ! 俺はもう、高校生なんだからな。って? あれ、あそこ歩いてるの、三度みたびじゃないのか?」


 健介けんすけの指し示した先に、未だ見慣れていないクラスメイトが見えた。

 包帯を巻いた足で歩く女子。

 腕は骨折でもしているのか、包帯で巻かれ、吊り下げられている。


「入学式の後、大怪我したんだっけ。学校来れて良かったなぁ」


 しみじみ言う健介けんすけだったが、僕らが見ているその先、横断歩道を渡っている三度みたびは道路の真ん中で転んだ。

 僕がゾッとしたのは、それが見通しの悪い交差点であり、歩行者信号が点滅して赤になりつつあったからだった。


健介けんすけ、かばん頼む!」


 咄嗟に手荷物を放り出して、走る。

 三度みたびは緩やかに起き上がろうとするが、どこかを痛めたのか顔をしかめていた。

 起き上がれていない。


「……ッ!」


 車高の高いトラックが遠くに現れ、しかも、遠めで見ても分かるほど、ハッキリとした不注意運転――スマートフォンを触りながら運転しているドライバーが見えたとなっては、もはや僕は躊躇してられなかった。


三度みたび!」


 僕は、なんとか立ち上がった少女に抱きつくようにして体当たりすると、彼女ごと安全地帯まで転がる。

 トラックは、こちらに気づきもせずに行ってしまった。


「大丈夫か?」

「……」

「行こう、ここは危ない」


 未だ車道である。

 喋らない彼女を、僕は半ば強引に歩道まで連れて行った。


三度みたび?」


 再び言葉をかけたが、ようやく返事をしてくれた彼女は、こちらを睨む様にして、こう言った。


「何で、助けたの?」

「……え?」


 強い、憎しみにも似た視線だった。

 むしろ『あのまま死んだほうが良かった』と言いたそうな彼女の意志を感じて、僕は目をそらす。


 ふと、彼女から異質な匂いがした。

 同時に、抱きついた時の彼女の柔らかさだとか、制服越しに感じた低めの体温だとか、そう言う良く分からない初めての感触だけが僕の手の中に在って、僕の頭は混沌で満たされていたのだけれど、とにかく、匂いだ。


 その匂いに呆然とした僕は、健介けんすけが話しかけてくるまで立ちつくしてしまった。


「大丈夫か、啓吾けいご

「あ、ああ、健介けんすけ、鞄ありがとな」

「……啓吾けいご?」


 三度みたびはもう、遠くを歩いていて、こちらを振り返りもしない。

 健介けんすけが声をかけて来るが、僕は呆然としたままだった。

 彼女から香ったあの匂いは、異世界の事件現場で嗅いだあの灰の匂いに、酷く似ていたのである。

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