第2話 イントロダクション2 王国ホテルにて

「あー、もう! 服が灰だらけじゃないか!」


 彼女はポンポンと灰を落とす。

 叩かれて、弾んで揺れる師匠の胸。

 正直、目のやり場に困る。


「……胸を見てるのは気づいてるけど、服の中を想像してたら殺すからね」

「す、すいません! 勘弁してください!」


 土下座した。

 日本の謝罪スタイルだけど、通じてくれるはずである。


 とりあえず、怒り冷めやらぬマルレラと僕は現場を後にし、宿に向かって歩き出した。

 ホール以外の場所に被害はないらしく、街は活気に満ちている。


 そして、辿り着いた建築物。

 王国ホテルのコース料理は最高だった。


 前菜は何かを固めたゼラチン質のプルプルとした旨いもので、その後に運ばれてきたスープはトロトロとした美味しいもの。パンはふわふわ。サラダはシャキシャキさっぱり。

 メインディッシュはフルーティなソースのかかった、柔らかい肉のステーキだった。

 それは、甘くてクリーミィで、こんな美味しいものを食べられる私は、特別な存在なのだと感じました。


「言っておきますが、特別なのは私です」


 果実酒の入ったグラスを持った我が師がドヤ顔でそう言って、僕の気分は台無しとなった。

 とは言え、食後のドリンク――コーヒーとは違うが酷く似ている熱した黒い液体が注がれたカップが運ばれてくる頃には、僕の気分はいくらか持ち直している。


「ケイゴ君、感謝したまえよ? 一流の宿に食事と、一国の王にまで気を使わせてしまう魔術師である、私になぁ。ほら、君も酒を飲みたまえ」

「未成年に酒を飲ませないでください!」

「なにぃ? 私の酒が飲めないだと? でも、確かにそうだな。ええい、子供は果物くだものの絞り汁でも飲んでなさい!」


 気がつくと彼女は泥酔していた。もはやただの酔っ払い女である。

 そして、よっぽど楽しかったに違いない。

 食事が終わってホテルの廊下を歩くマルレラは鼻歌を歌っていた。

 いつも退屈そうにしている彼女にしては、実に珍しいことだと思う。と、その時、彼女はニヤニヤしながら振り返り、僕の耳にそっと囁いた。


「ねぇ、ケイゴくん。私の部屋、寄りなさいよ」

「え?」

「あんなこと言ったけど、君がどうしてもって言うならさ。見せてやっても良いんだぜ? 


 ボンッと熱くなった僕の顔。

 そして、それを見てケラケラ笑う酔っ払い女がそこにいた。

 固まっている僕の肩を一人でバカ笑いしながらバンバン叩いて来て、僕はどうすることも出来ないまま立ちつくしている。


「僕はもう、寝ますよ」

「ちょっとくらいなら触ってもいいんだよ?」

「寝ます!」


 ちくしょう、何が『平穏なる』だ。

 変態! どエロ! 大酒飲み!


 しかし、ドッと落ちてきた疲労感もまた事実で、僕はとにかく眠かった。

 旅の疲れからか、眠気に襲われているのだ。

 お腹がいっぱいになっていることが、それに拍車をかけている。


 早足で部屋に向かう途中、僕の背中にマルレラは言った。


「ケイゴ君」

「何です?」

「宿題だ。今回の事件、考察しておいてね」


 無茶振りだ。考察とだけ言われても困る。

 とは言え、今の僕には逆らう余裕が無かった。

 眠いのである。


「期間は私が明日の朝に起きるまで。と言っても、君にとっては二日後の朝だから、君には丸一日考える時間があるよ。じゃあ、あっちでも高校生とやらを頑張ってな、おやすみー」

「はい。おやすみなさい」


 部屋に入ると、すぐさまベットの柔らかさに沈み込んで、僕は目を閉じる。

 体に灰の匂いが染み付いていている気もしたけれど、どうすることも出来ない。

 そして、意識はゆっくりとこの世界の外へと流れ始めた。


 僕は夜、眠っている間に元の世界に帰る事が出来るのである。



『帰る事が出来る』と言うのはいささか間違いかもしれない。


 なぜならば、転移は強制で、時間が来ると勝手に転移するからだ。

 自分ではコントロールできないのである。


 転移は元の世界でも、異世界でも、大体、深夜の24時頃。

 とは言え、異世界には時計が無く、そもそも一日が24時間であるかも僕は知らないのだけれど、とにかく起点は夜中だ。


 さらに補足すると『明日』『昨日』と言った言葉は、僕にとっては少し複雑だ。

 それが何かと言うと、と言うことである。

 なので、異世界で一日過ごして、戻ったら元の世界で僕のいない一日が過ぎていた、なんてことは起きない。


 そんなわけで、僕は日本のU県上星市、西暦2017年の5月15日、月曜日の朝に転移した。


 魔術師見習いケイゴ・キゲツキは、休日明けの男子高校生、希下月きげつき啓吾けいごに戻ったのである。

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