06

朝靄

 いってきます、と玄関で声を張り上げて、道に出る。近ごろはめっきり冷えこんできて、コートにマフラーが欠かせない。白い息をはずませながら、おれはいつもの通学路をゆく。

 千遥とふたり、常夏の世界から美夜篠原に帰ってきてから数週間が経っていた。季節はすっかり冬に変わり、山に囲まれたこの土地にはつめたい風がきびしく吹き下りる。空は厚い雲が蓋をして、雪の前ぶれである雷がどろどろと遠くで鳴る。晴れ間とは縁遠い、我慢の季節。いつもどおりの美夜篠原の冬である。

 おれたちがあの場所で過ごしたのは、二週間と少し。それはノートに正の字で数えていた以上まちがいないはずなのだが、いざこちらに帰ってきてみれば、ほんの数時間しか経っていなかった。それでも、夜更けに帰ってきたおれたちを、まず尋乃さんが、それからおれの両親が、烈火のごとく叱った。

 特に尋乃さんとは、千遥といっしょに膝を突き合わせて長いこと、話をした。真剣なのはわかったけれど、逃げるのはよくない、と言われた。けれど同時に謝られもした。千遥の訴えをまともに取り合わなかったこと。おれの心中を慮ろうともせず、自分の気持ちを押しつけてしまったこと。

 おれの両親は今回のことを重く受けとめていて、一時は千遥にはもう会わせないようにするとまで言い出した。けれど尋乃さんがそれを止めた。止めてくれたので、おれと千遥はいままで通り、会うことができている。

 ……いや、いままでどおりでも、ないか。

 嫁取り話は当面先延ばしだ。おれが男である以上無理からぬ話だろう。でも。

「本気で千遥さんと一緒にいたいというのなら、それ相応の能力が必要ですわ、ねえ、真由人さん?」

 そんなわけで、おれは仮の姑・尋乃さんにしごかれている。これまでも千遥の世話は焼いてきたけれど、部屋を掃除するとか、風呂に入れてやるとか、ネクタイを結んでやるとか、そういったことなので、炊事やら裁縫やら、それはもう古典的な花嫁修業をやらされている。おれは男なのにまるで嫁扱いなのが気にかかるのだが、おれと尋乃さんがいっしょにいると千遥はなにか嬉しそうだし、もとより千遥の世話焼きは望むところだ。おれの母さんとも相談しながら、まあなんとなく、やっていけている。

 そうして、歩き続けるうち、小夜井家のところまでやって来る。顔を上げると、道のさき、門の前に人影がある。

 千遥だ。まだ眠そうだけど、おれとの約束どおり、ちゃんとひとりで起きられたらしい。

「おはよう」

 声をかけるとはじかれたようにこちらを見て、満面の笑みになる。

「おはよ、マユ」

 自分で起きられたし時間通りにしたくも済ませたよ、褒めて、という顔だ。だけど惜しい。マフラーが肩からずり落ちている。おれは苦笑して、それを直してやる。

 おまえら元に戻ったな、と、後ろの席の梶田は言う。そう見えるのかもしれない。おれが世話を焼き、千遥がそれを享受する。

 だけどいままでどおりじゃない。その変化のすべては、おれと千遥だけが知っている。そしてたぶん、これからも、刻一刻とおれたちは変化していくのだろう。なにせ十四歳。まだまだ、成長の途上だ。

 道を歩き出す。冷えた朝もやにおおわれた道のさきはよく見えないけれど、それでもたしかに、一歩一歩と。となりを見れば、千遥がいる。さらさらとした髪をかき分けてのびる角は、冬の朝のしんと冴えた空気のなかで霊性する感じさせる。

 おれの恋人には、角が生えている。うつくしい神さまの獣。だけど、欲深なおれのおさななじみ、ただの中学生でもある。

 おれは彼と一緒に、朝もやの先へ歩いていく。

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欲深くうつくしい生きもの まゆみ亜紀/八坂はるの @LittleLessLeast

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