ガチレズ後輩

 サクちゃんは風邪で欠席、ミャーはサボり。

 金曜日。

 教室前廊下。

 そんな、二年生になって、一週間過ぎた頃の春の放課後。

「鳴海先輩っ」

「あ?」

 歩きスマホ中だったので、なんとも気の抜けた返事になった。

 ……つーか鳴海先輩だぁ? この学校に入学して以来、こんな呼ばれかた、一度たりともされたことないんだけど。なーんか声もキャピキャピしてる感じだし、瞬時に『こいつには関わりたくねえリスト』に登録されてしまった。脳内で。

 声だけでわたしにこうも酷い印象を与えた奴は誰だ。逆に興味が湧いてきた。

 無視して歩き去ってもよかったが、スマホから顔を上げ、振り向く。

「げ」

 思わず声を上げる。

 予想に反し、そこには見知った顔があった。できれば見たくなかった顔が。

 女でも目を奪われるほどの、さらっさらつやっつやの黒髪ロングと、黄金比で整えられた顔立ち。

 そいて垂れ気味の丸い目+猫のように小さい口元+低身長がこの少女の幼さを最大限に引き出しており、男なら保護欲を刺激されるような容姿である。

 見た目だけであれば、かのサクちゃんに勝るとも劣らない少女であるが……。

「げってなぁに? こっちは久々にお姉ちゃんに会えて、すっごく嬉しいのに……お姉ちゃんひどーい」

 ぶー、と頬を膨らませて、かわいらしく拗ねてみせてるが、わたしには茶番にしか見えません。

「……おまえここ受けてたのね」

 ここ、とはわたしが通うこの赤絵ヶ埼高校のこと。

「そのことについては前に電話で言ったじゃん! ぶーぶー」

「ぶーぶーうるさい。豚かおまえ。豚だおまえ。この豚!」

 鬱陶しくなってつい声を荒げてしまった。

 わたしに罵倒された少女は、なぜかニヤリと笑う。

「お姉ちゃん、今から予定とかある?」

「ある」

「ないんだね。じゃあちょっと付き合って」

 ぐいっ、と腕を引っ張られる。

「いやだ。わたしはこれからうち帰ってASMR聴くんだ。イケボの耳舐め聴くんだ」

「はいはい耳ならボクが舐めてあげるから」

 強引に連れられて、学食にやってくる。帰宅部以外は部活に出ているため、利用者はほとんど居ない。

 ちっ。こうなってしまっては仕方がない。適当に話をして、とっとと満足してもらおう。

 壁際の席に着くと、少女はわたしの隣に腰かけた。

「で? なに?」

「お姉ちゃんとじっくり話がしたくて」

「めんどくせえ」

「あは。お姉ちゃん、相変わらずだね。彼氏とかはできた?」 

「いないよ。おまえと違って」

「ボクだって今はフリーだよ。この前別れたからさー」

 あっそ。死ね。

「じゃあ、わたしになんかに構ってないで、男でも探しに行ったら」

「うーん、男にはもう飽きちゃったんだよねえ。いい男なんて、ほんとどこにもいないよ」

 あっそ死ね!!

 察しのいいかたなら、こいつがどういう人物なのか、既に分かっているかもしれないが、紹介しておこう。

 一見、清楚に見えるこの女。

 サクちゃんとはまた、毛色が違う美少女――こいつは境江さかえチハ。16歳。中学生の頃のわたしの後輩である。

 愛くるしい容姿を持ち、人懐こい性格で、数え切れぬほどの世の男どもを魅了し、弄んできた、俗に言う清楚ビッチである。

 付き合っては捨て、付き合っては捨て、中学生の頃は、わたしが見るたび男を変えていたのだが……この様子だと、今もあまり変わってないようだ。

 まぁこいつかわいいし、僕っ娘っだし、そら男には需要あるよなぁ。

「だからね、ボク、今は女の子ほうが興味あるんだよねえ」

 耳鼻科の予約をしておこう。なんか今、変な台詞が聞こえた。

「女の子は男と違って綺麗だし、喘ぐときもかわいいし、ほんとなんで、今まで男なんて相手してたんだろって感じだよねえ?」

 ねえ、こいついきなり何言ってんの? 誰か翻訳して。翻訳こんにゃく持ってきて。

 わたしが胸中で困惑していると、隣のチハが距離を詰めてくる。甘ったるい、バニラの匂いが鼻腔をくすぐる。

 で、なんかわたしの太ももに手を這わせてきた。

 えっ、ちょっと、なにこれ。

 途端に脳の信号が黄色から赤へ変わる。

「お、お、おまえ、なに? な、なんなの?」

 思わず身を引くわたしに、あくまでチハは笑いかける。

 目を細め、口角だけを上げる、いやらしい笑みである。

「お姉ちゃん、かわいい反応するねえ。こういう反応大好き」

「ちょ、ちょっと」

 さらに距離を詰められる。

 後ろは壁なので逃げ場がない。

 おかしい。なんでわたし、女子に壁ドンされてんの。

「な、なんなのおまえ、ガチレズなの? ビッチからレズビッチになったの?」

 恐る恐る訊ねるわたしに、チハは、

「今はビッチじゃないよ。お姉ちゃんしか狙ってないもん」

 いやああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 助けてドラえもおおおおおおおおおおおおん!

「わ、わ、訳分からん。なんでわたしなの? わたしよりかわいい娘なんて、いくらでもいるでしょ」

「お姉ちゃんは自分の魅力に気付いてないね。ボクはね、恋に勉強に有象無象な青春を送る、その辺の人間性ペラッペラなリア充より、お姉ちゃんみたいな、青春を見下して、他人を見下して、社会を見下して、我を貫き通す、強い意志力のある人が好きなの。でもそんな人、ボクの周りには一人も居ない」

 お姉ちゃんを除いては、とチハ。

 なんか散々な言われようだが、これ、わたし褒められてるのか? というかわたしってそんなふうに見られてるの?

「……ずっと思ってたんだよね、そんなお姉ちゃん、或いはボクが男だったら、二人は絶対いいカップルになるって。でももうそんなのは関係ない。ボクは女の子でも余裕でイケるよになったから」

 あかん、この娘ガチや。

「わ、わたしはノンケだぞ。レズにはならない」

「ふふっ、最初はみんなそう言うよね」

 腕を掴まれ、次いで両腿の間に、チハの太腿が入り込んでくる。

 顔が近い。

 やばい、逃げなきゃ、と思った瞬間――

「お?」「ん?」

 スマホから救いの着信音。

「で、出たいんだけど」

「ちっ……しょうがないなぁ」

 チハの身体が離れる。

 九死に一生を得、この状況と雰囲気をなんとか打破したかったので、これ幸いとばかりにわたしは光速でスマホを取り出し、通話ボタンをタップする。

「ミャー愛してる!!」

「は?」

 電話の相手は姫戸美夜ことミャーだった。

 こいつが居なかったらと思うと、ほんと総毛立つ。

「いや、なんでもない。それよりなんか用?」

「うむ。大変なことが起こった。FファンタジーSシグナルOオンラインのことなんだが」

 FSOはわたしとミャーがプレイしているネットゲームである。

「なんでも今日配信されたアプデパッチがあるんだが……そのパッチを適用するとHDDがクラッシュするらしい」

「は!? 嘘でしょ!? それ公式情報?」

「うん。現在は不具合改善のため、パッチの配信を中止中らしいが……その様子だと、同志Nは大丈夫か」

「うん、まだ学校だし。しかし、これはある意味面白くなってきたなぁ」

「運営のツイッターアカウントは大炎上だぞ。祭りは既に始まっている!」

「マジかよ、すぐ帰ってツイッター貼り付くわ!」

 それから二、三言話してから、電話を終える。

 やるべきことが決まった。

 今日は行きつけの本屋にでも寄って、新刊をフラゲできるか確かめるつもりだったが、予定変更。

 ――祭りじゃあ!

「急用できたから帰るわ」

 じゃ、と軽く手挙げて、学食の出入り口に進む。

「待ってよ! 久々に会えたんだから、もっと話そうよ!」

 背後から呼び止められる。

「五人の元カノの誘いを断ってまで会いに来たのに!」

 知らんがな!

「今はそれどころじゃないんだよ! 後日にしろ!」

「どうせゲームかネットするんでしょ!? ボクより大事なことなの!? 中学からの付き合いがあるボクより!」

「はぁ……」

 盛大に溜息を吐く。

 こいつは何も分かってないと見える。この世の理……真理を。

 だからわたしは、声を大にして言う。

「アニメ、ゲーム、ネット、萌えコンテンツより大事なものなんてこの世には無い!! その他のものなんて、全部二番以下!! クソ!! ゴミ!! カス!! 以上!! サヨナラ!!」

 唖然としているチハに背を向けて、今度こそ学食を去る。

 うん、まぁ、全部わたしの趣味なんだけど。

「は、はは……さすがお姉ちゃん……」

 よーし早く家に帰って、運営アカウントのリプ欄荒らすぞ~。んで詫び石をせびる。

 学食から出る直前、後方から「青春だねえ」という、料理番をしているおばちゃんの声。

 いや、見てたなら止めろよ。


  

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