マティアス・博之・ホフマンの北国の夜 ―『恋愛栽培』後日談―
僕は寒さが苦手だ。だから、冬になればドイツを脱出して、イタリアや南フランスなどに逃げている。幸い、ノートパソコンといくつかの資料さえあればどこでも仕事が出来るんだ。
しかし、今年の冬はなぜか北海道にいる。ハンブルクよりずっと寒いのに。しかも、雪かきの手伝いをしなければならない。まあ、この家のご厚意に甘えている分、色々と手伝いをする必要があるけどね。
「…で、マッさん。レーパーバーンの『飾り窓』ってどんなところなの?」
「うーん。僕、あの辺には入った事がないんですよ。子供の頃から、親から『あそこには行くな』と言われていましたし、あそこでボッタクられた友人もいますし…」
「新宿の歌舞伎町は?」
「あ、あそこも何となく怖くて近寄れませんよ~」
「んじゃ、ススキノもダメか。少伯ちゃんの知り合いがマスターやってるバーがあるんだけど」
余市の真一さんとは加奈子とヒデさんの結婚式以前からの知り合いだけど、長期滞在するのは初めてだ。真一さんの家はリンゴ農家だけど、冬は期間限定のレストランを開いている。この店では地元の肉屋の
それはさておき、僕は社会人になってからは年末年始をドイツ国外で過ごす事が多い。大学卒業後、雑誌編集者だった頃も、この時期は国外に出ていた。
真一さんも元編集者で、脱サラして、ここ北海道の余市に来てリンゴ農家になった。そして、今の奥さんと知り合って結婚した。真一さんは加奈子の父方の伯父さんで、僕は加奈子の母方の従兄だ。僕の母親が加奈子の母親の姉に当たる。加奈子は小学校時代に母親を、高校卒業直前に父親を亡くして、大学在学中に父方のお祖父さんを、就職してからすぐに父方のお祖母さんを亡くしたので、しばらくは一人暮らしだったのだけど、ヒデさんと出会って結婚した。この二人の馴れ初めが謎だ。子供の頃に学校でいじめられて男性恐怖症気味だったあの子が、なぜヒデさんみたいな人と出会って結婚出来たのか、実に不思議だ。
さて、作業は続く。今、僕がドイツ語に訳しているのは、日本の売れっ子作家が書いた小説だ。この作家は奥さんへの暴力事件で逮捕された事があるけど、僕が手がけているのはその復帰第一作だ。
細川忠興。そう、織田信長を殺した明智光秀の、色々と厄介な娘婿だ。
文武両道の優秀な人間だが、自分の妻に対する執着は病的な男だ。
僕はこの小説の主人公である忠興に、作者の面影を重ねる。
さっき、真一さんとしゃべった際に名前が出てきた「少伯ちゃん」とは、真一さんの知り合いだ。ちょうど今ラジオから流れている番組のパーソナリティが当人だ。そして、僕が泊まっているこの部屋の壁に飾られている絵の作者だ。
DJ松弾こと
「そろそろ寝ようかな…明日も早く起きないとね」
僕はあと二、三日経ってから札幌に行く予定だ。真一さんの紹介でススキノの問題のバーのマスターに、そして松永少伯氏に会いに行く。DJ松弾のキャラクターイメージからすると、いかにも親しみやすい雰囲気なのだが、実際の本人がどんな人なのか不安でもあり、楽しみでもある。
さて、おやすみ。今夜はどんな夢を見るのだろう? また昔の彼女に殴られる夢だったら嫌だな。本当に飾り窓ゾーンには入った事がないのに。
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