カバレロドラドの「空白」

 俺はなぜか、あの大震災以前の記憶がない。母馬の顔を覚えていないだけならまだしも、人間社会における小中学校に相当する施設である育成牧場にいた際の記憶すらなくなっている。

 あの激震によって、俺の中の何かがなくなり、別の何かが生まれたかのようだった。

 種牡馬として牧場で大切にされている今でも、どこかからサイレンの音が鳴り響くたびに、俺はあのシッチャカメッチャカヘルタースケルターな事態を思い出して、激しくいら立つ。ただ単に「音」として不愉快なだけじゃない。その音に込められた「意味」こそが、俺を不安にさせる。


 当時の競馬界では、マトモにレースが出来る状況ではなかった。俺はあちこちを移動させられ、ストレスに悩まされていた。

 人間界では、インターネット回線がマトモに働かない状況だったようだ。どんなサイトにアクセスしようにも出来ない状況にいらついた人間は、少なくなかったようだ。

 今の俺の自我は、あの天変地異と共に生まれたのかもしれない。人間と同じ知能と言語能力、そして色覚。普通の馬にはない能力が俺には宿っていた。しかし、それを知るのは、競馬界の中でもほんの一握りどころか、一つまみの関係者だけだった。


「俺はバブル期の東京で、人間の男として生きていたのかもしれない」


 21世紀に生まれた馬が知る由もない事を、俺はなぜか知っていた。

「どうだ、ドラド。うまいだろ?」

 夢の中で、人間の姿になった親父は言う。親父は還暦前後のおっさんで、俺はアラサーの男だった(バブル期には「アラサー」という造語はなかったが)。俺と親父は、刺身を肴にして酒を飲んでいた。

 テレビでは、今では考えられないくらいに潤沢な予算を惜しげなく使っているバラエティ番組をやっている。当時は、予算も企画力も満ち足りていたのだ。それに比べて、今の日本の人間社会はどうか? 下手な人間の政治家よりも、俺の方がよっぽど総理大臣にふさわしいぜ。

 ただ、その後の政治の「エンタメ化」がこの国をダメにした要因の一つだろう。どこぞやのお坊ちゃん政治家の度重なる暴言失言がいい例だ。

「ドラド、お前は好きなように生きろ。勝ちたいときだけ、勝てばいい」

 そうだ。親父の言う通り、俺は要点だけをがんばって種牡馬になった。ただ、ダービーを逃して三冠馬になれなかったのは心残りだったが、そのような栄誉は暴君異母兄アニキの方がふさわしい。正統派ヒーローのイメージはあちらに任せる。


 あれから10年以上経ったんだ。俺はあの大地震で「神」を感じた。「神」という奴は、生きとし生けるものの事など知ったこっちゃない。だから、当然「有神論」と「無神論」の区別なんて無意味だ。

 そう、俺は一頭ひとりの生き物として生きるだけ。限りある生を満喫しよう。

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