酔っ払い天国

 ある酔っ払いの男が死んで、天国に行ってしまう。

 昔、そんな歌があったけど、俺も死んじまったようだ。


 俺は飲み会の帰りに運河に落ちて、そのまま溺死したらしい。吾輩は猫である。ゆえに犬に非ず。

 しかし、ここはどうやら地獄ではなさそうだ。空は快晴、のどかな春の花畑。ひょっとして天国?

 それにしても、退屈だ。何もする事がない。通行人はたまに見かけるけど、知らない奴ばかりだ(まあ、当然か)。さっきは九曜紋の直垂ひたたれなんて昔の着物を着た男が通り過ぎて行ったけど、まさか細川ガラシャの旦那じゃねえよな?

 そいつが水を飲んでいた泉があるけど、俺もその水を飲んでみた。天国なら、酒の泉があるかもしれないと期待したが、残念ながら普通の水だった。ただ、京極町の水と同じくらいうまいけどな。


「ハァ~、酒飲みてぇ」


 俺は、さっきの(ガラシャの旦那かもしれない)男が向かって行った方向を歩いてみた。別にあいつに用はない。ただ、何かがありそうな気がするからだ。


「天国への階段~!」


 その対義語はズバリ、地獄への滑り台。

 そういえば、古代ローマだかの格言に「バッカスはネプチューンよりも多くの人間たちを溺れさせる」なんてのがあったそうだが、もちろん、ネプチューンはお笑い芸人グループではなく海の神様の方だ。その海よりも、酒の方がはるかに多くの人間たちを溺れさせるのだ。イスラムでは酒が禁じられているけど、多分、預言者ムハンマドの時代では、ロクでもない酔っ払いどもが乱暴狼藉をやらかすのが社会問題になっていたのだろう。

 しかし、俺は生まれて一度も飲酒運転をしていない。そもそも、運転免許を持っていないし、車の運転自体出来ない。生前も死後も徒歩。トホホ。


 しばらく歩いていると、何かの店らしき建物があった。

「美酒飲み放題 3000円」

 俺は、懐の財布を取り出した。万札二枚に、五千円札一枚。千円札が四枚に、その他小銭がジャラジャラ。よっしゃ! 余裕だぜ。

 そして、問題の店のドアを開けた。

「いらっしゃいませ!」

 出迎えてくれたのは、バニーガール姿の女の子だ。どことなく、あるB級グラビアアイドルに似ているような気がするが、その娘よりも、店内の様子の方が問題だった。

 古代ローマ風の大浴場みたいなプールが、店の真ん中を陣取っていたのだ。

 先客たちは、素っ裸でプールに入り、泳ぎながらその水を、いや、酒を飲んでいた。

「こりゃ、ちょっと不衛生じゃないかい?」

 しかし、俺は酒の匂いの誘惑に負け、服を全部脱いで、それら荷物をロッカーに預けて、プールに飛び込んだ。

「ヒャッハー!!」

 俺は酒のプールを泳ぎながら、プールの酒を飲んでいた。こりゃ確かに美酒だ。全く飽きないぜ!

 ちなみに、先客の中には例のガラシャの旦那らしき男はいない。まあ、お上品な文化人が立ち寄るような場所ではないだろう。

 俺はさんざん酒をガブ飲みしていたが、だんだんと悪酔いしていった。そして、気を失った。



「ほほう、今回の人間酒びたしはなかなか出来が良いようですな」

「こりゃ、いつも以上の珍味ですね」


 何やら、誰かの会話が聞こえる。珍味…って何だ? 俺は再び気を失った。多分、二度と目覚める事はないだろう。

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