第4話 「男って本当に!」
「もう、男って本当に!」
苛立ったような声をあげたのはトリシャだった。
「やめて、トリシャ。それはあんまりよ」
と、弱々しく抗議したのはマキカだ。
苛立つ気持ちはわからないでもないが、たった一人を見本に人類の半分を切り捨てるのはいくらなんでもかなり荒っぽい。
「だけど、これ、どう考えてもサイモンが鈍感でしょう! それにこういうバカなことする男って一人だけじゃありません!」
ぷんすか怒るトリシャを、まあまあ、となだめながら、マキカはちょっとサイモンが可哀想になる。メリッサの浮気から始まる離婚、から、共同親権で不規則になった子供の世話。対応するために仕事の仕方を変えて、そのうち再婚。……うん。普通に考えて相当大変だ。
「仕方なかったのよ。子供もいて、あまりにも色々なことが急に起きて、ちょっと後回しになっちゃったのよね」
「程度ってものがあります!」
トリシャは、フン、と鼻を鳴らした。
「トリシャ——まさかとは思うけど、それ——」
「
……つまり、頭の中ではそう思っているわけなのよね。
次回の訪問がちょっと怖い、とマキカは天井を仰いだ。
1週間後、再びベティの家を訪れたマキカたちは、前よりずっと綺麗になった寝室で、困惑した顔のサイモンに出会うことになった。
子供が一人怪我をしたとかで、学校まで迎えに出ることになってしまった。だからベティは10分ほど遅れる。
そう説明したサイモンは、なんとも理解ができないと言った顔で、寝室の片付け問題はなくなったようだ、とマキカに告げた。
「何故かはわからないんですが、急に片付けられるようになったみたいで……。実際にすごい勢いで片付け始めて……。先週はお二人が来る前だっていうのに全然片付けられないってぼやいていたのに」
「……わかりませんか?」
マキカは思わず微笑んだ。
「それは、ベティ、気づかれないように頑張っていたんですね」
「……どういうことですか?」
「だって、あの寝室、前の奥さんのメリッサが内装を全て決めていたでしょう?」
そうマキカが言うとサイモンは目を見開いた。
「えっと?」
「違います?」
「いや——あってます」
隣でトリシャが、ふん、と鼻を鳴らした。
——やめなさいってば。
内心相棒に呆れながらも、マキカはほんの少し、自分がトリシャに同調しているのに気づく。
敢えて多くは聞かないけれど、きっとこの調子ではベッドすら買い換えていないだろう。
なんて言ってたっけ。<最初は寝る場所さえなくってキャンプみたいだったわー。あはは>だったっけ。ベッドリネンを全て変えても、きっと、ベティにとってはこの部屋は未だにメリッサの部屋だった。
家の中で「キャンプ」をしている気分だったのは、子供達だけではなかったはずだ。
「——メリッサとの夫婦関係が悪くなりかけた頃に、彼女があちらこちらの内装をいじった時期があって」
サイモンは、何か思い出したかのように、訥々と話し始めた。
マキカは頷く。
「離婚の直前だったんですね。寝室の改装は」
サイモンは気まずそうに頷く。
離婚は2年前。その少し前に手を入れたのだったら確かに「最近改装したばかり」ではある。
ただ、問題は、寝室の意味が夫婦の間でとてつもなくずれていたということだ。サイモンにとっては単に「最近改装したばかりの自分の寝室」。
当然だ。毎晩自分が寝起きしていた場所。けれど、ベティにとっては生々しいくらいにメリッサの気配の残る空間だった。
ベッドも、ワードローブも、化粧用ドレッサーに至るまで。
そりゃあ、ドレッサーにしまえない化粧品がバスルームにはみ出しもするだろう。
「この寝室が嫌だったんだ。——そうだよな。考えてみればそうだ。なんで気づかなかったんだろう」
「いろいろあったから後回しにしてたんでしょう」
「……掃除が嫌いだって言ってたからそうなのだとばかり」
「確かに、お片づけよりお料理の方がお好きみたいですね」
マキカは軽い笑い声をあげた。
別に悪いことではない。家事の得手不得手は人それぞれだ。
「だけど、キッチンは、色々ものがあっても必要なものはちゃんと出てくる。そうじゃなかったらお料理なんてできません。寝室は——」
先日見たような状態になるくらいは嫌だったんでしょう、と暗に告げて、肩をすくめる。
「……何も言わなかったから」
サイモンは眉を寄せて部屋を見回した。
薄っぺらで安っぽい花柄のカーテン。エアベッドが部屋の真ん中にどんと鎮座。その上紫のフィーチャーウォールには、けばけばしいポスター。たったそれだけで部屋の印象はずいぶん違った。1週間前に見たモダンで洒落た——そして散らかった——寝室はここにはない。
一言で言うなら、安っぽい。
まるで学生のアパートのようだ。
それなのに、今日はほとんどのモノが、あるべきところに収まっていた。1週間前とは大違いだ。
「お子さんたちの部屋を先に整えなくちゃいけなかったでしょう。ベティのお嬢さんが二人引っ越してきたんですもの。それにこのお家に最初から住んでいた3人の子供もいる。みんなの心を安定させるのが第一だし、金銭的にも、時間的にも、大変だったでしょう。二人ともとても頑張ってきたんだと思います」
マキカはゆっくりと話す。
「ファロウアンドボールのペイントにかけたお金はもったいないけれど、どんなに安いペイントでもいいから、お二人で壁を塗り替えるだけで、きっとこの部屋、もっと綺麗になりますよ」
安物でもいいからベッドも買い換えるといいような気はするけれど、とは言わなかった。これ以上はプライベートなことだし、ベティ本人がサイモンに伝えるべきことだ。
「遅れちゃってごめんなさいいい!」
明るい笑い声と共に、ベティが駆け込んでくる。
「全然大したことのない怪我なのに学校が慌てちゃったみたいで」
「すごい綺麗になりましたね!」
マキカは笑顔で振り返る。
「今、ちょっと考えていたんですけど、ワードローブ、少しだけ手を加えたらどうかなって」
収納はだいたいこれで機能しているみたいに見えるんですけど、この小さな棚が……
言葉を続けようとして、マキカは口をつぐむ。
サイモンが、ベティの肩を抱き寄せていた。
「うわ! なに? えっ」
急に夫に抱きしめられて、ふっくら型の依頼人は顔を真っ赤にして目をぱちくりさせ——それからほんのわずかの間、ひどく嬉しそうに目を細めた。
「あれ、本当はやらなくてよかったんでしょう」
帰りの車の中でトリシャが口を尖らせる。
「あれ、って?」
「あの、ワードローブの小さな棚板。別に動かさなくてもよかったでしょう」
「あ、あれね。うん」
そうね。と、マキカは頷きながら減速し、ギアを変える。
「だけど、カーテン買って、ベッド買い換えて、部屋のペンキを塗り替えた上で、ワードローブまで手を入れると大仕事でしょう」
ミラー確認。左折ウィンカー。
「かといって、何も手を入れないと、今度はワードローブだけがあの部屋でまだメリッサのものと認識されちゃう可能性があるかなあって」
それも困るじゃない?
「……」
トリシャは、ぷくっと、頬を膨らませた。
「なんか詐欺っぽいなあ」
「そうね」
ふふふっとマキカは笑った。
夕方の日差しは金色で、道端の緑が驚くほど鮮やかだ。イギリスの夏は美しい。そもそも夏が来れば、だが。
「まあ、でもちょっと棚板を動かすくらいだったらお金はかからないし、労力もそんなにかからない。あの二人はただでさえいっぱいいっぱいだから」
これでうまくいったかどうかは三ヶ月後のフォローアップでわかるわよ、きっと。
マキカはバックミラーに目をやる。
「……再婚って、大変ですね」
トリシャがボソッと言う。
「再婚っていうか、子供がいると、じゃないかなあ——守らなきゃいけないのがお互いだけでないから」
どんなに相手のことが好きでも、一番最初に子供達のことを考えなくてはならない。自分では何も自分の環境を変えることのできない小さな人たちのことを。男と女でいるよりもずっと父親や母親でいる時間の方が長い中での恋。
「でもやっぱりサイモンはひどい」
「そうねえ……」
「だって1日中ずーっと<職業人>と<お母さん>をやっていた人が、唯一自分に戻れる場所でしょ、寝室って」
半ば自分に話しかけるような口調でトリシャは続ける。
「……何でわからないのかなあ。男って」
ラウンドアバウトに近づくにつれてマキカは減速する。だいたい時速20マイル前後でファーストギアに。(✳︎1)
「……トリシャ、何かあった?」
「……」
「……」
右からの車が途切れたところでラウンドアバウトに入る。速度をあげてセカンドギア。
「リアムと別れた」
左折ウィンカー。
「……」
「ていうか、厳密に言うと、リアムが警察にしょっぴかれた」
「……ドラッグ?」
「うん」
左折。ラウンドアバウトから出たら一気に速度を上げる。ナショナルスピードリミットだ。(✳︎2)
西ヨークシャーは合成ドラッグの一大生産拠点だ。トリシャの恋人がその手の問題を抱えていることは知っていた。不健康そうな顔色といい、トリシャの話の端々からわかる生活の荒れ具合といい。
マリワナ程度だろうとたかをくくっていたけれど、もっとハードなものに手を出していたのか。というか、逮捕された、ということは積極的に売買に手を出していた可能性が高いのかもしれない。
——バカなことを。
助手席でトリシャが爪を噛んでいるのはわかる。マキカはギアを落とす。上り坂。
「——ジン」
「え?」
びっくりしたような声をトリシャが上げる。
「ジンだったら、家にある。パブでも付き合える。このままウェイトローズに行ってワインかバックスフィズを買うっていうのも選択肢ね」(✳︎3)
「マキカ、なんでジンなんか家に置いてあるの?!」(✳︎4)
素っ頓狂な声を上げるトリシャにマキカは苦笑する。
「お酒じゃ何も解決しないけど、飲みたくなる時もあるじゃない?」
「……バックスフィズお願いします」
「了解! せっかくいい天気だから、グラスを持って川辺に行こう!」
「あ、いいね、それ」
突然、ベティを思わせるような明るい笑い声を立てたかと思うと——トリシャは顔を両手に埋めた。
「でも、フィズが終わったら、ジンも必要になっちゃうかもしれない——」
「話を聞くくらいならできるわよ。
「ねえ」
「なあに」
「シャンペンもつけて」
「それは無理」
いくらすると思ってるの!
減速しながら、マキカは思わず笑いだす。ちゃっかりしている。
大丈夫。トリシャはきっと元気になる。
ふと、ベティのセリフが耳の中に蘇った。
——だって、自分の周りの人って、できるんだったら幸せにしてあげたいじゃない?
本当。ひまわりみたい。彼女みたいな人はずっとひまわりみたいだといい。
本当に、そうであってくれるといい。
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(✳︎1) 「ラウンドアバウト」
環状交差点。複数の道路が円形につながっており、イギリスの場合であれば、時計回りにしか移動することができない。つまり、右折したい場合は、左折し、ぐるっと回って右側の道路に入ることになる。すべての車が一度減速することになるので、街に入る前に設置されていることが多い。当然のことだが、スペースが許せば街中にもある。
ちなみに著者が入ると出るタイミングを逃してしばしばぐるぐると3周ぐらいする。
(✳︎2)「ナショナルスピードリミット」
時速60マイル。こわい。
(✳︎3)「ウェイトローズ」
高級スーパー。マキカ、見栄を張るの巻。
(✳︎4)「ジンなんか」
Ginの別名はMother's ruin(母親の破滅)ということで、ジンは女性が身を持ち崩す酒として悪名高い。元は18世紀のジンの大流行から。
紫の壁とルバーブクランブル(エルムバンク) 赤坂 パトリシア @patricia_giddens
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