第2話 サイモン

 

「それじゃあ、大体家族のことと、それから今困っていることを教えていただけますか?」

 絶品としか言いようのないルバーブクランブルを食べ終えると——結局トリシャはおかわりをした——ようやく打ち合わせだ。簡単に聞き取りをしながら、マキカは日本語で手持ちの小さなノートにメモを取る。

「うわあ、スゴイ!」

 ベティは覗き込むと目を丸くした。

「何が書いてあるのか全然わからないわ! ——日本語ってアルファベットいくつあるの?」

「文字がいくつ——というか、3種類あって、そのうちの一種類がやたら数が多いんですよ」

 マキカは答えながらサラサラとメモを取る。

「スゴイわねええ。何て書いてあるのか全くわからないわあ」

 ベティはしきりに感心するが、判られてしまっては困る。そもそも簡単にわかってほしくないからわざわざ日本語でメモを取っているのだ。

「これはね、『ルバーブクランブルが美味しかった』って書いてるんですよ」

 横からしたり顔でトリシャが説明する。

「なるほど。『これだけ美味しかったら太るはずだ』って書いてあるわね、ここ」

 ベティがすかさずトリシャに応じる。

「『太ってもいいと思わせる魔性の味だ』が、ここですね」

 トリシャは自分で言ってしきりに頷いている。

「それからここが『どこかにいい男がいないかなあ』」

 マキカは困って目を泳がせた。 ――トリシャ、お願いだから! なんであなた今日はこんなに飛ばしてるの!





 依頼人 ベティ・バクスター 

 夫 サイモン・ロバーツ

 職業は看護師。週3日勤務のパートタイム。(✳︎1) 

 夜勤もあって不規則だが、生活リズムに顕著な問題はなし。

 二人とも再婚同士 昨年8月に再婚 もうすぐ結婚一周年


 子供

 ベティの連れ子 長女15歳 次女 12歳

 サイモンの連れ子 長男 11歳 長女 9歳 次男 6歳


 ベティの離婚は7年前だが、サイモンの離婚は2年前。どちらも共同親権で、前のパートナーとは良好な関係を保っている。

 ベティとサイモンは子供の頃からお互いを知っていた。

 掃除や片付けはあまり好きはないが、料理は大好き。(本人談)

 子供達は最初のうちはぎこちなかったが、今ではすっかりお互いに慣れて良い関係を築けていると思う。

 この家はサイモンの家だった。前妻メリッサは家を出て、新しいパートナーと隣の町で暮らしている。

 まずはキッチンと子供部屋を整えるのが大変で、最近ようやく家全体のことを考えられるようになった。




 箇条書きでメモを取るのは簡単だった。ベティがあまり物怖じすることなく時折笑いを交えながら説明してくれたからだ。

「もう、家が落ち着くまでは建物の中でキャンプしてるみたいだったのよ!」

 ベッドもなくて子供達しばらく寝袋で寝ていたわ。

 明るい声。多分、相当大変だっただろうに、きっと本当に子供達にはキャンプか何かのように思い込ませることができたのだろう。彼女なら。

「ようやく落ち着くのに半年ぐらいかかったかしら。そしたら、どれだけ頑張っても寝室がめちゃくち散らかることに気づいて。うふふ」

 ベティはマキカに目を合わせた。

「それで、サイモンと相談の上、エルムバンクに連絡したって、書いておいてください」

 いまだ興味津々の様子でマキカの手元を見つめるベティに苦笑しながら、メモを取る。

「ここに書いてあるのが私の名前?」

 ベティは「共同親権」のあたりを指差す。

「えっと、それは Joint custodyって書いてあります」

「残念! 複雑そうでかっこよかったのに!」

 自分の名前が書いてある場所を教えられて、ベティは不満げに口をとがらせた。どうやらカタカナはお気に召さないらしい。

「このあたりに、ジュニア・オーガナイザーがとても美人な赤毛だったって書いてますよ」

 隣でトリシャが妙な説明をする。

「書いてません」

 マキカは思わず口を挟む。

 ——トリシャ、お願いだから落ち着いてください。

「それじゃあ、これから書いてください」

 なぜだかわからないが、やたら力を込めて、トリシャが宣言した。弱り切ってマキカが顔を上げると、面白そうに覗き込んでいるベティと目があう。

「ぷっ」

「あははははは!」

 何がおかしいのかわからないが、とにかく笑い転げるベティに引きずられるように、マキカとトリシャは大爆笑した。



「楽しそうだね」

 ひょい、と背の高い男性がキッチンに顔を出した。優しそうなブルーグレイの目。髪の毛は――残念ながらほとんど残っていない。40代の後半ぐらいか、とにかくひょろひょろした体型で、少し気の弱そうな笑顔だ。

「ああ、サイモン!」

 笑いながらベティが立ち上がり頰にキスをする。マキカも慌てて立ち上がった。

「こちらがマキカ。エルムバンクからお片づけの手伝いに来てくれたの」

 はじめまして。

 挨拶をして、握手。

「ご自宅でお仕事ですか?」

「そうです。でもそろそろ子どもたちを迎えに行かないと」

 サイモンはちらっと時計に目をやる。

「まだいいじゃない?」

 ベティが声をかける。あと10分ぐらいは大丈夫よ。お茶でも飲んでから行ったら? それに、マキカとも話をしていけばいいじゃない。

 促されるような視線を受けて、サイモンは妻の後ろに立ち、紅茶を自分のカップに注いだ。

「とりあえず、寝室の片付けが問題だと伺ったのですが、他に気になっていることはありますか?」

 マキカはサイモンとベティの両方に質問を投げかける。

「うーん。洗面所かな? 君の化粧品が溢れてるんだよね」

「ごめんなさーい!」

 ベティは目をぎゅっとつぶって謝る。「それもこれも寝室がうまく片付けられないからなんだけど」

「寝室の収納は最近作ってもらったばかりなんだけれどね」

 サイモンは柔らかく言う。

「女性用の小物もたくさん収納できるようにいろいろ考えてもらったはずなんだけれど」

「そうなんですか?」

ちょっと意外に思ってマキカは尋ね返す。

「うん。あそこが子供部屋を除けば一番最近内装に手を入れた部屋だから」

「なるほど。それで何か調子が狂ったのかもしれないですね。……わかりました。その辺りを今日はゆっくり見てみましょう」

 マキカは頷くとベティに視線を合わせ——そして、まばたきをした。


 ひまわりのように笑い声を立てていた女性は、ぼんやりと焦点の合わない視線を宙に泳がせていた。





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(✳︎1)「パートタイム」

 イギリスのパートタイムは必ずしも非正規雇用ではない。各種社会保障や年金までが正規雇用と同様に受けられるため子供を持つ女性の多くにとって(時折父親がパートタイム勤務をするケースもあるが)、週2日から3日のパートタイム勤務は現実的な選択肢である。職種も幅広い。例えば医師や大学教員などがパートタイム勤務をしていることは珍しくない。子供の手がある程度離れた時点でフルタイム勤務に戻る。

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