紫の壁とルバーブクランブル(エルムバンク)
赤坂 パトリシア
第1話 ルバーブクランブル
ひまわりのような女性だと思った。
お行儀よく大きなブナのテーブルに座っているマキカとトリシャの前に、ベティ・バクスターは真っ赤なポルカドットのマグカップを置き、同じく真っ赤なティーポットからなみなみと紅茶を注いだ。
「ルバーブクランブルも焼いたばかりなの。召し上がる?」(✳︎1)
「いえ、あのすぐ仕事にかかりますので……」
言いかけたマキカの声に重なるようにトリシャが「うわあ、ルバーブクランブル!」と嬉しそうな声をあげる。最近真っ赤に染めたトリシャの髪はポニーテールにまとめられ、声と同じくらい弾んでいる。マキカの笑顔が思わず引きつった。
今日は仕事だ。そして仕事はプロフェッショナル・オーガナイザーとして依頼人のお片づけを導くことだ。断じて、依頼人の焼いたルバーブクランブルを食べることではない。
トリシャが掃除人ではなく、ジュニア・オーガナイザーとしてマキカのチームに加わってから3ヶ月。彼女の
「お気に召したら嬉しいわ。クランブル部分にチェダーを入れたの」
ベティが笑い声を上げた。パッと部屋中が明るくなるような笑顔だ。
45歳だという。やや気を使った言い方をするのであればたっぷりと貫禄のある体型で、綺麗な金髪だ。(✳︎2) 当たり前のことながらもう若い娘の肌ではないが、そばかすひとつない白い肌に、にっこりと顔を崩した時の目尻の笑い皺がチャーミングだった。
素敵な年の取り方だ。全ての皺が笑顔のまま顔に刻まれたような。
ただし、ルバーブクランブルがバターと砂糖たっぷりであろうことは、その体型から推し量られた。きっと、生クリームかカスタードも添えられて出てくるだろう。
「大好きです! ルバーブクランブル大好物」
トリシャの弾んだ声にマキカは内心ため息をついた。
「寝室を片付けたいということでしたよね?」
半ば諦めて、お菓子をいただくことに心を決め、マキカは静かにキッチンを見回す。明るい色のブナのテーブルに似合うようなインテリアだ。赤いギンガムチェックの布巾。キリッとした赤のマグ。カントリー調のデコレーションで、暖かい空気に包まれている。ただし——お世辞にもすっきりとしたキッチンではない。
子供達の写真やクレヨンで描かれた絵がごちゃごちゃとあちらこちらに貼ってあり、壁のツールかけにはレードルだけで4種類並んでいる。
「そうなの」
クランブルを切り分けながら、ベティはほんの少し恥ずかしそうに俯いた。
「キッチンもこんななのに、って思うかもしれないけれど……」
「お子さんがいるお宅はみんなこんなものですよ」
首を軽く横に振ってマキカは静かに答える。
「家をグラビアに載るくらい綺麗にしておくよりも大切なことがあるんですもの」
暖かくて、家族が自然に集まりそうな、いいキッチンじゃないですか。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
ベティは明るく答える。
「サイモンの子供達も、ようやく落ち着いてくれたし。最初のうちは家中しっちゃかめっちゃかだったんだけど、一息ついたら、どうしても寝室だけが片付けられないことに気づいて」
——離婚と再婚でお金もきついんだけれど、ここはお願いしようと思ったのよ。
そう言うと、ベティは、自分も紅茶のカップをつかんで、マキカたちの差し向かいに腰掛けた。
どうやら、一見暖かなこの家族のキッチンはつい最近作られたものだったらしい。おそらくベティのバイタリティと笑顔と努力によって。
にこやかに頷きながら、マキカは次にどのように質問をしようかと思案する。デリケートな問題だし、必要以上にプライバシーに踏み込むのは好ましくない。相手が言いたいことだけを言ってもらい、そっと情報を引き出したい。
しかし、マキカの相棒にはそんな思惑は全く通じていなかった。
「えー! ベティ、バツイチなんですかぁ? それとも旦那さんの方? もしかして両方?」
マキカの
「!」
さすがに顔色を変えはしなかったがマキカはかなり動揺する。テーブルの下で足を蹴りたいくらいだ。蹴らないけれど。
「あはっは! 両方があたり! そうなのよ。1年くらい前からな。共同親権だから、子供達は週の半分はメリッサの家に——あ、メリッサっていうのはサイモンの前の奥さんね——行ってるんだけれど。私も子供がいるし、全員集まると大騒ぎよ」(✳︎3)
マキカのつかの間の動揺はすぐにおさまった。特に気にする様子もなく、ベティが説明したからだ。
すでに「吹っ切れた」過去の話なのだということが伺えた。子供もいる男女の破局など、本気で吹っ切れるにはもっと時間がかかりそうな気がしないでもないけれど。
ごく微か、自分の離婚の記憶がマキカの頭のどこかでざわめいた。怒りも、痛みも、そして苦しいくらいの自信の喪失も。
「全員で何人ですか?」
「サイモンの子が3人、私の子が女の子2人。一番上が15歳で一番下が6歳」
「うわ。それ、凄い人数だ」
「
トリシャの感想に笑顔で答えると、ベティは二人の視線を戸口近くの壁に誘導する。マグカップを手にしたまま、マキカとトリシャはベティの横に立つ。
「これが、私の娘二人。ジュリエットと、エズミ。こっちがサイモンの子供たち。ジョージ、エミリー、フィンリー。あ、これはエズミとフィンリーが一緒に遊んでいるところね。それでこれが……」
立て続けに言われてもなかなか名前が覚えられない。けれど、子供たちはかわいかった。
様々な季節で、服装も場所も違うけれど、どの子も幸せそうに顔をほころばせている。一緒に写っている大人は様々だ。祖父母と思しき年齢の人もいれば、ベティと同年代の男性もいる。
「この方はサイモンさんですか?」
マキカはがっちりとした体格の髭の男性を指差す。ジュリエットとエズミを膝に乗せて屈託のない笑顔を見せている。ラグビー選手のような体格だった。
「いいえ、これは私の
それから、これがメリッサ、サイモンの前の妻よ、とベティはもう一枚の写真を指差す。ストレートのブルネット。細身でバッチリとメークをした、いろいろな意味でベティとは対照的な印象を与える女性だった。
こういうところに、前の配偶者の写真が飾ってあるのはイギリスらしい。
「親にはいろいろな感情があるけど、子供にとっては父親は父親だし母親は母親なのよね」
母親らしい表情で依頼人は静かに言う。表情はほんの少し複雑だ。
「——みなさんの関係はいいんですか?」
トリシャが尋ねた。ベティは肩をすくめる。
「4人一緒にお酒を飲んで笑えるくらいにはね。メリッサにはいつも言ってやってるの。『こんないい男を捨てるなんて信じられない』って。もう絶対返さないわよってね。あははは」
思わずつられてトリシャとマキカまでが吹き出してしまいそうな明るさでベティは笑った。
「さ。クランブルにしましょう。こちらがカスタードで、こちらが生クリーム」
たっぷりとよそられたクランブルにマキカはちょっとだけたじろぐ。
すごい量だ。これを食べてしまったら夕食は抜かなくては。
生クリームをほんの少しだけかけて、口に運んだマキカは、しかし、思わず目を見開いた。チェダーチーズが、ちょうどよく隠し味になっている。ほんのわずかだけ、チーズケーキのような酸味。濃厚なバターとチーズと……これはアーモンドも入っているだろうか。
「美味しい! これ、すごく美味しいですね!」
トリシャが弾んだ声を上げる。
「グラウンドアーモンドを入れておくと、バターの量を減らしてもコクが出るのよ。……ていっても、今更私が体型気にしてもって話もあるんだけど!」(✳︎5)
あはははは、とベティは笑い声を立てた。
あ、カロリー、気にしてくれていたんですね。——ごめんなさい。
マキカはほんの少し、心の中で反省した。
「まあ、クランブルみたいなお菓子を焼いておいてカロリーを考えても意味がないっていう話もあるんだけど!」
前言撤回。やはり今晩は夕食を抜かすようかもしれません。
密かに引きつりながら、マキカはスプーンを口に運ぶ。腹立たしいことに、おかわりをしたいくらい美味しかった。
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(✳︎1)「ルバーブ」
ヨークシャーの特産品である野菜。茎の部分を食用にするが、野菜というよりは果物のように、ジャムにしたり、菓子を焼いたりするのに使う。ちなみに葉には毒性があるため、気に入らない相手に食べさせたくなるのは山々だがやると当然怒られる。
(✳︎2)「綺麗な金髪」
自毛とは限りません。白髪がで始めると金髪に染める女性が多いため、その可能性も大いにあるからです。
(✳︎3)「共同親権」
離婚した後、共同で親権を持つこと。日本にはない。子供はしばしば父親の家と母親の家を行ったり来たりして育つ。
(✳︎4)「私のex」
元夫のことを
(✳︎5)「グラウンドアーモンド」
日本では英語とフランス語のチャンポンである「アーモンドプードル」という名前でよく知られています。アーモンドを粉状になるまで挽いたもの。
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