第2話失せ物の名は信用〜緋色の雪女との対峙〜《後編》

***


 あの日の帰り道は大変だった。

 おんぶしてみたはいいものの、まあ当たる当たる。体付きが良い分、意識してしまう。意識してしまう。

 結局、数分持たずにタクシーを呼んだ。タクシーの運転手はえらく奇妙なものを見たような目つきをしていたが、事情は話せなかった。

 最初は、アリサを家まで送ろうと思ったのだが、暴漢に襲われた直後に一人にするのは気が引けた。仕方なく、うちの事務所へ向かうことにする。

 事務所の一階は文字通り探偵事務所だが、二階は居住スペースとなっている。イリーアと僕は基本ここで寝起きをしている。そこを使ってもらうことを提案するとアリサは快諾してくれた。まあ、そこからイリーアを説得するのに小一時間かかったのだが……

 あのジト目で「なんでその女も連れてきたの」は一生忘れられそうにない。相棒ならわかってくれると高を括った僕が間違いだった。


「しっかし、このタクシー代。経費で落ちるかな……」


 札の少ない財布から領収証を抜き取り、ボーッと眺める。いくらロスカスタニエが隣町とはいえ、タクシー代の出費は惜しい。普段は徒歩な分、なおさらだ。


「それくらい私の方で経費精算するから気にしなくていいのに。はい、コーヒー」


 声と共に眺めていた領収証が視界から消えた。振り返るとそこにはアリサがいた。ふと、足を見遣ると痛々しげに貼られた絆創膏が目に付いた。靴は調達してないからか事務所内用のスリッパを使っているようだった。


「ってなに普通に馴染んでるんですか、アリサさん。甲斐甲斐しくコーヒーまで淹れてくれちゃって」


 第一印象と今とでは大違いだ。高飛車女がここまで丸くなって見えるとは。相手を知らないとわからないものである。


「昨日のお礼よ」

「お礼なら感謝の言葉で十分なのに」


 と一言言うとなぜか閉口して固まるアリサ。どうしたのかと下から顔を覗き見ようとしたが、そっぽを向かれてしまった。僕は「なんなんだ」と思いつつ、首を傾げることしかできなかった。すると、不意に


「昨日は……その、ありがとう」


 と小声が聞こえた。どうやらお礼を言うのが照れ臭かったらしい。「どういたしまして」と僕は満面の笑みを浮かべる。僕はしっかり取りこぼさなかった。アリサの謝辞はそれが形になって見えたようで嬉しかった。


「それ、昨日の写真?」


 アリサは話を切り上げるかのように、デスクの上に置いてあった写真を手に取る。写真には金色のペンダントを首かけている銀髪の女性とマリーの夫のダリルが筆談のようなことをしている様子が写されている。写真の女はマリーの話していた通りで、銀髪なこと以外めぼしい特徴はなかった。

 事件は昨日の一件で思わぬ方向へと転んでしまった。まさか浮気ではなく密売。いや、両方という可能性もあり得る。マリーの信じる気持ちを信じると言ったが、率直に言って最悪な展開だ。せめて虎穴に入って得てきたこの写真が虎子であるといいのだが……


「そう。さっきイリーアに個人情報のデータベースにアクセスしてもらったんだけど、該当なし。虎子どころか馬の骨か〜」


 残念なことにからっきし手がかりにならなかった。


「正規のデータベースにないあたり裏社会の人間というのは間違いないみたいね」

「僕はどっかで見た気がするんだけど、やっぱりデータベースにないなら見当違いかなぁ。いなかったんだよね?」


 アリサと話している話題を目の前のデスクにいるイリーアに振ると力強く二度頷いた。その瞳は心なしかアリサを睨んでいるようにも見えたが、触らぬ神に祟りなしだ。


「それって軽くサイバー犯罪犯してるじゃない」


 アリサの言うことは最もだ。データベースいアクセスするのも、カメラをハッキングするのもそうだ。まあ、それがなかったら今頃痛い目みていたに違いないのだけど。

 それにうちの事務所は意外にも後ろ盾が頼もしいのだ。


「大丈夫。こう見えてもうちの事務所は警察のお墨付きだし、出資者もいらっしゃるんで」


 と話しているとタイミングよく「おっはよう〜」と出資者兼所長様が重役出勤しなさった。というか午前真っ只中の時間なのに高校生がなぜうちの事務所にいるのか。


「これがうちの出資者様。ってかクララ。君、学校は?」

「今日は休日。 学校行くのは部活の子くらいよ? それに私の部活代わりはここだしね〜」


 言われてみればそうだ。年中無休……いや年中閑古鳥が鳴いていた我が事務所では休日という概念が失われつつあったから忘れていた。クララの格好もいつもの制服姿ではなく、今日は桜色のワンピースだった。


「うちの仕事が部活代わりなのはどうかと思うぞ。はあ、この子の将来が心配だ」

「アルが心配するなんて、まるで私のお兄様にでもなったつもりなのかしら?」

「出資者がどんな人物かはよく分かったけど、警察のお墨付きってどう言うこと?」


 僕がクララへ返答するより先にアリサが割って入った。すっかり話が脱線していたようだ。どうも僕はクララのペースに飲まれがちだ。


「ああ、それはフィクサー警視よ。私もアルもフィクサー警視のコネがあるの」

「そう。僕にとって彼は親代りみたいなものでね。昔から世話になっているんだ」


 先に答えたクララの話に付け足すように僕が語る。彼とはもう一五年来の付き合いとなる。プライベートの面でも仕事の面でもだ。彼がいなければ僕は探偵をやっていなかっただろう。


「フィクサーってこの地域での検挙率一番のあのフィクサー・ノイマン?」

「そう。そのフィクサー。最近また『昇進が近くなった』とか言ってたなぁ」


 そう語る僕の口ぶりは我がことのように喜んでいて、自分でもにやけているのがわかるほどだった。なにせ自分の父親代わりの出世なのだから。

 ちょうどその折だった。スマートフォンにメールの着信があった。相手は話題に上がっていたフィクサー警視だった。

 フィクサーには昨日の暴力団の件をすでに報告していた。それに拾った拳銃のこともある。あくまで一般人の僕が処分するには重荷な代物だった。出所が分かるかもと思い、写真も送付しておいた。

『例の拳銃だが、今度こっちから回収に行くよ。お前の知りたがっていた出所だが、やっぱり一般市場で出回ってる護身用のものではなかった。ブラックマーケットで流通しているものだ』

 メールの文面にはその他に銃の型番だったり、過去に同じ銃が見つかった出所などが記載されていた。


「やっぱり、闇市のものか。違法薬物取引の温床だったわけだし、当たり前か」

「でもどうやって流通させているのかしら? 一昔前なら検閲も緩かったけど、昨今じゃ難しいわよ? それこそアルフレッドみたいな能力者がいるとか。『物を隠す』能力者なんて、あなた知ってる?」

「『物を隠す』……そういうことか!」


 アリサの言葉で全ての点が線で繋がれた。

 『物を隠す』。僕は『物を隠すこと』に長けた人物に心当たりがあった。それと同時に写真の彼女の既視感の原因も合点がいった。どうりでデータベースに情報が存在しないはずだ。なぜなら——


 ——彼女は公式ではすでに故人なのだから。


 ようやく事件の真相が見えてきた……!


「それだよ、アリサ! さっすがの洞察力だ」

「どういうことか説明してよ、アル」


 置いてけぼりなクララが不服そうに言った。


「ごめん、今はまだ仮説の段階だ。いや間違いなくそうなんだけど、この推理を披露したところで依頼は解決しない……本人を捕まえて来ないといけない……けどどうすれば……」

「アルフレッド。またあなた大きな見落としよ。写真のここ。見なさいな」

「これは……!」


 アリサが指差したのは銀髪の彼女の胸元。そこに写っているのはネックレス……ではなくロケットペンダントだった。いつか見た彼女がつけていたものと酷似した。


「あなたの能力なら見つけられるでしょう?」

「確かに。協力プレイ中の今なら出し惜しみなしでいける!」


 僕は事務所を飛び出した。いても立ってもいられなかった。一刻も早く彼女を見つけなければ。

 今回の事件は素行調査のはずだった。でもその実、この依頼は失われた物を探す『失せもの探し』の依頼だったのだ。

 そう……これは『失われた家族の時間』を取り戻すための依頼だったのだ。


***


「結論を言います。夫……ダリルさんは浮気はしていませんでした。もちろん、他にやましいこともなかった」


 それからまた一週間ほどが過ぎた。

 全ての推理の証拠が出揃い、再びマリーを事務所に呼んだ。応接間には僕とアリサとマリーがいる。そして、これまでの調査の経過をかくかくしかじかと話し、僕が結論を述べた。


 ——夫……ダリルは浮気していなかった——


 当然この結果を伝えただけで満足する依頼人ではないはずだ。問題なのはここからだ。


 ——ダリルは妻に内緒でこそこそと誰に会っていたのか? なにをしていたのか?——


 だが、この話を進めるにはどうも役者の数が足りない。なにせ当事者が告白するのが重要なのだから。


「誠に勝手ながらこの話を進めるにあたり、夫のダリルさんにも来ていただきました。やはり、第三者の私たちが話すより本人の口からの方がいいと思いまして……よろしいですか?」


 アリサがそう言うとしばし驚いた表情を見せたマリーだったが、その後すぐに深々と頷いた。彼女の了承を確認した僕は事務所の玄関口に「どうぞ。ダリルさん入ってきてください」と声をかけた。ダリルにはマリーに調査結果の報告が終わる頃合いを伝え、その時間に来てもらうように図ったのだ。

 ダリルが応接間にやってきて、彼の妻の横に腰を下ろした。「この度はどうもすみません」と彼に会った時、何度も聞いた言葉を再び口にしながら。


「やはり女の勘というのは侮れないですね。実はダリルさんからもお話を少しお伺いしたのですが、マリーさんのおっしゃる通りでした。マリーさんが違和感を覚えた時期から少しずつ内緒で行動なさっていたみたいです。……っと失礼。ここはあまり僕がペラペラ喋るべきではないですね。ダリルさん。奥さんに本当のことをお話しになって下さい」


 僕の言葉にダリルが意を決したように頷いた。そして、マリーの手を取り、彼女に向き合った。言葉を探すような微かな間。呼吸を整え、彼は言う。


「マリー。僕はね……ずっとセレーネを探していたんだよ」


 言葉にならない声がマリーの口から溢れる。嗚咽とも咽びとも違う声が。その言葉で気づいたのだろう。

 銀髪の彼女——当初浮気相手だと思っていた相手の正体を。


「マリーさん。よく聞いてください。お子さんは……セレーネさんは生きています」


 アリサの言葉が彼女の堰を切った。彼女の双眸からは涙が零れ、おいおいと泣き崩れてしまった。

 疑っていた夫が浮気をしていなかった。死んだと思われていた娘が生きていた。

 信じて良かったという安堵。猜疑心からの後悔。娘の生存を諦めた悲しみ。そして、生きていたことへの喜び。

 その全てを綯い交ぜにした涙を流すのは今以外あるまい。


「でも……でも……どうして内緒に……?」

「すまない。君を危険に巻き込みたくはなかったんだ」

「セレーネさんはブラックマーケットを牛耳る暴力団が加味しているバーにいたんです。そんな場所にあなたは連れていけない。僕も同じ立場だったらそうすると思います。どうか、旦那さんの気持ちをわかってあげてください」


 ダリルにとって大事なのはセレーネだけじゃない。もしもセレーネを救うのにマリーを巻き込んで、危険な目に晒してしまったら……彼は二度も大切な家族を失いたくなかったんだろう。


「ここからは順を追って話をしていきましょう。私たちも確認と補足などをしたいので」


 アリサが続きを促すとダリルは居住まいを正した。彼の口からことの真実が告げられる瞬間がついにやってきたのだ。


「五年前のことだ。繁華街でセレーネによく似た女の子を見かけた。急いで追いかけたんだが、その時は見失ってしまってね。夜な夜な酒場やバーで聞き込みをして探してみたのだが、なかなか情報が得られなかった。その時は見間違いだったのだと諦めたよ」


 彼も藁をもすがる思いだったのだろう。繁華街は飲み屋が多く、大抵の人はその客だ。目撃情報を地道に得る方法として間違いではない。見間違いかもしれない以上、警察も頼れない。


「それが五年前マリーさんが浮気を疑った時の行動の真実ですね?」

「ああ! 僕は一度だってセレーネのことを忘れたことはなかった。だから、幻覚を見たんだろうって言い聞かせた。だが、半年前、またセレーネによく似た女の子を見かけたんだ! たまらず僕は追いかけたよ。何度も見かけた場所を行き来した。そして、僕はついにセレーネを見つけることができたんだ」


 そこがロスカスタニエの繁華街にあるバー・マルダムールだった。だが、悲劇的なことに彼女は暴力団の一味として働いていた。


「そして、あなたはバー・マルダムールの常連客を装って、セレーネさんに何度も会いに行った……恐らく行く時の光景をマリーさんは目撃したんでしょう。マルダムールはブラックマーケットの売人たちの巣窟でしたから、客を装うのが自然なわけですね」

「ああ、そうだ。ドラッグの客を装ってなんとかセレーネを救えないか考えていた。また一緒に暮らせないかを探っていたんだ。もちろんおおっぴらに話せば僕の身も危なかったから筆談でやり取りした。警察に話して摘発に巻き込まれたらたまったもんじゃないとも思った。でもまさか妻に目撃されて、素行調査を探偵に依頼しているとは思わなかったよ」


 ダリルの語ることのあらましは以上のようなことだった。これでだいたいの行動に説明がつく。

 過去に杜撰な捜査をした警察が信じられないのも、セレーネとダリルが腕を組んで歩いていたのも。


「どうして……どうしてあの子がそんな目に……!」

「にわかには信じられない話だと思うのですが……この世界には能力者という人種が存在するんです。例えばですが、うちの従業員のイリーアなんかは『落下させる』能力を持っている」


 僕がそう言うと、奥のデスクに座っていたイリーアが短く「フォール」と唱える。ガラステーブルの上に置かれたプラスチック製のコーヒーカップが床に転げ落ちた。幸い中身は飲みきっていて、入っていなかった。


「セレーネさんは能力者だったんです。マリーさんにも覚えがあると思います。物を消すマジック。あれは超能力とでも言うべき代物だったんですよ。それを偶然見たマフィアが誘拐し、彼女の能力を悪用しようと目論んだ。彼女の『物を秘匿する能力』はブラックマーケットや密売にうってつけの能力だったからです。一○年前の事件の真相は波に攫われたわけでもなければ、マンイーターというカルト集団に捕食されたわけでもなかったんです」

「じゃあ、今も……あの子は……あの子はその組織に?」

「ああ。だからこれからそのことについて探偵さんに相談する。やはり僕一人でどうにかできる問題ではなかったようだ」


 ダリルの目が僕たちへと向く。「自分たちを助けて欲しい」。そう懇願するように。


「あの、ですね、実はその件に関してなんですが……」

「まさか……依頼は引き受けられないんですか……?」


 彼の目が一瞬でかげりを見せた。自分でも申し訳ないことをしたと思う。こういうことは先にはっきり言うべきだった。


「いえ、違うんです。実はその件、すでに済ませてあるんです」


 言い淀む僕の言葉を続けるようにアリサが言った。目の前に座っている二人が凍ったように動かなくなってしまう。僕たちが勝手にやったことだから驚嘆するのに無理はない。続けてアリサが喋る。


「お会いした方が早いでしょう。どうぞ入って来て」

 二階へ通じる事務所奥のドアが開く。ダリルが出てきた玄関とは真逆の入り口。そこには件の女性——セレーネが立っていた。


「どうぞ、こちらです」


 セレーネの横にいたクララが応接間の方へ先導する。実は彼女には誰よりも早く来てもらっていた。

 僕がセレーネを見つけた後、再び彼女と会う約束をした。「ご両親に会って欲しい。もう組織に怯える必要はないから」と。

 最初、彼女は快く頷いてくれなかった。そりゃ僕はしがない失せ物探偵だから信用がない。でも、マリーのこと、ダリルのこと……「家族は今まで一度も君のことを忘れたことはなかったんだよ」と真摯に話すと、彼女は頷いてくれた。


 「私も会いたい」

 一言そう言って。

 マリーは一目散にセレーネに駆け寄り、実体を確かめるように彼女に触れた。手に、足に、顔……その全てが本物であると感じるとマリーは長年の想いを形にするようにセレーネを抱擁した。「会いたかったよ、ママ」。そんなセレーネの今にも泣き出しそうな声だけが事務所にこだました。


「ダリルさん、あなたはセレーネさんに同じロケットをプレゼントしていましたね? 写真入りのロケットペンダントを。離れていても繋がっているという確かなものが欲しかったんでしょう。お陰で彼女を保護することができた。実は僕も能力者なんですよ。『物を探す』っていう地味な能力のね」

「どうして、どうしてここにセレーネが?! 本当にマフィアたちは大丈夫なんですか?!」


 声を荒げ、ダリルが立ち上がる。彼が一番、組織の危なさをよく知っている。だが、もうその心配は無用の長物なのだ。

 僕は「失礼」と一言言ってスマートフォンを手に取った。電話の相手は——


「もしもし俺だ。お前が言っていた組織だが摘発して今捕まえたところだ。内部からの情報が揃ってるとあっちゃ言い逃れはできないからよ。もう心配はないって伝えといてくれよ。んじゃあお勤めご苦労さん!」


 「ありがとう、フィクサー警視」とわざとらしく少し大きな声で言って、ダリルを見遣る。彼は僕が言わんとすることがわかったようでその場で泣き崩れ、何度も「ありがとう、ありがとう」と言っていた。

 そんな彼を見て、胸の内に暖かいものが込み上げてくる。「また拾い上げることができた」。そんな安堵感。

 さて、これからは親子水入らずの時間だ。空気を読んで、僕はアリサとクララを連れて奥へと退去するとしよう。

 これで彼ら夫婦の失せ物探しは完了したのだから。


***


 今日も見事な五月の晴れやかな日だ。依頼もなく、実にコーヒーを嗜むだけの日になりそうだ。六月は目の前にやって来ているからこんな日々を楽しむのは今のうちしかない。


 あれからダリルとマリー、セレーネは穏やかな時を過ごしている。

 セレーネも密売の幇助をしていた故、刑が科されると思われた。しかし、そこは背景を鑑みて無罪放免となった。幼少の頃から囚われ、逆らえば痛ぶりが待つ環境。自分の意思すら持たせてもらえなかった彼女を誰が責められようか? そんなことがまかり通っていた事実は憎いがこの依頼は無事解決だ。

 もうヤクザとは無関係なごく普通の家族として、彼らは失われた時間を取り戻していくだろう。報酬はそんな彼らの暖かな未来を見守れるというだけで十分だ。


「結局勝負はどうなったのよ?」


 思い耽りながらデスクの椅子におもいっきり寄りかかっているとクララが尋ねてきた。気を利かしてコーヒーのおかわりを持参して。


「ああ、あれ。なんか結局お互い悪いやつじゃないのわかって協力関係になったからうやむやだ……ブッーー!!」


 喋りながらコーヒーを口に含んだ刹那、堪らず吹き出した僕。なんというか死ぬほど苦い!


「ってなんだよ、これ?! なに、新種の嫌がらせ?! ねえ、絶対変なもの入れたろ?!」


 目の前のイリーアは首を振って「知らなーい」の一点張り。となると——


「何よ! せっかく人が腕によりをかけて淹れたコーヒーを不味いだなんて! 心外だわ!兄さんなら黙って一気に飲み干していたわよ?」

「いや、これ熱々のコーヒーだから?! いくら美味くても無理だから! それに僕は君の兄さんじゃないからね? はあ、これだから箱入り娘は……」


 確かお茶はちゃんと出せていたはずなのになぜ僕に淹れるコーヒーだけゲキマズなのか。コーヒーメーカーはあるはずなのだから異物混入事件か……

 これは後日、美味しいコーヒーを淹れてくれた美人探偵に調査依頼をしよう。というかむしろクララの代わりに淹れて欲しいくらいだ。

 そんな折、インターホンが鳴る。どうやらコーヒーを嗜む時間はおしまいのようだ……いやそもそも嗜めてなかったけど。


「はーい、どうぞ……って、え?! 何ですか?」


 応対しようとしたクララが慌ててふためく。ぞろぞろと事務所に屈強な男たちが押し寄せてきた!


「すいません。引っ越し業者のものです。こちらに引っ越し荷物を届けさせていただきますのでお邪魔しますね〜」


 そう言ってがっしりとしたマッスルを持った朗らかなお兄さんたちはデスクやら資料やらを運んでくる。僕は唖然とするしかなかった。引っ越し業者が来る予定なんて聞いてない。イリーアを見遣るがやはり「知らなーい」の一点張り。

 そして、この数週間ですっかり耳馴染んだ声が聞こえてくる。そうさっき僕が妄想でコーヒーを淹れて欲しいと思ったあの女性。


「あ、そのデスクはそこの二つのデスクにくっつけてください。資料はまだ置き場が決まってないのでデスクの上で。他の荷物は二階の方にお願いします」


 我が物顏で支持を出しているあたりもはや肝の座り方が流石である。


「あのーなんでうちの事務所に引っ越ししてるんですかね、アリサ・イルハ・スカーレットさん?」


 パンツスタイルのスーツ姿に底の低いパンプスを履いたアリサがそこにいた。


「おはよう、アルフレッド。私、今日からここの従業員だから。よろしくね」


 上機嫌な彼女は小悪魔なウィンクをしながらそう言った。事務所内に「はぁ〜?!」という三人分の声がハモって響く。


「自分の事務所は……?」

「辞めてきたわ。だってそういう約束だったじゃない?」

「約束……?」


 彼女の言っていることの一語一句全てが理解できない。約束……はて、なんのことやら。


「言ったじゃない。私が負けたら言うことを聞く。あなたは私に初心を思い出して欲しかった。そうでしょう?」

「そう言ったけどそもそもあれは引き分けで……それにうちに来いとは——l

「細かいことはいいのよ! 正直、所長業なんてもううんざりだし、あそこじゃ一からやり直すにもやり直せないし。それにここは所長様もいることだし、場末の事務所だしやり直すには持ってこいじゃない?」

「場末って……はあ、でもまあ、いいか」


 運び終えた荷物を見て仕方なく思ってしまう。拾われることをよしとした以上拒むことはできないのだ。実際、この事務所は『拾い者』で構成されているのだから。


「いいの、アル?! 本当にいいの?!」


 クララが念押しして聞いてくる。良いも悪いもない。これは僕が『拾い上げて』しまった縁なのだから。それに——


「アリサ目当てで顧客が流れてくるなら願ったり叶ったりだ」

「じゃ、決定ね」


 こうしてまた一人、うちに戦力が増えた。いや、拾った。


「でも一つ言っておく」


 未熟な僕はこれからも仲間たちと足りないものを補いながら力を合わせて進んでいく。


「何かしら?」


 新たに一人加わってまたやかましくなりそうだけど、今更一人増えたところで変わらない。三+一は四ではなく、三プラス一は無限大の可能性を生むんだ。


「僕はスカートまでやめろとは言ってない」


 力はただの足し算じゃない。合わせ方次第で無限大な可能性を生み、どんな困難も乗り越えられるのだから。

 はてさて、次はなにを拾うのやら……

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失せ物探偵アルフレッド・ダント・ムントの異能記録 鴨志田千紘 @heero-pr0t0zer0

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