麻にも濡れつつ
紅蛇
麻にも濡れつつ
生命のあるべき動きがなくなった躰に、白い虫が這いずり回っていた。
「母さん、あの虫はなぁに?」
言葉を殺さないように、知りたい気持ちを無くさないよう、少年は母親に聞く。
「あれはね、「うじ」っていう虫よ」
ちらり。少年の指差している方向を、目だけ動かし、すぐに戻した。母の眼に映るものは、何もない。悲しみと、部屋を囲む影だけであった。
「あんたもあいつみたいになると、自然と湧いてくるさ」
感情のこもっていない声を、天へと放つ。少年へ伝えているのか、自分自身に話しているのか。隙間の空いた天井では、母親の声も蝿のように飛び去ってしまう。
少年はその様子をみて、「うじ」と母親と同じ声で呟いた。嫌な言葉を呟いてしまったと言わんばかりに、表情も暗くなる。
「うじってなんだか、「うじうじする」と同じだね」
少年がよく言われていた、聞きたくもない言葉であった。里の子供達に馬鹿にされている、弱虫な少年にとって、その言葉は辛い一言であった。下唇と噛み、うずくまる。
「お腹すいた……」
言い終わる前に、少年の頬は赤く腫れた。何事が起こったのかわからぬまま、少年は下に向けていた顔を正面へと向けた。母親は大きく目を見開き、額の皺を寄せ合い、髪は投げ捨てられた藁のようになっていた。目は充血し、瞳の奥は哀しさを帯びて、揺れていた。
「母さん……、ごめんなさい」
憂いに沈んだ表情に、雨が降り注ぐ。はっと母親が気づいた頃には、涙が静かに溢れ落ちた。
「泣かないでよ、母さん。お願いだがら」
少年は浴衣の袖で涙を拭こうかと思ったが、泥で汚れていた。どこかに手ぬぐいがあるはずだ、と思い出し、立ち上がろうとした。しかし、腕を掴まれ戻された。
「あたしは大丈夫さ」
母親は自ら立ち上がり、少年が探しに行こうとした、手ぬぐいを手に戻ってくる。川で見つけた麻でできた藍色。誰かが無くしたのであろう。そういえば、いつの時か母親に渡したものだと、少年は思い出した。暗い部屋で、鮮やかな青を放つ手ぬぐいを、涙で濡れた目元に持って行く。さっと拭き、少年の方も向く。
「悪かった。あんたが急にそいつのことを話すから、気が滅入っただけさ」
少年は母親が誰か分からなくなってしまった。微かに微笑む母親と、乱れた黒髪。麻でできた手ぬぐいと、死の匂いがする部屋。足に何かが動いた気がして、少年は払った。
「嗚呼あんたにも、うじが湧き始めてる」
また先と同じような、淡々とした声で呟く。少年は助けを求めようとしたが、声が出ないまま暗闇へと落ちた。
最後に見たものは、美しく笑っている藍色の浴衣を着た母親であった。
「母様、わたくしは誰でせう?」
少年は夢から目覚めて、泣いていた。
茶色く変色していない綺麗な袖で、少年は夢の母のように涙を拭いたとさ。
麻にも濡れつつ 紅蛇 @sleep_kurenaii
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