第二話 戦闘、そして就職
(……はぁ、またこれか)
ヴォーニッドは周りの光景を見渡し、内心で溜息をつく。
いや、正確には彼は溜息を実際につこうとした。だが、それはとある理由によって叶わなかったのである。
彼の視界は色を失い、人々の表情は驚愕で固定されている。先程まで怒り狂っていた引ったくり犯も、そしてこの思考を回している張本人のヴォーニッドですら指一本動かす事は出来ない。眼前に迫っていた魔法も、激しい紫電を撒き散らした状態のまま空中で固定されている。
そう、まるで時が止まってしまったかのように。
(餓鬼の頃から度々こうなってたけど、ここ最近はめっきりだったのにな……本当、チート貰った訳でも無いのになんなんだよ)
自らの意思とは関係なく、世界が急に止まるこの現象。ヴォーニッドが子供の頃から、主に身の危険が迫った瞬間稀に発動しており、発動した後はヴォーニッド自身の意思で解除が出来る。
この空間で一人だけ動ける、といった条件でもあれば半端ではないチートと言われそうだが、残念ながら彼に出来るのは精々状況を把握する事だけである。その上、任意で発動する事は出来ない。使えないを通り越して最早邪魔と言われそうな勢いである。
以前に『何の特殊な能力も持たない』と彼を評したのはこの為であり、これが本当に彼の能力であるのか、彼自身ですらも検討が付いていないからだ。そんな曖昧な物を自身の力としてカウント出来るほど、ヴォーニッドは楽観的な性格では無い。
(……狙いは俺の胴体、それも胸のど真ん中か。ま、ショックボルトなら正しい使い方だな)
制圧用の魔法は殺傷能力が低い代わりに、敵の足止めや無力化に向いている事が多い。
男の発動した《ピアース・ショックボルト》も汎用制圧魔法の一つであり、直撃させれば一発で相手の意識を刈り取る事が出来る。
仮に直撃はしないとしても、掠ってさえいればある程度の痺れを与える事が可能であり、まさに一対一の戦闘にはうってつけと言えるだろう。
(ーー当たればの話、だけどな!)
時間停止を解除すると、再び色と音がヴォーニッドの元へ回帰する。止まっていた時が動き出し、停止していた魔法も再びヴォーニッドへ襲い掛かる。
だが、狙いは胸の中心と既に判明している。《ピアース・ショックボルト》は途中で軌道変更をする事は出来ず、急な方向転換も心配する事はない。
右足を引き、体を半身にする。それだけの動作で、ヴォーニッドの体は容易く射線を逃れた。
彼の目の前を通り過ぎ、明後日の方向へ飛んで行く魔法。まさか魔法を躱されると思っていなかった引ったくり犯は、顎が外れるほどに大きく開いて驚愕を露わにする。
だが、これだけでは終わらない。
「覚悟しろ、って言ったよな?」
「っ!?」
半身になったヴォーニッドは、そのまま男に接近。一瞬で彼我の距離をゼロにした彼は、刀の柄に手をかける。
「や、やめーー」
制止の声も聞かず、容赦無く振るわれる白刃。
一筋の風切音が、青空を切り裂いた。
◆◇◆
「……全く、そんな簡単に人を斬る訳ないだろ。俺は悪魔か何かか」
意識を失い、路上に倒れこむ男を見据える。鞘と鍔がぶつかる金属音を鳴らしつつ、ヴォーニッドは抜き身の刀を収め、再度刀袋へ収納し厳重に紐で縛り付けた。
いくら恨みがあると言っても、この国の法律では引ったくり犯を斬り捨てる事は出来ない。それが無くとも、まともな人間としての感性を捨てていない彼ならば男を斬る事は無いだろう。
実際、男には傷一つ付いていない。脅しの意味も込め、今回は目と鼻の先の空間を薙ぐだけに留めておいたのだから。
「ああ! ありがとうございます、ありがとうございます! お陰で大事な荷物を取り戻す事が出来ました!」
「え? あ、いや、はい……」
途中から男が引ったくり犯だということが完全に頭から抜け落ちていたヴォーニッドは、唐突に話しかけてきた老婆に戸惑う。
「この鞄には、息子の形見が入っていまして……本当に、なんとお礼をしたら宜しいか」
「いえ、別にお礼とか大丈夫なんで。ホントに。その……ホントに」
元日本人特有の謙虚さに、見知らぬ人へ対しての人見知り。そして生来の面倒臭がりが合わさり、よくわからないモゴモゴとした返答になってしまった。
「そんな、それでは私の気が済みませんよ……私、西地区の方に住居を構えておりまして。お礼も兼ねて、一度来ていただけると」
「いやホント大丈夫なんで、あの……それじゃあ役所の場所を教えてもらえませんか?」
「え、そんな事で宜しいのですか? それなら……」
老婆から役所への道案内をして貰う。これでようやく辿り着ける、と安堵するヴォーニッド。
そして案内が終わったタイミングで、都合良く軍靴の足音が駅前に迫ってくる。これ以上引ったくり犯を見張っておく必要もないと判断した彼は、言葉少なに慌ててその場から立ち去った。
(だー! 慣れない事はやっぱするもんじゃねぇー!)
顔を真っ赤に染めつつ、大通りの人の波を器用にすり抜けて行くヴォーニッド。先程までの凛々しい姿はどこへ行ったのか、今ではただの恥ずかしがり屋である。
◆◇◆
「あーっと、この建物で間違い無いよな?」
レンガ造りの巨大な建築物。彼の目の前に荘厳と聳え立つこの建物こそ、ヴォーニッドの求めていたマリスベル市役所そのものである。
市内の行政を一手に引き受けており、基本的に市における手続きはこの建物で済ませることになる。それはヴォーニッドも例外では無く、軍への正式な配属もこの場で行われるのだ。余談だが、辞令を送って来た『計理課』も市役所内に存在している。
高級そうなドアを開け、中へと歩みを進める。彼の目に飛び込んで来たのは、シャンデリアの釣り下がった大きなホール。そして真ん中に鎮座する案内カウンター。中々見ることのない豪奢な光景に、ヴォーニッドは思わず感嘆のため息を漏らした。
「広っ……予算どれだけつかったんだろうな」
が、次の瞬間即物的な話に変わる。流石は元日本人の一般人、生来の貧乏性は抜けきらないらしい。
何はともあれ、こういった初見の場所では受付に話を聞くのが最善である。そう判断したヴォーニッドは、受付へと向かっていった。
「ようこそ、マリスベル市役所へ。本日はどの様なご用件でしょうか?」
「すみません、新しく軍へと配属された者でして
、計理課の方に用があるんですけれど……」
「ああ、新人士官の方ですか? ようこそいらっしゃいました」
受付の女性はニッコリと笑うと、改めてお辞儀をする。
「私、アルティミトラ軍の広報課に所属しているメーリン・マルゴーと申します。何かと他の課の皆さんとは関わる機会が多いので、これからも顔を合わせることになるかと思います。以後、お見知り置きを!」
「あ、はい……」
明るい彼女の笑顔に耐えきれず、思わず目を逸らしながら答えてしまうヴォーニッド。陰の世界に住む彼には、その笑顔はあまりに明る過ぎたのだ。
まあ、陰キャラが美人の好対応に耐え切れてないだけとも言うが。
「あれ、でも可笑しいですね……今日新人さんが来るって言う話は聞いてないですけど」
「え、そんな筈は……ほら、しっかりとここに辞令もありますよ」
彼が懐から取り出した手紙をじっくりと読み返すメーリン。やがて紙から目を離すと、一つ溜息をついた。
「うーん、確かに差出人の印鑑といい、封印の仕方といいアルティミトラ軍の物です。ただ、警邏課というのは聞いたことがないですね……」
「やっぱりですか……」
やはりネックはその点であった。がくりと肩を落とし、ヴォーニッドは返された手紙を受け取る。
「そ、そんなに落ち込まないでくださいよ! こちらでも警邏課の件は探しておきますし、その間少しだけあちらのソファーで待っていて貰ってもーー」
「ーーいや、その必要はない」
メーリンが慰めの言葉を掛けている時、彼らの背後から声が掛かる。振り向くと、壮年の男性が煙草を吹かしながら気怠げに立っていた。
「あ、マーク少佐。お疲れ様です!」
「おう、お疲れ」
きちりとした敬礼を向けるメーリンに対し、鷹揚に手を振って答える男。上官としての余裕なのか、それともただの面倒臭がりか。因みに、ヴォーニッドとしての予測は後者である。
「そこの新人、エルフマン少尉は俺が預ろう。少しばかり借りるぞ」
「え、ですが士官学校上がりの新人さんですよ? 何処かはわかりませんが、警邏課に配属する旨を上層部に報告しなければ……」
「問題ねぇよ。そもそも警邏課ってのは俺の預かり……直々の上司の命令だ。これで報告義務は果たした様なもんだろ?」
「そうなんですか!?」
口に手を当て、あからさまに驚くメーリン。口にこそ出さないが、ヴォーニッドも軽く目を見開いて驚きを露わにする。誰に聞いても分からなかった情報が、まさかこんなところであっさり明かされるとは。
ヴォーニッドを一瞥し、男はくるりと背中を向ける。
「さ、ついて来い。色々と聞きたい事はあるかもしれんが、それは説明の後にして貰おうか」
そう言ってゆっくりと歩いていく男。戸惑いつつメーリンの方を覗くと、彼女は苦笑いでヴォーニッドに答えた。
「あはは……まあ、変人とは言われてますけど悪い人では無いですから。きっと大丈夫ですよ!」
ファイト、と胸の前で手をぐっと握りしめるメーリン。
彼女のその仕草に、ヴォーニッドが一瞬心揺るがされたのは言わない方がいい事実だろう。
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