第一話 勤務初日




「……はっ、俺は一体何を」


ガタンゴトンと定期的に襲いくる振動が、ヴォーニッドの体勢を崩す。付いていた頬杖から崩れ落ちた彼は、眠りの世界から意識を戻した。


頰に付いた拳の跡や、口の端から漏れ出た涎を拭き取り、到底人様に見せられなかった状況からなんとか持ち直す。幸いにして、このコンパートメントには彼以外の人物はいない。見知らぬ人物と相席になる事をなるべく避け、少し高めの席を買った彼であったが、どうやらその方策は功を奏したようだ。


「……嫌な夢を見た」


今は懐かしき卒業式での記憶。まあ、懐かしいと言っても二週間ほど前の話なのだが……。


流れる景色を見ながら、ふと自身のこれまでを回想する。


(……思えば、俺がこの世界に生を受けてから十八年も経ったのか。長いようで、あっという間だったな)


まず人に知られていない秘密として、ヴォーニッドは転生者である。所詮前世の記憶持ちと言ったところか、彼には『地球』という異世界で過ごしたれっきとした記憶が存在するのだ。当然転生などその手の知識は頭の中に入っているし、自分がその立場だったらと夢想した事は一度や二度ある。


ただ、実際に転生してみれば現実はどこも厳しい物で、彼に特殊な能力は宿らず、また世界の危機が迫っている訳でも無い。辛うじて魔法があるのは救いだが、それもとある機械を媒介として発動する必要があったり、前世でよく見た小説のように自在に扱える訳ではなかった。


そんな理想と現実の違いに幾度かアイデンティティの崩壊を起こし、結果今の怠惰な性格に落ち着いたのが彼である。


幸運なことに、ヴォーニッドの体は天才とまでは行かないが、十分怠惰な生活を送れるくらいには優秀な能力を備えていた。その為、彼はそれなりの成績を収めながらそれなりの生活を送る、まさにそれなりの人生を送ろうとしていた。


結局前世と何にも変わらない。それが転生してからの彼の感想だった。環境が変わろうと、自身が変わった訳では無いのだから、ある種自明の理ではあったのだが。


 さて、そんな理想である怠惰な日々を送るにはどうしたらいいのか。考えた結果、彼は公僕になるのが一番手っ取り早いと結論づけた。休日が多く貰えて、なおかつ給料もそこそこ。国民の血税やら何やらと叩かれることも多いが、彼からしてみればそんな物クソ食らえである。


 と言うわけで、士官学校においての進路希望は『軍の事務職』としていたのだが……。


「それがなんでこうなったのやら……」


 懐にしまってあった手紙を取り出す。卒業式の日、フェリクスに呼ばれた先で貰った物だ。何度も読み返したせいで端は既に擦り切れており、強く握っていたせいで中身は皺くちゃになってしまっている。


 自分の見間違いではないかと幾度も確認した内容だが、それでも未だ信じ切れない。諦めと再確認の意を込めて、ヴォーニッドはもう一度手紙の封を開いた。


『ヴォーニッド・エルフマン殿


 貴殿を四月一日付で『警邏課』の配属とする。


 差出人 アルティミトラ軍 計理課』


 何度も見た代わり映えのしない内容に、ヴォーニッドは隠すこと無くため息を付いた。


「警邏課って何だよ……聞いたことねぇんだけど」


 この手紙を渡してきたフェリクスに聞いた所、


『まあそのうち分かるだろうさ』


と半笑いで流されてしまい、一縷の望みをかけてネムに聞いてみても


『けいら……か?』


この通りである。そもそも雰囲気からして漢字すら頭に思い浮かんでいなさそうだ。ヴォーニッドは彼女に聞いた自分の愚かさを呪った。


結局配属日である今日を迎えてもその実態は分からずじまいである。


因みに上記以外の人物に聞くと言う選択肢は、初めから彼の中には無い。何故かと言うと至極単純な理由なのだが……まあ態々明かしてやる事もないだろう。


重要な情報が何一つ手に入らない事に若干苛つくヴォーニッドだが、せっかくの配属届をそこらに捨てるわけにも行かない。再び懐にしまい、気分転換の為頬杖をついて外を眺める。


(……それにしても、異世界に電車があるなんて聞いた時には驚いたな。いや、電車じゃ無くて『魔車』か)


高速で移動が可能となる『魔車』。地球の電車と比べてみても遜色は無く、唯一の相違点は動力の違いのみだ。こうして乗っている分には気付くことのない違いである。


流れる景色に、定期的に伝わる振動。ふと目を閉じれば、あの頃の懐かしい記憶が蘇って……


『――毎度ご乗車、ありがとうございます。次はマリスベル、マリスベル駅。終点です。お降りの方は、お手持ちの荷物をお忘れにならないように――』


「――はっ、危ない危ない。また寝る所だった……」


軽快なベルの音と共に、車内にアナウンスが響き渡る。再び落ちそうになっていた意識を引き戻したヴォーニッドは、慌てて手近な荷物を整える。


彼の荷物はそれほど多くはない。数着の着替えと、多少の生活必需品が入ったボストンバッグが一つ。そして得物である刀一本だけである。最低限の暇潰しとして本は何冊か持っているが、それでもその程度である。これは彼が無趣味と言うよりは、ただ一般的な貴族の嗜みや娯楽が肌に合わなかった結果である。最も、彼自身寝ることが一番好きと言う理由も存在するが。


徐々に減速して行く魔車のスピード。窓から覗く異世界然とした風景は消え、前世でも見慣れた鉄のアーチの中に魔車が滑り込んでいく。慣性で揺れる感触に郷愁を覚えつつ、ヴォーニッドはボストンバッグを肩に掛け席を立った。


「ま、精々頑張りますか……趣味じゃ無いけど」






◆◇◆






 駅員に切符を渡し、改札を抜ける。こういう所は前時代的なんだなと妙な感想を抱きつつ、ヴォーニッドは駅を出た。


 天気は快晴。春とは言え、長袖を着ているヴォーニッドにとっては少々居心地の悪い環境だ。街行く人々の格好もどこか軽装である。


「えーっと、確か最初に役所に行く必要があるんだっけか……役所どこだっけ」


どこに地図があったかとボストンバッグを弄るヴォーニッド。暫し探した後、ようやくカバンの底から引っ張り出す事が出来た。


「えーっと、どれどれ……うおっ!?」


ドン、と背中に伝わる激しい衝撃。体勢こそ崩さなかったものの、地図は彼の手から離れて歩道へと滑り落ちた。背中を押した下手人は、ヴォーニッドの事を気にも留めず慌てた様子で何処かへ走り去っていく。


そして昼時の為、歩道には多くの人通りが。こうなってしまえば、地図の行く末は決まったも同然だ。


「あ、あ……」


ヴォーニッドの目の前でグシャグシャと踏み潰されて行く地図。泥にまみれ、破れていく様を見守ることしか出来ない彼は、己の不甲斐なさに歯噛みした。


「誰か捕まえて! 引ったくりよ!」


そして背後から響くのは年老いた女性の叫び声。彼女の台詞、そして先ほど走り去っていった男の存在。この二つの情報を組み合わせれば、自然と結論は見えてくる。


「……ぜってぇ逃がさんぞこのクソ野郎!!」


他人に迷惑は掛けても、他人に迷惑を掛けられるのは大嫌いなヴォーニッド。基本面倒臭がりな彼とはいえ、自身に迷惑が飛び火したとなればその大元を恨まずにはいられないのだ。


ヴォーニッドは刀袋に収まったままの刀に手をかけ、居合の構えを取る。実際に抜く訳では無いが、本気で男を追う為には戦闘用の思考に切り替える必要がある。そのスイッチがこの『構え』であった。


「ーー柳凪流はじめの太刀、『迅動』」


ヴォーニッドがそう呟くと、地面を踏みしめる音と共に彼の姿が搔き消える。


次の瞬間、逃走していた男の目の前に彼の姿が現れた。


刀を振り抜く反動、そして特殊な歩法を絡め、高速で敵を切りつける。それが『迅動』という技だ。今回は高速移動のために利用したが、本来ならば背中を見せていた男は微塵となって切り刻まれていただろう。


「う、うわぉっ!?」


急に目の前に現れた見知らぬ男に驚いたのか、引ったくり犯はたたらを踏んでその場で立ち止まる。


そして逃げきれなかったのが運の尽き。その僅かな間でやいのやいのとやってきた野次馬に取り囲まれ、引ったくり犯は逃げ場をあっという間に無くしてしまった。


「さて、見ての通りの状況だ。出来れば投降してくれるとこちらとしても楽なんだけど」


「……クソッ、こんなところで捕まってたまるかよ!」


男は諦めずに、短剣を数本懐から取り出す。ついに取り出された明確な『凶器』に、周りの群衆が一歩下がった。


「あー、それ抜くとこっちも手加減できなくなるぞ。今なら見逃してやる、引き返せ」


「うるせぇ! 余裕かましてそれで勝ったつもりかこのクソ野郎が! 死ね!」


目が血走った引ったくり犯は、唾を撒き散らしながら罵声を飛ばす。いざ捕まるという状況に追い込まれ、理性が飛んでしまっているようだ。後先考えない行動に、ヴォーニッドは静かにため息をついた。


「だから落ち着けって……いいか、他人に危害を加えたら拘束期間がうんと延びるんだぞ? そこら辺よく考えて……」


「お、お前が俺を見下してんじゃねェーーー!!!」


ついに激昂した男は、手に持った短剣をヴォーニッドに投げつける。


勇気ある若者が串刺しになる。そんな未来を幻視した群衆から、声にならない悲鳴が上がった。


「ーーやれやれ、やっぱ俺に説得って部類は向いてないみたいだな」


だが、そんな未来は容易く打ち破られる。


ヴォーニッドが再び刀を構えた次の瞬間、迫っていた短剣は全て地面に叩き落とされた。


甲高い音を立て、石畳の上に転がる凶器を男は唖然とした表情で見つめる。


「で、まだやる?」


そう言ってヴォーニッドは気怠げな欠伸を一つ。その言葉で我に帰った男は、焦りつつ奥の手を取り出す。


「ま、まだだ! まだ終わってねぇ! 俺にはコイツなあるんだ!」


彼が続いて取り出したのは、腕部に取り付けられたリング状の装置だった。ヴォーニッドはそれを見ると、面倒な事になったと露骨に舌打ちする。


「《メビウス》か……面倒なモン持ち出しやがって」


「なんだ? ビビったのか、ああ!?」


《メビウス》。それは魔法という神秘を現世に顕現させるため、科学の粋を結集して作られた傑作機である。


使用するのに必要な『魔石』さえ集まれば、個人でも強力な魔法が使用可能となる。戦力だけで見れば優秀な機械なのだが……ご覧の通り、悪意のある者に渡ってしまえば非常に厄介というのが問題点である。


早々に意識を奪っておくべきだった、と過去の自分を叱咤するヴォーニッド。


「あー、それ使ったらマジでシャレにならん事になるぞ。それだけの覚悟はあるって事だな?」


「上等だよクソが! 全員ぶち殺してやる!」


「……忠告はしたぞ」


軍や国の許可無しに《メビウス》を所持・使用するのは重罪である。それを踏まえて忠告するが、男が諦める様子はない。肩を落として、刀袋の紐を解く。


「ーーこっちも少し本気で行こう」


多少の殺気をぶつけると、男はビクリと肩を震わせる。だがそれを引き金にしたかのように、《メビウス》中央の宝珠オーブが輝き始める。


「あ、あああああ!! 『ピアース・ショックボルト』!!」


バチリと雷光を帯びる《メビウス》。


次の瞬間、魔の稲妻がヴォーニッドの身へと襲い掛かった。

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