第十話 窮地




背後から響く魔獣の唸り声。ヴォーニッド達が幾ら走ろうと、その声が小さくなる事はない。後ろを見ずとも、例の狼型魔獣達が追ってきているのは自明の理であった。


「さて、どうするリーダー殿? 奴らに諦める様子は無さそうだが」


二人の少年を抱えながら走っているというのに、息を切らせた様子も無くヴォーニッドに話しかけるシャーレイ。彼の余裕ぶった表情にやや苛立ちながらも、吐息交じりに応えを返す。


「どうもこうもねぇよ! 狼がしぶといなんてことはハナっから分かってた事だろうが! こうなったらもう時間との勝負、奴らの親玉に追っつかれる前にここから脱出するぞ!」


「アイアイサー」


半分怒声となったヴォーニッドの応えを、シャーレイは苦笑を浮かべながら受け流す。


実際、事ここに至ってヴォーニッドの言っている事は最もだ。魔獣がベースとなった獣の特性を受け継ぐ事はご存知の通りだが、その例に漏れずこの狼達も鼻がいい。その為、事前の準備や計画無しに彼等を撹乱するのは至難の技なのだ。


そして、その撹乱する方法が無い以上、一度体勢を整える為にこの隧道を抜けるのは悪い方法では無い。ベストとは言い難いが、ベターな選択であろう。


(このペースで行けば何とか脱出出来るか……?)


ヴォーニッドは思考を巡らす。現状魔獣達とは付かず離れずの距離を保っており、このペースで進めれば確かに脱出は叶いそうである。彼らの目前に、僅かな希望が見えて来た瞬間だ。


だが、彼は一つ重大なミスを犯していた。確かに彼自身の体力はまだ温存されており、速度もそれなりのものであるが、それが全員に適用される訳では無い事を。


「あっ……」


微かな声と共に何かが倒れ込むドサリという音。一同が足を止めて振り返ると、メイが床へ倒れ込んでいた。


「メイ! どうした!?」


「あ、足がもつれて……」


慌てて彼女の元までヴォーニッド達が駆け寄る。答えた彼女は呆然とした様子であり、自らの意図しない何かによって倒れてしまった様だ。だが、彼女の息は見るからに荒い。おそらく全力疾走の疲労により、この様なミスを犯してしまったというのは想像に難く無いであろう。


ヴォーニッドは自身の判断ミスに歯噛みする。実年齢はわからないが、少なくともメイの見た目上は少女である。本来ならば、彼女の体力や速さも年齢相応だという事を想定して脱出経路を決めるべきだったのだ。


だが、後悔も自省も全てはこの場を切り抜けてからだ。ヴォーニッドがメイの元へ近付き、彼女の様子を確認する。どうやら足首を挫いたようで、しきりに足首を擦っている。


「大丈夫か? まさか足を?」


「……すいません。これ以上の移動は少し難しいです」


「いや、気にするな。元はと言えば俺のミスだ」


 この場で責任を求めても仕方が無い。問題は後ろから迫ってきていた魔獣の群れである。距離は既に縮まり、唸り声は最早彼らの耳に鮮明に聞こえて来る程だ。ヴォーニッドは絶望的な状況に思わず舌打ちをしてしまう。


「仕方あるまい。なら、ここで少しばかり敵を排除していくとしようか」


「……わかった。秒で始末するぞ」


「おっと、リーダーには下がっていて貰おうか。この場は私が受け持とう」


「正気か? あの数相手に単騎で挑むのは、いくらシャーレイが強くとも自殺行為だぞ」


「何、私にも奥の手があってね。まあそこで見ているといいさ」


 ボウガンを構えたシャーレイはニヒルに笑うと、ヴォーニッドの制止も聞かず前に立つ。


 暗闇から現れるのは無数の狼達。先ほどヴォーニッド達が粗方を処理したというのに、未だこれだけの数が存在していたというのは考えにくい。おそらく先ほど孵った、巨大な魔獣の仕業なのだろうか。


「さて、獣狩りの時間だ。貴様らに恨みは無いが、とりあえずここで死んで貰おう」


 だが、そんな大群を見てもシャーレイは動じない。落ち着いた様子で腰元から何かを三つ取り出し、前方へと投げつける。


「全員、目と耳を伏せろ!!」


 シャーレイの声が隧道に響く。運が良かったのは、彼ら全員が咄嗟にその言葉に反応できた事だろう。


 次の瞬間、塞いだ筈の耳を通して聞こえた爆音。閉じていたはずの視界もホワイトアウトし、一瞬の硬直を彼らに与えた。


(こ、これはスタングレネード!? こいつなんてモン持ってやがる!!)


「オマケだ。コイツも持っていけ」


 だが、シャーレイの攻勢はその程度では止まない。至近距離でスタングレネードを受け、完全に行動不能になっている狼達へ向けボウガンの引き金を引く。


 只の矢であれば一体二体を倒して終わりだろう。だが、彼の奥の手はそのように生易しくはない。


 放たれた一射が狼の一体に着弾。すると、あろう事か刺さった矢はその場で炸裂し、周囲の狼にも大きなダメージを与えた。


 弓の優れている点として、弓の弾頭に好きな物を装備できるという点が存在する。毒もしかり、果ては手紙なんて物まで。シャーレイは弾頭に爆発物を装備し、着弾した瞬間に炸裂して広範囲にダメージを与えられるよう調整していたのだ。


手持ちの爆発矢を次々と放ち、敵の数をみるみると減らしていくシャーレイ。だが、強力な矢は何発も作る事が出来ない。残弾を確認したシャーレイは、手持ちの矢で殲滅は難しいと判断すると直ぐに計画を切り替える。


「吹き飛べ!」


天井に向けて放たれる二発の爆発矢。当然着弾点からは爆発が起こり、その一点を粉々に粉砕する。


ところで、トンネルの形は何故アーチ状なのだろうか。最大の理由は、そのアーチという形状にある。四角い形にした時よりも、上からの圧力や繋ぎ目からの崩落を防げるという利点があるのだ。


では、その一点を崩してやればどうなるのか。答えは非常に簡単、上からの圧力に耐えきれなくなったその場所が崩落するという結果を招くのである。


轟音を立てて崩れ落ちる隧道の天井。見事に魔獣達の上空が吹き飛び、未だスタングレネードの威力に悶えていた魔獣達を押し潰した。


「ゲホッ、ゲホッ……おま、これヤバすぎるだろ!?」


「仕方ない、必要経費だ」


「歴史的建造物の破壊、街の崩落……被害が文字通り青天井ですわね」


「ちょっと上手い事言うの止めて!?」


後々追求されるであろう責任に頭を抱えるヴォーニッド。リーダーというのはそういう役割である。


「まあ、何はともあれよくやった! これで魔獣達を捲けるのは間違いないだろう。今の内に脱出をーー」


確かにこの一撃で魔獣達を殲滅する事には成功した。だが、運命には彼等を逃すつもりは無い。


崩落した場所とは反対側。丁度一本道だった彼等の退路の横壁が突如爆発を起こす。


「っ!」


「チッ、面倒ごとが次から次へと……」


そしてその横壁に開いた大穴からノソリと姿を現したのは、それまでより何倍も巨大なサイズを誇る狼だ。直感的にヴォーニッドらは、この狼が魔獣の親玉なのだと悟る。


響く様な唸りを魔獣の親玉が上げると、周囲に濁った泥の様な波紋が複数現れ、そこから次々と狼の魔獣が現れる。魔獣の常識を覆す様な光景に、ヴォーニッド達は驚愕した。


「こいつ一人で魔獣を生み出すって、幾ら何でも反則だろうが!」


「不味いですわね。退路を絶たれましたわ……」


前門の狼、後門の瓦礫。最早彼らに逃げ場は存在しない。


絶体絶命の状況に、彼らの腕には知らず知らずのうちに力が篭められていた。

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