どちらかが彼を〇した
織田崇滉
どちらかが彼を〇した
〇月〇日、首都近郊
男性の名は
前科持ちでもある。結婚詐欺(詐欺罪)で懲役四年。
出所後も定職に就かず、結婚詐欺を再犯。今度は二人の女性を引っかけ、現金をだまし取っていた。
警察は女性二人のいずれかが殺人に関与したと睨んでいる。恒松の正体に気付き、騙された怒りのあまり殺したのだと。
捜査一課強行犯係の捜査主任である
俗に言う『科捜研』である。
*
「――というわけで本官・徳憲忠志は、科捜研・文書鑑定科『
「…………」
「女性二人を任意同行した際、署内にポリグラフ機器も持ち込んだじゃないですか。僕も同伴して」
「…………」
「ポリグラフ――別名、ウソ発見器。あ、正確には違うんでしたっけ。ウソを見抜くキーラー・ポリグラフと、通常のポリグラフの差異なんて今さら話すことでもないですよね。まぁとにかく、被験者の心理状態を知るために、何度か実施しましたよね」
「…………」
「念のため、女性二人が捜査線上に浮かんだ経緯もおさらいしましょうか?」
「…………」
「ガイシャの恒松悠は、出所後も各地を転々として、地方の婚活パーティなどに参加しました。一人目の女性はそこで知り合いました。
「…………」
「もう一人の女性は、ここ実ヶ丘市在住です。普通にナンパしたみたいですね」
「…………」
「ガイシャはそのどちらか(あるいは両方)に素姓がバレて、殺されたと思われます。ま、自業自得ですよね。詐欺師ですもん。正直、ガイシャには同情できません」
「…………」
「胃の内容物から、マンションで夕飯を食べたあとに刺されたことも判ってます。焼いた牛肉、恐らくステーキかな、未消化で残ってました」
「…………」
「あのう、さっきから黙ってますけど、聞いてますか?」
「…………ぐー」
「寝てたのかよ!」
デスクを殴り付けると、ようやく対座の女史が目を覚ました。
二〇代後半の女性である。伸ばし放題の黒髪に、よれよれの白衣。かけたメガネは薄汚れている。化粧もろくにしていない。端的に述べて『地味』かつ『ズボラ』な女史は、あふぅと間抜けな欠伸を噛み殺しつつ、口許のよだれを袖で拭った。ズボラだ。
「あー、船こいでたわー。こちとら徹夜続きで研究に明け暮れてるから超眠いのよー」
悪びれもせず、ぷるぷるとかぶりを振っている。
徳憲は頬杖を突いた。徹夜など知ったことか。そもそも、科捜研の勤務時間は九時~一八時のはずだ。徹夜する方がおかしい。頭でっかちの研究バカめ。
無論、ここへ就職するには恐ろしい競争率の採用試験(求人は数年に一度、採用人数も一人だけとか)をかいくぐらなければならないから、頭脳派エリートには違いないが。
「この事件さー、乗り気じゃないのよねー。あたし恒松のこと知ってるのよー」
「知ってるんですか?」
「恒松の前科ってさー、あたしの姉貴を騙したんだよねー」
「え!」
「姉貴、財産むしり取られたショックで自殺未遂かましてさー、精神病んじゃってるの」
「お気の毒さまです……ますますガイシャには同情できませんね」
「じゃー犯人なんて捜さなくていーじゃん。恒松が悪いんだから」
「それは困りますよ」帰ろうとする女史を捕まえる徳憲。「二度に渡るポリグラフの検査結果、もう出ましたよね? どっちが犯人か『もうひと押し』が欲しいんですよ」
「そんな怖い顔しないでよー。キミは徳憲忠志でー、あたしは
同じ字があるから何だと言うのだ。
漢字にやたら『心』の部首を含んでいるのも、心理係の女史はお気に入りらしい。
そんなもの、捜査には微塵も役に立たないのに、このうらぶれた女史は、なぜかヘラヘラと話をはぐらかす。
「まさか女史、分析をサボってたんじゃないでしょうね?」
「まーさーかー。あたしは科捜研所属の臨床心理士、ついでに公認心理師よー?」
「なら結果を早く下さい」
「しょーがないなー」
ばさり、と机上に書類が積まれた。
持って来ていたのか。
彼女の足下に置かれていた鞄から、資料がどしどし取り出される。女性二人の身辺情報からポリグラフ検査の考察に至るまで、しっかりファイリングされている。
「と言ってもー、ポリグラフって証拠能力は薄いよー? 例えば、あがり症の人って常にドキドキハラハラしてるからー、どんな質問にも反応しちゃうしー」
「そこはケースバイケースです。状況次第では『ひと押し』になることもあります」
「じゃーご開帳するよー?」頭をガリガリ掻き乱す女史。「まずはプロフ。容疑者の女性二人とも、
「……女史も人の身なりを言えた義理ではないと思いますが」
皆、そろいもそろって
片や、前述した通り宮崎出身の田舎娘。髪型も服装も目立たない女性。
片や都市圏在住だが、社会人デビューし損ねたような陰気な雰囲気。
女史も小柄でちんちくりん、派手さのない小娘然としている。
「純朴そーだから、詐欺師にもホイホイ騙されちゃうんかなー?」
「大人しい地味子は奥手が多く、色恋に免疫がないんで、詐欺師にとっちゃ
「おー。外見から人の性質を大別するなんて心理学者っぽいねー刑事のくせにー」
「あなたがダラけてるから代弁してるんですよ僕は」
はぁ、と徳憲は溜息を吐く。
それを受けて女史も「はぁ、そう」と生返事をよこした。
つくづく煮え切らない御仁だ。さっさとポリグラフについて語って欲しい。
「女性の名前はー、
「そこはどうでもいいです」
「ちぇー」書類をめくる女史。「えーと、最初のポリグラフだけどー、裁決質問を
ポリグラフは被験者の生理反応を検知すべく、いくつかのセンサーを装着させる。
一つ目は呼吸波。胸部にゴムを巻き付け、呼吸のリズムやサイクルを調べる。
二つ目は
三つ目は脈波。血圧を測定するような
「裁決質問ってゆーのは犯人しか知り得ないことをズバリ尋ねて、相手の反応をうかがう手法よー。今回の質問は、殺害後に犯人が取った行動についてー」
「確か犯人は、殺害した恒松のキャッシュカードを奪い、銀行から上限額いっぱいの現金を引き出していますね。交際中にむしり取られた分を取り返したかったんでしょう」
このとき、ATMの防犯カメラには犯人の様子も映っていたが、後ろ姿だったため人相までは確認できなかった。
女性二人は背格好も服装も似ているため、判別が付かなかったという。
「そこで、あたしはこう尋ねたのさー。
①犯人は現金を
②現金を
③現金を
④現金を
「どこのATMを使ったのかは、犯人しか知らない情報ですもんね。で、結果は?」
「……どっちも
「なんでですか!」
「女性は二人とも、極度の緊張状態でさー。さっきも言ったでしょー、ポリグラフは必ずしも正常に反応が取れるわけじゃないのよねー」
「使えない心理士ですね……」
「今の暴言は聞かなかったことにしたげるー。質問の正解は③だけどー、二人とも初めて受けるポリグラフ検査にソワソワしっ放しで、データ収集どころじゃなかったわー」
「それをどうにかするのが心理係の仕事でしょう?」
「データに変哲がないんだからしょーがないじゃん! 一応あたしも、法科学研修所で鑑定技術養成科ポリグラフ過程を修了してるんだよー?」
それを学んでいなければ、ポリグラフ検査には携われない。
ゆえに、検査官としての適格性は持ち合わせているはずだが、見た目がゆるいので今いち信用できない。
「その後、改めて事情聴取で呼び出してー、二回目のポリグラフ検査をしたのよねー」
「今度は『対照質問』をしたんですっけ?」
「そーよ。事件に無関係な質問と、事件に関わりのある質問と、仕込みの『対照質問』を織り交ぜてー、犯人かどーか揺さぶりをかけたのよー。
①あなたの名前は恩田忍(愛野恵)ですか?
②あなたは二八歳(二四歳)ですか?
③〇月〇日の殺人犯を知っていますか?
④あなたが恒松悠を殺しましたか?
⑤あなたは過去に他人の現金を引き出したことがありますか?
⑥あなたの本籍は宮崎県ですか?」
「これ、⑤が対照質問ですよね。シロなら全て同じ生理反応を示しますが、クロならば関係質問の③④には強く拒絶し、間接的な⑤には若干低めの反応になるんでしたっけ」
「そーよ。質問内容のさじ加減も心理係の腕前よねー」
「で、どうでした?」
「二人ともシロ」
「駄目じゃないですか!」
「まだ緊張が抜けきらなかったらしくてさー。もっかい検査させてくんないかなー?」
「え。またやる気ですか?」
「次こそは完全に緊張もほぐれると思うのよねー」
「……仮にやるとして、今度はどんな質問をするんですか? 犯人を暴ける確証がなければ、そう何回も許可できませんよ」
「んふふー。それはねー……」
女史は声をひそめて、徳憲にボソボソと呟いた。
その全容に、徳憲はハッとなる。
数日後、改めて恩田忍と愛野恵を招いて、検査が実施された。
果たして、どちらが彼を殺したのか――。
*
「出たよー忠志くん、結果出たー」
徳憲が足を運ぶまでもなく、女史の方から書類を抱えて警察署に現れた。
女史は生き生きした表情で――白衣も髪型もヨレヨレなのに――溌剌と語り始める、というかまくし立てる。
「あたしの質問が完璧だったわねー。見事に犯人特有の生理反応を弾き出したわー」
「自画自賛はいらないんで、早く教えて下さい」
「んふふー。聞きたーい?」
女史はもったいぶりつつ、署内の応接室へ立ち入った。
テーブルに書類を投げ置き、一枚ずつひけらかす。
そこには、三回目のポリグラフ検査結果がびっしり羅列されていた。被験者たちの調書も新たにまとめ直され、質疑応答も事細かに残っている。
一部抜粋すると、こうだ。
『全て、いいえと答えて下さい。
①今日食べた朝食はおいしかったですか?』
『いいえ』
(※反応あり。本当はおいしく食べたようだ)
『②昨日の昼食はおいしかったですか?』
『いいえ』
(※反応あり。本当はおいしく食べたようだ)
『③〇月〇日の宮崎牛はおいしかったですか?』
『……いいえ』
(※反応に、変化あり。呼吸の低下と皮膚の緊張、血流の変化が観測された。平静を装おうとする反応に酷似している)
無実ならば、宮崎牛という固有名詞に疑問を持ちこそすれ、それを隠そうとはしない。しかし、犯人は表面に出さないよう息をひそめ、全身をこわばらせたのだ。
「宮崎県出身の、恩田忍さん?」
「ぴんぽーん」人差し指を立てる女史。「恒松のクソッタレが死んだとき、胃に牛肉が残ってたでしょー? それでカマをかけたのよー。地元の高級和牛よねー宮崎牛って」
「犯人しか、犯行当日に宮崎牛を食べさせたことを知らないから?」
「そーそー。きっと犯人はー、恋人に夕飯をご馳走する名目で訪問したんだわー」
恩田はとびきりの『
「で、食後のくつろいだ瞬間を狙い、台所の包丁で殺したんですね」
「そゆことー。室内からは女性二人の指紋や毛髪が検出されてたけどー、この質問によって当日はどっちが来てたのかが判明したわけー」
「これで白黒付きましたね」
「そーね。実はもー一個、駄目押しの質問もあったんだけどー、この報告は不要かなー」
「え、教えて下さいよ。気になるじゃないですか」
「しょーがないなー」
女史は書類のページをめくった。
最後の一枚に、こんなやりとりが記されていた。
『①あなたは家族が好きですか?』
『いいえ』
(※反応あり。本当は家族が好きだからだ)
『②あなたは故郷が好きですか?』
『いいえ』
(※反応あり。本当は故郷が好きだからだ)
『③あなたは恒松悠が好きですか?』
『……いいえ』
恩田忍、反応なし。恒松への愛など、騙された恨みで消えうせている。
一方、愛野恵は反応があった。彼女は恒松の素姓を知らず、今も愛していたからだ。
――どちらかが彼を殺した。
――しかし、どちらかは彼を愛した。詐欺だと知らずに。心から。
「はーい、これで証明完了ー。してやったりよねー。結果が出せてホッとしたわー」
女史はいつにない
「満足そうですね、女史」
「そりゃそーよ。犯人特有の反応をひねり出すために、いろいろ試行錯誤したのよー?」
「ん? その言い方だと、まるで犯人をでっち上げるために何回も検査したって聞こえますね」
「えー違うよー? 忠志くん意地悪ー」
「だってその邪悪な笑み! ポリグラフは必ずしも正しくないと言ってたし、何回も検査すれば一回くらいは特異な反応が出たりしません?」
「あははー、面白いこと言うねー。あたしがズボラだから皮肉ってんのー?」
「そうじゃないですけど……あっ、でも、確か女史のお姉さんも、恒松の――」
「あーあー聴こえなーい! 早く書類持ってけっつーの!」
女史は書類を乱暴に閉じると、徳憲めがけて投げ付けた。
*
恩田忍は、逮捕後も容疑を否認している。恒松を憎みはしたが、殺してはいないと。
だがポリグラフも証拠として機能する場合があるため、恩田忍が罪をかぶるのは時間の問題だろう。
……これもブラフではないかと、徳憲はときどき考えることがある。恩田が宮崎牛に反応したのは、単に地元が宮崎だからピクリとしただけではないか?
それを
――あのとき女史が見せた、満面の笑み。
あれは犯人を突き止めた喜びではなく、濡れ衣を着せても良さそうな生理反応が出たことへの歓喜ではないか? 何度も検査し直したのは、そのためではないか?
検査後に「犯人なんか捜さなくてもいーじゃん」と話を渋っていたのも、真相を究明されたら困るからではないか?
殺したのは、女史?
姉の恨みを晴らすために?
女史は『徹夜続き』と称して職場にアリバイを作り、こっそり恒松を殺しに行ったのではないか?
女史の地味な容姿は女性二人と同じだから、ATMの防犯カメラでは判別しにくい。
女史は出所した恒松を見張るうち、恩田忍が宮崎牛をご馳走していることも知った。それを裁決質問に利用したのではないか?
忠岡家の姉は、彼を愛した。
妹は、彼を殺した?
了
どちらかが彼を〇した 織田崇滉 @takao
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