終 再び、太陽神殿にて

 ちゃぷ、ちゃぷ、と音をたてて波が岩肌に打ち寄せている。

 そびえるほど高い、切り立った崖だった。それはなだらかな海岸線から突き出した、岬の形を成している。

 空は穏やかに晴れ渡り、明るい日射しが岬を照らしている。

 白い鳥が鳴き交わし、あたりは平和そのものだ。

 ちゃぷ、ちゃぷん。

 崖の下に、わずかな砂地があった。潮が満ちれば消えてしまうだろうその場所に、やや強引に乗り上げたように、古びたボートがとまっていた。大きさはそれほどではなくて、三人も乗ればいっぱいになってしまうほど。乗り手は、今は一人だ。

 波の音がそのボートにも、ゆるやかに打ち寄せて響いていた。広がる東の海は穏やかで、波がキラキラと光を反射している。濃い藍色の海原は、太古の昔から変わらずそこに在り続けるもの。

 沖合でふつりと闇に飲まれているのが、いくぶん不自然ではあったけれど。

 その光景を遠目にとらえ、オートルはふと嘆息する。

「……しかし、本当にあれで何とかなってしまうとはな……」


 結局。

 蝕が明けても二人の長の記憶は失われず、ほかの神族たちもまた同様に記憶を取り戻した。王国はオートルの宣言通りに共同統治となり、両神族は平和の誓いを交わしあった。

 月の石をなくした神殿は取り壊され、そこには誓いの碑が建つという。

 天の玉座のほうは、どうなったのか分からない。結局、神々が何を考えて争いの終結を良しとしたのかも。オートルの答えが神々の気に入ったのか、ただ単に、神々もそろそろ飽きてきていたのか……そのあたりはまさしく神のみぞ知る、だが。

「まーったく、オートルってばむちゃくちゃよね!」

 神族たちが集まる祝賀の席で、ティアラは盛大に文句を言っていた。

「普通アレで解決する!? しんっじらんない常識ないんじゃないのってか上手くいかなかったらどーする気だったわけぇ!?」

「う、る、さ、い、なっ! 成功したのだからいいではないか!? だいたい婚礼の執り成しは神々も認めた神官の聖務だ、たとえ神でも口は挟ません!!」

「そんな人間世界のルール、あたしの知ったこっちゃないっての!!」

「仲が良いな、二人は」

 くすくすと笑いながら、そんな呑気な感想を挟んできたのは今日の主役の片割れ、太陽神族の長だ。

「いっそのことティアラはオートルの守護精霊に鞍替えしたらどうだ?」

「え……ええっ、なんでっ!」

 思わず、というようにティアラがオートルに指を突きつける。

「誰がこんな気むずかしくてよく分かんないの!? そりゃまあキライとまでは言わないけど、いちおう世話にはなったし、ちょびっっっとくらいは感謝してやらないこともないけどっ、でもどっちかっていうとオートルのはただのバカってかデタラメよねえ!?」

「失礼な、わたしはバカでもデタラメでもない!!」

「ていうかあたしはこんなのよりリアちゃんのが百万倍大事だもんっ!!」

「冗談だ。大事な守護精霊をたかが人間に取られたらかなわない」

 くすくすとリインは笑っていた。

「ただまあ、良かったと思ってな。ティアラは最初から気が進まない様子だったから……。必要以上に辛く当たろうとしているように見えたよ」

「そっ、そんなことないもん、リアちゃんのためならこんなバカ一人くらい!!」

「わたしはバカではないっ!!」

「とか言って、エーメアさんが現れた時動揺して術を止めましたよね? 思念の名残くらい実質的な障害にはならなかったのに」

 冷めた調子で口を挟んだのはティエラである。

 オートルが目を向けると、彼女はふいと顔を背けて消えてしまった。転移の術を使ったのか、単に、オートルの目に映らなくなったのかはわからない。それにしても本当に精霊なんだな、とオートルは場違いな関心をしてしまう。

 ティエラのほうは事が片づいて以降、オートルの前にあまり姿を見せなかった。一度、ぶっきらぼうな謝罪の言葉を述べに来たきりだ。

 どうやらすねてしまったみたいだね、などとその『主』は苦笑していたが。……そんな一言で片付けてしまっていいのだろうか。

「リア」

 そのレインが、騒いでいる彼らの元へ近づいてきて、声を掛けた。リインは深紅の瞳でまぶしげに彼を見あげ、うなずいた。

 肩を並べて、歩きだす。

 その先には二つ並んだ玉座。

 この日、この小さな島国に、正式に二人の王が誕生した。それを見届けて、オートルは島を出ることにした。

 行くあても特になかったが、精霊たちが魔法のボートで送り出すにあたり、具体的な地名が必要とのことだったので、思いついた名を挙げた。

 大陸の東の端、今となっては世界の果てとなった場所。

 オートルの眠る土地。


 太陽神殿はすでに廃墟となり、訪れる者も無いようだった。

 崩れかけた白亜の列柱が、かわいた風にさらされていた。風化し、薄汚れてはいるが、かつての壮麗な姿を想像させる様子でたたずんでいる。

「……なつかしいな」

 オートルはつぶやいたが、自分でも、よくわからなかった。思った以上に変わっている気もしたし、思ったよりは変わっていない気もした。

 ただ、改めて、年月の遠さを感じた。

 エーメアと話した白い石段は、隙間から伸びた草に埋もれてしまっている。

 オートルは神殿の前を過ぎ、坂を上がって岬の先端に向かった。そこはかつてオートルが、世界の破滅を食い止めた場所。

 岬の上には一面、淡い水色の花が咲いていた。

 そのことにすこし驚いた。

「いったい、誰が……?」

 オートルの記憶では、そこはただ緑の草に覆われていたはずだ。

 岬の先端に、小さな墓碑があった。膝丈くらいの高さで、そこにはいくつかの文字が刻まれていた。

 風化しかけた文言を、オートルは指でたどって読む。

『救世の英雄 ここに眠る』

 表に書かれているのはその文字と、オートルの名前、三千年前の日付。

 熟練した職人の手によると分かる、端正な文字だった。けれど裏には誰が彫ったのだろう、もう少しつたない文字で、別の文句が刻み込まれていた。

『英雄の犠牲のもとに 私たちは生きながらえた

 幾世代の時を経ても 私たちは貴方を忘れない』

「………」

 ふと、オートルは足下を見た。潮混じりの風に吹かれる、淡い水色の花。

 微笑み、差しだした少女の姿がよみがえる。

 私を忘れないで、というすこし風変わりな名を持つ花だった。けれど彼女はもしかしたら、逆のことを伝えようとしたのかもしれない。

 死する自分に、忘れないでと言ったわけではなく。

 むしろ、そのことを願ったのは……。

「オートル……?」

 そのとき、不安げな少女の声が、背後からオートルに呼びかけた。

 おどろいてオートルはふり返る。青い瞳の、褐色の巻き毛を持つ少女が、目を丸くしてオートルを見つめていた。

 顔は似ていない。

 声も、細すぎる肩も、すり切れた古着も。何もかもが彼女を想起させるものではない。共通点と言えば瞳の色くらいだ。

 けれど、その瞬間、わかった。

 理屈では説明できない確信がオートルの胸を占めていた。

「あっ……、ご、ごめんなさい、オートルって、英雄の名前ですよね。やだ、私ったら何言ってるんだろ……」

 少女は動揺し、涙をぬぐった。彼女は泣いていた。自分でもわけが分からないようで、困ったように笑いながら、すり切れた衣服の袖でごしごしと目元を拭いた。

 それでも青い瞳から、止まることなく涙があふれてくる。

「うわ、なんで……。ごめんなさい、なんだか、急に……」

 オートルは手を伸ばし、少女を腕のなかに抱きしめた。細い肩は思った以上に柔らかく、髪はひなたの匂いがした。

 ずっと。

 触れることさえ許されなかった人。

「エーメア」

 びっくりしたように身を固くしていた少女が、こわごわと首を振った。

「いいえ。私はエーウィ」

「エーウィ?」

「墓守のエーウィ。それが私の名前。でも、どうして……」

 少女はいっそう激しく泣きじゃくり始めた。

「わからない! わからないけど、確かにそれも、私の名前。私はずっとあなたに呼ばれていた。私も、呼んでいたの。オートルって」

「そうだ」

 オートルはきつく少女を抱きしめた。

「何度も呼んだ。エーメア。ずっと……長い間、離れてしまっていたけれど」

「どういうことなの……?」

 戸惑いながら少女は問い返す。けれどもう、おそれてはいなかった。

 オートルはあたりを見回した。岬の上、一面に広がる水色の花。

『貴方を忘れない』

 差しだして微笑んだ、最愛の人。

 きっとその通りに、彼女は忘れなかった。命が尽きても。生まれ変わり、別の人となった後も。

 魂に刻まれた誓いは、消えることなく残って。

 ずっと。

 待っていてくれた。

「……あなたに分かるように、わたしはどう説明したらいいのか分からない」

 目の前の、エーウィと名乗った娘に向かって、オートルは言った。

「話さなければならないことが多すぎる。なぜわたしがここにいるのか。きっとあなたには、夢物語のように聞こえる話だ……。わたし自身よく分からないこともある。けれど、確かなことから話しても構わないだろうか」

 そこだけは昔と変わらない、青い瞳を見つめてオートルは言った。 

「あなたを愛している、エーメア」

 少女は、きょとんとしたようにオートルを見あげた。驚いたようではあったけれど、何というか、それほど奇抜なことを言われたという反応ではなかった。

 ただ自分のなかの答えに耳を澄ませるように、ちょっと首をかしげて。

 それから少女の顔に、晴れやかな笑みが広がった。

「はい。わたしも愛しています、オートル」

 それから、あっでもおつきあいはお父さんに聞いてからですね、と生真面目なのか天然なのか分からないことを言い出して、オートルを笑わせた。


 オートルに残された時間は、まだあと数十年ほどある。

 あの後、二人の精霊と神族たちによって、オートルには新たな体が与えられた。壊れやすい土塊ではなく、本物の生命をもった肉体。

 精霊と神族たちの全面的な協力を持ってしても、それは困難な作業だった。成功するかどうか、確かなことは分からないと、最初にオートルは言われていた。

 けれど結果的にそれは上手くいき、オートルは生身の体を手に入れた。かつてと変わらない、成長もするし傷つきもする、そして何より死ぬことのできる体を。

 死をもつということは生をもつということに等しい。

 生を与えることは、本来ならば神の領域だ。だが、多くの力ある者たちの協力がそれを可能にした。

 いや……それだけではなかったのかもしれない。リインが不思議なことを言っていた。オートルを再製する途中、『神々の助力の気配を感じた』と。

 オートルが生きるはずだった時間を、幾らかでも返そうとしてくれたのだろうか?

 神々にそういう親切心があるのかは分からない。ただともかく、オートルは新たな身体で生きることを許された。彼はほかの人間と同じようにこれからの生を過ごし、死した際にはその魂は天へと昇るだろう……。

「エーウィは、この近くに住んでいるのか?」

 坂を下り、廃墟となった神殿のそばを通りながらオートルは尋ねた。

 三千年前もここは人里離れていたが、今でも目に見える範囲に建物はない。延々と草地が広がっているだけだ。

「はい!」

 少女は元気に肯いた。

「もうちょっと先の道を海沿いに行くと、私の家があります。私たちの一族はずっとそこに住んで、英雄の墓を守っているんです。だから私もそうします。でも……本当言うと」

 少し照れたように少女は笑った。

「遠くへ行ってみたいんです。ずっとじゃなくて、一度だけ。まだ見たことのない、世界のいろんな場所を見て回れたらなって」

「そうだな」

 少女の歩調にあわせて歩きながら、オートルも微笑んだ。

「わたしも一度、見てみたいと思う。わたしの救ったこの世界を」

「じゃあ、行きましょう! 一緒に!」

 元気よく言って、少女はオートルの手をとった。ずいぶん気軽に言うんだなと思ってオートルは可笑しかったけれど、その感想はのちに、三千年の交通機関の発達ぶりを目の当たりにしてひっくり返ることになる。

 けれどそれは、少し先の話。

 潮の匂いのする風に吹かれて歩きながら、オートルはかつてのことを思い出していた。あと一年、と言った少女の言葉。二人で話した夢。

 一年どころか、三千年も経ってしまったけれど。

(やっと、やり直せるのだろうか。わたしたちは……)

 柔らかな少女の手を握りかえし、オートルは思う。

 途切れてしまった夢の続き。もう一度、描くことが出来るだろうか。どこまでも自由に行くことが出来るだろうか。

 今度こそ、二人で。

 手をつないで。


                                   終わり

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