第2話 王国クーデター

 実際の所ティアラが問題視したのはオートルが日陰にはいることで、太陽魔術の使い手である彼女にとっては移動の“めあて”が陽光の下にいてくれないと困るということらしかった。

 ではなぜ彼が岩陰にいたのに移動できたのかというと、オートルがめあてに出来なかったので、ティエラのほうをめあてに跳んだのだという。ティエラは日射しの元にいたし、ティアラよりも先にボートのところに戻っていたから、結果として問題なく帰ってこられたというわけだ。

 魔法というものには、常にいろいろと難しい条件がつく。もっともオートルに言わせれば、普通に歩いて戻って来い、となるのだが。

「……しかし、さすがだな」

 島の大半を覆う深い森。

 入り組んだ獣道のような、それでいてきちんと手入れされていることを思わせる細い道を、オートルたちは進んでいた。

 砂浜におこした火で魚を焼き、食事を取ったあとのことである。

「凄い場所だ。力に満ちあふれている」

 高い樹冠を見上げ、オートルはつぶやいた。

 木々の隙間から差し込む光、土と緑と、それから風。その、世界を構成するすべての粒子が、なんというか違っているのだ。明らかに、密度が濃い。

 魔術師としての感覚で、オートルはそれを知る。もっと感知能力が鋭ければ、樹冠から降る精霊たちの大合唱を聞いたのではないかと思うほどだ。

 それは何か、祝福を受けているかのような、心地よい陶酔。

「当っ然でしょ?」

 何を今更、というように答えて、前を歩いていた金髪の娘が振り返る。

 銀髪のティエラと異なり、南国にふさわしい褐色の肌をもつティアラ。けれど肩口でそろえた金髪と明るい琥珀色の瞳が、どうにも国籍不明な印象を与えている。木々の葉の落とす陰影とこの密度の濃い空気の中では、それが不思議と相応しくも見えたけれど。

 膝丈の簡素なチュニックと白の長手袋はティエラと同じものだ。そしてまた、その容貌……大きめの瞳が幾分活発な印象を与えるとはいえ、まるで双子のようにそっくりだった。これだけ色彩が違えば双子というのは語弊があるかも知れないが。

 実際の所、この二人に血の繋がりはないらしい。だったら何故そう似ているのか、いちおう聞いたことはあるが答えは要領を得なかった。相棒だからとか対になってるんだとか、妙な言葉で煙に巻かれた。

 彼女たちの正体は、実のところよくわからない。魔術師なのは確かだが、その特異な見た目は風水地火のどの系統の特徴でもなく、オートルにはなじみがなかった。もっとも外見のしるしはいろんな要因によって出たり出なかったり、変質もするので、たいして当てにはできないのだが。

 見た目とその身に備える魔力の性質が必ず一致したのは、太古の神族たちの話。人間の魔力は、もっと粗雑なのだ。

「説明したじゃない。この島にはまだ、神代の息吹が生きてるの」

「聞いてはいたが」

 ティアラの言葉に上の空で応じて、オートルは再び木々を見あげる。

 南国特有の巨大な葉をもつ木々や、見たこともない鮮やかな赤い花。甘い匂いを漂わせる果実。薄暗い林床には羊歯も生え、そうかと思えば、日だまりには可憐な花の絨毯が広がる。

 不思議な森だった。さまざまの命溢れるものたちが、好き勝手に寄せ集められ、雑然と並べられているような森だった。それでいて均整がとれていた。絶妙に美しく、どこか奇妙だった。だが、完全でもあった。

「……この森には」

 木々を見上げ続け、オートルはこの森の不思議さの正体に気づく。目に鮮やかな、今度は黄色い花の傍を通り過ぎたときだ。

「同じ植物は二つとしてないのか?」

 変な森だな……とつぶやいたオートルの言葉に、即座に切り返したのは、案の定というかティアラだった。

「なにが変よっ! あれとこれとは同じ花でしょ!? その木とその木は一緒だし!! あの実とあの実もおんなじ!!」

「そんなあっちこっち指されてもわかるか! よもやでたらめを言ってはおるまいな!?」

「でたらめじゃないし! サイテー! オートルの目が節穴なだけでしょっ!?」

「誰が節穴だ!! ともかく、通常の森に比べ同一樹種が明らかに少ないのは事実であろう!? 高木にせよ中低木にせよ!」

「そーいうのを“二つとしてない”とは言わないのよ、言葉の使い方がなってないんじゃないの!?」

「意図を察しろ、子どもでもあるまいに!」

「あの、ふたりとも……」

 わずかばかり呆れたティエラの声が、応酬の合間に滑り込む。オートルがはたと口を閉ざし、ティアラは逆に何か言い返そうとするように息を吸い……。

 その時だ。

 行く手の木々の間に閃光が走り、轟音が、大地をふるわせた。


 記憶が走る。大地の鳴動、崩れゆく天。それは目眩のようにオートルのすべての感覚を狂わせ、そして、その刹那に去っていった。

 自失は、ほんの一瞬。

 けれどその隙に娘たちは駆けだしていた。彼の横をすり抜け……あろうことか、閃光と轟音の源へ向かって!

「待て!」

 オートルは呼びかけ、やむを得ず駆けだした。歩幅の違いですぐに追いつけそうなものだが、木の根が絡まる足下が不安定でうまくいかない。娘たちの方が身軽だ。しかたなく声を張り上げる。

「危ないぞ!」

「何びびってんのオートル」

「何が起きているのか、確かめてみましょう」

 ティアラはおろかティエラまでもがそんな答えを返す。オートルは舌打ちした。

 轟音と閃光がなんだったのか、もちろん彼には分からない。ただ一瞬、強い魔力を感じたように思った。おそらくは攻撃魔法だ。

 厄介な事態であることは間違いない。下手に首をつっこめば痛い目に遭う。だというのに、この娘たちは!

(どうなっても知らぬぞ!?)

 胸中で毒づき、走りながらオートルは耳をすます。なにか、ただごとでない騒ぎが聞こえてきていた。

 大勢の人の声。それも、怒鳴り合うような。馬の嘶きや攻撃魔法とおぼしき爆発音……それから、金属音のような……剣戟の音?

(戦だ)

 直感する。オートルは神官魔術師だ。戦に兵士として出たことはないが、和平の仲介をするためにそこへ居合わせたことは何度かあった。

 雑然と沸騰した、戦場の空気には覚えがある。

「見えてきた!」

 先頭を走るティアラの声がした。前方の木立が切れていて、その向こうに大勢の人の動くのが見える。そのまま戦場に飛び出すかと一瞬ひやりとしたが、彼女は森を出る直前で道を外れ、素早く茂みの中に身を寄せた。続いてティエラも。少し遅れて、オートルも辿り着く。

 茂みの影から注意深く顔を出した三人の前に、広がっていたもの。

 それはまさしく、オートルが知るとおりの戦の光景だった。

 騎兵が槍を交え、歩兵たちが剣を振り回す。盾と剣のぶつかる鈍い音。怒鳴り声、叫び、意味の分からぬ喚き声。血を流す兵士が地に伏せる。馬の蹄が物言わぬ者たちを踏みつけ、その騎手は敵と刃を交え、はじかれて落馬する。

 それでも、まだ凄惨さが少ないと思うのは、死傷者がそれほど多くないからだ。おそらく戦はまだ始まったばかり。あの轟音と閃光は、いわば開戦の合図だったのだろう。最初に両陣営の魔術師が力をぶつけ合い、それから本格的な戦闘に移るやり方はオートルにも馴染みがあった。一度混戦となってしまうと、大規模な魔法は敵味方関係なく吹き飛ばしてしまうため使えなくなる。

「うわあ……」

 横でティアラが、驚きとも嫌悪ともつかぬ声を上げていた。彼女は戦を見たことがないかも知れない。様子をうかがうと、眉を寄せてはいたがおびえている様子はないので、とりあえず安堵する。

 オートルの知る戦争とは違う部分もいくらかあった。例えば兵士たちの装備は非常識と思えるほど軽く、金属の鎧を身につけている者はほとんどいない。皮の籠手と胸当てが中心のようで、頭部を守る兜のたぐいはなかった。そのぶん兵士たちの動きは機敏で、鋭い攻撃が次々と繰り出される。

 敵味方を区別するための外套や旗といったものも見あたらない。必要ないのだということに、まもなくオートルは気づいた。

 その場にいるのは、金髪か銀髪の人間だけだった。そして違う色の髪をもつ者同士が刃を交えている。外見で容易に区別がつくのだろう。奇妙な光景ではあるが。

 オートルは少しばかり首を伸ばし、あたりを注意深く観察してみた。そこは農場跡か何かと思われる開けた土地で、広さはそれほどではない。集う人間は各陣営せいぜい数十名ずつといったところで、戦の規模としては大きくないが、それでもこの場所ではギリギリといった感じだ。

「あれは……」

 ふと、ティエラがつぶやいた。

 オートルはその視線を追って、ひとりの青年に目を留める。ひときわ立派な白い馬にまたがった、銀色の髪の青年だ。彼は混戦のさなか、ひとり悠然と馬を進め……オートルたちの隠れている場所から、遠くない位置で立ち止まった。

 まだ年若く、二十歳程度のようだ。背は高いが細身で、華奢な印象すらある。けれどそのサファイアブルーの瞳は、この戦場にありながら、威圧されそうなほどの静けさを宿していた。まるで氷原のような……圧倒的な静寂、無でありながらすべてを飲み込む、そういう瞳だ。

(何者だ?)

 彼は一点を見つめていた。その目線を追ったオートルは、離れた位置にひとりの女性の姿を認める。

 波打つ長い金髪、細い身体の……ひょっとするとまだ少女。彼女もまた馬にまたがり、青年を見返している。背を伸ばし、堂々と顔を上げて。

 彼女は槍を構えていた。

「国王レイン・テール殿」

 凛とした声が、戦場の喧噪を裂いて響き渡る。

「我、反乱の長リイン・ティーア、今日こそ貴殿の首貰い受ける!」

 対して、青年は笑ったようだ。口元だけでうっすらと。

 氷のような微笑。

「この国の王座は渡さないよ」

 悠然とした声は張り上げたものではなく、相手には届かなかっただろう。彼は静かに槍を構え、今度ははっきりと、強い声音で返答した。

「挑戦、お受けしよう。リイン・ティーア殿」

 双方が手綱を握る。馬が足を引き、まさに、駆け出そうとする――。

 その、緊迫の一瞬。

「ふぎゃあっ!?」

 唐突にティアラが声を上げた。


 二人の戦士がハッとこちらを見る。ティアラの高い声はどうやら、喧噪に負けずはっきりと両名の耳に届いたらしい。

 見つかった――。

「来い!」

 娘たちに呼びかけ、オートルは迷わず茂みを離れた。もと来た道を全力で戻る。

 戦場をうかがっていた不審者、と見なされたのは間違いない。しかも、ティアラは金髪でティエラは銀髪だ。どちらからも敵と思われただろう。オートルに至っては黒髪で、これはどう見られたのか分からない。

 ともかく、捕まれば無事では済まされないだろう。ここは逃げなければ!

「なんということをするのだティアラ!」

 走りながらオートルは毒づいた。彼女が声を上げたりしなければ、戦場のことだ、誰も周りに構う余裕はない。見つかる可能性は低かったというのに。

「だってイキナリ頭の上に毛虫落ちてきたんだもの!」

 あまりといえばあまりな返答に、オートルは危うく木の根につまづいてすっ転びそうになった。

「そんなことか!?」

「なあにがそんなことよ!?」

「状況を考えろ、状況を!!」

「一大事じゃないの!!」

「どこがだ!?」

「気持ち悪いじゃない!!」

「見つかっただろうが!?」

「毛虫が悪いの!!」

「責任転嫁を!!」

「気持ち悪いもん!」

「あのな……」

 走りながらではいつもの口論も調子が出ない。とりあえずティアラを責めるのは後回しにして、オートルは先ほど見た光景について考える。

 戦場の光景。見たところ異民族間の闘争という雰囲気だったが、金髪も銀髪も、この南の島では自然のものとは思えない。ここは神代の息吹の宿る島だ。きっとその姿は神の息吹によって染められているのだろう。

 太古の伝説によれば金髪は太陽神族、銀髪は月神族の特徴であるという。とすれば金髪の人々は太陽神を、銀髪の人々は月神を第一神とあがめる民なのかもしれない。

 そして、あのサファイアブルーの瞳の青年。『国王』と呼ばれていた。

 相手のことは『反乱の長』だと……。

(となると、王政に対するクーデターか?)

 銀髪の民が主導権を握る王国の体制に、金髪の民が反旗を翻す。信じる神の違いを盾に。オートルの知っている内乱の構図と、根本的に変わるところはない。

 やっかいなことだと、忌々しい気分で思う。まさかこんな事態になっていようとは。だいたいこの島に人が住んでいるなんて、オートルは思わなかったのだ。

 ここはどの大陸からも遠く離れた海域のただ中だ。そのうえ神代の息吹とかいう、わけの分からないものに満たされた島である。まさか普通に人が住んでいて、しかも戦争などしているなんて……。

「これからどうしますか?」

 ふいにティエラが尋ねてきた。オートルの答えは簡潔だった。

「海岸へ戻る。あとのことはそれからだ」

「はい」

 意図は察したらしく、ティエラは反問せずに頷く。

 今のところあたりは静かで、追っ手が来ている気配はない。戦士たちは当面の間、彼らの戦いを優先させたのかも知れない。

 だが、彼らが本気で探せば、オートルたちはあっという間に捕まるだろう。なにしろ地の利は向こうにある。森の中を縦横に走る道を、オートルたちはまったく把握していない。逃げるにしても隠れるにしても、不利だ。

 だから出来るだけ早くボートに戻り、海上へ逃れるつもりだった。あのボートには魔法がかかっている。大陸から遠く離れたこの南海の孤島まで、たった一日で飛ばしてきた。

 あれは、乗り手の思いのままに動く。ボートに戻りさえすれば、すぐにでも島の反対側へ回り、そこから上陸しなおすことも可能だ。

(まずは、状況を把握せねば)

 オートルはめまぐるしく思考を巡らせる。

(戦がどの程度の規模なのか。巻き込まれたらやっかいだからな……。できれば、普通の島の住人を味方につけたい)

 すべての住人が反乱に参加しているわけではないだろうし、比較的平穏な地域もあるはずだ。そういう場所で、まずはこの島に関する情報を得たい。神代の息吹がどうのではなくて、細かい地理とか住人の暮らしぶりとか、そういったことだ。

(それから、わたしたちの目的だ)

 見たこともない深紅の花を視界の端に止めながら、オートルは考える。

(あの石の存在は知られているのか。いるとすれば、どんな形で……)

「オートルッ!」

 何か切羽詰まった声で、背後から呼ばれた。反射的に振り向こうとした動きを、けれど半ばで断ち切られる。

 高い蹄の音とともに、目の前に滑り込んだ影。

 もう少しで森を抜け、浜に出ようという場所だった。薄暗い森と眩しい砂浜。立ちふさがる影は逆光で、一瞬目が眩む。

 立派な体格の馬と、その上に座る……髪の長い、線の細いシルエット。

 突き出された槍は正確に、オートルの喉元へ触れていた。

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