第3話 反乱の長

 リイン・ラ・セラ・ティーア。

 柔らかなアルトの声で、唄うように少女は名乗った。

「ややこしければ、リインとだけ覚えてくれ」

 笑みさえ含んだ口調に、鋭い視線をオートルは返す。

 森の出口で現れたこの少女は、数名の仲間と共にたちどころにオートルらを捕らえてしまった。その手際は鮮やかで、抵抗する隙もない。

 いや、魔法を使えば逃れることはできただろうが、オートルはそうしなかった。差し当たって殺気を感じることがなかったからだ。相手はあきらかに手練と分かる兵士たちで、本気で抵抗すれば流血は確実。命の危険がないなら、敢えてそんな道を選ぶこともない。

 だから結局のところ、大人しく捕まる羽目になってしまったわけだが。 

 おそらく別の道を使って先回りし、待ち伏せていたのだろう。この少女……反乱軍のリーダー、リインは。

 やはり、不審者は見逃さなかったというわけだ。それどころか、リーダー自ら動くほど重視してくれたというわけである。

「良い目だな、オートルとやら」

 黒い鉄格子越しに、少女の腕が伸びる。オートルの喉元に触れ、さら、と指を滑らせて顔を上げさせる。

 振り払うこともできたが、敢えて抵抗せず、オートルは少女の瞳を見つめ続けた。少女の……あでやかな、深紅の瞳。

 人とは思えぬようなその色彩に、豪奢に渦巻く長い金髪、しなやかな四肢。まれに見る美少女だと言って良かったが、凛としたその眼差しは、彼女に美しさよりも強さの印象をより多く与えている。

 その、紅の瞳が軽く笑んで、からかうような問いがその唇から発せられる。

「居心地はどうだ? そこの」

 問われて、オートルは改めて、自分のいる場所に思いを来す。

 ここは石造りの、意外に清潔できちんとした牢獄である。頑丈な鉄格子に、残る三方は石の壁だが、窮屈でない程度の広さがあって簡易寝台も用意されている。快適とは言わないまでも、神殿ならば、身分の高い捕虜を入れるところ。

 そういう場所に、現在オートルはとらわれていた。

 さらにいうなら、ここはジャングルのただなかにある、立派な石造りの城の地下牢である。右隣の部屋にはティアラ、左隣の部屋にはティエラがいるはずだった。

「この石材はどこから調達したんだ? 森と砂しかないような島と見たが」

 捕虜にしては、悪くない待遇だ。という感想は飲み込んで、わざと的はずれな言葉を返す。

 少女は軽く笑い、手を離した。さてな、と冗談とも何ともつかない様子で呟く。

「そんなことは知らんよ。……改めて聞こう。おまえたち、何者だ?」

 悠然と腕を組み、背後の壁にもたれかかる。彼女の位置からは、オートルだけでなく左右の部屋にいる娘たちも見えるだろう。

 オートルは口を閉ざした。半ばは反抗の意味も込めて、半分は、どう答えたものかと思案して。

 彼女らの抗争は、オートルたちには関係のないことだ。なにしろ彼らはこの島に来たばかり。争っていること自体、ついさっき知ったところである。

 敵ではない、と伝えたい。だがストレートにそう言って信じてもらえるだろうか。特に心配なのは銀髪のティエラだ。今のところ違った扱いは受けていないけれど。

 それに外から来たという話をして、どう受け取られるかも予測がつかなかった。ここはどの大陸からも遠く離れた孤島だ。おそらく外部との日常的な交流はない。

 はたして、素直に真実を話したものだろうか。もう少し様子をうかがうべきか。少女の瞳を見ていると、迂闊なことは言えない、という気になってくる。

 逡巡しているオートルの耳に、右隣からの娘の声が飛び込んできた。

「ねえ、リアちゃん」

(リアちゃんっ!?)

 呼ばれた当の少女は軽く眉を上げて発言者を見た。深紅の瞳には軽い驚きと、どこか、楽しげな光が宿っている。面白い娘だと言いたげに。

「どうした? ティアラ嬢、だったか」

「あのね、あたしたち状況がよく分からないの。旅行中に嵐にあって、この島に流れ着いたところでえ」

 大嘘である。

「だから、なんでイキナリ捕まったのか、わかんないの。まずそれを説明してくれないかなあ?」

 明らかにわざとらしい――普段のティアラを知っているからこその感想だ、と思いたい――甘えた口調で、ティアラは問いかける。

 リインはその彼女を見返して、わずかの間、黙っていた。その瞳に浮かんだのは、嘲笑うような冷めた光だ。

「嘘だな」

 言い切って、リインはティアラの牢獄の前に立つ。オートルの位置からはその姿が見えなくなる。

 だからもちろん、その表情も仕草も見て取れなかった。ただ、次につぶやいた彼女の言葉には……それまでとは違う、深く思慮に沈むような響きがあった。

「やはりおまえたちが神託にあった、『真実にして最大の敵』なのか……?」

(神託?)

 かつて神殿に所属していたオートルには、懐かしいような気のする単語だ。巫女が伝える神の言葉。戦の行方を予言し、民を導くこともある。

 その託宣は絶対だ。

「……“真実にして最大の”敵?」

 つぶやいたオートルの言葉に反応してか、リインがもとの位置に戻ってくる。「そうだ」短く頷いた。

「神々がそう告げた。何年ぶりかもわからぬ神託だ。その意味は重い」

 深紅の瞳は真剣だった。そして冷たかった。戦勝を予言した巫女が、それでも和平をと言い張る者に向ける、苛烈な眼差しと同じだった。

 オートルは表情は変えないけれど、内心ひやりとするものを感じる。

 けれど、すぐに少女は瞳を伏せた。考え深げにつぶやく。

「いや、神託の敵がこんなに弱いはずないか」

(弱い?)

 一瞬オートルは硬直する。彼は上級神官魔術師……ほぼ世界最高レベルの実力者といっていい。その彼に、あっさりとこんな口をきいた人間は彼女が初めてだった。

 捕まるときに抵抗しなかったからかもしれない。オートルはまだその実力を、魔法の力を一度も見せていないから。それは想像できても、弱いと言い切られて、慣れない事態に一瞬たじろぐ。

「……何も知らないというのは本当だ」

 たじろぎながらも、オートルは言葉をつないだ。ティアラが訳の分からない切り崩しをはじめてしまったので、もはや流れに乗るしかないだろう。

「わたしたちはあるものを探してこの島に来た。そのような神託に心当たりはないし、そなたらの争いに関わる気もない。あの場に居合わせたのは偶然だ」

「ほう」

 リインの瞳が正面からオートルを捉える。

 それだけで、ずしりと腹に重みが来るような感覚を、オートルは味わう。直感する。和平交渉を担う神官として、幾人もの王にまみえた経験をもつからこそ。

 少女であるなどと侮ってはならない。

 本物の王者の眼だ――。

「我々の目的は争いではない」

 無意識に背筋を伸ばしていた。揺るがずに見返した。腹に力をこめ、強く通る声で言った。怒鳴りこそしなかったものの。

「勘違いなされるな。反乱の長殿。おのが欲のままに玉座を求め、血の流れるのも顧みぬ愚か者よ」

(言い過ぎたか?)

 ちらりと思った。オートル自身、自分の台詞に驚いていた。そこまで踏み込んだ言葉を口にするつもりなど無かったのに。

 自分の知らない自分が、この口を借りてするりと喋ったようだった。多分、癖だったのだろう。幾度となく和平交渉をこなしてきた神官としての。

 けれど今のオートルは神官ではない。

 失敗だった。それは即座に思った。けれど、そうと自覚していてなお、驚愕するほどに――一瞬後、少女の見せた眼差しは苛烈だった。

「侮辱するか!」

 斬りつける力を、肌に感じるほどの一喝。

 そして少女は右の手を顔の前にかざした。攻撃魔法の構え。その手に、太陽の力が可視的な光となって結集する。

「まあいい。王国側の者でも、神託の敵にしても……とるべき処置は同じ」

 加速度的に膨れあがっていく力。

 そのあまりの眩しさに、オートルはぞっとする。彼女は本気だ。それを察し、自らの衣の裾を握った。たくさんの魔法文字の縫い取りや、魔力を秘めた貴石で飾られたこの衣服は、それだけで特級クラスの魔法道具に匹敵する。

 その力を最大限に発揮すべく、口の中でスペルを練り上げる。おそらく防御だけで手一杯だろう。リインの力は強い。とんでもなく。

 今、明らかに目の前にして感じる。ひょっとしたら……いや、間違いなく、彼女の魔力は自分よりも上だ。比較にならない、と言ってもいい。にわかには信じがたい話だが――。

(さすがは神代の島か!)

 ひょっとすると、彼女が自分を弱いと評したのは、正確に実力を見抜いた上でのことだったのかも知れない。もしも見抜いた上で、あれほど簡単に『弱い』と言ってのけたのだとしたら……。

 敵わないかも知れない。冷たい予感が背筋を這う。それを振り払うべく、魔法衣の裾を握りなおした。

(ティアラ、ティエラはどうだ?)

 脳裏によぎる、二人の娘たちのこと。彼女らの正確な実力は知らない。気軽に瞬間移動などするところをみると相当の術者だが、しかしこのリインを相手に、自分の身を守れるか?

 おそらく、否。魔術師として培ったオートルの感覚はそう告げる。彼女らから自分に匹敵する力を感じたことはない。たぶん無理だ。

 では、自分が。彼女たちも含めて、全員の身を守れるか。

 不可能だ、と即座に断じる。リインの元に結集する力の激しさがそうさせる。自分の身を守ることすら危ういかもしれない。娘たちをかばう余裕はない。

 とすれば、……見殺しにする、か?

(……ええい、くそっ)

 胸中で舌打ちして、紡ぎかけたスペルを放棄した。防御の質を、一点集中から広域に切り替える。

 娘たちだってそれなりのことはするだろう。その術と、この広域防御魔術が上手くかみあって、相乗効果を発揮することを期待するしかない。

(分の悪い賭だなっ!)

 強烈な魔力の輝きの中で、リインがかすかに、口の端を持ち上げるのが分かった。それは余裕の笑み。勝利の確信だった。

 光がさらにまばゆく輝き、その表情すらも消し去る。目が眩む。刺すような痛みをこらえて見開き続ける。重要なのはタイミングだ。始動の瞬間を、見逃すな――。

 ふ、と。

 何か記憶の断片が、オートルの脳裏をよぎった。それは今の状況に、何かよく似たいつかの記憶。

 圧倒的な力を前にしていた。勝てるかどうか分からなかった。失敗するかもしれなかったし、そうなれば全てが終わると知っていた。

 けれどやるしかなかった。諦めるわけにいかなかった。強く祈った。負けるわけにはいかない。たとえ自分がどうなろうと。

 守らなければならないから――。

(……なに、を?)

 思ったとたん、頭の中身を、強く揺さぶられるような感覚に陥った。一瞬わからなくなる。ここがどこで、今がどういう状況なのか。自分は何をしているのか。

 この苛烈な光は……?

(っ、まずい!)

 我に返る。自分を見失っていたのは、ほんの一瞬……けれど魔術がほころびるには、それで充分だった。

 弱まり、拡散しかけたオートルの術に、リインの魔力がたたきつける。あふれる光で視界など効かない。ただ感じる。肌で感じるように、少女の声を聞く。

「滅びよ、神々の敵」

 それはいっそ、静かな宣告。

 そして魔力が解放される――その、まさに直前。

「リーダーッ!!」

 バン! とたたきつけるように扉が開く音とともに、誰かの絶叫が響いた。


 魔力の満ちた空間に、突如ひびいた物理的な音響は、オートルはもちろんリインの発する魔力さえ揺るがした。そしてリインは、相手を認めたとたん……何故かあっさりと、その場に集めた魔力を打ち消した。

 光が消え、視界が戻る。落差で一瞬暗闇のように感じる。

「何があった?」

 リインの声に厳しさが増す。どうやらその相手が呼びに来たことに、尋常ではない何かを感じたようだ。改めて見やると、相手は年若い少年である。そして血にまみれたマントを着ていた……おそらくは返り血だが。

 相手が問題と言うより、その血にリインは異常を感じたのかもしれない。あるいは、階上から聞こえてくる物音。

 たった今気づいた。上から何か、ただごとではない騒ぎが伝わってくる。

(なんだ?)

「敵襲です!!」

 オートルの内心のつぶやきに応じるように、少年が叫んだ。

「王国側が、城門を破って!! 味方が、避難が間に合わず、裏から、外も……!」

「落ち着けレノア」

 静かだが鋭いリインの声が混乱する少年をいさめる。そして矢継ぎ早の質問。西門がどうとか、食料庫はとか、そんな問いかけだ。少年はこわばった表情のまま、けれどひとつずつ明確に答えていく。

 オートルは階上を振り仰いだ。雑然とした騒ぎは伝わってくるが、細かい物音までは分からない。具体的な状況など思い描く術もないが。

(敵襲?)

 王国側が、反乱軍の拠点に襲撃を仕掛けたということか。ひょっとしたら主力をあの戦場へ引きつけた上での奇襲作戦だったのかも知れない。

 リインはオートルたちを捕らえるために、少数の配下を伴って戦線離脱したのだ。戦自体が終わっているとは考えにくい。きっと大方の戦力は、まだあの場に残っているだろう。

(うまい策ではあるが、卑怯だな)

 そんなことを考えているオートルの耳に、毅然としたリインの声が響く。

「わかった。北門を閉ざせ。それと地下道の解放を。ラーグは? あいつはどうしている」

「小隊を率いて前庭へ出て行かれました」

「迎え撃つか。奴らしい。ではおまえ、出来るだけ味方の軍勢を集めろ。とりあえずは西だ」

「はいっ」

 頬を紅潮させて少年は叫び、身を翻した。そして。

 そのまま声もなく膝をつく。

 一瞬、オートルには何が起きたのか分からなかった。しかし、少年が短くうめいて床に倒れ、動かなくなるに至ってその事態を了解する。

 毒矢――正確には、毒矢に原理を借りた魔法。目に見えぬ矢が少年の身を貫き、その命を奪ったのだ。

 リインが鋭い視線を扉へ投げる。姿を現したのは、屈強な体つきの青年だった。短く刈った銀色の髪をしており、色素の薄い肌をしている。

(相変わらず、南国人らしくない連中だな)

 オートルはつい、場違いな感想を抱いた。こんな色彩の人間ばかりでは、ここが南の島だということを忘れそうである。

(わたしが一番それらしいのではないか?)

 オートルがそんな呑気なことを考えている間に、青年とリインは距離を取って正対していた。青年は剣を帯びていたが、それに手をかける様子はない。魔法戦でカタを付ける気だろう。

 とはいえ、それは不利な事のようにオートルには思われた。何しろリインは強い。あの青年は魔法で彼女に敵う気なのだろうか?

「相手が悪かったな」

 リインが告げる。その口元には静かな微笑。

「遠慮はなしだ。四人まとめて消してやるさ」

 気負いもないような、あっけない口調だった。

 四人というのはオートルたちも含めてのことだろう。銀髪の青年はその言葉にオートルたちを見て、不審げに眉根を寄せたが、何も言わずにリインへ視線を戻す。

「自信過剰もほどほどにされることですな」

 強がりなのか、それとも本心か。笑みすら浮かべて青年が応じる。

 その右手に光が生まれる。リインのものと違う、振動する粒子のような、静かな銀色の光だ。太陽神殿の魔術師であるオートルには馴染みが薄い。だが、太陽以外の光の魔術といえばひとつしかない。月だ。

 リインは悠然と腕を組んでいる。深紅の瞳は冷静に相手をとらえ、その力を推し量っているようだった。魔法の構えを取る気配がないのは、相手が術を始動する直前でも十分と考えているのか。

 青年の力が彼女に及ばないだろうことはオートルにも想像がつく。けれど、悠然と立つリインを前に、妙に自信ありげなその表情が気に掛かった。何か隠れた策でも用意しているのではないか……。

(ん? しかし、わたしがリインの身を心配してやる義理はないのではないか?)

「参りましょう」

 銀色の光がさざ波のごとく揺れる。初めてリインが腕をほどき、かすかに右手を持ち上げた。

「レイン様の御名にかけて!」

 次の瞬間、様々のことが同時に起こった。

 青年の放つ銀光はあくまでも静かなまま、絨毯を広げるようにひといきに床の上に染み渡る。リインがふっと右手をおろす。金の輝きが銀の光のなかを走り、無音の爆発が、つかの間あたりを凄まじい光で染め上げる。

 圧倒的で純粋な光の氾濫。そのなかに何故か、複数の影が横切った。

(なに!?)

 少し離れたオートルの目には、光の中で起きていることが影絵のように映る。振り返るリイン、忍び寄る複数の影。手にした武器。リインの首筋を狙い――。

 とっさにオートルは右手をかかげた。即効性の短いスペルを唱える。

 剣がはじけ飛んだ。

 そのころには光は消え、視界が回復していた。リインの瞳が驚いたようにこちらを見る。その彼女を取り囲む、銀色の髪と色素の薄い肌の人間たち。彼らもまた驚きと不審をたたえてこちらを見ている。

 一瞬の沈黙。そして。

「ガルゴ!」

 誰かの声が耳を打った。最初に現れたあの屈強の青年の声だった。それを認識し、その意味を考えるより先に。

 重い衝撃が、背後から来た。

 身体がふっと宙に浮き、それから鉄格子にたたきつけられる。新たな衝撃と痛み。遠のきかける意識の隅で、靴音が近づくのを感じた。

 誰かが自分の名を呼ぶ。それはリインだったのか、異常を察したティアラかティエラの声だったのか……。

 かろうじて目を開けると、自分に向けられた銀の刃が目に入った。

 そしてその剣は深く、オートルの腹に突き立った。

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