第4話 再始動
(……、歌声?)
最初、そう思った。
眠りから覚める間際の、曖昧な意識のなかで。故郷の土地に伝わる、ふるい子守歌を聞いたと思った。
大陸の端、海と大地のはざまで。
私たちは今日も太陽を迎え、送ることができた。
そういう歌だった。太陽と、海と、空と大地へ。この世界への祈り。感謝の祈りだった。
原初たる神々の見守るこの場所で、生きているちっぽけな人間からの……。
(わたしは……)
母親に抱かれて目覚める子どものような、不思議と安らかな気持ちの奥を、かすかな痛みが刺す。それすらも甘美な夢のように。
(わたしはまだ、そんなことを覚えているのだな)
もっとたくさんの――もっと大切なものを、忘れてしまった、のに……。
ゆっくりと目を開けると、二対の瞳が自分をのぞき込んでいた。金色と銀色。不可思議な娘たち。
二人は歌うように、魔術の呪文を紡いでいた。いや、実際それは歌だった。歌に託して神に祈り、その力を得る術。普段使っている魔法よりも、ずっと高度な術を使うときの手法だ。
子守歌に聞こえた、不思議な歌声はこれだった。聞いたことなどないはずなのに、どこか懐かしく穏やかな旋律。
人の気配がして、ティアラの頭越しにもうひとつの顔がのぞき込んだ。凛とした紅い瞳が、いまは戸惑うようにオートルを見つめている。
「……なぜ、私を助けた?」
静かな問いかけ。
オートルは目を細める。一瞬、なにかとても懐かしく温かいものを、思い起こしかけたような気がした。形になる前に、それはすぐに消えてしまったけれど。
「さあな……」
まだかすれる声で、オートルは答える。
「一対多数ってのは、嫌いなんだ……。卑怯、だからな……」
それが本音なのか、オートル自身、よくわからなかった。また、自分の知らない自分が、勝手に喋ったような気もしていた。
リインはかすかに笑ったようだった。
「卑怯、か」
自嘲なのか、それともほかの、深い哀しみをこめてか。不思議な口調で彼女はつぶやいた。
「珍しいことを言う奴だ」
あのとき銀髪の青年が使った魔法は、攻撃ではなく召喚系だった。主に移動の“めあて”の役割を果たし、完成された術の形をとれずとも、魔力自体がそこにあれば何とかなる類のものだった。
だからリインが魔力を攪拌し、術の発動を阻止したにもかかわらず――強烈な光の氾濫はその現れだ――結局は、あの青年の狙い通りになった。
外に控えていた兵を中に召喚し、一息に襲って殺す。
おそらく王国側は、リインが地下室にいるという情報をかなり早い段階で得ていたのだろう。一人で彼女の元に現れた青年とは別に、おそらくは上の階にでも、多くの兵を待機させていたのだ。双方が同時に術を発動すれば、下の階への瞬間移動くらいは難しい話ではない。
オートルを襲ったのも、同じ要領で現れた兵士だ。敵兵はリインを襲った者たちだけではなく、牢獄のなかを含む地下のあちこちに現れていたのだ。おそらく牢の配置まで敵が把握していなかったので、そんなことになったのだろう。
「しかし」
今は、もう夕刻。
水平線に浮かぶ夕日が、空を赤く染めていた。海は黄金色に燃え上がり、島の木々は早くも暗い影に沈みかけている。
城の最上階にある部屋から、オートルとリインはその光景を眺めていた。
「まさか、刺されたとたんに土になるとはな」
今、この場所はとても静かだ。
激しかった戦闘も時間にすればあっというまで、城は既に落ち着きを取り戻している。有能なリインの武将たちのおかげだ。
オートルは夕日を見たまま押し黙っている。唇を結んだその顔は、どこかふてくされているようにも見える。
リインはそんな彼を振り返り、少しからかうような調子で言葉を紡いだ。
「生身の人間ではないそうだな?」
不機嫌な顔のまま、オートルはゆっくりと頷く。
敵兵によって腹を刺し貫かれた彼は、死にはしなかった。普通の人間が言うような意味では。
ただ、剣が貫通した瞬間……彼の身体はあっさりと、砂になった。土くれとなって消えたのだ。
「この肉体は仮のものだ」
淡々とオートルは語る。
「ティアラとティエラが作った。魂の、たんなる入れ物にすぎぬ」
本物の肉体は、今も太陽神殿に眠っている。大陸の端に位置していた、今となっては世界の端である、あの神殿に。凍結魔法にとらわれたまま――それは残された世界の三分の二が無事に存続するために、決してとけてはいけない魔法。
けれどオートルの魂はいつしかそこを離れて、ふらふらと世界をさまよっていた……らしい。いつから、何故そういうことになったのか、自分でもわからない。確かなのは娘たちがそんなオートルの魂をつかまえて、器を与えてくれたこと。土くれでできた、仮初めの身体を。
本物の身体に戻ろうとすれば、凍結魔法の解除が必要になる。だからそれはできない。世界の三分の二が存在し続ける限り、オートルは元には戻れない。
たったひとつの方法を除けば、だが――。
気がつくとオートルは、自分の右手を眺めていた。指の長さも爪の形も、ほんものの自分の手と何一つ変わらぬ……気のする、手。
変わらないと思えば変わらないのだと言われた。
この身は、魂に刻まれた記憶を元に再構成されている。だから幾つかの点を除いて、本当に生身の身体と変わらない。食べるし眠るし、魔法で作られたかりそめの身体には不要なはずのあらゆることを、ちゃんと覚えているとおりに、欲したりする。
けれど。
決定的に欠けているものも、いくつか……ある。
「具合でも悪いのか?」
かなり長く、オートルは黙り込んでいたのだろう。リインの問いかけには確かに気遣うような響きがあったけれど、オートルはそんな彼女をじろりと睨む。
具合が悪いというのは肉をもつ人間の現象で、土塊から成る今のオートルには無縁のものだ。暑さ寒さは感じるが、病は無い。
そんなオートルの意図が通じたか否か、ともかくリインは少しばかり慌てたようだ。言葉を選んで首をかしげる仕草に、はじめて年相応の雰囲気がにじんだ。
「その……作り直したばかりで?」
「関係ない」
短くオートルは言い捨てる。
「あの二人の術は完璧だ」
「そうか」
ふう……と息をつき、リインはその長い金髪を自分の手でぐしゃぐしゃとかき混ぜた。まいったなと言うように。
「まあいい。それでオートル殿。あなた方はいったい何者なんだ?」
先に同じ質問をしたときよりは、ずいぶん気軽な口調だった。オートルも今度は素直に答え……ようとして、ふと、口をつぐんだ。
コンコン、と軽いノックの音。続いて、
「オートル! いたいたっ」
勝手に扉が開いて金髪の娘が顔をのぞかせた。後ろにはちゃんと銀髪の娘もいる。
「人様の私室ですよ、ティアラ。許可なくドアを開けるのは礼儀に反します」
「いいじゃんオートルいるし」
「そういう問題では……」
と勝手に二人で会話を進めだすのに、くすくすと笑いながらリインが言葉を挟む。
「なに、構わない。どうした? おふたりとも、私の部屋などに」
そう、城の最上階にあるここは、実はリインの私室である。
反乱軍の長である彼女を救ったことで、オートルたちは賓客の扱いを受けることとなった。彼女の部屋に招待され、一対一で語ることを許されたのは、その証だ。
「武将の方に、リアさんとオートルさんがここにいるとお聞きして」
「お話しするならまぜてよ」
二人はほぼ同時に答え、彼女らがここに来た経緯と目的は一度に明らかになった。リインは笑って頷く。
「ああ。揃っていたほうが都合が良いな」
オートルはむすっとした顔をしていたが、女性三人はそんなことは綺麗に無視して、にぎやかにお喋りをはじめていた。
「なになに? 何のお話してたのっ?」
「今、おまえたちの正体を聞いたところだ。そこの奇妙な生き霊青年といい、君らはいったい何者なんだ?」
「あっ、そうよねえ、オートルってへんよねえ! 頑固だし口うるさいしヘンなとこ拘るしやんなっちゃうわー」
「あの、ティアラ。リアさんの仰るのはそういう意味ではないと思いますが」
「ふうむ。頑固者っぽい顔はしているな、確かに」
「でしょでしょー!? そのくせ口うるさいったら!」
「そうなのか? 頑固に喋らない男だと思っていたが」
「……ティアラとは良く口論していますね、確かに」
「そうなのー、うるっさいんだってオートルってば人の言うこと聞かないしすぐ怒るし理屈っぽいし!」
「……おまえたち」
低く、オートルの声が割り込んだ。
が。
「確かにさっきもやたら機嫌を損ねていたな」
「ほーらやっぱりぃ♪ リアちゃんとは気が合うかもっ」
「ああ。そなたのような口をきく人間は久しぶりだ。良い友人になれそうだ」
「わーい、友達ねっ」
などと金髪娘二人は平和に握手などしはじめる始末で、オートルはとうとう声を荒げた。
「おまえたち、人の目の前でずけずけと!」
「なによー、ホントのこと言っただけでしょお!?」
すかさずティアラが応酬する。
「わたしは頑固でも口うるさくもないっ!!」
「だーっていっつもぎゃあぎゃあうるさいじゃない年甲斐もなく! まーったく何年生きてるつもりなのかしらね!!」
「生きていたのは二十二年だ!!」
「それサバ読み過ぎじゃないの!? 生き霊だって生きてんのよ、魂あるものみな兄弟よ!?」
「ミジンコや蟻でもか!?」
「クラリーズやトルケッツォでも!!」
「なんだそれは!?」
「古代の生物! オートル神官のくせにそんなことも知らないの!?」
「知るわけが、ないであろうっ!!」
「……確かに、良く喋るな」
腕を組んで二人のやりとりを眺めていたリインが心底感心したようにそう漏らし、ティエラは苦笑する。
「こうなったら、しばらく止まりませんよ」
「そのようだ」
おかしそうにリインは笑い、それからティエラの方に向き直った。どうやらしばらくは彼女しか話し相手にならないと判断したらしい。
「それで、聞いても良いか? 君たちはいったい何者なんだ」
聞いてから、一呼吸置いて、確かめるように言葉を続ける。
「この島の者ではない、と言っていたが」
「その通りです」
「……信じられないな」
リインはそう言ったが、疑う調子ではなかった。ただ、常にはあり得ない現象を前にした驚きを口にしただけのようだ。
その証拠に、つぶやくように言葉を続ける。
「だが、事実なのだろう」
視線はオートルに注がれている。それを追って、思考を読んだかのようにティエラは答える。
「染めているわけではありませんよ」
「どうやら、そのようだな。……あんな色の髪は初めて見た」
ふう、と息をついて、リインはティエラに視線を戻した。
「おまえたちの言葉は信じよう。嵐で流れ着いたとかいうのは除いて、だがな。……この島は閉ざされている。普通の方法ではたどり着けないし、出ることもできない」
「……そういうことは、覚えていらっしゃるんですね」
「え?」
「いえ、何でもありません」
微笑んで、ティエラはオートルに視線を向ける。
「そうですね。本当のことをお話しすべきなのでしょう」
彼の口から――ティエラは、そう思ったのだろう。けれどオートルは未だティアラと口論を続けていて……しかも。
「おまえは余計なことばかりつべこべつべこべと、いったいどこからそういう怪しげな知識を仕入れてくるのだ!?」
「何があやしげよ知ってて当然よこれくらい! まーったくオートルってば感知系たいしたことないくせに頭も空っぽってんじゃどーやって『月の石』探すっての――」
その言葉に、リインは、息をのんだ。
「なんだと?」
不意に緊張した気配が伝わったのか、二人の口論がぴたりと止まる。
ティエラも含む三人の視線が集中するなか、リインは硬い表情でオートルを見つめ、ゆっくりと確認した。
「おまえたちの目的は、『月の石』なのか……?」
「……だとしたら、何だという?」
尋常ならざる様子に、オートルの答えもつい慎重になる。
娘たちはそれぞれの表情で二人のやりとりに注目している。ひたむきに、あるいはやや不安げに。
「……そうか」
リインは目を閉じた。つかの間、まるで瞑想するように、祈るように。
詰めていた息を吐き出し、静かに瞼をひらく。
深紅の瞳が凛と、オートルを見た。
「では、私が案内しよう」
その言葉に、今度はオートルが息をのんだ。
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