第5話 ジャングル逃避行

「ええい、なんなんだこいつらっ!?」

 攻撃魔法を繰り出しながらオートルは叫んだ。

 木々の間を、枝葉の上を、敵は滑るように動く。そして容赦なく浴びせられる攻撃。月属性の魔法攻撃だ。

 しかも強い。やたら強い。

「キリがないな!」

 わめくついでに、正面の相手に短呪をたたきつける。立て続けに何種か。その間に左から飛んできた攻撃魔法は身を屈めてよけ、右手の低木が木っ端微塵に吹き飛ぶ様にぞっとする間もなく後方へ飛び退く。その足下の土が爆発の余波でえぐれた。

 さらに数歩退き、身構える間に次の攻撃がくる。頭上の木の枝から、なんと兵士が直接飛びかかってきた。つかみかかられて地面に倒れ、もみあったまま二転三転する。加勢しようとする敵兵を目の端にとらえたオートルは短いスペルを紡いだ。

 強烈な閃光。怯んだ敵兵を力任せにはねのけ、体勢を整える間もなく向けられた攻撃を力業の同種魔法で跳ね返し、太い木の幹に背を預けて身構える。

 オートルを囲むように、立ちはだかる敵は三人。

 いずれも銀の髪に、色素の薄い肌をしている。その外見からして、正体は明白。王国兵だ。

「いい加減にしてくれ……」

 恨めしげなつぶやきが、あがった息の下から漏れる。意外に涼しい風が、すっと木陰を吹き抜けていった。


            *           *


 神々の考えなしの大戦争のおかげで『太陽の柱』が欠けたとき、世界のバランスを回復するための手段として、同じ大きさの欠片が『月の柱』から削り取られた。

 つまりこの世には、『太陽の石』に対応する『月の石』が存在するということだ。

 その石は、神々の手によって<世界の中心の島>に封印された。すなわち、オートルたちがいま居る、この島に。

 彼らの目的は、その『月の石』を手に入れることだった。

 『太陽の石』のほうは今、オートルの本来の肉体の中にある。オートル自身が三千年前にそうしたからだ。世界の崩壊を止めるという、人の限界を超えた魔術を使うには、膨大な力を秘めたその石を魔力の源として自らの身体にねじ込むことしか考えられなかった。

 一か八かの賭だ。取り込んだ瞬間、肉体がはじけ飛ぶことも覚悟した。けれどかろうじて、オートルはその魔力を受け入れることができた――おそらく身体が保ったのはほんの数秒だったろうが、彼自身ごと世界の崩壊を凍結するには十分だった。

 そんなわけで、『太陽の石』の所在ははっきりしている。あとは無事、『月の石』を手に入れることができれば……そうすれば。

 二本の柱を修復できると、娘たちは言った。もとどおりの完璧な形へ。

 世界を支える柱が元に戻る。それはつまり、凍結魔法が必要なくなるということだ。解除してしまっていいし、そうすればオートルは自分の身体に戻れる。

 もとの、生身の人間に戻ることが出来る。

 それがこの島に来た、オートルの目的だった。

 ……ただそのことを、オートルは結局、リインには説明していない。聞かれなかったのだ。『月の石』と言っただけで、彼女は無条件に案内してくれた。

 しかもそれはどうやら彼女の独断らしい。信頼の置ける数人の武将にだけ、「間違って紛れ込んだ外部の人間を、送り届ける」と言って――『月の石』にはひとことも触れないで、城をあとにしていた。

「リイン」

 深い森のなか。オートルたちは、大きな木の陰で休憩を取っている。

 海岸近くにあったリインの城から、半日ほど歩いて来たところだ。目的地である島の中心部まではさほどの距離はないが――なにしろ小さな島なので――ジャングルの入り組んだ道を行くため、いくらか遠回りをするとのことだった。それでも、順調に歩けば二日で着くとリインは言った。

 ……あくまで、順調にいけば。

「いったいなぜ、これほど攻撃を受けなければならぬのだ?」

 木の幹にもたれかかり、うんざりした様子でオートルは問いかける。

 城を出てからの半日の間に、オートルたちは三回の襲撃を受けていた。といっても最初は様子見のように、銀髪の兵士が二名つけてきていたので、リインが一撃で倒した。その後二回の攻撃はもう少し本格的で、人数も四、五人に増えていた。

「当然だと思うが?」

 オートルの隣で両足を投げ出し、リインは面白そうな顔をしている。二人の傍には娘たちが思い思いに寝そべっていて、光景だけ見ればまるで平和なピクニックだ。

「敵の長が少数の供しか連れずに出歩いているのだ。狙いたくなるのも道理だろう」

「それは分かる。が、なぜバレているのだ!? 味方にすらほとんど言わずに出てきたはずであろう!」

「さてな。お告げでもあったのだろう」

 平然とリインは答える。

 お告げ――つまり、神殿用語で言うところの神託だ。戦に際して頻繁に神々の声をうかがうのは、どこの国でもやることだとオートルも知っている。

 ただ通常、神託というのは気まぐれなものだ。敵の長に隙がある時、的確に教えてくれるような便利なものではない。

「神々はよほど国王側に肩入れしておられるのか? 敵の長の動向を、わざわざ告げ口するとは」

「告げ口というのも妙な言葉だな」

 可笑しそうにリインは笑った。

「だが神々は、戦の行方には口を出さないよ。私が言ったのは『月の石』のことだ。あの石のことなら、あちら側にまずお告げが下るのが自然だからな」

「……やはり、神々は『月の石』を奪われたくないとお考えなのだろうか」

 苦くオートルはつぶやく。

 石を手に入れ、柱を元に戻す。それが神々にとって害になるとはオートルには思えなかったが、かれらの考えなど人の身には計り知れない。

 見守るか、放っておいてくれればいい。だがそんな神託が国王側に下されたとするならば、神々は妨害しようとしていることになる……。

「当然だろう。あれはこの国が開かれる時、神々が与えたもうた秘宝。王座を守護する特別な石なのだから」

「……ん?」

 オートルは眉根を寄せた。

 その反応に、リインが不思議そうな顔をする。

「どうかしたか?」

「いや……わたしが知るのとはだいぶ違うが」

「そうかもしれん」

 あっさりとリインは肯いた。

「正しいことなど知らんよ。ただ一応、そういうことになっている」

「一応……?」

「少なくとも、神々が本気なのは事実だろう。おまえたちがこの島に来る前、我々のもとにも神託が下った。真実にして最大の敵を警戒せよと」

 聞き覚えのあるフレーズだ。最初に捕まった時、リインが言っていたのだとオートルは思い出す。

「場合によっては、神々は反乱軍にも神託を下すかも知れないな。おまえたちの長を阻止せよと」

 驚くオートルを振り向き、リインはにっと笑った。「大変だぞ」人ごとのようにそう告げる。

「下手すれば島の人間全員が敵だ。本当に反乱軍にまで神託が下るかは、それこそ神のみぞ知るだがな」

 さて、と言ってリインは立ち上がった。荷物を肩にかけ、そろそろ行くぞ、と娘たちに声をかけた。

「……貴女は」

 言いさして、オートルは口を閉ざす。

 訳が分からなかった。神々が守る国の宝だと言いながら、その正体には関心を寄せる様子もなく。それを奪いに来たオートルたちを無条件で案内する彼女の行為。

 この少女は何を考えている?

 そんな警戒が顔に出たのか。座ったままのオートルを見下ろしたリインは、その深紅の瞳を細めて笑った。

「私には私の考えがあるということさ」

 そうしてさっさと歩き出す。オートルは慌てて荷物をつかむと、娘たちとともにその後を追った。


            *           *


 再び、攻撃魔法炸裂。

 オートルは身をかわして森の中へと逃げた。一番早く追ってきた一人に短呪をたたきつけ、横から来た攻撃は低木の陰に転がって避ける。そうしながら練り上げた少し長い呪文を、次に現れた相手に叩きつけ、動きを止めた隙にもとの道へ転がり出る。森の奥へ迷い込んでしまうのは得策ではない。

 そうして見ると、敵はやはり無傷のままだった。オートルの攻撃はすべて防がれ、中和されてしまったようだ。せいぜい足止めにしかなっていない。

(こいつらなぜ、こんなに強いっ!?)

 肩で息をつきながら思う。敵の実力は見たところオートルと同等か、弱い者で若干下という印象だった。神殿の認定基準でいうなら皆が皆上級魔術師位をとれる。

 もっともここは神々の息吹に満ちた<世界の中心の島>なのだから、外の世界の、神代から遠く隔たった人々と同じに考えるのは無理があろう。分かっていても、いや、わかるからこそ腹立たしい。これでは不公平ではないか。オートルは幼い頃からその素質を認められ、それに相応しい鍛練を積んできた。その結果の上級位だ。だというのに、この人外魔境どもは……。

「!!」

 突如、頭上で閃光が炸裂した。とっさに短呪をぶつけ、攻撃の軌道をそらしながら身をひねる。何時の間にそこにいたのか、樹上から飛び降りざまに攻撃を掛けてきた相手はオートルをとらえそこねて着地する。けれど、今度は別の方角から光の矢。紙一重でかわしたが、膝を崩した。そこへ今度は背後から強烈な光――。

 振り向く隙もない。

「しまっ……」

 派手な爆発が大地をふるわせる。土煙がつかのまあたりを覆い隠す。

 そのなかを再び、貫く光。

 どさりと重い音がした。えぐれた地面に倒れたのは、銀髪の兵士のほうだ。

「ええい、いい加減にしろっ」

 肩で息をつきながら、オートルは毒づいた。かろうじて直撃は免れ、爆風で地面に叩きつけられながらカンを頼りに一人に向かって攻撃をかけたのだった。上手く命中して助かった。

「命がいくつあっても足りんな……」

 荒い息と共につぶやいた言葉は、かなり本気だった。

「ふうむ。意外と優秀なのだな、彼は」

 一方で、そんなのんびりとした声を漏らすのはリインだ。

 彼女は悠然と一カ所に立ったまま、簡単な腕の動きだけで次々と強烈な攻撃を繰り出している。呪文すら使わない。というより、この島には呪文という習慣そのものがない。魔法攻撃のたびにオートルが口にする奇妙な言葉は何だろうと、内心首をかしげているリインである。

「あれでも上級神官魔術師っていって、外の世界では最高レベルの魔法使いなのよ」

 自分のことでもないのに胸を張るのはティアラだ。彼女とティエラは、二人で背中合わせになって防御結界を張っている。兵士たちの攻撃がそちらへ向くこともあったが、彼女らの防壁は揺らぐことがなかった。

「なるほどな。大した魔力も持たないと思ったが、なかなかどうして。力の使い方が上手いのだな」

「あっ、あのねえ。外の世界ではね、呪文とか魔法陣とか、魔法具とかいろんなものがあるの。魔法使いが自分の力を最大限に引き出せるように」

「ほう……? よく分からないが、面白そうだな。後で詳しく教えてくれ」

「うん♪」

 さら、とリインは右手を挙げ、その手のひらから迸った光が敵を貫く。ついで手を下ろす仕草につれて魔術の防壁が生まれ、背後から迫った敵をはじいた。

「さっすがリアちゃん☆」

「一般の兵など、私の敵ではない」

 言う間にも一人、敵を葬り去る。彼女のほうに張り付いていた兵士は四人いたが、これですべて倒した。すかさず、というよりむしろのんびりとした仕草で、リインはオートルの支援に回る。

 オートルは敵の一人と、正面から術をぶつけ合ったところだった。そんな彼に、叫ぶでもなくリインは言う。

「おい、伏せろ」

 戦闘のさなか、それを逃さず聞き取ったオートルの注意力もなかなかのものだといえよう。彼が地に伏せると同時、リインの右手から迸る光が相手を貫いた。敵も防壁を張ったようだが、彼女の攻撃魔法ならそれごと吹き飛ばせる。

 その間にオートルは呪文を紡ぎ、強烈な魔術を練り上げていた。残りは一人。

「これでもくらえっ!!」

 半ばヤケクソ気味な叫びと共に放った攻撃は、不自然な軌道を描いて飛び、避けようとした敵の動きに沿って炸裂する。

 目も眩む光と、ここへ来てようやく聞き取る余裕の生まれた、断末魔の叫び。

 そしてあたりは静かになった。

「……は~っ」

 気の抜けた息を吐いて、オートルは膝をつく。

 どうにか終わったようだ。倒れ込むようにして、そのままごろりと地面に転がる。襲撃回数にしてこれが五度目だが、今度のこれが一番キツかった気がする。

 敵の数が増えていることもあるが、疲労の蓄積もあるのかも知れない。いくら短呪中心とはいえ、魔術の連発はそれなりに負担がくる。体力を使えば疲れるのと同じで、魔力を使えばやはり疲れるのだ。

「七人か。だんだん多くなってくるな」

 冷静に死体を数えているらしいリインの声。ぱたぱたと近寄ってきた足音はティアラのものだ。

「オートル、なに寝てんの」

「うるさい。疲れた……」

「なーに言ってんの!? リアちゃんはシッカリしてるのに! 大の男がそんなんで情けないとは思わないのっ!?」

「知るかあんな人外魔境……」

「人外魔境って何よっ! 大体オートルだって超エライ魔術師のくせに似たようなもんじゃない、なのにあんなにてこずってどーすんのよ!? 軟弱よ、薄情者よっ」

 薄情者は関係ないんじゃないか、とオートルは思ったが言い返す気力がない。ティアラはまだ元気に何か文句を言っている。彼女も戦闘中は結界を張っていたはずだが、よくこんなに喋る元気が残っているものだ。

 半ば眠くなったような意識のなかで、そんなことを考える。閉じかけた目に映るのは、光をはらむティアラの金髪と、その頭上の木々の枝。眩しいような色をした空。

 風がサラサラと梢を揺らす。

 どこか遠くで、鳥の羽ばたく音。

「!!」

 はっ、とオートルは目を見開いた。ティアラがいぶかしげな顔をする。その反応を見届ける前にオートルは問答無用で彼女を腕に抱え込み、勢いのまま横へ転がる。

 間一髪、ティアラのいた場所を攻撃魔法が貫く。

 何かリインの叫ぶ声。首をひねったオートルの眼に映るのは銀髪の兵士。繰り出される銀の光。避けられる距離にはない。

 とっさだった。オートルは自らの右腕で、敵の攻撃を受け止めていた……。


 もちろん、素手というわけではない。受け止める手に魔力を集中させていた。それでも彼の右手は木っ端微塵に吹き飛んだ。

 間髪入れず、銀髪の兵士が地に倒れる。リインが倒したようだった。相変わらず鮮やかな攻撃は音のひとつも立てない。

「オートルッ!!」

 耳元で絶叫されて少し驚く。オートルの肘から先は消失し、傷口は、土に戻りかけてぼろぼろと崩れていた。血は流れない。異様な光景にオートル自身たじろいだが、作り物なのだからこんなものだろう、と思い直す。

「なにやってんのっっ!!!」

 ティアラは飛び起き、オートルの腕をとった。動転しているのだろうが乱暴な仕草だ。重い痛みが疼くが、オートルは敢えて何も言わない。

 どうせこの痛み自体、本物ではないのだ……。傷つけば痛いという魂の記憶が、こんな感覚を引き起こしているにすぎない。実際、本当に腕が吹き飛んだりしたらこの程度の痛みではすまないだろう。経験のないオートルの魂は本当のところを再現できないのだ。

「馬鹿なんじゃないのオートルこんなことするなんてあーもう完全壊れてるしっ、せっかく作ったばっかなのにってかオートル馬鹿よねやっぱ!? ちょっとは頭使いなさいよもう、ホント何やってんの……」

 まくし立てる声の調子が、なぜだかだんだん弱くなる。不思議に思って見おろすと、ふいに彼女はキッと顔を上げた。

「危ないじゃないの、馬鹿っ!!」

 怒られた。

 どうとも反応できずにいるうちに、彼女はもうくるりと横を向いてしまった。具体的には、離れて立っている相棒に呼びかけたのだが。

「ティエラ、こっち来て。早く早く」

「…………」

 ティエラは相棒に、何か、もの問いたげな眼差しを向けていた――そんな気がした。ほんの一瞬。

 理由は分からなかった。すぐに彼女は近づいてきて、ティアラの隣に膝をついたのだから。「すぐに治せますよ」そういってオートルに向けたのは、彼女らしい柔らかな、安心させるような笑顔だ。

 ティアラの手に、ティエラが手のひらを重ねる。細かな光の粒子が、白い手袋をはめた手にまとわりつく。まるで薄い絹のヴェールをふわりとかけたようだった。

「治るのか?」

 いつのまにか近くに来ていたリインが、二人の術を見つめていた。ティアラはうなずき、ティエラは穏やかに笑う。

「肉体を生成したときと同じ要領です」

「ここだけ作り直せばいいから」

 オートルは何か、暖かな日差しに包まれるような感覚を覚えていた。その温度は右腕の痛みを癒すように優しく包み込み、それやら身体の奥へゆっくりと染み渡る。

 これが二人の魔力なのかと、オートルは思った。彼女らの魔力に、これほどじっくり触れたのは初めてだった。今までの肉体生成の時はオートルの意識はなかったし、感知能力の鋭くないオートルには、対人魔法の類でない限り相手の魔力の本質まで感じることは出来ない。

 だから、初めて知った。

 まるで天上にあふれる聖なる光のように。ひとの身にこんな力が宿るのかと思うほどに、彼女らの力は澄み切っていて、優しかった。

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