其之四 地獄の淵で

 兗州えんしゅう済陰せいいん郡の郡治ぐんち定陶ていとうである。春秋戦国時代、しゅうの武王の弟がこの地に封じられて、〝そう〟という国を建国し、陶丘とうきゅうを都とした。以降、王の子孫たちは曹をうじとしたという。 数百年も前の話であるので、はいしょう県の曹一族がその血を引いているのか定かではない。が、定陶というこの地名に因縁いんねんめいたものを感じざるを得ない。

 郊外の野営地で父の死を知らされた曹操そうそうはただ一言、「そうか」とつぶやいただけだ。涙はない。曹嵩そうすうは高齢だった。無事だったとして、寿命はそれほど残っていなかっただろう。自分のことで父には随分と苦労をかけてきた。だからこそ、残り少ない余生を謳歌おうかしてほしかったが……。

「そなたは無事で何よりだった」

 よろい姿の曹操は立ち並ぶ幕舎の間を足早に通り過ぎながら、義弟の卞秉べんへいねぎらった。卞秉は微塵みじんも動じる様子を見せない曹操の態度に戸惑いつつも、それに従った。

「あれは臧覇ぞうはの意思ではありません。の者は曹嵩様が滞在中、常に警護の兵を付け、よくしてくれていました。張闓ちょうがいが変心したのです」

 曹操の背中を追いながら、卞秉が早口でそう付け加えた。歩みを止めることなく、曹操が返す。まるで卞秉の忠告を予期していたかのようだった。

「その張闓だが、闕宣けっせんという奴と一緒になって泰山を荒らし回ったそうだ。それを裏から糸を引いているのが陶謙とうけんよ」

 曹操は諜報ちょうほう部隊を各地に展開させている。もちろん、それは徐州の陶謙のもとにも送り込まれていて、様々な情報を伝えてくる。

「まさか、張闓は陶謙の指示で曹嵩様をあやめたと?」

 曹操はそれには答えず、城門をくぐって城壁の上へ続く階段を上がった。

「奴は父の扱い方をあやまった。生かしておいて人質にすればよかったものを……殺すとは、愚かな……。これで心おきなくあの老いぼれを討てるというものだ」

 父のあだ討ち。それを大義名分にして、堂々と徐州に侵攻して陶謙をほふることができる。城壁の上に立った曹操が手にした強大な力を誇示するように手を広げ、卞秉に示した。城外を埋め尽くす三十万の大軍。死をいとわない狂信的な戦士たち。それが不気味に静まり返って、じっと新しいあるじの命令を待っている。

「見よ、この青州兵を。奴らはずっと戦いに生き、略奪を続けて荒野の中を生きてきた。まだ飼い慣らしたとはいえない餓狼がろうの群れだ。これを徐州に解き放つ」

 平素な口調とは対照的に、曹操の双眸そうぼう復讐ふくしゅうの炎が燃え盛っているのを知って、卞秉は思わず戦慄せんりつした。目に映るあらゆるものを焼き尽くす。そんな凶暴な意思が弾けるかのような、激しく猛々たけだけしい眼光。

 まもなく徐州は焦土しょうどと化す――――卞秉はおのれの予感に恐怖した。


 諸葛一家は無事に東海国たん県に辿たどり着いていた。陶謙は彭城ほうじょうで前線の指揮をとっているらしくみずから軍を率いて出陣中で、幸か不幸か留守であった。なので、城の防備は薄い。

 諸葛玄はすぐにでも広陵に向けて出立しゅったつするつもりだったが、長旅の疲れか兄嫁が体調を崩してしまったので、しばらく逗留とうりゅうせざるを得なくなった。

「――――薬なら、麻黄湯まおうとうが良い。せきしずめ、身体からだを温めて邪気を取り除く」

 山野を修行の場としていた葛玄には生薬しょうやくの知識もあった。諸葛瑾はそれを聞くやいなや、すぐさま孝行息子ぶりを発揮して、商店街へと走った。諸葛玄も孔明を連れて物資の調達に出た。孔明は開陽の時のように通りを歩きながら、街の人々の声に耳をませた。

 郯はさすが州都、人が多いだけあって、にぎわいがあった。しかし、にぎわう中にも、どこか不安が入り混じっている。活気と沈鬱ちんうつがせめぎ合っているような感じだ。

 曹嵩が陶謙の部下に殺されたらしいことはすでに街中に広がっていて、一部の民衆はその報復を恐れて、郯が戦場になるかもしれない可能性に動揺しているのが感じ取れた。

「群雄争覇のこの時代にいらぬ恨みを買った。もはや徐州と兗州の戦は避けられまい。できるだけ早く広陵まで下らねばなるまい」

「徐州様は兗州と戦うつもりなのですか?」

「闕宣を討つと公言して出て行ったらしいが。とにかく、曹操が攻めてくる気配を見せたなら、戦わざるを得ないだろう」

「では、様子見に出たということですね。ということは、状況次第では賊徒と手を結ぶこともあるということですか。事態は複雑ですね」

 諸葛玄はわずかな情報だけで、事態を透徹とうてつする利発さを見せる甥に目を見張った。

 陶謙は闕宣をただちに討伐するつもりはなく、曹操との間に置いてうまく利用したいのだ。つまりは、曹操と本格的に事を構える事態に備えて闕宣を自軍戦力として計算しつつ、場合によっては、曹嵩殺しの罪を着せた上で闕宣を討って、曹操に和解をもちかけるという両面作戦にほかならない。孔明はそれを見抜いたのだ。

 大通りに交わる通りに商店街があり、その中に東海一と評判の大きな商店があった。〝太麋堂たいびどう〟という看板が掛けられている。

「ここで要り用のものは大概手に入れられよう」

 諸葛玄が言って、その商店に足を踏み入れた。そこは主に食料品や雑貨を扱う店で、特に海産物の干物かんぶつ系が豊富に取りそろえられていた。

「私は店主と話してくる。その間に買い物を済ませて、先に帰っておけ」

 そう言うと、諸葛玄は店主に何かを告げ、孔明を残して店の奥へと消えた。


 数日にわたる休息と諸葛瑾が手に入れてきた麻黄湯がいたのだろう、兄嫁の体調は少しずつ回復していた。その間、諸葛玄は何度も太麋堂に入りびたって今後の方針を熟考じゅっこうし、結果的にこの逗留は諸葛家にとってさいわいした。というのも、次の避難先に決めていた広陵がにわかに不穏になってしまったからである。

 広陵太守の趙昱ちょういく笮融さくゆうという人物に殺されたという急報が届けられたのは、つい先日のことで、もしも逗留せずに急ぎ広陵を目指していたなら、今頃諸葛家は混乱の渦中かちゅうに身を置く羽目になっていただろう。

 太麋堂は表面的には商店を経営する、大きいという以外はごく普通の店舗であったが、主人が陶謙の要人であるらしく、その取り次ぎ次第では何でも手に入れられる店だという評判があった。事実、その人脈を生かして、裏で上客たちに対する情報提供も行っていたし、要人に対する禦侮ぎょぶサービスも提供していた。これには陶謙公認で州兵たちが動員された。〝禦侮〟というのはいわゆるボディー・ガードのことで、もちろん、これも上客用の特別サービスである。

 諸葛玄が太麋堂を利用したのは、もちろん、その辺の事情を知ってのことである。

「――――笮融というのは実に怪しい人物で、浮図ふと集団の教導者だと言っていますが、胡散うさん臭いものです。陶使君とうしくんは同郷だということで、一にも二にもなく召し抱えられましたが、この件で笮融自身が邪悪であることがはっきりしました。そのような者のもとへ行く前で、あなた方は本当に幸いでしたよ」

 諸葛玄が徐州情勢の詳細を求めてきた時、太麋堂の主人である麋竺びじくがそう言って、趙昱の死と合わせて笮融の人柄ひとがらを伝えた。浮図というのは、いわゆる仏教のことである。麋竺は陶謙から広域な商売網を利用した情報収集を任されていて、徐州と周辺の情報をいち早く知る立場にあったのだ。

「――――そうでしたか……」

 それを聞いた諸葛玄は嘆息して、趙昱の死をなげくとともに次の判断に頭を悩ませた。

「――――廬江ろこう方面はどうですか?」

「――――やはり、お勧めはしません。袁術えんじゅつ寿春じゅしゅんって、淮南わいなんを実質支配しました。袁術は威勢を回復するために住民から財貨を取り上げ、彼らを兵士として徴兵しています。廬江へ抜けるには、どうしてもそこを通過しなければなりませんから」

 麋竺の言葉に諸葛玄は首を振った。動くのも危険、とどまるのも危険。

「――――陶使君が留守の間に袁術が攻め寄せてくるやもしれません。我等も袁術の動向を注視しておりますので、新たな情報があれば、またお教えいたしましょう」

 結局答えの出ないまま、諸葛一家は徐州の都・郯県に留まって、麋竺の次なる情報を待ちながら、事の趨勢すうせいを見守ることになった。


 麋竺はあざな子仲しちゅうという。東海国県の人で、麋家は海産物を扱う豪商であった。

 陶謙はその財力を抱え込もうとして、麋竺を側近に登用した。

「――――そちの家は東海一の豪商だと聞く。どうすれば、そのように富を集めることができるのだ?」

 陶謙の問いに麋竺が答えた。

「――――あきないと君子の道は通じております。市井しせいの人々の声に耳を傾け、何を望んでいるのか、何を欲しているのか、それを正しく把握し、彼らが望んでいるもの、欲しているものを与えてやる。それができれば、商人は富を得ることができ、君子は名誉を得ることができます」

「――――まさにそうだ。今、市井の人々が望んでいるものは何だ?」

「――――平安の一言に尽きましょう。黄賊の乱と董卓の専横で天下は大きく乱れました。使君が徐州の民に与えるべきは、ただただ平穏な時でございます。うれいのない安寧な日々のもとでなければ、我等われらは安心して商売ができませんし、人々も購買どころではありません。徐州が平安を保つことができれば、それを求めて各地から人々がやってくるでしょう。人が増えれば、商売も繁盛はんじょうし、国庫も豊かになります」

「――――なるほど。だが、その安寧をもたらすにしても、軍備を増強しなければならんと思うが、それはどう思う?」

「――――その通りでございます。まだ青州には多くの黄賊がひそんでおると聞きますし、この徐州はいつその冦略こうりゃくうか分かりません。軍備を整え、奸賊かんぞくに備えるのは徐州の平安を守るためにも必要でございます」

「――――そのためにそちの家の財力を貸してもらいたいと言ったら、応じるか?」

「――――もちろんでございます。国のためとあらば、喜んで」

 麋竺は顔を曇らせながら、そんなやり取りを思い出していた。

 陶謙は軍備の増強を急いだ。そして、その過程で笮融を登用したのだ。浮図集団を率いていた笮融を取り込めば、戦力になると踏んだのだろう。その笮融が陶謙が徐州を留守にしたのに合わせるように趙昱を殺害し、広陵に居座った。趙昱が笮融の邪悪さを見抜いて、排除を陶謙に訴えようとしたというのが麋竺がつかんだ情報である。

 笮融、袁術、曹操……。今、徐州は野心ある奸物らに囲まれ、荒廃の瀬戸際せとぎわにある。

 麋竺は北海国の孔融こうゆうに向けた書簡をしたため、孔融の祖先である孔子の書物を贈物ぞうぶつとして、共に弟の麋芳びほうに託した。秦代以前の、焚書ふんしょまぬがれた逸品いっぴんである。今のうちに交友を深めておいて、いざという時には援軍を出してもらえるようにはかっておかねばならない。


 孔子の哲学を教義化した儒教では、親が殺された場合、そのかたきを討つことは孝行の一つだとされて認められてきた。しかし、それは個人の話であって、大衆を巻きこむような戦争行為を言っているのではない。

 曹操の心に激しく燃え盛る復讐の炎。その火勢は猛然として、もはや自分では消すことはかなわない。焼き尽くすものがなくなって、自然と消えるのを待つしかない。

 曹操の復讐戦は凄惨せいさんを極めた。青州軍と名付けた元黄巾賊たち、飢狼十数万を徐州内に解き放って、徐州領民を皆殺しにし、略奪、放火させた。

 尸山血河しざんけつが――――野に打ち捨てられ、地を覆い尽くした死屍累々ししるいるい。行軍のさまたげとなるそれらは川に投げ捨てられて、水は赤く染まり、ついには流れをせき止めたという。防衛にあたった陶謙はあえなく打ち破られて郯に逃げ戻ってきた。逃げ遅れた徐州兵は降伏も認められず、ことごと殺戮さつりくされた。灰燼かいじんと帰した城邑じょうゆう村落は百を超え、曹操軍はついに州都・郯県に迫った。陶謙は城門を固く閉ざし、逃げ出すこともできない住民たちは自分たちも殺されて焼かれるのだとおびえ、震えおののいた。

 死が目前に迫っている。少年孔明も伝え聞くその惨状に心底恐怖した。どうにも抑えることのできない戦慄が小刻みな震動となって、ひざを抱えて座り込む孔明の身を震わせる。体は強張こわばり、自分を締め付けてまない。それを取り払おうとして、孔明は曹操の狂気の行動のその理由をはかろうと、思考を強制的に切り替えた。

『主は怒りをもって師をおこすべからず。将はいきどおりを以て戦いを致すべからず。曹操は軍略家だと聞いたけど、『孫子』を知らないのだろうか……』

 君主は怒りにまかせて軍を興すべきでなく、将軍も憤慨にまかせて合戦を始めるべきではない。兵法家・孫子の言葉である。孔明が曹操の心の内を分析する。

『復讐心だけでここまでするだろうか。周辺の勢力に対して恐怖心を植え付けようとする狙いもあるだろうけど……』

 真相を探ろうという孔明の探究心が強まるのと比例して、冷静さが緊張を解きほぐし、震えが徐々に小さくなっていく。

『三十万の黄賊を抱え込んだばかりだ。新たに捕虜を抱えようにも食糧が足りない……』

 孔明の推測は当たっていた。曹操は青州黄巾賊三十万を降伏させたまではよかったが、そのせいで食糧事情に困窮こんきゅうした。兗州は長年の戦乱で荒廃しており、そこに一気に三十万の人口を抱えたわけだ。先の戦で袁術の軍糧ぐんぴょうを奪ったものの、それでも十分な兵糧ひょうろうを確保できないでいた。曹操は闕宣と陶謙を討って再び兵糧を手に入れたが、それもあっという間に底をつくのは目に見えていた。降伏したばかりの青州兵はまだ心服していない。食糧の供給が途絶えれば、彼らは再び黄賊として叛旗はんきするだろう。頭を悩ませる曹操の耳に父の死が伝えられたのは、まさにそんな時であった。

『あえて略奪を働かせることで黄賊たちの不満を解消させたんじゃないだろうか。でも、それは決して君子の策じゃない……』

 真相を探り当てた時、孔明の体はもう震えていなかった。そして、それと時を同じくするように、地獄のふちに一条の光が差し込んだ。


 固く閉ざされていた郯の城門が開かれ、喚声と共にある義侠ぎきょう集団が入城してきた。

 旗印はたじるしは〝りゅう〟の文字である。

「あれは平原へいげん劉備りゅうび様だ」

 誰かが言って、先頭の白馬に乗ったよろい姿の人物を指差した。その両脇には見事な体躯たいく武者むしゃが付き従っていて、一人は長髯ちょうぜん、一人は虎髭とらひげで、いかにも屈強そうだ。

 孤立無援の中に現れた救援軍。決して数は多くないが、死の淵に立たされていた徐州の人々にとって、それがまさに天からの救いの手のように感じられたのは当然だった。

「民に活気が戻った。もうしばらく命を長らえることができそうだ」

「はい」

 徐州民の万雷ばんらい喝采かっさいを浴びる劉備軍の行軍を孔明も叔父たちと間近に見つめた。

「このところうるさかったこの烏もすっかりおとなしくなった」

 隣に立っていた烏有先生こと葛玄がぽつりと呟いた。彼の肩に一羽の烏が止まっている。

「私たちは救われるのでしょうか?」

「どうだろうか。余りにも死人の数が多すぎて、鳴き疲れただけかもしれんぞ」

 浮世離うきよばなれした葛玄は人ごとのように言って、肩の烏を見やった。

 孔明が視線を戻すと、下馬げばした劉備が陶謙の出迎えに応じている場面であった。

 陶謙が劉備に走り寄ると、すがるようにして劉備の手を取った。その横に功労者の麋竺もいた。麋竺が日頃から進めていた北海相・孔融との友誼ゆうぎ政策が物を言ったのだ。孔融は自身が動けない代わりに平原相の肩書ながら、国に戻れず所属が宙に浮いていた劉備に話をし、その援軍にとよこしてくれたのだ。劉備は過去に黄巾賊に攻められた孔融の危機に駆け付け、先の兗州牧・劉岱の援軍要請にも応えた義侠心あふれる人物である。

 陶謙と麋竺が慇懃いんぎんに劉備をいざなう。ふと、孔明の目に見覚えのある人物が映った。

「あの方は……」

 泰山で黄巾賊の人質になった時、一緒に捕らわれていた人物だ。名前は知らない。

 その男は劉備と共に門をくぐって州府へと入っていった。そのタイミングで思い出したように烏が「ガァ」と一声、何かを訴えた。


 最後に野心の花を咲かせようとした陶謙も、それをあえなくくじかれて、人生の最期さいごを迎えようとしていた。曹操に完敗した挙句あげく、徐州を蹂躙じゅうりんされ、滅亡の危機にひんして、その心労は陶謙の自信と活力を奪っていった。黒と白が入り混じっていた頭はすっかり白一色となり、目は輝きを失い、頬はくぼみ、つい一カ月前とは見違えるようなやつれ様である。その口からこぼれ出る言葉も一カ月前のものとは明らかに違う。

 それは天に向いているのではなく、地を向いている。大地に根ざして生きる民草たみくさの方だ。

「よく来てくださった。心より感謝申し上げる。この感謝の気持ちを貴殿きでんに進呈したい」

 陶謙は悲嘆にくれる人生の最期で、ようやく民衆をいたわる発言をし、

「劉備殿、これを。どうかわしの代わりに徐州を治め、曹操から民をお救い下され……」

 徐州牧の印綬いんじゅを出して、それを劉備にゆずろうとした。慌てて劉備が制止する。

「何を申されますか。私はただ徐州殿をお救いするためにせ参じたまで。曹操を破った後は平原に帰ります」

 劉備はもはや平原相として復帰するのは現実的ではないことを理解しながらも、そんな発言で陶謙の申し出を断った。あくまでも官位は朝廷から下賜かしされるものであって、勝手に譲ったり、もらったりしていいものではない。漢室の末裔まつえいを意識する劉備は王室を尊重そんちょうするが余り、このようなことに関しては不器用にならざるを得ない。

「しかし、劉備様。今は非常事態でございます。曹操のような残虐ざんぎゃく非道な者の手に渡る前に、劉備様に徐州の全権をお譲りしたいと願う陶使君のお言葉はせつに徐州の民を思ってのこと。民のためにも、どうか受けていただけませんでしょうか」

 麋竺の言葉に嘘はなかった。曹操から徐州を守り、この地に安寧をもたらせるとしたら、戦の経験も豊富で、乱世の時代に仁義を示す劉備以外には考えられなかった。

「この話は聞かなかったことに致します。今は曹操軍を止めることだけを考えましょう」

 劉備はかたくなに首を振って続けた。

「お二方が気弱きよわになられるのはひとえに曹操のため。の者の脅威がなくなれば、徐州殿の心労もえ、これからも民のために励むことができましょう。私はそのために参ったのです」

 居心地いごこちの悪くなった場にちょうど義弟おとうと張飛ちょうひがやってきて、劉備に告げた。

「兄貴、曹操軍が現れたぜ」

「我等が曹操をとどめてご覧に入れます。ご心配なきよう」

 劉備がそう言って陶謙に一礼すると、張飛と共に州府を後にした。


 怒濤どとうごとく進軍していた曹操軍の先陣が打ち破られて散った。

 飢狼がろうと化して暴れていた青州兵を止めたのは、こちらも劉備の義弟おとうと関羽かんうである。

 精鋭五百騎を率いて、勢いだけで突っ込んできた数千の青州兵先鋒隊の只中ただなかに突入すると、その群れを猛然と切り裂いた。鬼神の如き力強さで道をこじ開けると、非道を行った仁義なき者たちを容赦なく血祭りにあげる。そして、今度は全騎を反転させて再び突撃を敢行かんこうし、算を乱して逃げ惑う敵兵とは対照的に悠々ゆうゆうと劉備のもとへと戻ってきた。

「さすが兄者あにじゃ。今日はいつにも増して気合いが入ってるな」

 張飛が感心して兄の武勇を称賛し、武者むしゃ震いした。そして、今度は選手交代とばかりに張飛が雷鳴のような雄叫おたけびを上げ、五百騎で敵中に突入した。張飛も関羽に負けず劣らずの勇猛さで、当たる敵兵を次々とぎ倒し、突き崩し、まさに一騎当千ぶりを体現していた。

 張飛隊の戦いぶりを馬上で観戦しながら、劉備が関羽に尋ねた。

「曹操は見えたか?」

「いえ、本隊はまだ後方のようです」

「そうか。ならば、曹操が到着する前にできるだけ敵の勢いをいでおくか」

「はっ」

 関羽が再び馬首を返し、軍を率いて突撃の第二波をかけた。関羽・張飛隊のすさまじい戦いぶりに青州兵は戦意を喪失し、瓦解がかい寸前となった。それを見た劉備自身が歩兵隊を率いてそれに追い打ちをかけ、ついに三倍以上はある青州兵を敗退させた。

「何と言う強さか……」

 城壁の上からその勝利を見届けた麋竺は劉備軍の圧倒的強さに、まるで奇跡を見たかのように茫然ぼうぜんつぶやいた。

「これは何としても徐州にお留まりいただかねば……」

 城門へ駆ける麋竺は興奮していた。劉備が徐州十万の兵を率いたら、徐州は安泰どころか、漢朝復興の夢物語さえ実現しうる。そんな気がしたのだ。

 勝利の報が伝わって徐州城内が喚声にき返り、その高揚感に孔明も包まれていた。徐州の民を救った英雄たちが凱旋がいせんして、民衆の歓喜は絶頂に達した。

『弱きを助け、強きを挫く。これが侠の精神……』

 何とも言えぬ清々すがすがしさに打たれながら、孔明は少しだけ侠の精神を理解できたような気がした。


 野に横たわる無数の亡骸なきがら。草木は血にまみれ、鳥獣ちょうじゅうの声すら聞こえない。

 家屋は跡形あとかたもなく破壊され、放火され、焼き尽くされた。焼けて黒焦げになった遺体もそこら中にあって、死臭ししゅうが辺りを覆っていた。青州兵が群盗ぐんとう本性ほんしょうき出しにして、狂瀾きょうらんのように通り過ぎた結果だった。

 この地獄を創造したのが自分であることも忘れ、破壊と殺戮の痕跡こんせきを横目に狂気に満ちた曹操はただもくして進む。

 前方に動く姿があった。一人二人ではない。集団だ。それはこちらに向かってくる。曹操が片手を上げ、進軍停止の合図を出した。

「私が参ります」

 隻眼せきがんの将軍、夏侯惇かこうとんが言って、槍を片手に乗馬を駆けさせた。麾下きかの騎馬隊がそれに続いた。戦闘は起こらなかった。こちらに向かってくる一団が敵ではないということだ。

「先発した青州兵でした」

 戻ってきた夏侯惇が曹操に報告した。その青州兵が舞い戻ってきたということは、どこぞの軍に敗北をきっしたことを意味する。曹操がその報告に我に返るように聞いた。

「誰にやられた?」

 あの老いぼれ陶謙にもうそんな力は残っていないはずだ。曹操が疑問を抱くのも当然だった。それに夏侯惇が答える。

「兵たちから聞き取りしたところ、どうやら劉備の軍だと思われます」

玄徳げんとくか。……なるほど」

 曹操はその名を聞いて、妙に納得した。

 劉備は昔からの既知きちである。その二人の義弟、関羽と張飛が豪勇を誇るのも知っている。そして、劉備兄弟が仁義をうたって世の中を駆けていることも……。

「お人好ひとよしめ。陶謙に泣きつかれたか」

 曹操はあざけるように独り言を言ってみたが、憎悪に支配された自分を止められるとしたら、それが劉備であろうことも理解していて、

『さあ、お前の仁水じんすいとやらで、オレの怒りの炎を消してみせろ』

 まだ見ぬ相手にそうげきを飛ばして、口元にかすかな笑みを浮かべると、再び進軍の号令を発した。


 初平しょへい四(一九三)年、冬。曹操軍が敗走した青州兵を収攬しゅうらんして郯県に到達した。

 郯城は徐州の都だけあって、厚く堅牢けんろうな城壁に守られており、その城壁の上にずらりと兵が配置されていた。勢いに任せて一気に落城させる腹もりであった曹操には苦々しい光景であった。曹操が嘆息混じりにぼつりと呟いた。

「先手の勢いを削ぎ、籠城ろうじょうを図るか。常道ではある」

 劉備が城にこもったと聞いた時点で、曹操はなかば撤退を決意していた。敗戦続きで意気消沈し、戦意を失って恐怖に打ち震える弱兵を破るのは容易たやすい。しかし、劉備が援軍に駆け付け、緒戦に勝利したことで、惰弱だじゃくに取りつかれたはずの徐州兵が希望と戦意を取り戻し、徹底抗戦の構えを見せている。

「……窮冦きゅうこうは迫るなかれ、だな」

 また曹操がぼつりと呟いた。『孫子そんし』の言だ。窮地に陥った敵は死に物狂いで戦うので、追い詰めてはならないという意味である。降伏をうた徐州兵を許さずに殺したことが、今、障害となって曹操の前に立ちはだかっている。

退きますか?」

「玄徳と話してからな」

 夏侯惇の問いに答えた時、城門が開いて、騎馬にまたがる一人の勇者が現れた。

 関羽。背後に多数の荷車を従えている。決戦の様子はない。それに応じるように曹操陣営から夏侯惇が単騎で進み出て、関羽を迎えた。

雲長うんちょう、久しぶりだな」

「我が兄の言葉でござる」

 関羽は夏侯惇の挨拶あいさつには応じず、馬に跨ったまま、兄の書簡を乗せた青龍刀を突き出した。既知ではあっても、戦時である。夏侯惇は憮然ぶぜんとしてそれをつかみ取ると、

「そこで待て」

 無愛想ぶあいそうな関羽に命じた。曹操がその書簡を受け取り、泰然自若たいぜんじじゃくに構える関羽から書簡へと目を移す。内容は冒頭に曹操の父の死に遺憾いかんを表明しつつ、下手人は張闓であり、陶謙の命令ではないことを改めて弁解するものだった。そして、無関係の徐州民をりくす不義を糾弾きゅうだんしながら、曹操に私怨しえんに捕らわれず目を覚ますように訴え、和議を結んで、これからも漢朝再興の大義のために共に戦うことをうながしていた。

「ふふ、あの兵糧は信義のあかしとでもいうつもりか」

 劉備も曹操軍が兵糧に事欠いていることは知っていた。その上での書簡と兵糧の提供である。劉備の言葉には嘘がない。まことのものである。それはことの葉を運ぶさわやかな風、清らかな水のだ。だからこそ、それに触れれば、無意識のうちにいきどおりの炎が吹き消され、冷めてしまう。不思議なことに劉備にはそういう力がある。仁水と例えられた力だ。

 曹操は胸の中で燃え狂っていた激しいたけりがすっかり薄らいでいるのを自覚した。

「どこまでも甘い奴だ」

 それが期待通りであるにもかかわらず、劉備をそうあざけりながら、曹操は書簡を閉じた。が、劉備もただ甘いだけの男ではない。曹操が感心するほど抜け目のない男でもあるのだ。曹操の耳にはすでに斥候せっこうの報告が入っていた。

 劉備は公孫瓉こうそんさん麾下きか田楷でんかい趙雲ちょううんの騎馬軍を郊外に配して遊軍とする一方で、敗走四散した徐州兵を太史慈たいしじに集めさせていた。

 攻城戦は一筋縄ひとすじなわではいかないだろう。戦いが長引けば、袁術がその隙を突いて、再び動き出すかもしれない。兵糧も心配だし、青州兵の反旗も考えられる。

 曹操はもともと長期戦を考えていなかった。

「善の善なるは、戦わずして人の兵を屈するものよ」

 曹操はまた『孫子』の一節を口に出して、撤退を決めた。曹操としても、劉備は敵ではなく、味方に付けたい男なのだ。

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