其之十一 導きの先
年が改まり、建安元(一九六)年の九月を迎えて、ついに事態が動いた。
改めて笮融の動向を探るために派遣された
実力で予章太守となるか、正式に予章太守となるか。
ちょうど皇帝が長安を脱して、足取りが転々としていたこともあって、使者が到達していないことを理由に笮融を説得することができていたが、七月になって皇帝は洛陽に帰還し、そんな言い訳が通用しなくなった。
孔明は事態が動くだろうことを見越して、西城から南昌の様子を窺うことにした。
その矢先のことである。とにかく、これで笮融の
続々と南昌から人が押し寄せて来るのを見れば、城内で騒動が巻き起こったのは間違いない。ある程度の兵力と兵糧を集めるには十分な時間があった。恐らく叔父の内応もある。劉繇はこれを知り次第、南昌へ攻撃を仕掛けるだろう。
だが、孔明は自分の胸から不安を
孔明はじっとしていられず、南昌から逃げてきた人を見る度に様子を尋ねた。
「郡兵はまるで駄目じゃ。いつもは大口をたたいとるくせに、まともに戦わんで降伏してしまいよる」
「朱太守が殺されてしまってな。こりゃ、どうもいかんっちゅうことで逃げてきたわけよ」
不安が的中していた。孔明の心から消えなかった不安要素――――それは南昌の郡兵の錬度と士気の低さだった。戦い慣れしたごろつき集団と
叔父が戦いに勝利すれば、ここに現れることはない。だが、戦いに敗れて逃げてくるとしたら、ここ西城は最も有力な候補地であった。さらに、どうしても孔明を惑わせる情報があった。
「城の外に軍隊はいねぇよ。だけん、こうやって逃げて来られたんだわ」
「城外に劉揚州の軍が来ていないのですか?」
「劉揚州の軍? ……何のことを言いよるんか分からんが?」
信じたくはない。しかし、誰に聞いても城外に軍はないと言う。
『いったい、どうなっているんだ?』
孔明の頭の中に完成したはずの勝利の計画が、混乱という
「それで、叔父……
「いや、知らねぇなや……」
それから孔明は西城の半壊した門前から動かず、逃げてくる人々に片っ端から叔父のことを聞いて回った。そして、不吉な予感が現実になった。いや、願いが天に通じたとも言える。夜中になって、民衆に抱えられるようにして諸葛玄が西城に逃れてきた。
「叔父上!」
諸葛玄はわき腹を押さえながら、苦痛に顔を
「無念だが、南昌は……笮融に押さえられた」
「お体は?」
「心配ない。……だが、ここもすぐに……離れなければならん」
諸葛玄は呼吸をする度に顔を歪めた。
「劉揚州のもとへ参りましょう。話はつけてあります」
「……いや、この傷ゆえ……そう遠くへは行けまい。……笮融も、私が劉揚州のもとへ逃げると考えるだろう。……すぐに街道は……封鎖される。……どこか他のところに隠れて、しばらく様子を窺う必要があるな……」
「それでは、
孔明は一緒に避難したいという民衆の助けを借り、傷付いた叔父の身を閣皂山の山奥へ運ぶことにした。
叔父の負傷は孔明にとって痛恨だった。現実が頭で描いた通りには運ばないということを痛感させられながら、動きを見せなかった劉繇に
その時劉繇が病に伏していたことは後で知ったが、それでも大きなチャンスをふいにし、叔父が深手を負ったことには変わりない。
『劉揚州が負け続けた理由が何となく分かる……。天が味方していないんだ……』
そんな人物に関わったことがこの結果を招いた。孔明は悔やむしかなかった。
傷の応急手当をして諸葛玄が安静にしている間、孔明は笮融の追跡を逃れるため、西城近くで諸葛玄が死んだという
傷が完治しないまでも、諸葛玄が何とか歩けるようになったのはそれからおよそ
「これしきの傷でいつまでも寝ていられない。なに、問題ない」
まだ痛みは強いはずだが、諸葛玄は甥子たちを心配させぬように気丈に振る舞った。もう笮融の追跡がないとは断言できなかったし、劉繇を助け、南昌を奸賊の手から解放しなければならないという責務が諸葛玄をそうさせた。叔父の体調が気がかりだったが、
こうして、諸葛一家の
「私の
孔明がその羽扇を受け取ると、それを
しかし、この羽扇には師の思いと知恵が込められている。見つめる度に師の教えを思い出すだろう。
「先生にご教示いただいたことは忘れません。またいずれ仙境にてお会い致しましょう」
感謝と別れを告げる孔明に、葛玄はただ黙して頷いた。
南昌が笮融に押さえられ、荊州に向かうルートは必然的に
そのため、
『笮融は先を考えて行動しているようには思えない。兵を連れていない叔父のことなど、どうでもいいのだろう。反旗を
孔明はいつものように人々の様子を観察して、状況を分析した。
宜春の街は普段と何ら変わらない平穏ぶりで、危機感は感じられなかった。
笮融と協調中の
宜春は
袁京、
『あのお方のように何か重い使命を背負っていたんだろうか?』
「ちょっと亮、何してるの。ほら、亮も手伝って!」
思案中の孔明の耳にそれを中断させる姉の言葉が飛び込んできて、孔明は別の憂慮に対さなければならなくなった。長途移動したことが原因で、叔父の傷は再び出血していた。孔明と
葛玄から教えられた薬草をすり潰して
「一家を率いるべき私が足手まといになってしまったな……。
諸葛玄が自責の念と傷口に塗り込まれる薬の刺激に軽く
自らが招いたこととはいえ、不甲斐ない。一行は
「
玲がそう言って、叔父を
「瑛姉さんが嫁いだのは阿参が生まれる前のことだったわよね。阿参も嬉しいでしょう。初めて瑛姉さんに会うのよ」
玲は暇を持て余して土いじりをする弟を見て笑顔で言った。孔明はとても笑顔は作れない。叔父の傷を見る度に自己嫌悪に
孔明は己の失策を責め、叔父に謝罪した。
「……叔父上、誠に申し訳ございません。叔父上のこの傷は私の愚策が付けたようなもの。自分の浅はかさを恨むばかりです……」
「どうしてお前が謝る必要がある? ……これは太守の座に固執した私自身が招いたものだ。お前が知恵を働かせてくれたからこそ、こうしてここにいられる。そうでなければ、今頃私も笮融に殺されていたかもしれん」
「そうよ。亮、しっかりしなさい。そんな
叔父は消沈した甥を慰め、姉は陰気な弟を叱咤した。
玲が明るい話題を探して聞いた。
「襄陽は悪くないところなのでしょう、叔父上?」
「ああ。あそこは平穏だ。お前たちさえ良ければ、襄陽に住み着いたっていい……」
諸葛玄は兄の
『この体がもてば、の話だが……』
子供たちに配慮して言葉にはしなかったが、諸葛玄はそう遠くない死期を感じていた。
予感通り、諸葛玄の体調は日に日に悪化していった。まだ完治していないのに長距離を歩くのは自ら死期を早めているに等しい行為だったが、それでも歩みは止めなかった。孔明も叔父の体調の変化には気付いていたが、長沙に入るまでは急いだほうがいいという叔父の言葉に反対はできなかった。
太守が不在となって、予章の治安は急激に悪化している。笮融の追跡がなくとも、山賊やおいはぎのような
「この峠を越えれば、もう長沙です。叔父上、お体は大丈夫ですか?」
「……ああ、長沙に入ったら、少し休む」
「長沙の張府君は高名な医者だそうです。着いたら、すぐに
重い足取りの諸葛玄は荒い息を吐きながら、甥の言葉に頷くだけだった。
夕闇が迫る中、一行がようやく九岭山の峠に差し掛かった。峠には道を塞ぐように小さな
亭とは十里ごとに設置された警備施設のことで、州境や郡境の亭は簡易的な宿泊施設も備えている。小さな関所のようなものだ。それでも、冬の寒さに震える孔明たちにとって、心安らげる
叔父を支える孔明が目をこらすと、四、五百ほどの軍勢が待機しているのが見えた。小さな亭には不相応な物々しさだ。奇妙に思っていたところ、その軍勢を率いているらしい
「予章の諸葛玄殿とお見受け致すが、間違いござらんか?」
「いかにも」
「それがし、長沙太守・
初老の武官が拱手し、諸葛玄たちを出迎えた。宿舎にはすでに食事が手配されており、荊州に入っていきなりの厚遇だった。
「
「……有り難い。……お心遣い、感謝致す」
「何の」
その
『あのお方の言葉は重い。万人を動かす影響力がある……』
孔明はこの待遇の全てが今は亡き許劭の言葉が持つ力だと分かって、許劭の人相見以上の力を静かに感じながら、「
このところ、許劭が遺した言葉が
「――――それと、襄陽に着いたら、亮に家長になってもらう」
「――――え、私がですか?」
「――――そうだ。玲が言うように、お前にはもっとしっかりしてもらわなければならん。道中、
数日前に叔父から告げられた一言も大きなプレッシャーとなっていた。この二人の言葉が孔明を悩ませ、このところ満足に寝付かせることをさせなかった。
その夜も体は疲れているにもかかわらず、孔明は簡単に寝付けずにいた。
『光明……。字意が名にも合っているし、
中国では成人した折に自分で字を付け、社会に出てからはその字で呼び合うのが風習であった。大概それは親からもらった名に通じるものが選ばれた。
孔明の名は〝亮〟であるので、〝光〟も〝明〟もそれに通じて良いというわけだ。『礼記』に「二十を
しかし、二十を向かえる前に自ら
『若者が持つ可能性の光は……はなはだ美しく輝いて、見える……』
また、許劭の言葉が鮮明に脳裏を
『
『良い響きだ』
孔明は思わず体を起こした。今のは誰の声?
周りを見渡してみるが、起きている者はいない。孔明の耳にはただ暗い部屋の
『気のせいか……』
孔明はこの平静な夜に安堵して、烏有先生からもらった黒い羽扇を片手に宿舎の外に出た。外の空気は刺すように冷たく、空は孔明の心象を映し出しているかのようだった。月の明かりも星の
『とうとう荊州に入った……』
何を見るでもなく、ただ寂しい夜空を見上げながら感慨に
故郷の瑯琊を出、徐州を縦断し、広大な揚州を横断した。疎開という名の流浪の旅はまだ続いている。これまでの変遷をおさらいするかのように暗く苦い回想が頭を駆け巡って、孔明から完全に眠気を追い払ってしまった。記憶の奔流が一段落すると、孔明は思い出したかのように身ぶるいした。
「長沙の冬は長く厳しい。ずっとこのような陰天が続く……」
その声はあの白鬚の武官のものであった。孔明が声がした方を振り返ると、松明の明かりの中にその武官、
「このところ荊州では
傷寒とは、現在でいうところのチフスやコレラのような伝染病を指す。
ちょうどこの時期、中国だけでなく、インドやヨーロッパでも同じ様な伝染病が大流行して、多くの人を死に至らしめた。
「そうでしたか。こうして荊州に無事入ることができて、安心したものですから……」
「お父上のご容体はどうかな?」
「叔父です」
「それは失礼した」
「いえ、もう父のような存在ですから。今はぐっすり眠っています」
「そうか。ここまで随分と無理をされてきたご様子だが、張府君は世に聞こえる名医ゆえ、きっと治していただけよう」
黄忠が孔明を安心させるように言った。眠気がすっかり消え失せてしまっていた孔明は黄忠に聞いてみた。許劭は長沙太守に諸葛家の保護と援軍派兵の書簡を送っていた。
「はい……。あの、
「兵が十分ではない上に疫病の
十年前の長沙太守は
予章郡の宜春県が賊に攻められ、孫堅に援軍を請うた。無許可で軍を越境させることは
「――――この緊急事態にそんなしきたりを気にしていてどうするのか」
孫堅は軍を発して州境を越え、見事賊軍を打ち破って宜春の窮地を救った。
この時の宜春長は孔明が廬江で会った
黄祖は黄忠の遠縁で、ルーツは〝枕を扇ぎ
黄香は
黄香少年の篤い孝行ぶりは都にも届き、黄香は官吏に登用されて国政に参加し、和帝の
黄香より後、江夏黄氏は代々高官を輩出し、一族繁栄の時を迎えることとなる。
長子の
黄瓊の在任当時は大将軍
瓊も琬も共に清流派官僚の代表として毅然と正義を貫き、邪臣を討ち、さらに黄氏の評価を高めたのである。しかし、栄達するに従って、黄氏の分家も進んだ。
各地の太守や刺史となって赴任して、そのまま赴任地に定住することもあったし、政敵から目を付けられた一族を隠し、場合によっては避難させるような処置をとらなければならないこともあったからだ。江夏黄氏は大きく繁栄して枝分かれした結果、荊州の南陽と
黄忠の黄氏は南陽の分家筋であり、黄祖は江夏黄氏本家の出自である。
また、零陵の黄氏は孫堅に従って戦った
その黄蓋は今や孫策の配下であり、黄氏はそのような経緯から敵味方に分かれてしまっていた。乱世は様々な不幸を各家庭にもたらす。
黄忠が寒風に
「今の時代はこの長沙の冬のように厳しい。耐え
「私も戦災に苦しむ多くの人々を見てきました」
「君たちは荊州に留まるのかね?」
「そうなると思います。姉がこちらに嫁いでいますから」
「そうか。明日はそれがしが付いて同行致す。ゆっくり休んで、明日に備えるとよいだろう」
「はい」
孔明は黄忠にそう
その姿が闇に消えるまで黄忠は孔明を見送った。まさか十数年後の孔明が自分を使いこなす大才を身に付けて再び現れるとは、さすがに想像できなかった。
荊州には毎日のように各地から逃れて来た人々がやってくる。ほとんどが戦乱で一族の離散や死別を経験し、土地も財産も失った者たちだ。
翌朝。諸葛玄は
しかし、諸葛玄はその時はもう動くことすらできず、意識は
「直ちに太守に知らせる。お前たちは諸葛殿を
黄忠が兵たちに指示して、自らは太守府へと急いだ。すぐに太守の張仲景が二名の助手たちを引き連れて、〝越人堂〟の
張仲景は白鬚を蓄えた初老の士大夫で、衣装の袖をまくし上げて、
それから服をめくって傷口の様子を見ると、
「顔面の麻痺。
明確に診断を出した。現代で言うところの
「
助手たちは言われたとおり、それらの薬を用意するため、隣接した
医者でもある張仲景は漢方薬の原料を多種多様に買い集め、それを備蓄していたのだ。その備えが傷寒が流行している長沙の民を救い、諸葛玄をも救おうとしていた。しかし、張仲景は諸葛玄の容体が予断を許さないのを伝えるように、
「申し訳ないが、ご家族の者たちには外で待機してもらいたい」
厳しい表情でそう言うと、黄忠が阿参と抱き合って心配そうに様子を見守っていた玲を堂外へと
「心配は無用。名医の太守殿が必ず良くしてくれる」
黄忠が力強く言って、玲を頷かせた。孔明はそれには反応せず、
「芍薬甘草附子湯、当帰四逆散、楓果脂、山漆……」
張仲景が口にした薬を忘れないように、指を折りながら、ぶつぶつと独唱していた。黄忠はそれを
それは葛玄や張仲景との出逢いとその際に見聞した知識の
漢の国土のほぼ中央に広がる荊州は、江水(長江)を挟んで北と南に分けられている。荊南に所属する四郡のうちの一つが長沙郡である。その郡治は湘水沿いの臨湘に置かれていた。州土が広大なため、州府は荊州のほぼ中央、荊南四郡の一つ、武陵郡の
しかし、黄巾の乱と董卓の専横で政局が混迷し、荊南でも漢王朝に対する反乱や不服従が相次いだ。そのような経緯があって、七年前に州牧(州の長官)となった劉表は荊南に入ることを断念し、荊北の襄陽に州府を設立して統治にあたった。
彼は荊州の有力豪族である南郡の蔡氏や蒯氏、江夏郡の黄氏を重用して、彼らの力を借りながら荊州の安定統治を実現させた。
人望のあった張仲景を長沙太守に起用したのも、その対策の一環である。
張仲景は名を
政界に強い関心はなかったが、その名声と父の勧めもあって、
ちょうど荊南地方に疫病の
医療への情熱が衰えることのない張仲景は長沙へ赴任後、あえて官僚と医師の二足のわらじを履いて、政務の一方で大衆の治療を行った。
そのシンボルが越人堂である。この当時、庶民は役人に気軽に近づくことはできなかった。ましてや太守となれば、なおさらである。しかし、張仲景は毎月一日と十五日に太守府の門を開き、越人堂に座り、民衆の病気治療を行った。この評判を聞き、遠くから診療に訪れる人も多かった。
どれくらい時間が過ぎただろう……。
「君の叔父殿のことだが、恐らく一命は取り留めるだろう」
施術を終えた張仲景が越人堂から出て来て、阿参と二人で
「ああ、良かった!」
その言葉に安堵して、思わず玲は阿参を抱きしめていた。孔明は越人堂の前庭に
黄忠が言うには、この前庭自体が生薬植物園そのものだという。
山野から
張仲景が時を忘れたかのように観察を続ける孔明に声をかけた。
「それは
「はい。私の知らない知識です。機会があれば、学びたいと思います」
「それは良い。時間さえあれば、私自ら教えてやりたいところだが」
「太守様。出立の
その時、
「郡内の巡察ですか? 必要なら、それがしが護衛に付きますが」
「いや、そうではない。つい昨日これが届いた」
黄忠の誤解に張仲景が
劉表から届いた辞令である。内容は張仲景の解任を伝えるものだった。
それを見た黄忠が唸った。
「むぅ……」
黄忠のはとこに
つまり、黄承彦と劉表は義理の兄弟だ。帛書には黄承彦の娘が流行り病にかかってずっと伏せっているので、戻ってそれを治療してほしいと書き記されてあった。
随分私的な解任理由と言える。
「本来、郡守の任命解任は朝廷の命で行われるもの。劉荊州はそれをお忘れなのか?」
桓階は言葉尻に立腹を
「
桓階は
しかし、劉表は聖人君子を装いながら、そうではない。恩人である孫堅を葬った相手として、桓階の胸に刻まれている。
「私にとって太守の任は重すぎる。ただの医者に戻れるのなら、その方が良い。明日発つ。後任が到着するまで、太守の任は伯緒に代行してもらう。漢升は
「畏まりました」
桓階は不満を
「叔父殿の代理は君にしてもらおう。許子将から
そう言うと、張仲景は孔明を話し相手に誘った。
太守官邸に移って行われた二人の会談は、まず張仲景が諸葛玄の容体の真相を打ち明けることで始まった。
「医者として正直に言おう。君の叔父上だが、すでに五臓の気が衰え、閉じようとしている。一命は取り留めたと言ったが、余命は
一転して残酷な告知だった。孔明は胸を強く弾かれたような、痛みを
しかし、我を失うようなことはない。五年分の成長がそれを冷静に受け止めるだけの耐性を備えさせていた。
人の生は
「それを聞いたら、何としてでも叔父と襄陽に辿り着かなければなりません。きっと叔父もそう言うでしょう」
孔明は時に使命というものは一個の命よりも重いということを学んできた。
それを教えてくれた叔父の思いを、使命を
「事情は理解している。病人に無理をさせるというのは医者の
孔明の強く
長沙の治安維持のためにも、隣国の予章の安定は不可欠な要素だ。
「叔父殿は明日には意識を取り戻すだろう。まだ動かせる状態ではないが、舟を利用すれば、動かずとも移動できる。私が一緒に付いて、容体を診ながら行こう」
「ありがとうございます」
「これも医者の責務だ。礼には及ばん。それより、君は薬の知識がないと言っていたが、叔父殿の傷口に塗ってあったのは
〝艾葉〟はよもぎの葉のことで止血剤として、〝附子〟はトリカブトの
孔明が張仲景の疑問に答える。
「それは方士の烏有先生に頂いたものです。烏有先生は山野に入って修行を重ね、薬の知識にも詳しいお方でした。私は教えられたとおりに叔父の傷口に塗っただけです」
「そうだったか。時さえ許せば、私もその烏有先生にいろいろ知見を伺いたいものだ」
張仲景は政務の傍ら、自身の医学についての知識、経験を著書にまとまめているところだった。彼の著作『傷寒雑病論』は後世、漢方医学界におけるバイブルとなる。
「私も烏有先生と出会って、薬の知識が大いに役に立つことを知りました。仲景先生、叔父を治療した時に言っていた薬のことを教えていただけないでしょうか?」
「もちろん、良いとも」
張仲景は白く伸びた
「
「食事はちゃんと取っていたようでしたが」
「病人というものは時々、家族を心配させぬよう嘘をつく。恐らく食欲がなく、ほとんど食べていなかったに違いない」
孔明はそれを聞かされ、大いに反省した。まだ配慮が足りなかった。もっと注意していれば、善意の嘘も見抜けたはずだ。
「
山漆は今で言う
「これも薬でしょうか?」
孔明は張仲景に勧められた茶を
「うむ。
伏波将軍とは後漢初期の名将・
百五十年ほど前、異民族の反乱鎮圧のために南征した時、武陵郡を通過中に兵士たちが伝染病に侵されてばたばたと倒れた。馬援が現地の医者に尋ねると、この三生湯の処方を教えられたという。これは幾分の原料の変成を経て、現在の
「まだ苦いか? 少々甘くしているつもりだが」
「いえ、伏波将軍の苦難の味と思えば、感慨深いものがあります」
孔明は三生湯をもう一口啜りながら、そう呟いた。また苦みを感じた。
それが自身の配慮の欠如がもたらした味のように思えた。
諸葛家の一行は長沙から湘水に乗った。諸葛玄は張仲景の見立てどおり、意識を回復させたが、まだ満足に動けない状態が続いた。水路なら、体への負担は少ない。
諸葛玄は寝台付きの舟に
「……私が医者を志したのは『史記・
張仲景が口にした扁鵲とは、あらゆる医術に精通していた古代のスーパー・ドクターである。張仲景は著作の『傷寒雑病論』序文の冒頭を「越人が
扁鵲の本名は
ある日、扁鵲が虢という国を通りかかったところ、そこの皇太子が突然倒れて亡くなったと悲しむ人々を見かけた。扁鵲は長年にわたる医療の経験からその凶報に対して疑いを持ち、国王に謁見して皇太子が亡くなった時の状況を
国王は感激し、皇太子の治療をさせた。扁鵲が
この扁鵲の治療を聞いた人々はそれを〝起死回生〟と形容したという。
また、扁鵲は斉の国王の顔色を見ただけで病気を見抜き、その病状を
「扁鵲に比べたら、私の医術は遠く及ばない。私もまだまだ学ばなければならない。荊州には賢人が多い。学ぶには良いところだ。世のため人のため、自分に何ができるか。君も学びを通じて行くべき道を見つけ、それに従いたまえ」
「はい」
孔明は自分に足りないことが
ふと川面を見つめた。どこまでも続く
それを分断するように川の中央に細く伸びる砂洲があった。
「あれが長沙という名の由来でしょうか?」
「恐らくそうだろう。普段は川の中だが、以前よりは顔を出すことが多くなった。私が長沙に赴任してきた当時よりも若干大きくなったようだ。日々荊南の土砂を集めて、成長しているのだろうな」
孔明はそれを己に
どちらにしても、学び続ける生き方をするだろうことは間違いない。
学びの地・襄陽――――湘水の流れがゆっくりと孔明を運んでいく
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