其之十二 歓びと哀しみと

 襄陽の発展は劉表りゅうひょうが荊州府をこの地に設置した頃から顕著けんちょになった。

 地元豪族の協力を得て荊州の支配を固める一方で、朝廷から派遣されてきた趙岐ちょうきの進言に従い、兵や食糧を送って、洛陽に辿り着いた皇帝を援助した。

 それらの功績が認められ、劉表は昨年、朝廷から鎮南ちんなん将軍に任じられて、属官を置き、人材を招聘しょうへいし、幕府を開くことを許された。また、劉表は前漢皇族の末裔まつえいであるので、皇帝は劉表を〝伯父おじ〟と尊称することを伝えた。

 こうして劉表は名実共に群雄中でも一、二を争う有力者となり、荊州の支配体制をさらに強固なものにしていった。

 その中心である襄陽は地理的に中原から近いこともあって、戦乱を逃れて来た難民が次々に押し寄せて、人口も急速に増加中である。ところが、襄陽はすでにパンク状態で、漢水を隔てて対岸に位置する樊城はんじょうを拡張整備して、彼らの受け入れ先に充てた。この施策は以前、諸葛玄がこの襄陽にいた頃から始められていたものだ。

 劉表は有力豪族たちを優遇することで彼らの支援を取り付け、難民に食糧を配布し、その慰撫いぶに努め、襄陽の地域一円に安定をもたらした。

 一方で、それらマンパワーを管理・駆使して、地方都市の一つに過ぎなかった襄陽を政治・経済・軍事・文化・学問の中心都市へと作り変えていった。

 諸葛家一行が襄陽に辿り着いたのは、劉表の威光が燦然さんぜんと輝いている時であり、襄陽が最も繁栄を見せているそんな時であった。

「叔父上、ついに着きましたよ」

 舟が船着き場に接岸し、孔明は襄陽の城門を目視して、後ろに座る諸葛玄に告げた。諸葛玄はいくらか体調を回復させており、安堵と苦悩が入り混じったような表情で何度か小刻みに頷いた。臨漢門りんかんもん双眸そうぼうには見慣れた城門が懐かしさを伴って映り、脳裏にはこの疎開の道中に起きた様々な出来事がよぎった。

 江南を目指したはずの疎開の旅は予期せぬ運命のいたずらと時代の荒波に翻弄ほんろうされて、変遷を繰り返した。故郷の瑯琊ろうや陽都を出てから、ほぼ四年の月日が流れている。

 長途南下して、西へと方角を転じ、今度は大きく北上した。諸葛玄はこの襄陽を最終目的地と定め、この苦難の旅路とその人生にピリオドを打つつもりだった。

「これで兄に対して、何とか面目めんぼくが立つ……」

 諸葛玄はまた一つ、小さく安堵の息を漏らした。


 叔父と姉らをかい家の屋敷に送り届けた翌朝、孔明は襄陽の城邑まちの散策に出た。

 繁栄を極める襄陽は確かにこの疎開の旅路で見てきたどの城邑よりもにぎわっていた。単に人が多いというだけでなく、皆が平和を享受して、一様に表情が明るい。

『叔父上は劉荊州を大層評価していたけど、これを見ると、確かに良い領主なのだろうと思える……』

 孔明が大通り沿いに歩いていると、書物を抱えた青年たちがぞろぞろと同じ方向へ歩いていくのが目に入った。中には孔明とそう年が変わらないだろう少年たちもいて、孔明は興味をそそられた。彼らに付いて城門を出ると、見事な隷書れいしょ体で書された〝荊州学府〟という四字の扁額へんがくが掲げられた建物に行き着いた。彼らがその門をくぐって中へと消える。孔明は門前から中を覗き見た。そんな背中にふと、声がかけられた。

「君、入らないのかい?」

 振り返ると、ぼんやりとした目でこちらを見つめる青年が突っ立っていた。ひたいが広く、口元がゆがんでいる。孔明よりも年長なのは明らかだったが、ずっと背が低い。

「興味はあるのですが、ここの学生ではないので……」

 この時代、学習の機会は豪族や名士の子弟に限られた。諸葛家は襄陽きっての有力豪族である蒯氏と姻戚関係があるので、その伝手つてがあれば、ここで孔明が学ぶこともできる。しかし、昨日今日襄陽に着いたばかりの孔明にそんなものはない。

「遠慮はいらない。ただ談笑するだけの者もいる」

 そう言って、その青年はぷらぷらと中へ入って行った。見学だけなら、構わないということだろうか。余り賢そうには見えなかったが、彼もここの学生のようだ。

 孔明は彼の言葉に誘われて、天下の奇才たちが集う荊州学府へ足を踏み入れた。


 襄陽城外一里のところに位置する荊州学府も劉表が設立した教育機関である。

 学校と研究所を併せたような学術所で、主に荊州に避難してきた一流の知識人たちを教授に迎え、学生を集めて日々知識の研鑽けんさんが行われていた。奥行きがあるせいか敷地は見た目よりも広く、講堂では居住まいを正した学生たちが『春秋しゅんじゅう左氏伝さしでん』を暗唱していた。

 洛陽廃都と長安遷都という二つの大事件の最中に焼失・散逸さんいつした五経ごきょう(儒学の五経典)を撰修せんしゅう・改訂する作業がこの荊州学府で行われていた。担当は宋忠そうちゅう綦毋闓きぶがい隗禧かいきなどの碩儒せきじゅたちである。彼らが編纂へんさんした五経章句は『後定ごてい』と呼ばれ、後世に影響を与える。

『春秋』は五経の内の一つであり、『春秋左氏伝』は左丘明さきゅうめいという人物が『春秋』の注釈を付け加えたもので、後漢時代の古文学におけるトレンドであった。

 この講堂で行われているのは、いわゆる古文学クラスだ。教授は宋忠である。

 風采の上がらない青年はその講堂の前を素通りした。服のたけが合っておらず、すそをずりずり引きずって歩く。孔明も青年に従って講堂脇の外廊を通り過ぎた。

 隣の講堂も通り過ぎる。そこは書道クラスで、梁鵠りょうこくという老書家が書体の一つである隷書を教授していた。扁額にあった〝荊州学府〟の四字は彼のものである。

 青年は回廊をぐるりと曲がって、その先の小さな竹林に囲まれたあずまやを目指して、中庭の小路こみちを通り抜けた。柔らかな日差しが照らす亭には幾人か学生たちが集まっていた。その内の一人が学友に気が付いて言った。

「お、士元しげんが来たぞ。……ん、見たことない顔を連れているな」

「いったい、誰だい?」

 学友の問いに士元と呼ばれた青年は首を振った。

「ははっ。知らない奴を連れてくるとは、やっぱり士元は変わってるなぁ」

「初めまして。諸葛孔明と申します」

 この時、孔明は初めてあざなを名乗った。長沙の夜に自ら考え、決めた字だ。

「……諸葛? やっぱり聞いたことがないな。西河せいが殿はご存じですか?」

「いや」

公威こうい広元こうげんは?」

 その二人も首を振った。彼らは皆、孔明より年長である。それぞれ字を持っていて、字で呼び合っている。

「徐州瑯琊の出身です。昨日、襄陽に着いたばかりです」

「ああ、外地組か。じゃ、俺たちの仲間だな。ここにいるのは士元以外、みんな荊州の外から遊学で来た連中だ。……俺は潁川えいせん徐元直じょげんちょく

 徐庶じょしょ、字は元直。文人の衣装に身を包んでこそいるが、風貌や態度はどこか学生らしくない。腰に剣をぶら下げているのも特徴的だ。文武どちらにも興味があるのだろう。そんな徐庶にならって、石韜せきとう孟建もうけんが自己紹介した。

「潁川の石広元」

「汝南の孟公威」

 この二人は徐庶と比べると、純然たる学士風だ。頭巾を付け、衣装も質素だ。

 潁川も汝南も予州である。そして、一番の年長者で、徐庶に「西河殿」と呼ばれた人物が丁重ていちょうに拱手の礼を取った。かんむりをかぶり、立派なひげを蓄えている。

博陵はくりょう安平あんぺい崔州平さいしゅうへいだ」

「この方は以前、西河太守を務められたお方だ。俺たちとは格が違う」

「よせ、元直。昔の話だ。今は無官の身。学友として、そなたたちと対等の立場にある」

 崔鈞さいきん、字を州平。彼は北方の名家・崔氏の出で、崔氏は漢王朝に代々高官として仕えた。父の崔烈さいれつは字を威考いこうといい、官僚の最高ポストの三公を歴任した。

 ただし、当時の皇帝が始めた売官制度を利用して官職を買ったために周囲の顰蹙ひんしゅくも買って、図らずも汚名を得た。崔州平は若くして西河太守となり、専横を極めた董卓とうたく討伐の義軍に参加した。しかし、それが原因で父の崔烈は董卓によって投獄された挙句、戦乱の混乱で殺されてしまい、以降、崔氏の威光は凋落ちょうらくしてしまう。

「そう謙遜されますな、西河殿。あまつさえ太守を務めた方と肩を並べて学べるだけで、我々は鼻が高いのですから」

 徐庶の言葉に石韜も孟建もしきりに頷いた。崔州平が年齢も経験も彼らの中では一段上であるのは事実だ。皆が彼を字でなく「西河」と呼ぶのは、その敬意が込められている。徐庶は最後に孔明を連れて来た青年の肩に手を置いて、

「……そして、これは襄陽の龐士元ほうしげん。俺たちの中でも、一番の変わり者だ」

 紹介を受けた龐統ほうとうはやはり、ぼんやりとした表情で孔明を見つめた。その変わり者の視線に孔明は思わず戸惑ったが、これが今後十年を共にする学友たちとの出会いであった。


 人が集まるということはそれだけ情報も集まるということだ。彼らはそれぞれ聞き知った情報を照らし合わせて、世の情勢を語り、時代の推移を談義した。

 彼らはまず、襄陽の北、南陽郡に駐屯する張繍ちょうしゅうという人物の話を始めた。孔明にとっては初耳の話である。

 建安元(一九六)年、張済ちょうせいが南陽郡のじょう県を攻めた。ちょうど孔明が葛玄かつげんとの修行を切り上げ、山を下りた頃の話である。張済は元董卓配下の将軍で、食糧に困窮して荊州に侵入、略奪を働こうとした。だが、攻城戦の最中に流れ矢に当たって戦死し、甥の張繍が後を継いだ。張繍は軍師の賈詡かくの進言に従い、劉表と同盟を結んでえん県に駐屯した。

 建安二(一九七)年春、曹操が南陽郡に侵攻すると、張繍は軍勢を引き連れて曹操に降伏した。ところが、一悶着ひともんちゃくあって再び曹操を攻め、これに勝利した。

 これは孔明が長沙へ着くか着かないかの頃の出来事だ。

「曹操が張済の未亡人に手を出したことが仲違なかたがいの原因だそうだ。この敗戦で曹操は息子と有能な将軍を失ったらしい」

「全く、バカなことをする」

 崔州平の仕入れてきた情報に徐庶が吐き捨てるように言った。

「まぁ、とにかくこれで曹操が再び攻めてくることはしばらくないと思いたい」

「いや、息子を殺した相手をいつまでも放っておくだろうか? 曹操は父親が殺された時、徐州に攻め込んで大殺戮さつりくをやったというし、今度は荊州がそうなりはしないか?」

 その徐庶の言葉に反応し、孔明の脳裏に刻まれた地獄の光景がフラッシュバックした。

「どうした?」

 青ざめた表情で目をつぶる孔明に、龐統が気付いて聞いた。

「いえ……」

 孔明はまた頭をフル回転させることで、この窮地を脱しようとした。だが、思考がえれば冴えるほど落胆も大きい。孔明は彼らの話で、揚州への援軍派遣は叶わないと悟った。荊州が直面している喫緊きっきんの問題は北の曹操であり、揚州を助けている余裕などない。

「それは劉荊州も分かっているさ。張繍とまた手を組んだそうだ。彼を荊州の防壁にするつもりだろう。食糧の援助も惜しまずやっている。聞けば、張繍の側には相当頭の切れる軍師が付いているそうだぞ。賈文和かぶんわという。曹操を破った計略もその者が考えたそうだ」

「おお、そいつは興味深い」

 徐庶が自分が目指すところにいるその男に関心を示した。

「さすが西河殿の情報力にはかないません」

 石韜が素直に情報通の崔州平を持ち上げた。

「私の場合、大概の家から客として迎え入れてもらえるから、いろいろと話が聞ける」

「やっぱり、名前ですかぁ」

「実力が伴っていなければ、いくら名があっても空虚なものとなる。少しでも実力を身に付け、名を高められるよう励めよ、諸君」

 崔州平は年長者らしく、経験をふまえて堂々と言った。孟建が更なる情報を求める。

「他には何かございますか?」

「袁術が天子になった話は?」

「ああ、それは聞きました。愚かなことをしたものです。自ら名家のほまれを捨て、逆賊の汚名を拾うなんて」

 建安二(一九七)年を迎え、袁術の野望が爆発した。帝位を僭称せんしょうしたのである。

 揚州をほぼ席巻し、強大な力を手に入れた袁術にもはや野心を隠す必要はなかった。手に入れた州土を〝ちゅう〟という国土に変え、自ら皇帝となった。

 これは漢の衰退が顕著な証拠だった。これを期に滅びゆく漢を見捨て、新たな王朝に迎合しようとする者が出て来ても、不思議ではない。笮融さくゆうがその典型だ。

 孔明はこの袁術の暴挙の一因に霊宝・青龍爵の存在があるのを理解していた。

 だから、

「北には曹操、南には孫策。すぐに滅ぼされるでしょう」

 という、孟建の予想に対して、直ちに同意はできなかった。

 本物の皇帝は昨年七月、旧都・洛陽へ辿り着いた後、翌八月に曹操が自身の拠点であるきょ県にそれを迎え入れていた。以来、許県は「許都きょと」と呼ばれるようになる。

 曹操は漢帝を擁立して、群雄の中で立場的には一歩抜きん出たことになる。

「他には?」

「揚州のことだが……劉正礼りゅうせいれいが亡くなった」

「えっ?」

 孔明が驚いて声を上げた。思わず聞き返す。

「それは本当ですか?」

「ああ。江夏から報告があったようだ。南昌の笮融を攻め破った直後、世を去ったそうだ。後任は華歆かきんという人物だ」

 また言葉を失った。これで叔父の役目ははっきりと無駄になった。いや、曹操のことがあるし、最初から無駄だったのだ。叔父を荊州への使者とするように劉揚州へ提案したのは自分だ。何も知らず、無駄だと知らず、無理をさせて……。

 諸葛玄は蒯家で劉表の訪問を受ける予定だった。今頃、劉表と会見しているだろう。予章でのことを思い出すと、再び自己嫌悪が孔明を襲った。

 劉繇は最期に意地を見せたようだ。笮融を破り、南昌を奪還した。そこで力尽きた。

「――――最期は明るく別れたい」

 不思議と、また許劭の言葉がよみがえった。

「随分顔色が悪い。仲景先生に診てもらうのがいい」

 孔明の様子を見て、また龐統が呟いた。石韜が思い出したように言った。

「ああ、そう言えば、仲景先生が戻られていましたね。噂では、この学府で医学を教えられるとか」

「今、みえているのか?」

従父おじ上のところにいます。偶然水鏡すいきょう先生もいらして、三人で話をしています」

「士元、早く言えよ、それ! すごい三人じゃないか!」

龐公ほうこう先生と水鏡先生と仲景先生。荊州の賢人がそろい踏みだ」

「すぐ行こう!」

 夢の会談を想像して、興奮した石韜と孟建が徐庶を振り返った。徐庶も頷く。

 彼らは龐統の従父の龐徳公ほうとくこうを「龐公先生」と、彼らの師である司馬徽しばきのことを「水鏡先生」と呼んで尊称した。龐徳公は人物鑑定の名人で、自分の意を知る司馬徽の才能を見て、彼を〝水鏡〟と評した。司馬徽は龐徳公に兄事けいじしながら、徐庶・石韜・孟建ら彼を慕う弟子たちに教授していた。徐庶が孔明を誘った。

「君も来い。ついでに診てもらおう」

 孔明が張仲景のことを言い出すその前に、若者たちは荊州学府を飛び出していった。


 隠士の龐徳公はあざな尚長しょうちょうといい、またの字を子魚しぎょという。

 襄陽の南方、峴山けんざんの麓に暮らしていた。住まいは茅葺かやぶきの屋根に土壁という実に質素なもので、家の裏には小さな畑があり、薬草や山菜を採り、野菜を育てて、ほぼ自給自足の生活を送っている。水鏡こと司馬徽は畑をたがやす手を止めない龐徳公の背中に話していた。

「仲景先生にもお話があったようですが、私にも荊州学府で教えてほしいと要請がありました」

「ほう。ま、お前さんなら、それに足る十分な知識は持っておろう」

「いえ。君子危うきに近寄らず、です。龐公先生のお心もそうなのではないですか?」

「さすが水鏡は全てをお見通しだな」

 ようやく畑の手入れを一段落させた龐徳公が司馬徽の方を振り返った。かさの下の顔には汗が垂れ、頬には土が付いている。

 龐徳公は幾度となく劉表の招きを受けたが、それを全て断ってきた。そして、劉表を避けるように、襄陽城内に一度も入ったことがなかった。しかし、今度は荊州学府で教授してほしいという要請があった。司馬徽にもその誘いがあったようだ。

「いえ、私だけではありません。分かる人には分かるようです。承彦先生も恐らく声をかけられたと思いますが、腰を上げないのは同様にお思いだからでしょう」

「今は娘さんの看病で、それどころではあるまい」

「劉荊州はその娘さんのために、わざわざ仲景先生を長沙から呼び戻したそうですね」

 そこに突如、少々息をあげた弟子たちが押し掛けてきた。龐統が徳公に聞く。

「従父上、仲景先生はどちらですか?」

「もう帰ったよ」

「あぁ、遅かった……」

 言って、孟建は天を仰ぎ、石韜ががっくりとうなだれた。

「ついさっきまで、そこにおったんだが……」

 学生たちの徒労など知る由もなく、龐徳公は仲景の腰かけていた竹椅子を見ながら答え、その上に渡したはずのものが残っているのを認めて言った。

「ありゃ。仲景殿、肝心の薬を忘れていきおったわい」

「諸葛孔明と申します。仲景先生のことは存じていますので、私が届けます」

 孔明が言って、その役目を買って出た。龐徳公はその見知らぬ少年にそれを託した。

「では、頼むよ。承彦しょうげんさんのところに向かったはずだ」

「はい、畏まりました」

 張仲景が黄承彦の娘の治療のために長沙を離れたことは知っている。

 孔明は一礼して、その薬草が入った袋を手に取ると、龐徳公邸を後にした。

「諸葛……。もしかすると、今のが仲景先生が言っていた少年では?」

 司馬徽が張仲景との話の中に出てきた少年ではないかと疑った。

 それはまさしくその通りで、司馬徽・龐徳公・張仲景の話題の中心となっていたのは、許子将きょししょうが認めたという少年――――諸葛孔明のことであった。

「ほほぉ、そうか。類は友を呼ぶものだな。士元の友達か?」

 そんな従父の問いに答えず、龐統は首をかしげた。病気かと思っていた孔明の顔に精気が戻っていたのを見たからだ。


 来た道を引き返す。峴山から襄陽の城邑へは一本道だ。そこから襄陽へは一本道だ。孔明は襄陽へ引き返す途中で、ばったり張仲景と再会した。

「おお、済まない。これを取りに戻ろうと思っていたところだ」

 孔明から薬草の袋を手渡されて、張仲景はそれをふところにしまいながら言った。

「龐公殿のところへ行ってきたのか?」

「はい」

「そうか。そのうち紹介しようと思っていたのだが、手間が省けた。龐公殿はああ見えても、襄陽では有名な知識人だ。薬の知識もあることだし、いろいろ学びたいのなら、知り合っておいて損はない人物だ」

「そうですか」

「……ところで、叔父上の様子はどうだね? あれから、もう一月ひとつきが過ぎる頃だ」

「はい。以前のように動くことは叶いませんが、痛みもなく、落ちついています。先生のお陰で無事に襄陽へ着くこともできました」

 張仲景は諸葛玄の治療を兼ねて、長沙を出発してしばらく諸葛家に同行した。

 そして、諸葛玄の容体が安定したのを機に孔明一行と別れ、一人襄陽の黄家へ急行したのだった。

「それは何よりだった。薬が足りなくなったら、龐公殿のところへもらいに行きなさい。もう話をしてある。顔を覚えてもらうにもいい機会だ」

「分かりました。何から何までありがとうございます」

「そのついでにだが、今日のように黄家のところの薬も受け取って、毎回届けてもらえるとありがたいのだが。弟子たちは長沙に残してきてしまった」

「はい。もちろん、構いません」

 孔明はそれを快諾かいだくした。襄陽に着いたといっても、個人的に何かするべきことがあるわけではない。しかし、叔父の死は迫っている。

 叔父の死後、一家の長としてどのようにすべきか――――それが孔明の目下の悩みで、答えらしきものも見つけられていない。

 全ての答えは本の中にあるわけではない――――そう叔父に言われた。予期しないことも起こる。間違うこともある。だが、叔父は迷いながらも、何とか自分たちをこの襄陽まで無事に連れてきてくれた。自分はどのように行動し、どこに家族を導けばいいのだろう。不安は尽きないが、賢人たちとの出会いの中にヒントを得ることができるかもしれない。

「助かる。では、付いてきなさい。黄家へ案内しよう」

 そして、張仲景に伴われ、孔明は黄家へ向かった。運命に導かれるように。


 孔明の行動は一つの慶事けいじを引き寄せた。れいと共に叔父の薬を求めて龐徳公邸を訪問したところ、突如とつじょ玲に婚儀がもち上がったのだ。龐徳公は玲が孔明の姉と知るや、息子の嫁にもらい受けたいと申し出た。まさに予期せぬ展開である。

「それはめでたい。龐家は昔から評判が高かった。受けても良いのではないか?」

 諸葛玄は衰弱していく体をベッドに休め、それでも笑顔を作って言った。

 婚姻によって、家と家が結びつくのが結婚である。そして、家と家の繋がりの重要性は古今東西ここんとうざい変わらない。特に名家や勢家せいかとの姻戚関係はそれが仕官や出世に有利に働く一方で、政争に巻き込まれる危険性も秘めており、士大夫したいふ階級(貴族階級)の婚姻は政略的なことも含め、相手側の家を慎重に吟味した上で行われた。

「叔父上も喜んでくれているし、私は別にいいわよ。一度見ただけだけど、もの静かで悪い人じゃなさそうだし……」

 龐徳公の息子は山民さんみんといって、父と同じ様に薬草を採り、野菜を育てて暮らしていた。玲も十八になり、嫁に行くには少し遅いくらいである。

 玲にはそれ以上に気にかかっていることがあって、

「それに、いくらえい姉さんの親戚のうちだからって、いつまでも家族そろって居候いそうろうするわけにはいかないでしょう?」

 そんな心配もした。今、諸葛一家が世話になっているのは蒯越の屋敷であり、瑛の夫の蒯祺かいきは地方に赴任している。瑛は現在、襄陽に向かっているところだった。

「蒯家と龐家の後ろ盾があれば、荊州で働くことは難しくない。お前が将来のことをどう考えているかは知らないが、いざという時に頼れる力を持っておけば、安心もできよう」

「確かにそうですね」

 孔明は少し考え込んだ。これは単なる婚儀というわけではなく、衰退する諸葛家の浮沈に関わる大事だ。しかし、姉にもう二度と流浪の苦労を経験させたくない。

 ただ安寧に暮らせることを結婚の条件とするなら、劉表には仕えずも名声を保っている龐家は嫁ぎ先として最適なのかもしれない。

「決めるのは家長のお前だ、孔明」

 叔父は孔明をあざなで呼んで、家長としての決定を促した。

「わかりました。姉上には龐家に嫁いでいただきましょう」

「ええ」

 玲は孔明の決定に従った。この賢弟はこれからもっと成長して、その才能を輝かすに違いない。その時、諸葛家も再隆するだろう。玲は孔明の将来が楽しみで仕方なかった。

「婚儀は急ぎましょう。姉上の晴れ姿を叔父上にも見ていただきたいですからね。私から龐公先生にそのむねを伝えます」

 孔明のその決定に諸葛玄はにこやかに微笑んだ。この甥なら、万事任せて問題はない。我が子のようにその成長を喜ぶ諸葛玄の目にはうっすらと涙がにじんでいた。


 慌ただしい婚礼であった。長姉の瑛は妹が祝言しゅうげんをあげることになったと聞いて、再会の喜びも束の間、衣装やかんざしなどの装身具の調達、婚儀の諸準備に忙しかった。

 そして、自ら玲の髪をくしいてやり、梅の花をあしらった豪華な髪飾りをい付けると、丁寧に化粧を施してやった。

「はい、できたわよ」

「姉さん、ちょっと派手じゃないかしら?」

「いいのよ、何も気にしなくて。一生に一度のことなんだし、瑯琊の諸葛家はれっきとした名族なんだから、これくらいは当然」

 瑛の時は上流階級同士の豪華な婚礼がとり行われたが、玲が行う婚礼は〝拝時はいじ〟という簡略式の婚儀である。これは仲人なこうどを立てず、新婦が新郎の家を訪問して、両親に拝礼する仮祝言かりしゅうげん的なものである。

 儒教の決まりでは、家族に不幸があった時は、喪中の婚儀や就官など慶事は避けなければならない。しかし、それによって年頃の女性が何年も結婚できない事態が生じてしまう。そこで、拝時を行うことで、後に喪が生じたとしても、喪前の仮祝言を有効とみなし、結婚生活を認めるというものである。

 つまり、玲の場合、今拝時を行うことで、叔父の死去前に龐家側の人間となり、喪を避けることができるわけである。

「さぁ、終わったわ。玲の門出、家族みんなで祝いましょう」

 飾り付けを終えた瑛が言って、叔父と阿参、そして、孔明が待つ蒯家の門前へ妹をいざなった。孔明に付き添われて門前に立つ諸葛玄が、きらびやかな髪飾りとあでやかな赤い婚礼衣装に身を包んだ玲の姿を見て、感極まったように涙を浮かべた。

「どうですか、叔父上?」

 玲が顔を隠す絹のベールを引き上げて、叔父に聞いた。

「美しいぞ、玲……」

 諸葛玄は嬉しさに言葉を詰まらせ、

「本当にきれいですよ、姉上」

 孔明は姉のうるわしさに感嘆し、

「おめでとうございます、姉上」

 阿参が無邪気に言って喜んだ。玲は恥ずかしそうに微笑んで、阿参の頭をでると、飾り立てられた軒車けんしゃに乗り込んだ。軒車は貴族用の屋根付き馬車で、瑛が蒯家を通じて借り受けたものだ。御者ぎょしゃは家長の孔明が務める。

「さぁ、叔父上も見届けてください」

「もちろんだとも……」

 諸葛玄は孔明の介助を受け、瑛と阿参といっしょにもう一台の馬車に乗り込んだ。御者は徐庶が買って出てくれた。孔明がむちを入れ、花嫁を乗せた馬車が動き出す。

 つつましやかな幸福に包まれた諸葛家の一行が早春の穏やかな空の下、家族みんなで幸せをみしめるように龐家へ続くなだらかな道をゆっくりと進んだ。


 叔父の諸葛玄が永眠したのはそれから四日後のことだった。

 孔明は家長として、葬儀を取り持った。玲が三日間を新郎の家で過ごす儀式を終え、一時的に蒯家の屋敷に戻ってきていた。瑛と玲の手助けもあって、つつがなく葬儀を終えることができた。

 荊州牧の劉表をはじめ、蒯越、張仲景、龐徳公など参列者はなかなか豪華で、それは叔父の人脈と諸葛家の姻戚関係の大きさを物語っていた。しかし、生前に叔父から薄葬にするように命じられていたため、諸葛玄の墓は襄陽の郊外に盛り土をして、墓碑を立てただけのものにした。副葬品も最低限のものに止めた。

 墓前にたたずむ孔明の目には涙が浮かんでいたが、心は不思議なほど落ち着いていた。それは玲も同じだった。玲も孔明と同様、瞳に涙を溜めていたが、嗚咽おえつが零れるようなことはなかった。

「悲しいのに、何だか穏やかな気持ち……」

「心の準備をするのに十分な時間があったからでしょう。父上の時もそうでした……」

「そう……」

 父を失ってから、この数年は叔父の存在が父のようであった。その叔父もいなくなった。

「あまり泣かないのも不孝かしら?」

「いえ、叔父上もそれは望まれないでしょう。姉上には幸せな新婚生活を送ってほしいと願っているはずです」

 死者の冥福を祈って香がかれていた。その煙がそよ風に流されて、孔明の鼻をツンと刺激した。葛玄からもらった烏の羽扇うせんで顔を覆うと、そのわずかな隙間から違う世界が垣間見えた気がした。孔明が羽扇を振って、煙をそっと冥界へと送る。

「それに、きっと霊魂が生きる世界があるのだと思います。今頃、叔父上は父や母、祖先の方々と再会しているのではないでしょうか?」

「そうかもね。確かにこんなものがあるのも、みんながそう信じているからよね」

 玲は香の火を移して冥銭めいせんを燃やし、黄泉路よみじの叔父に手向たむけた。

〝冥銭〟とは、あの世で使用するお金のことである。死者があの世での生活に困らないように願う気持ちから生まれた風習で、ちょうど漢魏の頃から始まった。

衆生しゅうせい必ず死す。死すれば必ず土に帰る……。魂は自然と調和して安寧を得るそうです。またいつか霊魂の世界で一家再会できますよ」

 孔明は『礼記らいき』の中に記された一節を引用しながら、自分に言い聞かせた。本の中に見つけ、泰山の上で聞き知り、心の奥に見出した答えだ。

「そうね。そう信じましょう。……ところで、これからどうするつもり? 瑛姉さんのところに行くつもりはないの?」

「阿参が嫌がっていますし、学問に打ち込むには襄陽を離れないほうがいいですから」

 長姉の瑛が嫁いだのはまだ阿参が生まれる前のことで、瑛と阿参はこれが初対面だった。年が離れた姉弟だし、阿参の方が遠慮気味で、すぐに馴染なじめなかった。

「承彦先生に隆中りゅうちゅうというところを勧められました。周りの山林には山菜や薬草が豊富にあるそうです。のどかなところらしいですから、そこで阿参と暮らします」

 孔明は叔父の喪に服すつもりだ。近親者の死なので、服喪期間は一年となる。

「大丈夫なの?」

「ええ、心配しないでください。私も阿参も烏有うゆう先生と山で過ごした経験がありますし、それに私はもう少し心を落ち着ける修行をする必要があります」

 まだ徐州の惨劇の記憶がよみがえって、時々孔明を苦しめた。この記憶をしっかり消化して、制御できるようにならなければならない。

「昔から落ち着いた子だったけど、それ以上落ち着くつもりなの?」 

 玲があきれるように言った。

「学を深めるということですよ。何かあれば、その時は龐家を頼りますから」

 孔明はそう言って、玲を安心させた。

「わかったわ。じゃ、私、戻るわね」

「ええ、お気を付けて」

 姉が去って静かになった墓前。一人でしばらく時を過ごした孔明は心の中で叔父に感謝を告げると、羽扇をゆっくりと振った。それは「さようなら」と代弁するように揺れて、あたかも故人と少年だった過去の自分に惜別せきべつするようであった。

「さてと……」

 孔明は叔父の眠る墓に背を向けると、空を仰いで未来を見据えた。涙が乾いた後の龍の瞳に映った空はあおく、高く、どこまでも広がっている。

 建安二(一九七)年、夏。龍の少年の物語はここで終わり、龍の青年の物語がここから始まる――――。


 完

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三国夢幻演義 龍の少年 光月ユリシ @ulysse

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