同じ三国志好きとして、この挑戦は
「あまりに大きい」
と、感じるものである。
例えば、私は「三国志」と表題される小説について
吉川英治氏
北方謙三氏
宮城谷正光氏
といった文豪たちの文章を拝読してきたが、書く動機というものは三者三様だった。
しかし、この三者がともに、大きな影響を受けていることも、知っている。
例えば、吉川英治氏は
「湖南文山の通俗三国志を子供の頃から聞かされていた」
という、子供のころからの「憧憬」と、「作家としての源流」を語っていた。
例えば、北方謙三氏は
「最初は、押し付けられた仕事だった」
と言いながら、のちの「歴史小説家、北方謙三」の端緒ともなった。
例えば、宮城谷正光氏は
「最大のライバルは”三国志演義”である」
と、中国歴史小説家の大家らしい、「深い敬仰」があった。
「三国志」は、そういう物語である。
古今東西の人の心を、ずっと揺り動かしてきた歴史がある。
私もいつか、「三国志」を書きたいと思いながら、しかしそれが意味する所の深刻さというものを畏れている。
文章力も、知識も、思想も、そして憧憬も、圧倒的に足りない。
この作者は、愛情から、書き始めたのである。
それが、どれほどのものだったのか、私には想像しえないような気もする。
ひとつ言うならば、この小説は「正史三国志」そのものというより、「三国志演義」に正史の要素を付け加え、現代の価値観をもってブラッシュアップしたものといえる。
私が「三国志」を書いたら、別物になるだろうと確信もしている。
だが、この雄大果敢な挑戦を表明した「江口たくや」氏に、精一杯の
「がんばれ」
という言葉を贈りたい。
世間一般には禁句だそうだが、純粋な気持ちとして、そう言わざるを得ない。
静かな導入から一気に物語が走り出す――。
気づけばページをめくる手が止まらなくなっていました。
人物たちの息づかい、重なる視線、交わる運命。
それぞれの出会いが自然で、無理のない流れの中に“熱”が宿っているのを感じます。
日常と非日常の対比が見事で、読者として心を掴まれる瞬間が何度もありました。
セリフの間合いや情景の切り取り方も非常に繊細で、読後にはまるで一つの映画を見たような満足感があります。
この作品は、歴史の再現ではなく「生きた物語」。
キャラクター一人ひとりの心がちゃんと動いていて、未来を感じさせてくれる。
次の展開を読みたくなる――それこそが良い物語の証だと思います。
11話までのレビューです
三国志は知っているつもりでしたが、「まだ何者でもなかった頃」をこんな丁寧に描いた作品は初めて読みました。
莚を売って食いつなぐ日々に倦んでいた青年が、出会いと喪失を経て変わっていく過程が、とても丁寧で胸に迫ります。張飛や関羽との出会いのシーンも、教科書的な「義兄弟の誓い」ではなく、もっと生々しくて人間的です。
また、敵役の黄巾側の視点も描かれており、単純な善悪ではない重みがあります。
歴史モノが苦手な方でも読めると思います。むしろ、若者が「何者かになりたい」ともがく普遍的な物語として楽しめるはずです。続きがとても気になります。
『三国志』はシミュレーションゲームでしか知らない程度……ですみません。
あと、映画『レッド・クリフ』ぐらいですかねぇ。
マンガとか人形劇を少々見たぐらい、あんまり知らなくて恐縮です。
人徳だけが取り柄っぽい劉備玄徳。
忠誠心1とかでしたっけ?やたら裏切られまくるので、呂布だけは素早く消す作戦を取ってたイメージなのですが、レビュータイトルのとおりです。
あんまり詳しくない自分すら持っているなんか有名なイメージを覆す、新しいイメージが盛り込まれていて、おもしろいなぁと思いながら拝読しております。
文章も、「やっぱ歴史好きな方の文章力は異常」と、改めて思わされます。
その語彙、やっぱ、たくさん読まれてるから生まれる表現なんでしょうね……と思います。
単なる歴史事実の羅列という訳ではなく、人物の気持ちの掘り下げもいいと思います。
呂布とか、「あー、そら、そうだね」と納得しましたし。
ゲームならばあれほど即殺していたのに、共感してしまいました。
今後も更新を楽しみにしてます。
黄巾の乱の下りまで読み終えたので書きます。
基本的な『三国志』というと劉備や諸葛亮を正義とした『三国志演義』を思い浮かべてしまい、曹操や司馬懿が悪者であるという視点から入りがちなのが多いです。
しかし、本作はその要素が今のところこの点がかなり薄くとても良いところであると思います。
特に『三国志』に連なる創作物を読んだことのある人ならば知っているであろう劉備を罵倒した官吏を張飛が棒叩きにする一幕。
一説によれば、劉備がやったことになっているのですが、基本的に採用されないところです。殆どが張飛の役回りです。
それを少し形を変えているとはいえ、取り上げてくれている点は劉備本来の出自や性格も併せて良い点と感じます。
また、ただの悪人のレッテルを張られがちな董卓についても同じです。やったことがやったことなので擁護は出来ませんが…。
董卓については簒奪後の暴れ振りが酷すぎたせいでこの点に目が行きがちです。それだけに全部が呂布に全部を丸投げしていると受け取りがちです。
しかし、ここもしっかりフォローしており、ただのやられ役ではない真に敵として厄介極まりない存在に仕立ててくれるのでないかと期待しています。これは袁紹などにも通ずるところがあります。
今まで、劉備ばかりにスポットがあたりがちだなと感じていた人にはお勧めしたい『三国志』になるのではないかと思います。
『新三国志』は、我々が長年親しんできた「三国演義」の劉備像を軽やかに飛び越え、史実を土台とした“真の玄徳像”を丁寧に描く作品です。
序幕で描かれるのは、少年期の玄徳。学問よりも武芸を好み、正直で、仲間思いで、時に熱くなりすぎる気質――それは「お人好し」では済まされない、生まれながらの義と胆力の人。
彼が公孫瓚に兄のように慕われ、仲間に信頼されるのは、単なる“いい人”だからではなく、強くて、まっすぐだからなのだと納得させられます。
そして第2話――青年となった玄徳が、疲れた日常に溜息をつきながらも、目の前で人さらいを目撃した瞬間、迷いなく踏み込む場面は圧巻。
正義感からではなく、“苛立ち”と“見過ごせなさ”が動機となるところに、逆にリアリティと凄みを感じます。まさに、強くて優しくて、不器用な玄徳の本質が滲み出る一幕です。
物語の運び方も巧みで、史実に基づきながら、現代の読者にも親しみやすく、キャラクター一人ひとりが生きている。
これは、演義をなぞるだけの物語ではありません。“三国志”だからこそ描ける、英雄たちの原点の物語。
その始まりに、確かな熱と誠実さを感じました。