三国夢幻演義 龍の少年

光月ユリシ

其之一 命の山


 軺車ようしゃの車輪がガラガラと乾いた音をたて、土煙つちけむりを巻き上げて猛然と進む。

 軺車は二頭立ての立ち乗り馬車で、高速移動を可能としているため、かなりのスピードだ。車内には体を揺れから支えるためのしきみ(摑まるための横木)が備え付けられていて、傘のような車蓋しゃがいも付いていた。

 つたない制御のせいもあって、車体がギシギシと音をたてる。

 十二という年齢の割には長身の少年が体をかがめて、振り落とされないように両手で軾につかまりながら、前方に見える山の向こうに目と心をやっていた。

『やっと蒙陰もういんか……』

 何度か往復したことがある街道。見覚えがある景色。それだけに、まだ半分の道程しか来ていないことが分かって、少年は一層焦心しょうしんを募らせた。

 この少年こそ、歴史に燦然さんぜんとその名を刻むことになる後の大軍師、諸葛亮しょかつりょう孔明こうめいである。姓が〝諸葛〟、名が〝亮〟、〝孔明〟はあざなだ。

 字とはいわば、もう一つの名前で、社会に出てからは本名ではなく、字で呼び合うのが礼儀とされた。男子の場合、成人した際に字を付けるのが習わしなので、後に〝孔明〟と名乗るものの、この時はまだ字はない。

 孔明少年は兄の諸葛瑾しょかつきんに伴われ、急ぎ父の赴任先である兗州えんしゅう泰山郡へ向けて移動の最中であった。

 諸葛瑾はあざな子瑜しゆという。孔明より七歳年長の十九歳の青年である。

 二人の父の諸葛珪しょかつけいあざな君貢くんこうといい、泰山郡のじょうを務めていた。

 丞というのは郡の副官で、民政を担当し、郡の長官である太守を補佐するのが役目である。泰山郡の郡治ぐんちは天下一名山である泰山たいざんふもと奉高ほうこう県に置かれていた。

 諸葛氏の本籍地は徐州じょしゅう瑯琊ろうや陽都ようと県である。瑯琊国は泰山郡の東に隣接しており、陽都県は奉高の東南、直線距離で三百里(約一二〇キロメートル余り)のところに位置する。広大な中国のスケールを考えたら、これはかなり近いと言える。だが、今の孔明少年にとって、それは余りにも遠い距離に思えた。

 蒙陰は陽都と奉高のちょうど中間地点だ。ここからとうげ越えの山道に差し掛かる。 

 細い山道は蛇行だこうを繰り返し、馬車のスピードも落ちる。

 孔明少年は嘆息するしかなかった。自ら御者ぎょしゃを務める兄が弟の体を心配して、前を見据えたまま聞いた。

「亮、疲れていないか?」

 陽都を出発して以来、休む間も惜しんでの移動だ。

「大丈夫です」

 孔明少年が毅然きぜんと答えた。危急の時である。しかし、馬車から伝わってくる震動が不安となって、否応なく孔明の心を震わせた。

 父が職務中、病に倒れた――――そのような急報が陽都に届けられたのである。

『きっと、大丈夫……』

 孔明少年は心の中でそう言い聞かせ、自分を落ち着かせようとした。

 父はまだ四十過ぎで、この時代であっても、寿命というには少し早過ぎる。

 自分たちが奉高に着く頃には病もえて、元気な姿で迎えてくれる――――。

 山並みを覆う新緑の木々の景色をそのまなこに映しながら、孔明はそう考え直した。

 春を迎えた山の緑は鮮やかに輝いていて、生命力にあふれていた。

 孔明少年の瞳にはそれが希望の象徴のように映ったのだ。

 時に、後漢の初平しょへい三(一九二)年、春の日のことであった。


 が、孔明少年のその期待はあえなく打ち砕かれた。

 父が住まう奉高の官吏かんり用宿舎に到着した時、父はすでに重篤じゅうとくな状態にあり、孔明を愕然がくぜんとさせた。もう立つこともできず、ベッドに横たわって息を引き取るその時を静かに待っている。

 おのれの死期を悟った諸葛珪は息子たちの顔を見て、少し表情をやわらげた。

「よく来てくれた……二人とも……」

 そして、したまま首だけを傾けて、涙に濡れる我が子二人を病床に呼び寄せた。

 諸葛瑾はひざまずいて、父の口元に顔を近付けた。

「瑾、後のことは……叔父とよく相談をして……決めよ。これからも母に……よく仕えるのだぞ……」

「はい、父上……」

 諸葛瑾は十九の青年だ。涙を浮かべながらも、口元を引き締め、しっかりと父の言葉を胸に刻み込んだ。それを見届けた諸葛珪は視線だけを動かして、今度は次男に語りかける。

「亮……。叔父の言うことを……よく聞いて……学問に励むのだぞ……」

 死にゆく父の、弱弱しい言葉が孔明少年の心にやわく刺さった。孔明がうなづく。

 息も絶え絶えの父はそれを息子たちに伝えると、目を閉じて最期の眠りに入った。

 かすかに息はしているが、もう言葉はない。ただ無情に時が流れていく。

 孔明は父が眠るベッドの脇で跪いたまま、自身も魂を抜かれたかのように茫然とたたずんだ。

 死者の魂はどこへ行くのか――――。死後の世界は存在する。死者の魂はその世界で、現世と同じ様に生きる。それが古代中国の死生観であった。

 その死後の世界であるが、天上と地下、二つのあの世があると考えられた。

 また、後漢の大学者・許慎きょしんは『説文解字せつもんかいじ』という最古の漢字辞書ともいえる著書の中で、人の霊魂は二つあるといっていて、その字義を記している。

 すなわち、陽気の〝こん〟と陰気の〝はく〟である。死後、魂は天に昇り、魄は地上に留まるとされる。放心した孔明少年の眼前で父の霊魂が肉体から浮かび出て二つに分かれ、一つが天に上り、一つが地下へと消える――――そんな幻想が展開された。

「……亮、しっかりするんだ」

 諸葛瑾がうつろな目で父を見つめるの弟の肩を揺すった。

 我に返った孔明の口から、

「……兄上。死はこうも突然訪れるものなのですか?」

 抑揚のない言葉が難しい質問となって漏れた。三年前に母を失っている。

 その時も死という辛い現実は突然やってきて、九歳の少年から母を奪い、連れて行ってしまった。

「……無念だが、受け入れるしかない。しっかり父の最期を看取みとってやるのだ」

 弟を不憫ふびんに思いながらも、諸葛瑾は毅然と己を律して、言葉を絞り出した。

「はい……」

 父の死――――それが目前に迫っている。孔明はそれを感じて慄然りつぜんとした。

 少年の未熟な精神はそれを受け入れる準備はまだ整っていない。

 口では「はい」と答えたものの、心ではそれを否定する。衝動的に父を回復させる手段を探した。自分が蓄積した知識の中にそれを探すことで、孔明少年は忍び寄る無慈悲な現実に対抗しようとした。

 翌朝、まだ日が昇っていないにもかかわらず、孔明が寝室からいなくなっていることに気付いた諸葛瑾は弟の行方を探した。悲しみにうちひしがれ、どこかで独り泣いているのかもしれない。しかし、屋敷のどこにもその姿はない。

 冷静に弟の性格を考えてみた時、

「まさか……」

 諸葛瑾はふと後方にそびえる泰山を振り返った。そのみねの上にかかる雲が燃えるように赤く染まっていた。山の向こう側ではもう朝日が昇っているのだろう。

 そして、その予感が当たった。諸葛瑾は父の書斎に、父のために泰山に祈りを捧げるという弟の書き置きを見つけ、顔色を失った。

「これはまずいことになった」

 諸葛瑾は慌てて泰山太守のもとへ走った。


 天下に五聖山あり――――すなわち、北岳・恒山こうざん、南岳・衡山こうざん、中岳・嵩山すうざん、西岳・華山かざん、そして、東岳・泰山である。そのうち、泰山は最もとうとい山だとされる。

 それは泰山が太陽が昇る東方に位置するからである。ゆえに、泰山は命をつかさどる山とも伝えられ、どんな権力者や賢者も泰山をおがむことを忘れなかった。

 かつてしん始皇帝しこうていや漢の武帝ぶていは泰山に登って封禅ほうぜんの儀式を行い、孔子こうしも度々泰山を訪れたという。

 封禅というのは、天地の神をまつることである。泰山の麓で地の神を祀り、山頂に登って天の神を祀る。泰山を祀ることは神を祀ることに等しい。民衆の間でも泰山もうでは人気で、普段であれば、巡礼者は全国各地からやって来る。

 が、今は人気ひとけがない。まだ日の出前の早暁そうぎょうの頃であるのも理由の一つであったが、それとは違う負の理由があった。それはすぐに知れた。

童子ガキが一人で何してやがる?」

 泰山の麓の山道。突然暗闇から現れた一団が孔明少年を取り囲んだ。

 松明たいまつを片手にそれぞれ武装していて、まるで山賊のようなで立ちである。

 その状況に内心恐怖し、足が固まってしまった孔明であったが、恐怖を上回る使命感が平静さを失わせなかった。もともと冷静で、落ち着いた性格でもある。

 体を硬直させながらも、

「父の延命祈願に訪れました」

 孔明は素直に答えた。

「そりゃ、孝行息子なこった。だが、これ以上は行かせられねぇ」

「どうしてですか?」

「ここは俺たちの縄張りだからな。山頂まで行きたかったら、通行料を払いな」

「そのようなことは泰山の法で認められていないと思いますが」

 父を救いたい一心の孔明は無法者の言い分に堂々と反論した。しかし、年に似合わぬその態度がさらに山賊たちのかんさわる。

「生意気なガキだ。金がねぇんなら、その身を金に換えるんだな」

 男たちは有無を言わせず、孔明少年を拘束して縛り上げた。


 孔明少年が生まれる前、後漢の朝廷内で清流派せいりゅうは濁流派だくりゅうはの激しい政争があった。

〝清流派〟というのは腐敗体制を糾弾し、儒教精神にもとづいた清廉方正な政治をこころざした正義派官僚たちのことをいう。一方で、権力を振りかざし、民衆の苦しみなどそっちのけで私利私欲を追求したのが〝濁流派〟と呼ばれる腐敗官僚たちであった。

 この両者の政争は清流派の敗北に終わった。敗因はひとえに行政のトップである皇帝が暗愚であったからだ。世の中の事態を全く把握していない皇帝は濁流派の讒言ざんげん鵜呑うのみにし、清流派を弾圧した。政府に自浄能力がなく、自分たちの未来が暗く閉ざされていることを悟った民衆は国に失望して、宗教に救済を求めた。

 この時、太平道たいへいどうという初期道教の団体が信徒を集め、民衆の怒りを呑み込む形で一気に勢力がふくれ上がった。

 そして、中平ちゅうへい元(一八四)年、後漢帝国を揺るがす大規模な民衆反乱が起きる。この民衆反乱は反徒が一様に黄色の頭巾をかぶり、トレード・マークにしたことから、〝黄巾こうきんの乱〟という。

 腐りきった漢朝を打倒して、新たな体制を打ち立てようという動きは全国に浸透しつつあった太平道を通して、燎原りょうげんの火のように広がった。後漢政府は各地で勃発ぼっぱつした反乱のために弾圧されていた清流派を赦免しゃめんし、名将たちと大軍を投入することで、苦戦の末、かろうじてこれを鎮圧することに成功した。

 太平道の教祖・張角ちょうかくは死に、太平道も黄巾賊もこれでついえたかのように思われたが、そうはならなかった。

 泰山郡が属する兗州えんしゅうは黄巾の乱時における激戦地の一つで、戦いに敗れて泰山の山中に逃げ込んだ黄巾残党が反政府活動を続けたのである。

 黄巾賊の本拠を攻略し、本隊を壊滅させた政府の鎮圧軍はすでに解体されており、残党討伐は各地の郡太守にゆだねられた。彼らは郡兵を動員して山中に潜伏する黄巾残党の討伐に乗り出したが、ゲリラ戦を展開する彼らの前に思うような戦果を上げられずにいた。応劭おうしょうが泰山太守として赴任してきたのは、ちょうどそんな時であった。

 応劭、あざな仲遠ちゅうえん予州よしゅう汝南郡じょなんぐん南頓なんとんの人で、父の応奉おうほうは清流派官僚として活躍した。応劭も父の清流路線を引き継ぎ、投降者は泰山の民として受け入れる触れを出して、まずは黄巾軍の慰撫いぶに努めた。元々、黄巾軍は土地を失った農民や飢民きみんを寄せ集めた民兵組織である。その効果があって、泰山には黄巾を脱ぎ捨てた民であふれた。

 孔明少年の父・諸葛珪はその対応のために多忙を極めたのである。

 そして、安全面を考慮して、状況が落ち着くまで家族を陽都に帰らせていた。

 応劭は諸葛珪の子息がやってきたと聞かされ、てっきり諸葛珪の容体ようだいの話かと思って、朝が早いにもかかわらず、焦燥しょうそうの諸葛瑾を屋敷に迎え入れた。

 話を聞いた応劭が嘆息した。

「今や泰山は賊の巣窟そうくつ弟御おとうとごが山に入ったとなれば、これは危うい」

「何とか兵を出せませぬでしょうか?」

 諸葛瑾が険しい表情を作る応劭に嘆願する。

「昨年の戦で兵力がいちじるしく消耗している。助けてやりたいのは山々だが、もはや一郡の兵力ではどうにもならないほどに黄賊の勢いは増している。恐らく青州の黄賊と合流したに違いない……」

 応劭はそう事情を語り、心苦しくも諸葛瑾の要請を断るしかなかった。

 半年ほど前、応劭の懐柔かいじゅう策にごうを煮やした黄巾残党軍が大挙して泰山郡に侵攻した。応劭は郡兵を率いてこれを撃退したものの、被害も大きかったのだ。

 青州は泰山郡の北に隣接する。黄巾の乱時もそれほど激戦地とならず、いまだ相当数の黄巾兵力が温存されていると見られていた。

「これは新たな反乱の予兆のように思う……」

「そんなものに弟の命を呑み込ませるわけにはいかないのです!」

 諸葛瑾が珍しく声を荒げた。死の間際にある父から後事を託されたばかりだ。

 弟を思う兄の気迫が応劭を動かした。神妙な顔つきで応劭が呟いた。

「恐らく我が著作を読んだ上での行動であろう。私にも責任がある……」

 泰山上に金篋玉策きんいぎょくさくあり。人の年寿の修短しゅうたんをよく知る――――。

 応劭の著作『風俗通義ふうぞくつうぎ』にしるされている一文だ。伝説では、泰山のいただきには人間の寿命を記録した帳簿が黄金の箱に収められて置かれているという。

 不老不死を求めた秦の始皇帝も漢の武帝も、封禅の儀式と合わせて、泰山に金篋玉策を求めた。その帳簿を書き換えれば、永遠に匹敵する命を手に入れられる。

 孔明は知的好奇心に溢れ、読書好きな少年であった。父の赴任先の奉高で過ごした時も、『風俗通義』の写本を手に入れると、それを何度も読み込んだ。

 たび、孔明少年が父の死期を前に泰山へ足を運んだのは、確かにその影響があってのことだった。

「急ぎ州府に書簡を出してみよう。今、州軍が黄賊討伐に動いている。義に厚い劉使君りゅうしくんなら、兵を出してくれるかもしれない」

 応劭はそう言って、諸葛瑾を慰めた。

〝使君〟というのは州の長官である〝刺史しし〟の尊称である。

 現兗州刺史は劉岱りゅうたいという。劉岱はあざな公山こうざんといい、青州せいしゅう東萊郡とうらいぐん牟平ぼうへいの人である。その名と字は泰山を意識したものだ。泰山は〝岱山〟ともつづる。

 劉岱は前漢の皇族の末裔まつえいでありながら、己をむなしくし、民を愛すというほまれ高き人物で、典型的な清流派官僚であった。


 泰山を覆った闇を朝日がゆっくりと溶かしていく。辺りが大分明るくなって、孔明少年は自分を拘束した男たちが一様に頭巾を被っていることに気が付いた。薄汚れているが、黄色の頭巾である。

黄賊こうぞく……』

 孔明少年はこの時初めて彼らが黄巾賊だと知った。しかし、逆に怖さは薄らいでいった。闇をやわらげていく朝日の影響もあるが、

「――――黄賊の多くは道に迷いし、善良な民……」

 父が言ったそんな言葉が記憶に残っていた。そう思ってみてみると、不思議と皆悪人には見えなかった。

「私をどうするつもりですか?」

 誰に問うでもなく、縄目なわめの孔明少年が聞いた。孔明はその身を縛られ、前後を黄巾賊の男たちに挟まれて細い山道を歩かされていた。

「奴隷として売り飛ばされることになるだろうな。ほら、さっさと歩け」

 孔明の問いに背後の男が答えて、かすように孔明の肩を押した。

「太平道の教義とは人さらいを勧めるものなのですか?」

 孔明はそれに反発して、感情を抑えながらも喰ってかかった。こんなところでいわれのない拘束を受けるのは納得できない。

「……ちっ、本当に生意気な童子ガキだ。俺たちだってやりたくてやってるわけじゃねぇ。いくさを続けるにはいろいろ入り用なんだよ」

 強面こわもてのその男はひたいげいほどこされていた。〝黥〟とは入れ墨のことで、この時代、罪人の額に入れ墨を入れる刑罰があった。

「なぜ戦にそうこだわるのですか? 大賢良師たいけんりょうしはもういらっしゃらないのに」

 大賢良師とは、太平道の教祖・張角のことである。

「戦だってやりたくてやってるわけじゃねぇ。だがな、腐った組織をぶっ壊さない限り、俺たちは生きていけねぇんだよ。死ぬまでずっと搾取さくしゅされ続ける、そんな奴隷のような生き方はもうまっぴら御免ごめんだからな」

「腐った組織というのは何を指しているのですか?」

「もちろん、政府に決まってるだろ」

 それを聞いて、孔明は首をかしげた。太平道の隆盛とそれに至る経緯は父から聞いて、生きた知識として頭に入っている。

「もうあなた方が戦うべき政府はなくなったと思うのですが」

「どういう意味だ?」

「腐敗政治を主導した宦官かんがんたちは皆殺しにされて滅びました。洛陽らくようも焼かれて灰になったそうです。あなた方が憎む政府は消えてなくなったということじゃありませんか」

 宦官は去勢され、後宮こうきゅうに仕える男たちのことをいう。彼らが皇帝に偏愛されて政治に口を挟むようになってから、政治は大きく乱れ始めた。権力を持った彼らは一族を高官に就け、利益をむさぼり、世を乱す濁流派の首魁しゅかいとなっていった。

 太平道を教導した張角は元々は清流派の人物だったというし、太平道や黄巾賊の打倒すべき相手はそんな宦官一派だったはずである。

 しかし、三年前の政変で悪の権化ごんげであった宦官は誅滅ちゅうめつされた。そして、その直後の戦乱で後漢の都である洛陽は炎に包まれ、崩壊した。

 憎むべき相手も、倒すべき象徴も無くなってしまったのである。

「うぅ……む……」

 波乱と激動の日々の中に見失っていた理念を子供にずばり指摘されて、孔明少年のすぐ前を歩く黄巾の男が言葉に詰まってうなった。孔明が間髪かんぱつ入れず、たたみかける。

黄土こうどという言葉があります。黄土の民とは農民のこと、まさに黄色い頭巾を被ったあなた方のことです。農民は大地をたがやすのが本来の役目、くわもそのための道具です。それを振り上げて、政府の打倒に立ち上がったのはむに止まれぬことだったとして、人も道具もいつまでもあるべきところに戻らないのは不幸なことです」

 それに聞き入ったのか、返す言葉が見つからなかったのか、元農夫、現黄巾賊たちによる反論はなく、孔明はさらに続けた。

「すでに大漢には天誅が下りました。それなのに、戦を続ける必要はないじゃありませんか。そもそも老子ろうしは道を体得した者は兵を避けると説いています。太平道は老荘ろうそう思想に根差しているのでしょう? このまま戦を続けるということは、その道を外れることになりませんか? 道を外れた戦いの先によい未来があるとは思えません。今度はあなた方に天誅が下ることになりますよ」

 孔明の言葉は知らず知らずのうちに熱を帯びていた。

 老子は軍事手段や武力行使をいましめている。老子の説く安寧の道とそれらは相いれないものだからだ。孔明の言うそれは、太平道が道をあやまっていると指摘するものだった。

「もう黙れ。後には引き返せんのだ」

 小賢こざかしい弁舌に黥面げいめんの男が剣先を孔明の眼前に示して、減らず口を封じようとした。孔明は息を呑んで、思わず体をらした。今や自身も死の瀬戸際せとぎわにあることを自覚した孔明であったが、彼もまた後には引き返せない。意を決し、毅然と振る舞う。

「あなた方のしていることは天が見ているのですよ」

「黙れと言った!」

 いきどおった男が剣を孔明少年の喉元のどもとに突き付けて、一層凄すごんで見せた。

「止めろ」

 それを制したのは黙って会話を聞いていた初老の男だった。立ち止まって年季の入った声でつぶやく。

「その少年の言うことには一理ある」

 その男の言葉には他の男たちを律するだけの重みがあった。長年、太平道の教義に身を捧げ、先の激戦も生き残った古株である。それだけに、近年の太平道の変遷には疑義を抱かざるを得ない。大賢良師の教導が無くなってしまった今、自分たちは何のために戦い続けているのか。打倒漢朝のスローガンも今はむなしい。やっていることは破壊と略奪の繰り返し。このような少年を誘拐しておいて、自分たちは正しいと言えるのだろうか。指導者を失い、なか形骸化けいがいかした組織。腐っているのは自分たちではないのか。ずっと疑問は心の中で首をもたげていた。はっきりした答えを見出せなかったから、流れるままに生きてきたが、そろそろ考え直さなければいけないのではないか――――。

 孔明少年の真っ直ぐな正論は彼らの心の奥を確かに打った。彼らは黄巾を被っていても、やはり、その正体は道に迷いし善良な民なのだ。

「大賢良師が今の我等を見て、何とおっしゃるだろうか。立ち止まってよく考えてみる時かもしれん。だが、過去は変えられん。引き返すことができないのも、またしかり」

「進めばよいではありませんか。ただし、良い方向に」

 すかさず孔明が提案する。初老の男が首だけを回して、縄目の孔明少年を真っ直ぐ見つめた。

「よい方向とは?」

「先の戦いの反省から、政府は多くの清流官僚を登用し、各地の太守や刺史に任命致しました。今の泰山太守は清名ある応府君おうふくんですし、兗州刺史は劉使君です。あなた方はこのような方々に協力し、共に良き未来を創っていくべきだと思います」

 孔明少年の落ち着いた話しぶりは、道に迷った彼らを教え導くようだった。

 刺史を尊称して〝使君〟というのに対し、太守を尊称して〝府君〟という。

 一瞬の沈黙があって、

「……ふふ、子供に身の振り方を教えられるとはな。だが、悪くない」

 初老の男が他のメンバーに向き直って言った。眉間みけんしわを寄せた顔は決意に満ちている。

「私はそろそろ管大方かんたいほうとは違う道を歩もうと思う。お前たちはどうする?」

〝大方〟とは黄巾賊独自の称号で、地方部隊のリーダーを指し、軍の指揮官でもある。〝小方〟はその下のサブ・リーダーのようなものだ。古参のその男は名を滕豊とうほうという。

「滕小方、官軍に降るおつもりですか?」

「俺は構わないぜ。親が先に降っているし、命が助かるならな」

「確かに管大方は亡きとう大方とは正反対だ。強引すぎる。離れるなら、今のうちだ」

「しかし、降るにしても、受け入れてもらえるだろうか?」

 彼らは一様に滕豊に従う姿勢を見せた。相当その男に信頼を寄せているようだ。

 だが、彼らの不安は半年前に泰山侵攻をやったせいで、もう降伏が認められないのではないかということである。応劭率いる官軍と激戦を行い、敗れて泰山に逃げ戻った。この時、多くの黄巾非戦闘員が逃げ遅れ、応劭に降伏している。

 泰山丞・諸葛珪は彼らのために衣食住を用意させ、再び反徒とならないように教導しなければならなかった。

「それなら、私を救助したということにして、一緒に連れて行ってください。私は泰山丞・諸葛珪の息子ですから。私からも事情を説明致しましょう」

 孔明が機転をかせて、また妙策を示した。

「泰山の丞の息子? それが何やってんだ?」

「ですから、父が重篤じゅうとくなので、泰山に上って延命祈願するつもりで来たのです。降るというのなら、私を利用してもらって結構です。ですが、その前に泰山に祈らせてください」

 孔明がその場にいる黄巾の男たち全員に訴えた。

「よし、取引成立だ。お前たちはその少年を上まで連れて行ってやれ。私は他の者たちにも声をかけてみる。確かな目的がないのに、これ以上仲間が死ぬのは見たくない」

 滕豊が孔明の意をんでくれた。他の仲間たちが頷く。

「だが、少年よ。父を失う悲しみは分かるが、本来、生も死もその価値に優劣はない。死とは単に自然に帰るということなのだ。魂は自然と調和してこそ安寧を得る」

「老荘の〝無為自然むいしぜん〟ですね」

 それは自然界のルールを尊重し、ありのままを受け入れよという教えだ。

 即応した孔明少年に目を見張って、滕豊が柔和にゅうわな笑顔を作って見せ、

「本当に賢い少年だな。君は将来、この暁光ぎょうこうのように天下を明るく輝かせる存在となるかもしれないな。縄目の侮辱を失礼した」

 そう言って、孔明少年を縛る縄を解いてやった。再び自由の身となった孔明。

 道が開けた――――。孔明少年の頭に蓄えられた知識と小さな胸に抱えた愚直さが切り開いた泰山いただきへの道だ。

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