其之九 江南動乱

 諸葛玄しょかつげんの廬江太守としての任期はわずか三日だった。

 そもそも諸葛玄の廬江太守就任の話は周瑜しゅうゆいくさを終わらせるために画策した便宜上のものであり、袁術えんじゅつはその座を孫策そんさくに与えることを約していた。

 ところが、気まぐれな袁術はそれを反故ほごにして、廬江太守の地位に孫策でもなく、子飼いの劉勲りゅうくんを指名した。理由は廬江攻略は周瑜の功績と判断されたからである。そのため、廬江に入城する理由として、同じく便宜上の太守に祭り上げられた周尚しゅうしょうはそのまま丹陽太守を拝命した。

 この頃、袁術は瑯琊ろうや時代の故吏こりを重要ポストに就けて、支配地の安定確保を目論もくろんでいた。劉勲はあざな子台したいという。瑯琊の人で、袁術が瑯琊しょうの時にその下吏であった。揚州刺史に任命された恵衢けいくもまた瑯琊出身の袁術の故吏で、同じく瑯琊故吏の諸葛玄は新たに予章太守に任命された。予章郡は江水こうすい(長江)の南、つまり江南の地である。

「好事とはいかないまでも、凶事でもない」

 諸葛玄は孔明にそう言って、予章太守の任を引き受けたことを伝えた。

 昔の地縁が生き、念願の江南の地に任地を与えられたのだから、疎開中の諸葛家にとって、これは大きなさいわい、願ってもないチャンスだ。しかし、袁術の私的任命である以上、それがわざわを招くことになるかもしれない。

「とにかく今はり所を得ることが最優先だ」

 乱世だ。徐州を出てから災難が続き、戦乱に翻弄ほんろうされた。諸葛玄は一家の長として、一刻も早く安定した地盤を確保し、力を持たなければならないことを痛感していた。諸葛家の馬車が舒県を出発する。

 行き先が予章だと聞いて、葛玄は再び諸葛家に同行することにした。予章には彭蠡沢ほうれいたく鄱陽湖はようこ)という巨大かつ天然の水瓶がある。

 葛玄かつげんが言うところの、陰気が具体的地形となって地上に表出した場所である。

烏有うゆう先生も一緒だし、予章で落ち着くことができたら、先生と修行をしてみよう』

 この世界には目には見えない力が存在する。それをもっと知りたい。

 志学の頃を迎え、学欲旺盛おうせいな孔明は道士・葛玄の生き方やその方術に大きな関心を持つようになっていた。


 再興のきざしを得た諸葛家とは逆に、一族の長老を失い、没落のふちに立ったのが陸家である。小さな身に陸家の命運を託されることになった陸績は孫策に連れられて、袁術が拠点とする寿春にいた。袁術は孫策の帰還を聞くと、待ちきれぬようにすぐ会見を持った。

 皇帝の玉座を模したような豪奢ごうしゃな椅子に腰かけた袁術が、孫策の不満などお構いなしに、野望をあらわにして言った。

伯符ほくふよ、例の物は手に入れたのだろうな?」

「はい」

「よろしい。さ、それを渡せ」

「その前にお伺いしたいことがございます」

「何じゃ? ……ああ、盧江の件か」

 孫策の顔に不満の色がにじみ出ているのを見て、袁術はようやくそれを察した。

「あれは公瑾こうきんの功績を第一と見るべきであろう。それにな、よく考えたら、太守というにはそなたはまだ若過ぎる。廬江は難しい土地じゃ。経験豊かな者に任せた方がよい」

 袁術はつらつらと理由を並べながら、逆に苛立いらだちを募らせていった。孫堅そんけんの子とはいえ、卑賤ひせんの若造が名家の頭領である自分に文句を言うとは百年早い。

 だが、孫策の利用価値について十分に理解している袁術は孫策の鼻先に代わりの餌をぶら下げるようにして言う。

「じゃが、神器を手に入れたその功績はしかと認めよう。ただちに丹陽を奪還し、呉を攻略せよ。そなたは呉の出身であろう。馴染なじみの薄い廬江より、呉を任せたい」

『馴染みはある!』

 孫策は叫びたい気持ちを心の内に抑えて、袁術に交換条件を提示した。雄飛のために、今は辛抱する時だ。

「……では、亡父の将兵をお返しください。彼らは私の命令に忠実に従ってくれます。皆、呉の出身ゆえ、呉を攻略するためなら死力を尽くしてくれましょう」

「ふ……よかろう。では、ほれ、早くよこせ」

 袁術はそれをあっさりと認めて、差し出した手をこまねいた。孫策は再び込み上げるものを押し殺して、背後に控えていた陸績りくせきに視線を向けた。

 これらは全て欲深く派手好きな袁術の気を引くために周瑜が考えた策、演出である。そして、八歳の少年が孫策にうながされ、再び袁術の前に立った。

「ん……見覚えがある童子こどもだな」

「陸績と申します。以前後将軍様にお目通りし、蜜柑みかんを頂きました」

「おお、思い出したぞ。陸康の子であったな」

 袁術が目を見張った。陸績は袁術が揚州にやってきたばかりの頃、陸康の代理として、袁術を表敬訪問したことがあった。その時、蜜柑がおやつとして出されたのだが、それを母親に食べさせたいとの一心から、いくつか隠して持ち帰ろうとした。

 ところが、それが袁術の目の前でふところからこぼれ落ちてしまった。

 意地の悪い袁術が、

「――――お前は盗みを働くために来たのか?」

 と質問したところ、六歳の陸績はひざまずいて、

「――――父のために書簡を届けました。母のために蜜柑を所望しょもうしました。ご無礼、お許しください」

 その聡明な返答と孝行心に袁術も感心したという。

 王祥は凍った川に鯉を求め、陸績は母のために蜜柑を求め、共に後世「二十四孝にじゅうしこう」に数えられる人物となる。

「はい。此の度の寛大なご処置に感謝の意を表すため、返礼の品をお持ちしました」

 陸績が物怖ものおじせず言って、蜜柑の返礼を懐から出して見せた。青龍爵。

「後将軍様が天下の珍品をお求めだとお聞きしました。どうぞお収めください」

「ははは、殊勝しゅしょうである」

 袁術はこの気のいたパフォーマンスと譲渡セレモニーに満足気に言った。

 絶対的な存在である袁術を満足させることで、孫策は飛躍のチャンスを手に入れ、陸家は安全を保障されたのだった。こうして、陸一族は仇敵である孫家に救われる形となって、孫策に伴われて呉へ向かい、その後、孫家に仕えることとなる。


 広葉樹の森と竹林が入り混じった山景。こけむした岩々の間を清らかな水が流れ下る。目には素朴な光景ながら、そこからかもし出される雰囲気は何か特別なものを感じる。耳を澄ませば、周囲からは美しくうたうような鳥のさえずり、そして、最期のアピールに必死なせみの鳴き声が幾重いくえにも重なって聞こえてくる。

 季節は夏の終わりを迎えていたものの、そこに満ちる空気はひんやりとして新鮮で、呼吸してそれを取り込む度に心身が洗い清められるようだった。

 十五になった孔明は大自然の精気を受けて一段と成長した身体を折りたたむように渓流の真ん中に鎮座する大岩の上に座って、渓流と小さな滝が生み出す心地よい水のだけに耳を澄ませていた。にぎやかな蝉しぐれも孔明の耳に届いていたが、孔明はこの場所がとても静かだと感じていた。人の欲望やさかしさが生み出す雑音、喧騒は一切存在しない。目を閉じ、心を落ち着かせ、その向こうのどこかにある静平を探し求める。そうして、肉体を解き放たれた孔明の精神はしばらくすると周囲の木々や渓流からかすみとなって溢れ出た精気と同化を始め、あたかも一滴ひとしずくの水となって清水しみずに溶け込み、滝壺たきつぼへと落ちる。そして、たっぷりと霊気を含んだ水ともみくちゃになりながら渓流を流れ下り、贛水かんすいへと合流を果たす。贛水の流れに乗りながら、ゆったりと南昌なんしょうの側を通り過ぎ、やがて、巨大な彭蠡沢を形作る一ピースとなる……。

 予章太守となった諸葛玄は南昌にいる。南昌は予章郡の郡治で太守の赴任地だ。

 姉や弟も一緒だ。家族の顔が浮かぶ。みんな元気でやっているだろうか――――近くの岩の上で瞑想めいそうしていた葛玄が孔明の意識の混濁を感じ取った。

家族を想う純粋な愛情も、今に限っては邪念に等しい。

「余計なことを考えるでない。心身を俗世と切り離すことができなければ、精神はぎ澄まされず、自然の力と調和できない。見えないものは見えないままだ」

 葛玄の指摘が耳を打ち、孔明は静かに反省した。

 閣皂山かくぞうさん。南昌の南二百里(約八十キロメートル)にある。一見特徴に乏しい平凡な山のようだが、彭蠡沢に注ぐ贛水が傍を流れ、溢れた陰気が霧となってこの山を取り巻く。かつて、〝南州の高士〟と称えられた徐穉じょちもここに隠棲した。その徐穉が使っていたいおりが今の二人の住処すみかであった。

 半年前、孔明が叔父と離れて山に入ったのは方術修行と心身の鍛練たんれんのためだった。

 特に自分を悩ます徐州の惨劇の記憶を抑制するためにも、葛玄に従い、山谷に入って心身を鍛練するのが良い方法だと思ったのだ。事情を察した諸葛玄もそれを認めてくれた。

上善じょうぜんは水の如し。水の音に耳を傾け、己の心を同化させる。時事に合わせて柔軟に対応変化できる姿勢のその先に自分が見える……』

 孔明は家族のことを頭から追い出し、気を引き締め、再び水の音に耳を澄まそうとした。だが、そうしようとした途端、背後から家族の声が聞こえてきたものだから、集中力ががれるのも当然の成り行きだった。

「……りょう!」

 幻聴ではない。それは紛れもなく姉・れいの声だった。玲は阿参あさんの手を引きながら、ふらふらと疲れた足取りで渓流沿いを歩いてきた。

「姉上!」

 孔明は姉の声に驚いて振り返ると、岩から飛び下りて、二人のもとに駆け付けた。

 修行の場は烏有先生のからすに託して伝えてあったので、姉が山奥の自分を探し当てたことは不思議ではない。とはいえ、わざわざこんなところに幼い弟を連れてまでやってくるというのは普通ではない。

「あっ!」

 阿参が苔に足を滑らせた。孔明と玲が手をつかみ、冷たい水に浸る前にそれを引き上げた。

「いったいどうしたのですか、姉上。こんなところまで……」

 ひざをついて阿参の服をはらった玲が焦燥しょうそうした顔をさらに曇らせ、成長した孔明を見上げた。

「大変なことになってしまったわ」

 嘆息に似た吐息と共に姉の口から漏れた第一声はやはり不吉なものだった。


 孔明は寝床しかないくたびれたいおりの中で姉の話を聞きながら、頭の中で情報を整理した。疲れ果てた阿参はそんな寝床でも満足そうにすやすやと眠っていた。

「先日、朱皓しゅこうという新しい太守がやってきて、叔父上が追い出されてしまったの」

 新しい太守――――つまり、袁術が叔父を予章太守に任命したように、誰か他の実力者が朱皓という人物を太守に任命したのだ。

 一つの郡に二人の太守。当然、対立が起こる。叔父が南昌を追い出されたということは戦で敗れたということだろうか。しかし、廬江の時のように城内にこもれば、そんなに易々と敗れるということにはならない。

「戦になったのですか?」

「いいえ、戦になる前に叔父上は城を出たの。私たちに亮のところへ行けと言って……」

「それで叔父上は今どこに?」

「分からないわ」

 玲は首を振った。孔明は姉が語る限定的な情報と時勢とをすり合わせてみた。

 叔父が南昌を放棄したと考えるなら、戦力差が大き過ぎて、最初から戦いにならないと踏んだためだろう。そんな軍勢を調達できる群雄は誰か。常識的に考えるなら、予章近辺に割拠する群雄となる。となると、揚州牧の劉繇りゅうよう。あるいは、荊州牧の劉表りゅうひょうだろうか。しかし、劉繇は袁術軍の攻撃にさらされており、叔父は劉表とは懇意こんいであったと聞く。

「城を出る前に叔父上は何か言っていましたか?」

「城内は安全じゃないから、急いで城を出るように言われただけよ。荷物をまとめるいとまもなかったの。全部城に置いてきてしまったわ」

 孔明はまた考え込んだ。城内の方が安全でないというのは、おかしな話である。

『……そうか。叔父上が予章に入ってまだ日が浅い。郡兵の人心を得、軍を掌握できていなかったら、逆に反乱にう可能性もある。いや、現にあったんだ』

 諸葛玄は軍を率いての赴任ではなかった。前任の太守・周術しゅうじゅつが在任中に死んだので、南昌に入りさえすれば、予章の郡兵をそっくり引き継ぐことができるだろうという袁術の目算があってのことだった。

『きっと朱皓という人物は天子てんし(皇帝)の認可を受けた正式な太守なんだろう。だから、叔父上はあえて争おうとしなかった。南昌の郡兵たちも袁術から派遣された太守より、漢の太守の言うことに従おうとしたんだろう……』

 静寂に包まれた幽谷。心身をなごませるさわやかな空気。先哲が過ごした庵……。

 思考を洗練するのに適した環境下にあったせいか、孔明の脳裏に次々とひらめきが生まれ、思考がえ渡った。

 朱皓はあざな文明ぶんめいといった。十年前、黄巾賊が全国で反乱を起こして漢が存亡の危機に陥った時、それを討伐して救国の英雄と称えられた朱儁しゅしゅんの子である。

 一方は大衆の人気が高い英雄の子で、漢王朝から派遣された正式な太守。

 一方は名門豪族の出自ではあるが、奸雄として各地を蚕食さんしょくする袁術の私的太守。

 諸葛玄の心がどうであれ、どちらに民衆の心が傾くかはおのずから知れた。


 孔明は姉弟のことを葛玄に任せて、半年ぶりに山を下り、南昌に入っていた。

 予章で一番情報が集まるのは郡都である南昌なのは疑いようがない。南昌では孔明と諸葛玄の関係を知る者はほとんどいない。諸葛玄が南昌に到着した後、孔明は家族が落ち着くまで数日滞在しただけで、その後、葛玄を追って修行のために山へ入ったのだ。叔父を追い出した人物が統治していようと、それほど恐れることはなかった。

 江北と江南とでは文化が大きく異なっている。それは戦乱の歴史と関係があった。

 後漢の間、政治・経済と文化の中心はずっと洛陽とその周辺だった。それはもう一つの大河、河水がすい(黄河)流域である。そして、そこは同時に争乱の中心地でもあった。河水を挟んで、〝河北かほく〟、〝河南かなん〟という地域が覇権争いの主戦場となった。

 戦乱が拡大すると、江水の北側、つまり、江北地域まで戦火が達することはあっても、江南にまで及ぶことはほとんどなかった。中国全土を戦乱のうずに巻き込んだ黄巾の乱も、その戦禍が及んだのは実質的に江北までであり、江南地域ではそれに便乗した局地的反乱はあれど、荒廃に至るような大きな被害はなかったのである。

 特に予章郡では時々辺境で異民族が反乱を起こす程度で、郡都の南昌が戦火にさらされるようなことはこの数十年起きていない。

 地理的に政治文化の中心から遠く離れていたことに加え、そのような事情もあって、予章の民衆は穏やかであり、素朴で飾り気がない。城兵を見ると、それは顕著だ。常に戦火に晒されていた廬江の兵と比べると、予章の兵たちの兵装は一時代前の旧式のもので、どこか緊張感に欠ける彼らの態度は厳しい実戦を経験したことがないことを如実にょじつに物語っているようであった。

『これなら、叔父上も戦いを避けて賢明だった』

 孔明は城門の近くにたむろして雑談を交わしている城兵を見て、叔父の判断に納得した。

「今度の太守が連れてきた兵、ありゃあ何だか気味が悪いなや……」

「徐州の奴らだってなぁ。浮図ふとの教えとか何とか言ってたっけか」

「いつまで居座るつもりなんだかなぁ。早えとこ帰ってくれればいいんだけどよ……」

「太守は喪中もちゅうだっつーし、奴らの親分が代わって、いろいろ取り仕切っちょるらしいべよ。名は笮融さくゆうって言ってたっけなぁ?」

「徐州の奴らもそうだけんども、ただでさえ難民でいっぺえだってのに、これ以上人が増えたら、収拾つかなくなるべさ」

「前の太守が難民の受け入れを許可してからこっち、掘立ほったて小屋だらけになっちまった」

「困ったもんだなや。騒ぎがおきなけりゃいいんだけんども……」

 彼らは不満が溜まっているらしく、現地のなまりを口々にそんな愚痴ぐちこぼしていた。

 中原の戦乱により、江南諸郡の人口は急激に増加していた。特に予章郡は呉・会稽両郡が現在孫策の攻撃により戦地となっていることもあり、揚州の中でも一番の増加率であった。それは当然、様々な問題をもたらす。食糧、住居、治安……。

 南昌の城外は中に入り切れなかった避難民たちがそこら中に掘立小屋を建てて、まるでスラム街のように変貌していた。それを許可したのが叔父だと知って、孔明は急ぎ足でその場を去って南昌に入城すると、いつものように市井の人々の話から状況を分析しようと試みた。

 裏通りを歩いていると、露店で食事をしている男たちが太守についての噂話をしているのが耳に入った。訛りはあるが声が大きいので、少し離れた場所からでも注意深く聞いていれば、内容は十分に把握することができた。

「また新しか太守様だってなぁ」

「今度の太守様っつうのは、どげん人だかね?」

「よう知らんけんども、朱儁将軍のお身内っちゅう話よ」

「んなら、揚州人かね」

「そらぁ、歓迎じゃね。前のは何つったけね? ありゃ北の人間じゃろうし」

 広大な中国では北と南、東と西では随分文化が異なる。故に同郷意識が強く働きやすい。

 後漢の制度では、この同郷意識からくる官民癒着ゆちゃくを防ぐため、太守県令などの地方高官には当地出身者を任命しない出身地忌避きひ制度が採られた。その代わり、当地の近隣出身者をあてがう選任をよくやった。方言や現地風俗の問題もあり、同地方の事情に精通している者の方が統治がしやすかったからだ。

 朱皓の故郷は揚州会稽郡で予章郡と隣接する。予章も会稽もたいへん広大で、実際に南昌と会稽の郡都である山陰さんいんは直線距離にして、約千二百五十里(約五百キロメートル)も離れているのだが、同じ揚州に属し、同じ江南の辺境地帯という点では共通している。その認識は距離に関係なく、同郷意識として容易に結び付く。方言もどことなく近いものがある。先程の兵士たちの会話は同郷意識が逆に排他的に働いていることのあかしだった。

『そういう理由もあったか。地方に行くほど人々は保守的で、排他的心理が働くのは仕方のないことかもしれないけど……。まだまだ人の心がわかっていない』

 叔父に不利な条件を一つ見落としていたことを知って、孔明は頭をいた。

 同じ言葉を話す人物に親近感が湧くのは世界のどこであっても、いつの時代であっても、変わらない。勝手気ままな袁術は後漢の制度を無視して、このシンプルかつ普遍的な条理をかえりみなかった。その失敗による不利益を諸葛玄がこうむったのだ。

『やはり袁術のもとにいたら、凶事に付きまとわれる。これは離れるいい機会だ』

 孔明は一族の袁秘えんひでさえ袁術を避けていたのを思い出して、そう決心した。

 朝廷を乗っ取り、洛陽を焼き、長安遷都を強行した董卓とうたくがそうであったように、どんなに強大な力を持っていても、人徳のない者の隆盛は長続きしない。必ず滅びる運命にある。

 諸葛玄に代わって予章太守となった朱皓であったが、今は喪に服している。長安に勤めていた父の死が伝えられたからだ。長安では董卓子飼いであった李傕りかく郭汜かくしという武将が相い争っていた。その争いに巻き込まれる形で朱儁は世を去った。

 父母に対する服喪期間は通常三年である。律義者の朱皓は喪に服すために辞職願いを長安へ送ったものの、大混乱の最中にある長安からは一向に返答が届かないでいた。

 その長安では董卓亡き後、側近だった部将同士で権力争いが起き、それに嫌気いやけした少年皇帝が長安を脱出したという話が最新ニュースとして南昌の城内を駆け巡っていた。少年皇帝の名は劉協りゅうきょうという。後漢最後の皇帝となる運命に生まれた劉協は孔明と同い年で、しくもその没年もまた孔明と同じである。

 つまり、二人は全く同時代を生きることになるわけで、この興平二(一九五)年秋の時点で、り所のない心細さも同じだった。

 しかし、今の孔明には少年皇帝の艱難辛苦かんなんしんく東帰行とうきこうにまでは想像が及ばなかった。

『たった半年山に籠っていただけなのに、時勢の変化は目まぐるしい。時勢にうといようでは駄目だ。家族を守るためにはしっかりと天下の情勢を把握しておかなければ……』

 孔明はそれを痛感して、空白の時間を取り戻すように城内を歩き回って情報収集に励んだ結果、様々なことが分かった。叔父の諸葛玄は南昌の西、西城せいじょうという小城に逃げ込んだようだ。朱皓は劉繇の支援を受けて軍勢を率いてきた。その劉繇は孫策との戦いに敗れて、予章の彭沢ほうたくまで落ちのびてきたらしい。予章南部では僮芝とうしという人物が廬陵ろりょう太守を自称して、なかば独立状態にある。

 そんな局地的な戦況に輪をかけているのが、民衆同士のいさかいだ。近年の戦乱や飢饉ききんから江南に避難してきた人たち(江北人)と地元民たち(江南人)、そして、異民族の山越さんえつ族との間で各種トラブルが生じている。それは、食料や土地の問題から儀礼や祭祀、生活習慣に至るまで、ほぼありとあらゆる方面で聞こえてくる。

 群雄たちによる利己的な争いが戦乱を起こし、それによって、多くの避難民が生まれ、江南の人口を短期間で急増させた。それによる軋轢あつれきが官民の信頼関係と民衆同士の融和を阻害しているのだ。――――予章の情勢は混沌としていた。

 孔明はこの複雑にこんがらがった予章の問題を解消するために情報を整理していった。

『一つずつ解決していかなければならない。まずは叔父上のことだ』

 諸葛玄が立て籠った西城は南昌から贛水を隔てて数里のところにある。


 西城は城壁が素焼き煉瓦れんがを塗り固めただけの頼りない小城で、長年放置されてきたのを示すように煉瓦の隙間からは雑草が伸び放題で、ところどころ崩れ落ちており、自然に帰るのも時間の問題といった状態だった。

 孔明はその日の夕刻には西城に辿り着いて、ほこりまみれの粗末な官舎の一室で叔父と面会した。その部屋にはすでに物と呼べるものは何もなく、閣皂山かくぞうさん草廬そうろとそう変わりない。何もかもがきれいさっぱり持ち去られていて、二人は冷気で冷え切った部屋の地べたにじかに座って話をした。

 玲と阿参が葛玄の世話になっているのを孔明の口から告げられて安堵した諸葛玄は、自嘲気味に自分の置かれた現状を説明し始めた。

「寂しいところだろう。昔、黄賊の乱が起こった時にここも略奪にったそうだ。今は官吏もいなければ、兵もいない。だが、南昌に入り切らない民衆たちがここに押し寄せて来ていてな、住民は日増しに増えている。今は彼らとこの城邑まちを再建しているところだ」

 その言葉どおりなら、叔父が唯一の官吏として住民たちの面倒を……いや、逆に住民たちからいろいろと助けてもらっているのだろう。一兵も帯びていない叔父はすでに無力な一市民に過ぎない。しかし、続く叔父の言葉はその認識に欠けるばかりか、余りにも短絡的、かつ強気なものだった。

「私がここに留まっているのには理由がある。今ここで北へ逃げ戻っては、江南へやってきた意味を失う。廬陵の僮芝に援軍の要請を出している。もう袁術にも報告が行っているはずだ。朱皓の軍勢はそれほど多いというわけではない。袁術が応援をよこしてくれれば、再び南昌を取り戻すこともできよう」

 語気を強めて言う叔父の胸には太守としての自負と責務があるのかもしれない。

 だが、孔明は再起を期す叔父のその考えに危うさの気配を感じて、それをいさめた。

「それでは自ら戦を招くようなものです。私たちが瑯琊を離れたのは戦を避けるためでございました。家族を守るために拠り所を得、力を持つことが大切だと叔父上はおっしゃっていました。それは理解できます。しかし、ここは決して安住の地ではなく、時に力は戦を引き寄せてしまいます。もし、今、仮に叔父上がいくらかの兵力を持とうものなら、朱皓はともかく、笮融という男なら、迷わず叔父上を攻め、憂いを取り除こうとするでしょう」

 笮融はかつて徐州で君子・趙昱ちょういくを殺して郡を乗っ取った大悪党である。欲望のままに、己の利益のためなら、手段を選ばない卑劣漢だ。

「叔父上が今こうして安泰でいられるのは兵を持たず、力をお持ちでないからです。力を持たないことも戦を避ける一つの方法ではございませんか」

 烏有こと葛玄は山野に修行する道士であり、世捨て人である。欲望や権力への執着を捨て、俗世を去り、心の安寧を求めてひたすらに人生の真理を探求しようとしている。

 たった半年のことであったが、葛玄と共に修行に打ち込んでいる内に、孔明はその考え方をおのずと理解するようになった。

「叔父上は袁術の下で働いても漢臣を貫くとも仰いました。朱皓殿が朝廷から派遣されてきた正統な太守なら、彼と争うことはその決意を自らなげうつことにはなりませんか。南昌で聞き知りましたが、朱皓殿は父の喪に服しているそうです。朱儁殿は忠義の将軍、国を救った英雄として人々に認知されています。喪中にあるその子息を攻めるのは、忠を責め、孝をこぼつのみならず、みだりに静謐せいひつを騒がし、わざわいを招く行為にほかなりません。それでも、朱皓殿と太守の座を賭けて争ったとします。しかし、たとえ勝利したとしても、人心は離れ、予章の統治は今以上に困難を極めるでしょう。万が一叔父上の身に何かあった場合、無力な私たちは共に滅ぶしかありません。よくお考えください。今、予章に固執するのは〝小利をもって大利を損なう〟ことにならないでしょうか」

 小利を以て大利を損なう――――『韓子』にあるいましめの言葉、人生における教訓である。目先の利益を追いかけて、真の利益を失う愚をいう。言うまでもなく、諸葛家にとっての大利とは一家の安泰にほかならない。

 孔明のまっすぐで熱い言葉は諸葛玄の心を強烈に揺さぶった。大人顔負けの知識があり、体格も大きいからつい忘れがちだが、孔明はまだ十五の少年なのだ。

「……そうだった。我ながら情けない話だ。太守という誘惑に魅せられて、いつの間にか我を見失っていた」

 兄・諸葛珪から一家のことを託された。拙速せっそくな判断で一家に危機をもたらすようなことがあってはいけない。諸葛玄はあっさりと甥の言葉を受け入れて深く嘆息すると、自分を恥じるようにこうべを垂れた。

「南昌の状況はだいたい把握できました。予章の情勢は混沌としており、簡単には片付きません。深入りはよした方が良いと思います」

「では、どうする?」

「これを機に袁術と手を切るべきです。このままおとなしくしていれば、向こうも叔父上を害すことはないでしょう。朱皓殿は劉揚州の支援を受けていると聞きました。揚州様は宗室そうしつですし、漢朝への忠義も厚いとの評判です。どうか私を揚州様のもとへおりください。叔父上のお心を説明し、受け入れの約定やくじょうを取り付けて参ります」

 諸葛玄は無言で頷き、それを認めた。太守の地位を失い、孤立無援の諸葛玄にとって、頼みの綱はこの十五の甥のみであった。

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