肉体はなくなっても魂は存在する。
でも、大切な人がすぐ近くにいてくれるかどうかは、ケースバイケース。
「死んだって人間」だから――自分のことを忘れちゃうような人のそばには居たくない。時々でいいから、大切なことを口に出してもらいたい。
時々でいいから思い出すの。そして、思い出を語るの。
そうすれば、いつも彼女はそばにいてくれる。だって、そんな彼の隣は、彼女にとって相変わらずとても居心地の良い場所だから。
そんな場所には一生――いえ、一生が終わってもいたいと思うから。
ここに、一生が終わっても付き合える二人がいます。
穏やかな人柄と、まるで読者へ話しかけるかのごとく徹底的に寄り添った男性の一人称が、非常に心地よいです。
昨今、一人称とは名ばかりの平易な変哲のない文章が多い中、きちんとキャラクターの個性を押し出し、一人称ならではの口調を意識しているのが伝わります。
回想形式で妻との思い出を振り返り、過去から未来へと受け継がれる志・家族の絆(それは人間らしく生きる上での「思い遣り」とか「業」のようなものか)を切々と謳い上げるさまは、さながら一片の詩のよう。
ただ一点(差し出がましい批評ではありますが)、尺の全てが回想なので、設定説明ばりに過去の経緯だけで話が埋まってしまっている印象もありました。
過去を踏まえ、これからどうなるのかを書いてこそ「物語」だと思うので、お孫さんを連れて来る結末も書いて欲しかったです。そこを加味して☆2としました。
……というお馬鹿の戯言はともかく。
着眼点、筆力、タイトル回収の手際など、頭ひとつ抜けているのは間違いありません。
この物語が大好きです。
何度読んでも、胸が震えるように熱くなるのを感じます。
大切な人と共に過ごす時間が、どれほど得難く幸せなものか——人を心から愛することの喜びと悲しみを、青空のように広く、深く伝えてくる名作です。
恋をしたばかりの瑞々しい思い。愛する人への、誠実で細やかな想い。
時を経て、今目の前にある、輝くような幸せ。
けれど、隣で微笑んでくれるはずのきみは——。
物語の主人公「ぼく」と、その恋人のかすみさん。彼らが出会い、恋をして結ばれ、歩んだ人生。その間に起こった出来事と、「ぼく」の想い——宝物のようなその時間を、「ぼく」はゆっくりと優しく振り返ります。
その時間の中で、彼らはどれくらい幸せを味わっただろう。どれほど苦しく、引き裂かれるような思いを味わったことだろう——
そんな時間の流れも、「ぼく」の中の愛する人への思いを変えることはありませんでした。
まるで少年のように、まっすぐ、濁りのない温かな恋心は、あの日のまま——。
時間は流れ、自分の姿もどんどん変わっていく。けれど、決して変わることのない想いで愛する人を慕い、追い求め続けるその切なさに、涙がこぼれます。
こんな風に、暖かく、優しく、熱を失わないまま人を愛し続けたい——そう思わずにはいられない、穏やかな中にじっくりとした重みのある物語です。
世の中にこんなにも長く純粋であり続ける恋心はあるでしょうか。
男性が親しみを込めて誰かに語りかけているような口調で始まるこの物語。
桜の時期に語られるそれは、独り言のように、手紙のように、思い出話のように、夫婦の会話のように、なんとも温かくて穏やかに流れていきます。
今の幸せがお互いの存在があったからこそだという感謝と共に語られるのは、時を経てもなお純粋な恋心。
いえ、時を経て多くの悲しみや苦労を乗り越えたからこそ、その思いの純度は高められ、宝石のように永遠に煌めく揺るぎなものに昇華したのだと思います。
途中から気付かされるタイトルの意味も、とても素敵で愛情の込められた呼び名であることに感動します。
読む時はぜひ、吸水性抜群のハンカチをご用意してくださいね。