全ての創作は作者個人、また作者の想像力を養った空間・文化の土着性からは逃れえないというのが私の持論です。
プロパーの日本人の私にとって、一番怖いホラー、最上級のホラーとは、醤油の香りがするホラーです。夕飯の香りの残る深夜の食卓が、自分の知り得ない闇に変わるかもしれない。昼間は勝手知ったる学校の夜の闇の中に、何か自分の知らないおぞましいものが蠢いているかもしれない。それは地球の裏側に現れたゾンビの大軍団や大怪獣などより、どれだけ恐ろしいことでしょう。
人類の歴史とは、闇を照らし蒙を啓き、自分の知らないなにか恐ろしいモノがいるかもしれない領域を縮め続けてきた歴史です。そうやって獲得した居心地の良さを疑い、不安を感じ、そこから這いよって来るナニカ、暗転する日常に想像をめぐらすスリリングな知的遊戯こそ、ホラーの愉しみの根源のひとつであり、クトゥルーというジャンルが人気を獲得した理由であるように思います。
『邪神任侠』のどこがすごいのか、楽しいのか。私は第一に、その座組みの見事さを指摘したいと思います。北海道、ヤクザ、幼女、地元のグルメにロリコン!
これらの要素は「クトゥルー」というジャンルに一見馴染まないという先入観を裏切って、異国の作家の空想という遠いところから、現代日本でアニメや漫画に親しみ創作を楽しんできた我々のいるこの場所まで、ぐっと引き寄せてくれるのです。
我々が生活し、想像するところと地続きの北海道を舞台に繰り広げられる主人公・香食禮次郎のオカルティックでおぞましい冒険劇。地続きのそこから、息を潜めてナニカが狙っているかも知れない。異色作と思うなかれ、ホラーエンタメの王道がここにあります。
……ああっ、窓に!窓に!!
日本社会で最強(近年は暴排条例等で弱体化していると言われてるけど作中の時代では最強)と言えるヤの付く自由業な主人公ですら、宇宙的なスケールでは簡単にあしらわれる辺り、何かあのヤバい神ヤバいって感じなのだが、正直クトゥルフ神話のことに明るくない自分は飯テロ小説のように夕飯食べつつ読んでました。
また、ラノベではこれまで池袋、秋葉原、千葉、博多などの都市が扱われて来たが、北海道にフォーカスした作品はあまり無かったように思う。北海道の地域伝承などを上手くアレンジしている点は良い着眼点だと思う。
正直なところを言うと、この作品は一部の「分かってる」人向けなのかも知れない。クトゥルフ神話やら他の海野しぃる作品、コラボに使われている作品などの知識がほとんど無い自分のような人が読んでも、内容を完全には理解出来ないだろう。他の知識云々を抜きにしても、この作品の構成はかなり複雑だ。ただ、ホラーというジャンルで見れば、よく分からないことそれ自体もプラスに働くだろう。
長々と書いたが、クチナシちゃんと北海道の魅力に触れられればそれで十分なのではないかと思われる。1話から美味しそうな食事シーンがあるので、この作品を読むときは飯テロ対策のご飯をお忘れなく!
少女の形をした愛おしい化物の手を取って、敵なる醜悪な化物共を相手に、銃弾を派手にぶちまける。
誰が正気ともつかないような、そんな地獄をお望みなら、この作品がオススメです。
主人公の香食禮次郎は、表向きは街の薬剤師、その正体は麻薬を売り捌くヤクザと、裏と表の世界をまたぐ男です。隙あらば他人を食い潰す破落戸の非情さと、一般人と同じように平穏を望む感性が同居しています。
そんな彼が、少女の姿をした怪異と出会った時、凄惨な死を経験し、それからはというもの、次々と名状し難い怪異事件と遭遇します。
それは、正確には、彼の世界に潜んでいた邪悪な存在に気づいただけのことであり……彼がヤクザに身を落としてしまった悪因さえ、その化物の仕業なのだから、なんとも世界は悍ましいものです。
まるで死んで生まれ変わったかのように、豹変した世界は、彼の真っ当な部分を蝕んでいきます。
皮肉な事に、あまりにも多くを失ってきた彼にとっては、この惨劇に引きずりこんだ当の少女が、心の支えとなります。化物に相対するには非力な武力を手に、最後の正気をひた守る彼の勇姿には、胸が滾ることでしょう。
勇敢なる探索者の行く末に、どうか幸あれ。
「クトゥルフ神話」×「ヤクザ」という異色の作品。
主人公はヤクザで、成人で、もちろんアウトロー×ヒロインはロリで、人外で、僕っ子っていう――「異色」×「異色」みたいな物語でした。
基本的に一話完結で、物語がテンポよく進んでいきます。その物語の中で次の物語、そして大きな物語につながる伏線が散りばめられているので、満足感と次への期待感を持ちながら次の物語に進んでいけます。
僕は「クトゥルフ神話」初心者なのですが、何の問題もなく楽しむことができました。作品の中で必要な情報は全て提示されるので、「クトゥルフ知らないから、ちょっと……」って迷っている人も安心して楽しめると思います。
本作の見所はたくさんあり――まずは主人公・香食禮次郎の任侠っぷり。アウトローなのに芯のあるイケメンです。そして、ヒロイン・クチナシの可愛さ。緊張感あるバトル描写。様々な重火器が炸裂します。そしてクトゥルフ神話の化物たちの恐ろしさ。マリア様は恐ろしや……ちょっとグロイですけど……
とにかく見所満載の異色作なので、おすすめです。
(同作者が書いているエッセイ「初めてでもよく分かるクトゥルフ講座」を合わせて読むと、より本作を楽しめると思います https://kakuyomu.jp/works/1177354054880900124)
任侠!クトゥルフ!ロリ!エログロ!SAN値喪失!
タイトルと最初の一話でも読めばすぐに実感する、この物語の要素である。
が、ソレだけじゃないのが本作の魅力だろう。
ヤクザなエログロバイオレンスという、エンターテイメントな魅力だけじゃないのがいい。
それが成されているのはおそらく、著者のクトゥルフへの、そして何よりもSAN値を失っていく者への愛がこめられているからだ。
この物語はきっと、忘れられたある者達への物語である
歌いましょう その子のために
踊りましょう あの子のように
泣き叫び どこまでも走り続けましょう
あの時に見た 悪い夢のように
あぁ、大きく硬い殻の中に
まだあの時がいる
触れた指先は
あの夢を思い出させる無垢の肌
細い体を抱き寄せ
包み込まれる香りと眠り落ちる
母に抱かれ生まれ落ちたあの暖かさ
共に眠りましょう
慈母の手を取るその悪夢
さぁ、彼らの手記を手に取ろう
今日の夢はきっと暖かい底
特筆すべきは圧倒的な落差と速度。
そしてそれを不自然に思わせない構成の妙でしょう。
見せたい武器(シーン)が無数にある中で、選りすぐりの殺傷力を持つ場面だけをひたすらぶつけられているような、狂気的な展開が徹頭徹尾連続していきます。
本作は弛緩と緊張。狂気と正気が交互に、らせん状に渦を巻くような構成となっており、まさにクトゥルフを題材とした、正気が削り取られていくような感覚を登場人物達と共に味わうことが出来ます。
登場人物の思考も独特(その上で非常に感情移入もしやすい)で、どこで突然正気と現実の境界を飛び越えるのか全く予測がつきません。
総じて、巨大なジェットコースターに乗せられたかのような読み心地の作品です。この感覚はぜひ一度多くの人に味わって頂きたい。
物語だけでなく、構成と文脈によっても絶妙な酩酊感が味わえる本作。お勧めです。
九州の田舎で起伏の少ない日々を送っている僕にとって、北の大地はそれだけですでに異界だ。
北海道。羆が跋扈し、火の気のない部屋には朝から畳に霜が降り、凍てつく港には北から巨人たちの船が豊饒な海の恵みをもたらす異境。
ここで描かれるあらゆる事物の名は、セーレムやアーカムと何も変わらぬ異界の形象に冠されたものとしてイマジネーションを喚起する。
そうして築かれた舞台の上に躍り出る、猥雑なまでにバリエーション豊かな異形とガジェット、そして恐怖の数々に、冒頭から結末まで圧倒される。
作中何より印象的なのは、やはり老作家が生み出した本。読む者の認識と存在を塗り替え上書きするこの呪物の本質は、創作者ならだれでも夢見る『力ある物語』を露悪的にグロテスクに言い換えたものに他ならないのだが、それゆえにこそ恐ろしく魅力的で、書くタイプの人間の心に響いてやまない。
この作品はオムニバス的な短編連作と、首尾一貫して一つのテーマを追う大河的な叙事詩(エピック)とのちょうど中間にあると思うのだが、この本のエピソードとアイデアこそが実は中核であるようにも思える。
主人公の心を両側から綱引きする二人の少女に対して、この本がそれぞれどのような意義を持つか、という二面性こそがその証左だ。
既存の神話体系に知られたあれやこれやのきらびやかなスター的存在たちを舞台から追い出してしまえば、この物語は実にシンプルな二律背反と二項対立に還元されるのである。
sealさんの作品を数編読んできたが、ここに至って構成もアイデアも込められた情念も、異次元、いやまさに異界に突入したかのような進化と完成を遂げたように思う。
次の作品、あるいはこの邪神任侠の続編が、いかなる未知の異界へ扉を開いてくれるのか。僕はもう、震えながら待つしかない。
窓の外に、それはすでに訪れている。
余談ながらラスト近くで明らかになる事実が、あっ、という叫びを伴ってそれまで感じた違和感を反転させてくれる。これは、起こりえたかも知れない破局の一つの形を垣間見た男の手記なのだと。
邪神任侠は、1999年の物語なのであった――
本作はクトゥルフ系列の専門用語が頻出するため、そちらの知識がある方が楽しめるのは間違いない。
が、私はまったくの門外漢であるが、「よくわからんがそんな名前の邪神がいる」程度の認識で興味深く読めた。
つまり、この物語の本質はそこではないということだ。
主人公が死ぬとすれば、それは物語の開始か終了のどちらかだ。
本作では早速物語の冒頭で死ぬ。それも非常識的かつ人間としての尊厳を侵される冒涜的な手法で。
が、なぜか主人公は生きている。夢か幻か、はたまた別の何かか?
しかし生き長らえたとてそれが幸運とは限らない。彼にとってそれは、忘れ去ったはずの悪夢の再開に過ぎなかったのだ。
そうやってこの物語はとにかく転がり落ちていく。緩やかに、確実に。真っ当なところからかけ離れていくのを本人は気づいているのやらいないのやら。
次第にそれは加速し、やがては正気を失っていく。
そうして絶望の底へ堕ちたと思ったら、なんと意外な結末が待っていた。
私は賞賛する。決して怯まなかったその勇気を。
私は賞賛する。邪神相手に弄したその策謀を。
私は賞賛する。決して手放さなかったその愛を。
しかし、彼はそんな賞賛など受け取るような輩ではあるまい。
彼が心から望んだのは他者からの評価ではないのだ。
望みは二つ。一人を殺し、一人を守る。それ以外は命すら要らない。実に任侠だ。
ゆえにそんな彼へ私が言葉をかけるとしたら、もはやそれは一つしか残されていない。
「――ところで君は、ロリコンなのかい?」