地獄編
翔クンと付き合い始めて一年。
相変わらずメールは一方通行で、デートの直前しか返事が来ない。勉強やバイトや友達づきあいで忙しいかなと電話は遠慮してかけられず、会うのは三ヶ月に一回程度。まだ四回しかデートしてないんだけど、大丈夫かな。
デートしてるときは楽しくて嬉しくて舞い上がっちゃって、この時のために生きてる! って感じなんだけど、たとえば年に十日会えるとして、残り三五五日は次の逢瀬を悶絶しながら待つしかないのは、つらい。せめて週に一回メールが来るとか、五分だけでも声が聞けるとかしたら、それだけで満足できるのになぁ。
あんまり欲求不満が溜まると、カレにしつこくメールしちゃいそうで怖い。そんなわたしが取った解決策がこれ。
一人二役LINE。
LINEの画面風にチャットができるアプリをインストール、相手の名前を「翔クン」に設定。ついでにアイコンも、隠し撮りした写真にする。これで準備完了。あとは、カレに話しかけたい内容を打ち込み、「翔クン」のターンに切り替えて、返事を書くだけ。
〈ねえねえ〉
〈また来たな、甘えっ子さん〉
〈翔クンのこと、すっごく好きだよ〉
〈知ってる〉
〈そこは、「俺も好きだよ」って言うところ〉
〈そういうの苦手なの、知ってるくせに〉
〈うん。困らせてるの〉
〈困ったちゃんだ!〉
こんな感じである。
おかげで恋心が暴走することもなく、毎日いちゃいちゃチャットができて大満足だ。
本当に毎日、翔クンのことを考えている。手持ち無沙汰なとき、鼻歌代わりに口ずさむのはカレシのテーマソングだ。翔クンが~好きだから~、とあの目を伏せたときのまぶたの曲線や、長い睫毛、シャープな顎の輪郭を思い出しながら歌うのが至福なのだ。たとえ全然連絡が来なくても、この世にいてくれるだけでいいのだ。
恋愛指南書に書いてあった。その人のことを思うと頑張れる、むしろ会えないときに人生を支えてくれる、そんな人を恋人というのだ、って。だから、大丈夫。二人は大丈夫。
バレンタインデーは、奮発してピエールエルメのチョコを買い、「会いに行くから、都合のいい日を教えて」とメールをしたのに、「忙しくて空いている日がない」だの「来月帰省するからそのときに」だのと、結局デートの約束は取り付けられなかった。仕方がないからチョコはクール宅急便で送ったけれど、届いたという連絡すらない。配送状況を確認したら、何日かセンターに留め置きされていた。
ダメダメ、どす黒い感情を持っちゃったら、カレに迷惑がかかる。常に明るく、負担にならない、いい女でいなくちゃ。
〈チョコありがとう! おいしかったよ〉
〈食べてくれたんだ、嬉しい〉
〈ホワイトデーのお返し、期待しておいて〉
〈やったー!〉
〈何がいいかな〉
〈ぎゅーってしてくれるだけで十分〉
三ヶ月前にぎゅーってしてくれた記憶を何百回も反すうしながら、わたしはバイトで稼いだお金を貯め、東京へ思いをはせる。
ホワイトデーは華麗にスルーされたけど、会えばやさしいし、楽しく過ごせる。単なる筆無精なだけだから、大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせる。
不安な分は、一人二役LINEで解消する。
わたしの中では、おはようからおやすみまで二人は一緒で、時にはドストエフスキーがどうのニーチェがどうのといった話もする。翔クンの好きな色は青で、ライトブルーのインクを入れたLAMYの万年筆を愛用していて、食べものは肉が好きで、気分転換にしょっちゅうミンティアを食べている。翔クンのことなら、何でも知っている。
春休みに、半ば押しかけるように東京へ行き、久しぶりにデートをした。翔クンは赤い色のシャツを着ていた。
「珍しいね、赤って。でも似合ってる」
「俺、好きな色は赤だから、よく赤い服着てるよ」
あれ?
だって、前回は紺色のダッフルコートに中はグレーのセーター。その前は白いTシャツにジーンズの上着。その前はベージュのジャケット。文房具もモノトーンか青系統が多かった。赤が好きなんて知らない。知らなかったよ。一年も付き合ってるのに。
今日は翔クンちで晩ご飯を作ることになっていたから、一生懸命ビーフストロガノフを練習しておいたのに、「魚が食べたい」って言うから、鮭の南蛮漬けに変更した。なんか普通の晩ご飯になっちゃって、申し訳ない。
食後のコーヒーを飲んでいるカレを盗み見ていると、小さな、ほんの小さな違和感に気づいてしまう。こんなところにほくろがあったんだ。もう少し耳たぶがあったと思ったけど。こんなイントネーションで話してたっけ。
一年付き合っても、隠し撮りした写真以外にカレの姿を記録したものはなく、こっそり録音した声は生の声とは微妙に違って、どっちが本当の翔クンかわからなくなる。
そんな違和感も、またメールが返ってこない日々に紛れて消えてしまい、わたしは一人二役で演じる「翔クン」にもたれかかって生きる。
それから半年後、わたしたちはお別れしました。
誕生日をスルーされたので、暗くならないよう茶化しながら「誕生日プレゼントをください! 毎週電話できる権利なんて、どうでしょう」とメッセージを送ったら、振られました。
これで最後にするからと電話をしたら、「前からタイミングを探っていて、ここが落としどころかなと思って」と言われました。落としどころってなんやねん! ちょっと惚れられてると思って上から目線やな、ゴルァ! って感じです。
でも、わたしが悪いのです。自分の「好き」という気持ちばかり暴走して、翔クンがわたしのことを好きになってくれる時間を作らなかったのですから。むしろ、今までよく我慢してつき合ってくれたな、と思います。
一ヶ月ほど、生ける屍になりました。
その頃の記憶があまりありません。ちゃんと大学へは行っていましたが、条件反射のように生きていただけです。
なんとか生気が戻って、つい昔の習慣で、一人二役LINEを開きました。
そこには、変わらず翔クンがいました。私のことを気にかけてくれて、ぎゅーってしてくれる、やさしい翔クンが。
ようやく気づきました。あの人とうまくいくはずなどなかったのです。だって、わたしにとってのカレシは、自分が作り出した架空の人格の方の、翔クンだったのですから。
〈久しぶり。もう連絡くれないかと思ってたよ〉
〈そんなわけないよ。わたしは翔クンのことが大好きなんだから〉
生き返った心地がしました。わたしは振られてなどいなかったのです。他人から見れば滑稽なのでしょうけれど、愛があれば次元の差なんて!
わたしは現実の片岡翔に関するものをすべて捨て、携帯電話に頬ずりをしました。
翔クン、ずっとずっと一緒だよ。
(了)
エンキョリレンアイ! 芦原瑞祥 @zuishou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます