神楽坂茉莉の緊急弟子育成計画

新免ムニムニ斎筆達

プロローグ

『生き残るのは強い生物や賢い生物ではなく、変化に適応できる生物だ』


「進化論」で有名な生物学者、チャールズ・ダーヴィン氏が発したといわれる言葉だ。


 僕が思うに、この言葉は非生物にも大いに当てはまる。


 電気機関車の普及によって蒸気機関車はほとんど使われなくなったし、機械によるモノの大量生産が当たり前になった現代社会では、古き良き伝統工芸は常に失伝の危機と隣り合わせだ。それらはどれも、時代の流れという一種の「変化」に馴染み切れなかったからこそ廃れていった技術である。


 そして「武術」も。


 今よりずっと治安の悪い、戦乱の時代の中で生き残るため、先人達の多量な血と汗によって開発された戦闘術。スポーツ武道とは違う、戦闘のための機能美をとことんまで突き詰めた必殺の技法の坩堝。英語で言うと“Martial artsマーシャル・アーツ”。「戦闘芸術」とは言い得て妙だ。


 だけどそんな戦闘芸術も、平和な現代社会においては何の役にも立たない。


 武術の世界には、人を殺すのに指一本以上は必要ないと言えるほどの恐ろしい使い手も決して少なくない。しかし平和な時代である以上、その腕前に存在価値はない。なのでそういった人たちは表舞台には姿を現さず、自分の技を途絶えさせないように裏で細々と伝承するしかなかった。平和な時代にそんな技術を学びたがる人など、よっぽどの好事家くらいだからだ。


 そう。武術もまた、そういった「変化」に適応しきれずに衰え、滅びゆく生物と同じ存在だった。




 同じ、だったのだ。




 二十一世紀前半――日本の治安が急激に悪化した。


 外国人の増加、新たな危険ドラッグの流行、ロボット技術などの進歩に伴って人間の働き口が奪われたことによる失業者の増加、貧富の差の拡大……色々な要因が重なり、日本の安全神話に亀裂が生じていったのだ。


 例えば、人気のない夜の道を、女の子が一人で歩いていたとしよう。それらの条件が揃ってしまうと、女の子は強盗、強制わいせつ、傷害、殺人、強盗殺人のいずれかの事件の被害者となり、その案件が高確率で翌朝のお茶の間に放送されるのだ。


 「お巡りさん助けてください」という呪文の効力はあまり期待できない。いつでも都合よくお巡りさんが近くにいるわけじゃない。ましてや被害に遭ってからそんなことを叫んだって遅いのだ。


 ゆえに人々には――自分で自分の身を守る術が求められた。


 「銃刀法を緩めよう!」などと提案した政治家がいたそうだが、光の速さで却下された。臭い物に蓋をするスタンスをずっと取ってきた日本という国では無理からぬ事だったし、銃刀法を緩めることで逆に犯罪率の上昇を助長させてしまうかもしれない。




 そこで人々が目をつけたのが、武術であった。




 武術なら、わざわざ護身用の武器なんか携帯しなくても、自分の身を守ることができる。それに武器は自分の肉体であるため、お巡りさんから「何木刀持ち歩いてんだ?」みたいな文句を頂戴することもない。


 以来、武術道場に通う人が急増した。


 日本には空手や柔術だけでなく、中国拳法、ムエタイ、システマ、クラヴマガ、シラットなど、古今東西のあらゆる武術が伝承されていたが、どこも例外なく門下生の数がうなぎ登りとなった。


 ある人気芸能人が護身のために武術を習い出し、それに影響されたミーハーな若者が類似性を求めて次々と同じ武術に手を出す、といったことも重なり、二、三年経つ頃には武術習得者人口がかなりのものとなっていた。


 こうして人々が反撃の術を覚えていった結果、無秩序な暴力による死者や負傷者の数が年を追うごとに減少。警察の頑張りによる所も少なくなかったが、人々が率先して自衛の手段を学んでいなければここまでの減り方はしなかったと、ニュースに出てきた専門家は自信満々に述べていた。


 おまけに武術の普及によって運動をする人が老若男女問わず増えたことによって、生活習慣病にかかる人、認知症にかかる人の数が大幅に減り、それに追従する形で平均寿命も増えた。


 時代遅れだった武術にニーズが生まれ、それが世の中を大きく変化させていったのだ。


 これが武術ブームの到来であり、そして武術大国日本の始まりでもあった。











 そう。これはそんなカオスな時代から十数年が経った20xx年。

 僕――藍野英助あいの えいすけが、今まで避けて通ってきたはずの武術の道へ足を踏み入れるお話である。

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