3-2


     *


 僕がそれに気が付いたのは、次の日タンブラーの水をアリスに持って行こうとしたとき。

 紐の先に付いていた木製の鈴部分だけ、引きちぎられたように無くなっていた。

 事を理解する前に、全身から血の気が引く。

 ようやく理解が追いついて、次に思い至ったのが、いつ失くしてしまったのか。

 ケーブルカーに乗るまでは、確かにあった。ちぎれたところを見る限り、相当な力がかかったようだから、何処かに引っかかってちぎれたのだとしたら気が付くはず。

 そこで二つ思い当たった。

 一つは温泉に入っている時。鍵付きのロッカーだったけれど、何らかの方法で鈴だけ持っていく事は出来たかもしれない。

 もう一つは音無さんにバッグを預けた時。音無さんは妙に鈴に興味を持っていたようだったから、持って行った可能性は否定できない。むしろ、現状音無さんが持って行ったとしか考えられない。

 改めて自分の過失でないかを考えてみたが、簡単に切れる紐ではないので自然と切れたと言う事もなければ、雑に扱っていた記憶もない。

 音無さんに裏切られたのだ。証拠はないけれど、他に可能性は思い至らない。

 しかし不思議と、音無さんを責める気にはなれなかった。

 そもそも音無さんに会うための代価――正確には違うが――だったのだから、音無さんを責めるのが筋違いだ、というのもある。

 流れはどうあれ、僕が音無さんにバッグを渡したのだから、僕にも責任がある、というのもある。

 でも、どちらともちょっと腑に落ちない。たぶん、相手が音無さんじゃなかったら、もっと怒っていただろう。鈴を失くしたことで、アリスに誹られるのは、目に見えているのだから。

 なるほど、裏切られてもいいと思えるほどに、僕は音無さんの事を大切に思っていたのか。彩の無かった僕の人生に花を添え、僕の望みを叶えてくれているのだから、当然と言えば当然かもしれない。

 鈴の事に関しては、全ては僕の責任なのだ、と全力で謝ろう。怒られると分かっていてアリスに会いに行くのは、とても嫌なのだけれど。


     *


 何気なく来ていた建物も、気持ちが変われば魔王の城へと姿を変える。

 こんなに緊張してアリスのいる建物に入るのは、初めて来た時以来だろうか。

 暑さのせいか、緊張のせいか、顎から雫となって落ちていく汗が、地面にシミを作っていた。

 外よりもだいぶ過ごしやすい建物内は、いつもと変わらず僕を迎える。

 入口で立ち止まり、ごくりと唾を飲み込んでから、アリスがいる部屋に歩を進めた。


 いつも後からやってくるアリスだが、今日に限っては行儀悪く机の上に座って僕を待ち構えているようだった。

「遅かったね」

「来ることが分かっていたみたいですね」

「何となくね」

 あいさつ代わりの受け答えをしても、アリスは机から降りる事はなく、大きな目をこちらに向けて言葉を待っているようだった。

 いつもの調子のアリスに、落ち着きかけていた心臓が、思い出したかのように早鐘を打つ。

「今日はお使いの報告と、謝罪をしに来ました」

「じゃあ、先にお使いから済ませようか。水、持ってきてくれたんだよね」

 普段と変わらないはずなのに、アリスの雰囲気が尖ったように感じたのは、気のせいだろうか。

 言葉にも態度にも表れていないのに、僕を責めているような感覚がする。

「これで大丈夫ですか?」

「水って言うか、お湯って言うか微妙だけど、大丈夫だよ。お疲れ様」

 タンブラーを受け取ったアリスは笑い、そして、僕の言葉を待っている。

 謝ると言う事は、こんなにも心苦しいものだったのだろうか。それとも、自分の非を認める事が問題なのか。唇が渇き、動悸がする。

「謝らないといけないんですが、預かっていた鈴を失くしてしまいました」

 頭を下げて「ごめんなさい」と謝る。どんな誹りも受け止める心構えでは来ていたけれど、アリスが黙っている間に、精神力を持って行かれるようだった。

「失くしたのは本当にカズト君のせい?」

 ようやく返ってきた言葉は、負の感情が籠っておらず、ただ疑問を投げかけてくるのが予想とかけ離れていて、すぐに答えることが出来ない。

「もしも、思い当たる節があるなら――」

「僕が悪いんです」

 大声で言葉を遮ったからか、アリスは一瞬だけ驚いた後、猫のような目をこちらに向けた。

「思い当たる節があるんだね。唄ちゃんかな?」

 的確に言い当てるアリスに、僕は何も返すことが出来ない。

 沈黙する僕を見て、アリスは悪魔のように甘く囁く。

「ちゃんと言ってくれたら、カズト君へのお咎めはないよ?」

「アリスは音無さんが盗ったと言いたいんですか?」

「それは、カズト君が良く知っているんじゃないかな?」

 やっぱり音無さんが、とは思ったが、首を振ってアリスの方を見る。

「僕が悪いんです。どうしたら、許して貰えますか?」

「それは願い?」

「はい」

「何で唄ちゃんをかばうの?」

「音無さんの事を、信頼していますから。あと、かばってはないです」

「唄ちゃんが鈴を盗るような人じゃないってこと?」

「言いたくないんですが」

 淡々と問答をしていたのだけれど、こちらの拒否にアリスは何故か嬉しそうな顔をして「だめ」と首を振る。

 アリスなら、どう思っているかくらい分かっていそうなものだが、こちらが言いたくないことを言わせたいのだろうか。

「状況から見て、音無さんが盗ったんだろうなとは思います。でも、音無さんが悪いとは思わないようにしたいんです。そもそも、音無さんに会いたくて色々していたんですから、音無さんのせいにするのも変な話ですし。

 なにより、信頼ってこちら側が勝手にするものですから。僕の中では、その人になら何をされても良いって事なんですよ。勝手に信頼してそれに反したから裏切りなんて言うのは、身勝手ですから。

 音無さんを信頼していたからバッグを渡しました。それだけです」

「唄ちゃんは信頼に足る人物だと?」

「僕なんかと友達になってくれるような子ですから。

 まだ出会って長くはないですが、沢山遊んでくれましたしね」

 言葉はならべてみたけれど、きっとこの辺りは気持ちの問題なのだと思う。上手く表現できないから、言わないけれど。

「って事で良いかな」

「良いって何がですか?」

「これ返すね」

 アリスが木製の鈴を僕の手に乗せる。新しく紐がついているけれど、振ってみても音は鳴らないし、失くしたと思っていた鈴に違いない。

「何でこれがここにあるんですか?」

「その質問には答えられないけど、私が鈴をカズト君から盗ったからかな」

「どうやってですか? 温泉に行った時には確かに持っていましたよ?」

「ノーコメント」

 答えてくれなかったけれど、魔法を使ったのだろう。

 アリスなら、鍵のかかったロッカーを開ける事くらい造作もなさそうだし、僕達の後をつけてくることも不可能ではないと思う。

 むしろ、ワープくらいしてしまうのではないだろうか。

「でも、何でアリスが盗む必要があったんですか?

 言えば返しましたよ?」

「それにも答えられないんだけど、急に必要になったから。カズト君に連絡する方法も無くて、勝手にもって行くしかなかったんだよね」

 アリスの言葉は筋が通っているように思える。勝手に持って行かれたこちらとしては、迷惑だけれど。

「さっきから、答えられないって言っている割には、答えていますよね?」

「答えてないよ」

 ニコニコと笑うアリスの本意は分からないけれど、問い詰めても意味はないだろうから、わざとらしくため息をついてから「分かりました」と返す。

「じゃあ、カズト君には代価を払って貰おうかな」

「代価って何ですか」

「なにって、さっき願ったよね? 許してほしいって」

 突然の事に驚いて声を上げたけれど、確かに願いだかどうかの確認もされた。

「ちょっとズルいですね」

「早とちりした方が悪いよ」

 早とちりと言えば、音無さんを疑ったのは悪かったと思う。

 言わなければ伝わらないとはいえ、ばつは悪い。

「カズト君に、今まで集めてきてもらったヤドリギと水、後は鈴を渡すから管理よろしくね」

「管理って今までとは違うんですか?」

「タンブラーの水の中にヤドリギと鈴を入れて、家で保管していてくれたらいいよ」

「持ち歩かなくていいんですね?」

「うん。テーブルの上でも、机の上でも、テレビの上に置いておいてもいいよ」

「いまどきテレビの上にはおけないと思うんですけど。

 いつまで預かっていたらいいんですか?」

「その鈴が鳴るようになるまで」

 僕の持つ鈴をアリスが指差す。

「鳴るようになるんですか?」

「もちろん」

 自信満々なアリスを見て、ふと万能薬の事を思い出した。

 タンブラーのヤドリギはオークの木のものではないけれど、鈴がオークの木を使っていたはず。水も水道水ではない、自然に近いもの。

 もしかして、アリスは僕に万能薬を作らせたいのではないだろうか。

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