音無さんと一緒
4-1
『さて、どれに乗ろうか』
とあるテーマパークの入口で、音無さんが携帯電話を片手に爛々と目を輝かせている。
アリスの所から帰った次の日、音無さんに誘われて、あれよあれよという間に連れてこられた。
本当は気まずくて断ろうかとも思ったのだけれど、音無さんは僕が疑っていた事を知らないし、避けているように思われるかもしれないと了承したのだ。
『成宮君は何か乗りたいものある?』
「あまり怖くないのだったら何でもいいよ」
こういうところに来るのが久しぶり過ぎて、自分でも何に乗りたいとかは分からない。それに音無さんが楽しそうにしてくれることが、僕の楽しみにもなるから、何でもいいというのは嘘ではない。
音無さんは地図と睨めっこをした後で、僕の手を引いて歩き出した。
昼を過ぎ、園内のレストランで一息つくことになった。
午前中はとにかく振り回されたと言う印象が強い。映像を見ながら振り回され、車型の乗り物に乗っては振り回され、振り回すために作られたであろうアトラクションで振り回された。
しかし、音無さんも加減してくれていたのか、フラフラにはなったけど怖くはなく、どのアトラクションでも音無さんが楽しそうに連れていくので、僕もずっと笑顔だったように思う。普段使わない筋肉を使ったせいか、頬に違和感が残るくらいには。
音無さんと園内を回る中で、声を出せないと言う不便さも改めて感じた。
アトラクションには問題なく乗れるのだけれど、外で売っている物、特に食べ物などは一人では買いにくい。人ごみに紛れそうになった時に、僕の服や手を掴まなければはぐれてしまう。音無さんが移動の度に手を引くのも、道の真ん中で立ち止まると邪魔になり、いちいち端によって行きたい場所を伝えるのも面倒だから、らしい――僕はそのたびに緊張していたけれど。
それとは別に一つ問題がある。音無さんがあるアトラクションを度々見ていた事だ。
見た目は何の変哲もないジェットコースター。だけど、進む向きは後ろ。
ジェットコースターのリハビリとなる僕にとっては、大いに難易度が高いものと言える。
『どうしたの?』
深刻な顔でもしていたのか、音無さんが肩をゆすってから、口パクをする――だいぶ一緒にいたおかげか、一言くらいなら口パクでも音無さんが言いたいことが分かるようになって来た――。
「何でもないよ」
心配をかけないようにすぐに答えたのだけれど、音無さんはじっとこちらを見て、まるで僕が考えていたことが分かっていたかのように『次はジェットコースターに乗りたいんだけど、いいかな?』と尋ねてきた。
こちらの様子を窺う音無さんに、試されているような錯覚に陥る。
しかし、直接伝えられてしまえば、仄めかされるよりだいぶ気が楽で「いいよ」と返すことにした。すぐに後悔はしたけれど。
音無さんがご所望のジェットコースターは、園の入り口付近の目立つところにあった。予想通り後ろ向きに進むもので、待ち時間は三時間弱。
目玉のアトラクションらしく、他の所よりも待ち時間が長いが、並んで待つことにした。
最初の一時間くらいは、聞こえてくる悲鳴に後悔の念を隠すので精いっぱいだったのだけれど、いつまでたっても進んでいないように感じる列とそれに伴う待ち時間は、精神衛生上開き直るには充分だった。
気持ちに余裕が出来た後は、今まで乗って来たアトラクションの感想を言い合ったり、大学生らしく試験や単位の話を――音無さんはしたくなさそうだったが――したりして時間を潰す。
ようやく乗り場の建物が見えた時には、ほぼ真上にジェットコースターのレールがあった。
周りの人に注目してみたところ、コースターが最初の坂を上っている時に、待っている人の一部が騒いでいる。
近づいてみて分かったが、コースターに乗っている人がこちらに手を振っていた。待っている人は手を振り返していて、特に小さい子供ほど大きな声を出している。
子供だけでなく、僕達とあまり変わらない世代の人や、一回り、二回りも年上に見える人も一緒に手を振っていた。
隣を見たら音無さんも子供っぽく手を振っていて、僕と目が合うとニコッと笑顔を見せる。
こういう場でのみ出来上がる、妙な一体感は初めてなのだけれど、ここに来るまでに開き直っていたのもあるのか、一緒になって手を振る事にためらいはなかった。
普段だったら、恥とか外聞とかプライドとかが邪魔をしてやらないけれど、やってみたら案外面白い。
「あれ、乗っている側大変そうだよね」
『あの後すぐ落ちていくからね。後ろに』
コースターに乗っている人の多くは、笑顔で手を振っているけれど、突如悲鳴に変わる。
『進行方向からみて、一番後ろに座ったらずっと手を振っていないといけないもんね』
「手を振るのは義務じゃないと思うんだけど」
『でも、振りたくなると思うな』
コースターに手を振る傍ら、他人事のように音無さんと話をしていた。
長かった行列もあまり退屈することはなく、次は自分たちの順番となるところまでやって来た。
忘れてかけていた恐怖も戻って来たけれど、もう引き返す事も出来ない。
戻って来たコースターから降りてくる人の中に、号泣している人がいて不安を掻きたてたが、音無さんは待ちきれないと言った様子で興奮気味のいつもより雑な字をこちらに見せた。
『ようやくだね』
「音無さんはこれに乗ったことあるの?」
『ないよ。だから楽しみだったんだ』
はしゃぐ音無さんに押されて、不安が少し解消された。
係の人の指示に従い、鞄類をロッカーに入れて、それぞれ案内される。
奇しくも通されたのは、最後尾――つまり、もっとも待っている人と視線が合う場所――で、隣の音無さんに視線を向けてみたら、一人どんなふうに手を振るかを研究していた。
見ていて面白かったのだが、すぐにベルが鳴りコースターが動き出す。
後ろに進んでいるせいか、あまり怖いとは感じなかった。間もなく、先ほどまで僕達が手を振っていた場所に出る。
実にいろんな人が、笑顔でこちらに手を振っていた。初めは、振り返さないと申し訳ないと言う気持ちだったのだが、次第に楽しくなってギリギリまで手を振り続ける。
人々が見えなくなって、強制的に空を見せられた後は速かった。
地面を視界に入れると怖いので、可能な限り見ないようにして、でも思った以上に気持ちに余裕があったから、ジェットコースターのイメージにある通り両手を上げようと試みる。
しかし、遠心力なのか重力なのかよくわからないが、足元の方へと力が働いていて真上にあげる事は叶わなかった。
一瞬だったような、時間がかかったような妙な感覚の中で一周して、乗り場に戻ってくる。立ち上がったところ、やはり足元はふらついていたけれど、想像していた以上には楽しめた。
邪魔にならない所まで歩いて、休憩する。
『あー、楽しかった』
「うん、思った以上には楽しかった」
『良かった。並び始めた時には、死にそうな顔していたからちょっと心配だったんだ』
「そんな顔してた?」
『会話はしているけど、心ここにあらずって感じ?』
「ごめん」
謝る僕に、音無さんは首を横に振って応え、手を引いて歩き出した。
次はどうやら観覧車の列らしい。カップルで乗ると言うイメージが強いのだけれど、友達同士で乗るものなのだろうか?
僕よりも来慣れている音無さんが躊躇いなかったと言う事は、友人とでも乗ると言う事なのだろうけれど。
観覧車は先ほどのジェットコースター程待つことはなく、十分くらいで乗り込むことが出来た。
正面に音無さんが座って、互いに向き合う形になる。しばらくは互いに景色を見ていたが、膝のあたりを叩かれたので音無さんへと視線を移した。
音無さんは、何か言いにくそうにもじもじしていたが、そっと携帯をこちらに渡した。
『今度は、カズトが行きたい所に行こうね』
文字を読んで顔をあげたら、音無さんが照れたように笑う。
もう一度、文字を読み直したのだけれど、やはり音無さんの僕の呼び方が変わっていた。
下の名前を呼び捨て。ただの文字である事には違いないのに、いきなり後ろから背中を押されたような衝撃に襲われた。
恥ずかしさなのか、音無さんの顔を見られない。
こちらも下の名前で呼んだ方が良いのだろうか? 音無さんは友達としての距離を縮めるために呼び方を変えたのだろうが、こちらも同じようにしたら勘違いしていると思われないだろうか。
そもそも、今までと呼び方を変えると言う事自体が、何だかくすぐったくて僕には出来そうもない。
「僕としては、音無さんが行きたい所で良いんだけど」
考えた挙句、呼び方は変えなかった。
音無さんの顔は見られないままなので、反応は分からなかったけれど、すぐに携帯は差し出される。
『駄目。場所じゃなくても、カズトがしたい事でもいいんだよ?』
「じゃあ、ちょっと考えてみる」
『観覧車が一周するまでね』
自分の気持ちを整理する意味合いもあった提案なので、今から暫く黙っていていいと言うのは僥倖だけれど、制限時間を設けられたのは困る。
本当に特別行きたいと言う場所はないし、やりたいことは音無さんと行動していたらほぼできる。
でも、音無さんを納得させる答えじゃないと駄目なのだろう。ならば、恥を忍んで付き合って貰う事にしよう。
それから、気持ちの整理をしている時に、もう一つ気が付いた事がある。たぶん僕は、音無さんの事が好きなのだ。友達としてではなく、異性として。
今まで人を好きになった事がない身としては、確信は持てないけれど、思い当たる節はたくさんある。でも音無さんの立場からすれば好意を寄せられても困るだろうから、表に出すつもりはない。だったら気が付かなければよかった。
『決まった?』
気が付けば地面はすぐそこで、音無さんが時間切れを宣告する。携帯を見せる関係上、どうしても距離が近くなるのに動揺していることを隠して、素っ気なく返す。
「降りてからね」
音無さんが頷いたのに続いて、ゴンドラのドアが開かれる。
外に出てから落ち着ける場所を探し、ベンチがあったので二人で座った。
『カズトは何処に行きたいの?』
慣れない名前呼びに、逐一反応する心臓が恨めしい。
「行きたい場所はないんだけど、ベタな事をしたいかな」
『ベタな事?』
「高校まで大して友達も居なかったから、学生っぽい事ってあんまりやった事ないんだ。
学校帰りに買い食いしたりとか、友達同士で遊びに行たりとか、夕暮れの教室でお喋りしたりとか。
学園ドラマの一シーンみたいな、青春に憧れがあるんだよね」
我ながらキャラじゃない。いっそ笑い飛ばしてくれたら気が楽だったのだけれど、音無さんは何か思うところがあるのか、何か考え始めた。
『だったら、今度カズトの家に行こうと思うんだけど、場所教えてくれないかな?』
「別にいいんだけど……」
脈絡は見えてこない。
家の住所を聞いた音無さんは、満足したように頷いてから立ち上がり、続いて立ち上がらせるように僕に手を伸ばす。躊躇いがちに掴んだ音無さんの手は柔らかく、音無さんは僕の手を引っ張る。
『帰ろっか』
手を離して園の入口に戻る音無さんを、安心したような名残惜しいような心地で、僕は無言で追いかけた。
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