声を失くした女の子

2-1

 買い物かごの持ち手に片腕を通して、空いている手に持ったメモを眺める。

 本当にアリスが魔法使いなら、このメモの中に何か魔法的要素が入っていないかなと思ったのだけれど、別に変わったものは書かれていない。

 キャベツとか人参とか肉とか魚とか、自分も買うようなものばかり。

 強いていうなら、パセリやオリーブオイル、ワインと言った洒落たものが混ざっているけれど、料理本を眺めていると見かける食材ではある。

 オリーブオイルはサラダ油で代用できると思うし、ワインも料理酒でいいやと思う僕とは違うだけなのだろう。

 頼まれたものを買って――渡された財布には、過不足なくお金が入っていた――、スーパーを出るまでは良かった。

 ここから両手いっぱいのレジ袋を持って学校に向かうのは、目立つ気がする。

 幸い八木と共に昼休みを過ごし――魔法使いについて聞かれたけれど、説明が面倒になって会えなかったと言っておいた――授業が始まった現在、大学に向かう人は殆どいないし堂々としていたら目立つことはないと自分に言い聞かせて、アリスの待つ建物を目指した。


 特に変な目を向けられることも無く、昨日アリスと話をしていた部屋に着いた。

 まだアリスは来ておらず、買ってきたものを机に置いて椅子に座る。

 辺りを見回して、この食材をどうするのだろうか、と疑問になった。

 夏の初めで、茹だると言うほどまではいかないが、決して食材を放置しておいて大丈夫という気温ではない。

 もちろん部屋の中に冷蔵庫は無く、さらに言えば冷房のように部屋自体を冷やすようなものも無い。

「でも、この部屋って暑くはないでしょ?」

「言われてみると、クーラーない割に暑くないですね。

 それは良いとして、どうしていきなり現れるんですか」

「普通に来たよ? カズト君が気が付いていなかっただけじゃないかな」

 アリスが無邪気に笑うので、こちらの注意不足だったのだろう。

 考え事をしていたので気が付かなかったのかもしれないけれど、急に現れたこと以外にも言いたいことはある。

「何で僕が考えていることが分かったんですか?」

「心配そうに食材見ていたからね。いくら暑くないからって、このままだと流石に痛みそうだから、先に貰おうかな」

 机の上にあった膨らんだ二つのレジ袋を手に取ったかと思うと、アリスはくるっと後ろを向く。

 アリスの後ろ――つまり僕の正面――にはもちろん保存できるような設備などないのだけれど、もう一度こちらを向く頃にはアリスの手に何もなかった。

「何処に行ったんですか?」

「最終的には冷蔵庫かな」

 アリスはからかうように目を細めるが、僕はアリスから目を離していなかったのだ。

 手品に詳しいわけじゃないけれど、少なくともレジ袋に仕掛けはない。

「……今のが魔法、なんですね?」

「半分正解。カズト君的には魔法ってことでいいのかもしれないけど、私からしたら魔法の一歩手前って感じかな。

 それとも、魔法じゃなくて手品だよって言った方が良い?」

「魔法で良いです。いっそ、テレビでやっている手品の類も半分は魔法ってことで良いです」

「思い切ったね」

 自分でも開き直っているなと言う事くらい分かる。

 だけど、それくらいしないと、魔法をどう自分の中で扱って良いのかわからない。

「でも、何で今日はすんなり魔法を見せてくれたんですか?」

「出し惜しんで食べ物が痛んだら勿体ないからね。何より、昨日見せたら面白く無いじゃない?」

 アリスはこういう人物だった。昨日の短い間しか話していなかったけれど、分かっていたのに。

 楽しげなアリスにペースを握られて、悔しさが湧き出してくる。

「折角ここまで来てくれたんだし、紅茶でも飲んでいく?」

「頂きます。というか、今日もいろいろ質問させてもらいます」

「良いよ。今日はもう誰も来ないからね」

 まるで今日は店じまいだとばかりに言うけれど、休みだと貼り紙をするわけにはいかないだろうし、どうするのだろうか。

 頻繁に人が来ることはなさそうだから、今日も人は来ないだろうと踏んでいるのかもしれない。

「そう言えばさっき、何ですんなり魔法を見せたかって言ったよね。

 別に昨日は魔法を使っていなかったわけじゃないよ。まあ、分かり難くはあるんだけどね」

「そうなんですか?」

「例えばこの建物の中を、ちょっとだけ過ごしやすくしているんだよ。

 昨日も涼しいって思わなかった?」

「確かに空気が冷たいかなって気はしていましたけど……地味ですね」

 魔法のイメージとしては、箒で空を飛んだり、光の弾が飛び交ったり、大釜を大きな杖でかき混ぜたり、水晶玉で占いをしたりと見た目からもっと分かりやすいものを想像していたのだけれど。

 でも、冷房も使わずに、ある程度は快適な温度を保っていることは、不思議かもしれない。

「派手な事も出来るんだけどね。見つかったら、面倒くさいんだよ」

「やっぱり、何か制約とかあったりするんですか?」

「無いよ。でも、例えば冬に桜を咲かせたら、世間の人が集まってきて大変でしょう?

 とは言え、制約じゃないにしても、魔法使いになる時に大きな代償を払う事になるかな」

「代償ですか?」

「まあ、私が知っている魔法使いって何人かしかいないから、偶々それっぽく見えただけかもしれないけどね」

 これははぐらかされたのだろうか?

 だとしたら、あまり追求しない方が良いかもしれない。

「願いを叶える代償って、人それぞれなんですよね?」

 わざとらしくならないように話題を変えてみたのだけれど、露骨だったのかアリスが目の端をにやけさせた。

「うん。仮に次のテストで満点がとりたいって願いを二人からされても、一人にはお使い頼んで、もう一人には百万円を要求するかもね」

「その差は何なんですか?」

「私の気分とか、相手の態度とかかな。サイコロで決めていたこともあったけど」

 つまり、昨日の僕の願いも大金を要求されたり、無理難題を命じられたりした可能性があるのか。いや、先に願いを叶えた場合は、払える代価しか要求しないんだっけ。

 でもサイコロで決めていた事もあると言う事は、代価は本当にアリスの裁量に違いない。

 加えて昨日、実現が難しいものほど代価が重くなると言っていたので、もしかして願いによって下限はあっても上限はないのだろうか。

 僕の願いの代価がお使いで良かったと安心している中、アリスが思い出したかのように話し始めた。

「でも、全く同じ願いなら、同じものを要求するかな」

「たった今、違うって言いませんでした?」

「同じテストで満点を取りたいって願いも、満点を取りたい人は違うでしょ?

 例えばA君とB君がいて、A君もB君もA君が満点を取れるようにって願いなら同じものを要求するよ」

「じゃあ、全く逆の願いだったらどうなるんですか?

 A君は自分が満点を取れるように、B君はA君が満点を取らないように願ったら」

 現実であるとすれば、どれだけB君はA君の事が嫌いなのか分からないけれど。

 アリスは前もって答えを持っていたかのように、すんなり答える。

「同じものを要求して、先に代価を払った方かな。もしも、二人とも払える代価を持ち合わせていなくて保留した場合は、次のチャンスは先に願いを言った方になるね」

「やっぱり、そうなんですか。っていうか保留とかできるんですね」

 想像通りの答えに、特に感動も無い。

 魔法とは思っていた以上に自由なものなのかもしれない。

「怪我とかも治せるんですか?」

「一応はね。どこか怪我したの?」

「イメージ的に、薬って言うのも魔法にはあるのかな、と思っただけですよ」

「大釜をぐるぐるって感じ?」

 僕のイメージが貧相だと思われているのか、アリスがからかう。

 あながち間違っていないので、恥ずかしながら頷いて返す。

 アリスはこちらを真っ直ぐ見てから、優しい笑顔を見せた。

「カズト君は素直だね」

「褒めていませんよね」

「うん。褒めてないもん。カズト君の場合素直って言うより、距離の測り方が分からないんだよね」

「否定はしません」

「素直じゃないね」

 人の事を素直と言ったり、素直じゃないと言ったり、いったい何なのだろうか。

 前もって考えるとか十分に考える時間がない限り、どこまで話していいのか、何を話してはいけないのかの判断が出来ないことが多いのも事実だから、言い返す事も出来ないが。

「だからこそ、救われる人もいるんだけどね」

「どういうことですか?」

「内緒」

 アリスが伸ばした人差し指を唇に当てる。意味深なアリスの言動にもやもやしてきた。

「そう言えば、治療の話だったよね。

 確かに大釜で材料をかき混ぜるような事も出来るよ。だいぶ時間はかかっちゃうけど。オークの木とか近くにあったら万能薬とかできるんだけどね。

 他にも瞬時に傷を治す事も出来たりはするけど……カズト君は血を見ても大丈夫?」

「……他人のを見るのは得意じゃないです」

「んー、じゃあ、無理だったら目を背けてね」

 何をするのかと、疑りの目をアリスに向ける。

 アリスはどこから取り出したのか、水の入ったガラスのコップと、折り畳みナイフを手に持っていた。

 グラスの方には、分かり難いが模様のようなものが掘られている。

 生まれて初めて見る折り畳みナイフに嫌な予感を覚えるよりも早く、アリスが自らの手首をナイフで切り付けた。

 反射的に目を瞑り、薄目で様子を窺う。

 アリスの細く白い手が綺麗な赤に染まり、指先から血が滴っている。

 嫌なはずなのに目を離せなくて、綺麗な赤色をグラスに降らせている様を始終記憶に焼き付けていた。

 模様の溝までグラスがしっかり血に濡れた所で、今度はグラスの中の水を自分の傷口に零し始める。

 大怪我とは無縁の人生を歩んできたが、あれほどの傷に水をかける事の痛さは想像できる。出来るからこそ、見ているこちらまで痛いような錯覚を覚えた。

 グラスの中の水が無くなったところで、アリスが血と水をハンカチでぬぐう。

 続いて見せられた腕には、多少血の跡があるものの、傷は跡すら残っていなかった。

「どう?」

「どう、と言われても、衝撃的過ぎて何が何だか……傷は治ったんですか?」

「派手だったでしょ?」

 話の流れをぶった切った問い返しは、恐らく肯定なのだろう。

 衝撃的と派手さを同じ土俵で見ていいのかはわからないが、確かに今まで見てきた魔法とは一線を隔すとは思う。

「派手でしたけど、何で急に自分の手を切ったんですか」

「カズト君から始まった話だったと思うんだけど。

 まあ、ちゃんと魔法はあるんだって言う証明……かな。昨日の話が嘘じゃないって信頼を得る為でもあるよ。

 お使いしてきてくれたから、私も誠意くらいは見せないとね。

 あとは昨日カズト君が魔法見せて欲しいって願ったから、叶えてあげたって感じ」

 確かに僕の中で魔法の存在は確固たるものになったけれど、他にも方法はあったのではないだろうか。

 わざわざ、自分を傷つけてまで誠意を見せられても、こちらとしては困ってしまう。

「他にやりようはあったけど、話の流れとカズト君の反応見るには、これが一番かと思ったんだよね」

「こちらの考えを読まないでください。

 今は大丈夫みたいですけど、痛くなかったんですか?」

「痛かったよ。でも、自分の血を使うって少なくないから、我慢は出来るかな」

「痛いなら、遊び半分にしないでください」

 逆切れ気味に叱ったところ、アリスは優しく微笑んだ。

 子供を見る母親のような表情に、ばつが悪くなる。

「遊び半分じゃないよ。でも、カズト君が怯えちゃうから控えるね」

「お見通しってことですね」

 ムスッと拗ねたように返すのだけれど、どうにも同年代を相手にしているような気がしない。

 僕の子供っぽさを差し引いても、アリスの余裕は年上を彷彿とさせる。

 魔法使いなのだから、見た目以上に年を取っているのだろうか?

「アリスって何歳なんですか?」

「カズト君と一緒だよ。少なくとも同級生。それがどうかしたの?」

「魔法使いって話ですから、もしかして見た目と年齢が一致していないのかなと思いまして」

「確かに、何百年も生きている魔法使いもいるって話は聞くかな」

 だとすると、アリスが大人っぽく見えるのは、魔法使いだからってことではないのか。

 むしろ、同じ年齢なのに年上に見える人はたくさんいる。

 やりたい事や信念もなく、何となく生きている僕からしたら、なおさら。

「世の中って広いんですね」

「私は、カズト君が世界を狭めているように見えるけどね」

「魔法使いの世界を知っている人って、そんなにいるんですか?」

「正確には知らないんだけど、極々一部だと思うよ」

 だとするならば、僕が世界を狭めていることはないと思うのだけれど。

 家にいるだけでも様々な情報が入ってくる現代、無理に外に行かなくてもある程度見聞を広げることは出来る。

 面白い話は聞けたと満足したところで、アリスが何処からか木製のキーホルダーのようなものを取り出して、こちらに差し出した。

 受け取ってから観察する。

 木でできた球体に紐がついているような形で、球体には切れ込みがあり、空洞になっているのが分かった。中にはまた小さい球体があるのかコロコロと転がっている感覚がある。

「木でできた、鈴……ですか?」

「見ての通りだよ。ある人のとても大切なものだから、大切に扱ってね」

「何か曰くがあるとか、形見とかですか?」

 高価には見えないので尋ねてみたのだけれど、アリスは意味ありげに微笑むだけで肯定も否定もしない。

「これがどうかしたんですか?」

「願いを叶えてあげたからね。代価として預かっておいて」

「魔法を見たいって言った奴ですね」

 願いを叶えたと言っていたし、分かってはいたけれど、押し売りっぽくも見える。

 だが預かるだけなら難しい事でもないし、文句はない。

 大切なものらしいし、家の貴重品入れの中にでも入れておこうか。

「出来るだけ身につけるようにしていてね」

「持っていないと駄目なんですか? 家に置いておくとかは……」

「駄目」

「もしも、失くしたり壊れたりしたら、どうなるんですか?」

「元々の持ち主が悲しむってレベルの話じゃなくなるかな」

 穏やかなアリスの表情が何とも言えない迫力になる。

「とは言え、そんなに簡単に壊れるモノじゃないし、普通に鳴らしてみても大丈夫だよ」

 アリスに促され軽く振ってみるが、コロコロと中で玉が転がる感覚がするだけで、想像していた音はならない。

「鳴らないんですけど、すでに壊れてないですか?」

「壊れていると言えば壊れているんだけど、大切に扱ってね」

 モノに込められた想いは、壊れているからなくなるものでもないだろうから、僕が何かを言う義理はない。

 ただ、あとからこれを理由に壊れたと言われても困ると言うだけだ。

「普段使っているカバンにぶら下げておいてもいいんですか?」

「そうしてくれたら、大丈夫かな」

 大丈夫という言葉に何処か違和感があるのだけれど、駄目ではないので忘れないうちに、教科書の入った手提げかばんの持ち手部分にぶら下げた。

「それじゃあ、明日は一限目から授業がありますし、そろそろ帰ります」

「寝坊したら大変だもんね。彼女に会えなくなっちゃうし」

「居るってわかっているんだから、会えなくはないんじゃないですか?」

 こちらの問いかけに、アリスは曖昧な笑顔だけで返す。

 何故アリスが僕の一限の授業を知っているのかは、もう気にしても仕方がない気がする。

 背を向けた所で、アリスから「そうだ」と声がかかった。

「急ぎじゃないけど、お使いはまだあるから時間がある時に此処に来てね」

「分かりましたけど、今じゃ駄目なんですか?」

「ちょっと説明しないといけない事があるから、時間かかるよ?」

「そう言う事なら、また来ます」

 手を振るアリスに軽く頭を下げて、帰路に着いた。


 僕の下宿はまさに無趣味の部屋、と言っても差支えないと思う。

 フローリングの上に初めから敷かれてあった絨毯があり、その上に小さいテーブルが乗っている。

 ベッドには無地の枕とタオルケット。本棚代わりに買った三段ボックスには教科書ばかりが増えていく。

 箪笥の上にテレビもあるが、スポーツとニュースくらいしか見ないし、テーブルの上にあるパソコンも活躍するのはレポートの作成時くらいか。

 キッチンにある料理用具も最低限で、料理において万能包丁が切ると言う役目をすべて担っている。

 家族以外誰も入った事のない僕の城は、自分でも何やって過ごしているのか、分からなくなることがある。

 しかし、不思議な事で何をしていなくても、時間は過ぎるのだ。

 とは言え、今日はいつもと少し違う。夕飯にと思い肉じゃがを作っている最中に、ふと気が付いた。

 明日は初めて会う人に話しかけなければならない。しかも、異性に。

 アリスの時には向こうから話しかけてくれた上に、こちらのペースに合わせてくれていたので話しやすかった。

 だが、明日はそう言うわけにはいかない。

 最悪どんな人なのか見ることが出来るだけでいいかと、後ろ向きな決意をして、その日は考える事を止めた。

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