2-5


     *


 園内での音無さんの行動は、いかにも女の子って感じだった。

 モデルコースを歩きつつ、気に入った花を見つけたら、駆け寄って行って、大きく手を振り僕を呼ぶ。

 呼ばれた僕も、名も知らぬ花を愛でるだけの感性は残っていたけれど、それ以上に誰かとこうして一緒に何かを見て回る事が久しぶりで、それだけで浮ついていた。

『成宮君、楽しくない?』

「えっと、そんな風に見える?」

 急に音無さんに尋ねられて、言葉に困る。

『何か、心ここにあらずって感じ』

「楽しいのは楽しいよ?

 でも、こうやって、誰かと歩く事が久しぶり過ぎて、自分でもどういう反応したらいいのか分からないんだと思う」

 変な誤解を生まないためにも、正直に話したのだけれど、何故か負けた気がする。

 恐らく音無さんが、年上めかした視線を送ってくるのも、一つの要因だろう。

 その後はさらにこちらを気にかけるようになった音無さんに連れられて、園内のレストランで昼食をとり、入り口に戻って来た時には充分に植物園を満喫していた。

 傾きかけた太陽の下、背伸びをする音無さんの口が音も無く動く。

 短い言葉ではっきりとはわからないが、『楽しかった』と言ったのだろうか?

 だとしたら嬉しいのだけれど。

「久しぶりにこんなに歩いたから、足痛いかな」

『見かけどおり、成宮君って貧弱だね』

「否定はしないよ。出来ないし」

『かなり細いよね。体重どれくらい?』

「五十三キロくらいだったかな」

 嘘偽りなく答えたと言うのに、音無さんがこちらを睨む。睨むと言うか羨むと言った感じか、今度は『ずるい』と口を開いたのが分かった。

 はたしてどう返すのが正解だったのだろうかと疑問に思ったが、質問された時点で詰みだったのだろう。

 テストの点数を訊かれたときのような、理不尽さを覚える。

『成宮君って、ヤドリギが欲しかったんだよね?』

「うん。一度も地面に落ちていないヤドリギが欲しいんだよね」

 地面に落ちていないモノだと今初めて言った為か、音無さんが面食らった様子だったが、気を取り直したように携帯を向ける。

『心当たりがあるから、明日学校に行ってみて』

「良いけど、何があるの?」

『前に話した薬学部の子だったら、何とかなるかなって。

 本当はちゃんと紹介してあげたいんだけど……』

「会いにくい?」

 音無さんが頷く。声を無くして以来一人だったようだし、気持ちは分からなくもない。

 だから教えてくれただけでも、十分だと言える。

『連絡だけはこっちで取ったから、明日の正午に今日の待ち合わせ場所って大丈夫?』

「大丈夫だけど、どんな人?」

 いつの間に連絡を取っていたのだろうか。疑問ではあるが、知ったところでどうにかなるわけでもない。

 音無さんからの答えは一枚の写真で返って来た。

 バンドの練習中に取ったのであろう、ドラムを叩いている髪の短い女の人が映っている。

 黒に赤のメッシュが入っているので、探しやすいだろう。その点は助かった。

 おそらくまた僕から話しかけないといけない事は助かっていないけれど、ヤドリギを手に入れるためには誰かに話しかけなければならないだろう。

『名前は横尾友子よこおともこって言うんだけど、元々同じバンドのメンバーで顔を合わせにくいから。ごめんなさい』

 頭を下げる音無さんに「気にしないで」と返す。こちらの、さらに言えばアリスの用事なのだから、音無さんが申し訳なく感じる必要は爪の先ほども無い。

 植物園を出てからは、自然と別れる流れになったので「今日はありがとう」と声を掛けた。

 首を振る音無さんに「じゃあね」と手を振って歩き出す。

 家路で届いたメールは『ありがとう。またね』という短いものだった。


     *


 次の日、最近は緊張することが多いな、と他人事のように考えながら、いつものカバンを持って、早めに家を出る。

 昨日と同じようにベンチに座って、昨日とは違い行き交う人に注意を向けつつ、約束の時間を待った。

 横尾さんと思われる人が来たのは、正午になる二、三分前。

 立ち上がって近づく僕に気が付いたのか、声を掛ける前に彼女はこちらを向いた。

「あの、横尾さんですか?」

「そうだけど。あんたは?」

 写真ではわからなかったが、横尾さんは僕と身長が同じくらいで、さばさばとした印象を受ける。

「成宮一人です。音無さんから連絡が」

「ウタが言ってた人か。初めまして、アタシは横尾友子。名前は聞いているかもしれないけどね。

 で、アタシに用があるってことだけ聞いてるんだけど」

 こちらの話を聞き終わる事なく話を進めてしまう事も含めて、苦手なタイプの人だけれど、幸い特別こちらを警戒してはいない、と思う。

「ヤドリギが欲しいんです」

「ヤドリギって、あのヤドリギをか?」

「どのヤドリギかはわかりませんが、木に寄生して球体を作るヤドリギです。

 地面に落ちた事のないものを譲ってほしいんです」

 横尾さんがこちらを訝しげる。

 ヤドリギが欲しいからと呼び出されたのだから、怪しむのは当然だけど。

「別にやるのは構わないが、一応研究資料だからな。タダでとはいかない」

 どうしてヤドリギを音無さんの知り合いが用意できるのかと思っていたが、なるほど、研究で使っていたのか。植物から薬を作るとか言っていたし。

「何をしたらいいですか?」

「大したことじゃない。ちょっとウタの話を聞かせて欲しいんだよ」

「可能な限り、いくらでも」

 本当は「何でも」と答えるべきなんだろうけど、自分の事ではないので、音無さんが話してほしくなさそうなことは話さない。

「んじゃ、早速訊くけど、ウタとどういう関係なんだ?」

「友達ですかね。最近偶々知り合いました」

「偶々っていうのは?」

「話していいか、音無さんに確認しないと話せません」

「じゃあいいか。ウタはどうしてる?」

 答えられないことに対して、横尾さんから強い口調で咎められるかと思ったけれど、そんなこともなくて安心する。

 少し横尾さんの事を勘違いしていたのかもしれない。

「元気ですよ。まだ数回しか会った事ないから、何とも言えないかもしれませんが。

 でも、声が出ないことに対しては、ある程度吹っ切れている感じでした」

「あんたの言葉が表面的なことはわかった」

「僕は音無さんじゃないですし、代弁できるほど音無さんの事を分かっているわけじゃないですから」

 見栄を切るように言ってみたけれど、胸を張って言う事でもないか。

 横尾さんは何故か耐えきれないとばかりに笑い始めた。

「なるほど、ウタが気に入るわけだ。成宮はウタの事をどこまで知っているんだ?」

「以前バンドのボーカルをしていた事、今は声が出せなくなって、人と関わる事を避けるようになった事、ですかね」

「だったら、以前のウタは知らないわけだ。教えてやろうか?」

 僕と出会う前の音無さんについて、気にならないと言ったら嘘になる。

 だが、横尾さんから話を聞いてしまうのは、反則じみている気がして、首を縦には振れなかった。

「僕が音無さんの事を知らないからこそ、相手してくれているんだと思うので、聞けません」

 僕の返答に横尾さんがまた笑う。

「知りたそうな顔してたのにな。分かったよ。でも、ウタが声を無くした理由だけでも聞いてくれよ」

「だから」

「あんたやウタの為じゃない。アタシが誰かに聞いてほしいんだ」

 強い口調で言われて、返す言葉を失う。

「ウタが声を無くしたのは、アタシらのせいなんだよ」

「無理に歌い続けたせいだ、って言っていたと思いますが」

「無理に歌わせていたのが、アタシらってわけだ。あの子は違うって言うけどね。

 みっともない諍いがあって、アタシらは文化祭で失敗出来ないって状況だったわけよ。

 だから、ウタの調子が悪い事も分かったうえで、アタシら全員、見て見ぬふりをして必死に練習してた。

 文化祭の日、ウタの調子が戻ったと思って安心してたんだけどね。

 結局ウタの喉は限界を超えていて、声を無くしたってわけさ。どこかでアタシらがウタを止めていたら、普通に治療して、しばらく安静にするだけでまた一緒にバンドが出来たのに。

 そんなわけだ。で、ヤドリギが欲しかったんだよな」

 本当に誰かに聞いてほしかっただけなのだろう、こちらの反応を待たずに横尾さんが僕を薬学部棟へと連れて行った。

 研究室も兼ねているためか、部外者は立ち入り禁止らしく、まばらに止まった自転車を横目に外で待つ。

 ほどなくしてやって来た横尾さんの手には、密封できる袋が握られていた。

「ほら、この前アタシがとってきたやつだから、地面には落ちてないよ。

 これで足りるのか?」

「ありがとうございます。僕も頼まれただけなので、足りるかはわかりませんが、大丈夫だと思います」

 横尾さんにはこういったが、多分足りるのではないかと思う。

 買い物の時にも、僕が別のスーパーで買い物をするかもしれないのに、アリスはピッタリの金額を渡してきたのだから。

 今回も、この手のひらサイズの袋分しか持ってこないことは、わかっているような気がするのだ。

「駄目だった時の為に、連絡先教えとくから」

 横尾さんの連絡先を登録して、別れを告げてからアリスの所に向かう事にした。


     *


 いつもの部屋に行っても、アリスの姿はなかった。

 毎回の事で後から来るかもしれないから、椅子に座って待たせて貰う事にする。

 時計のない部屋、腕時計をじっと眺めていたのだけれど、カチカチと動く秒針は淀みないのに時間の進みが遅く感じた。

「ここ時間の進みが遅くなる空間だからね」

「急に現れるの止めてくれませんか?」

 今までずっと座っていたとばかりに、アリスが少し離れた席に現れた。

 言いたい事を言ってから、アリスの言葉に反応する。

「今の話本当なんですか?」

「嘘だよ。そう言う空間は沢山あるけれど、今は単純にカズト君が暇だったからじゃないかな」

「何で嘘ついたんですか」

「強いていうなら、からかいたかったから、かな」

 悪戯っぽい顔のアリスにこれ以上何を言っても仕方はないので、反論は諦めて「お使い行ってきました」とヤドリギの入った袋を手渡す。

 受け取ったアリスが無言でヤドリギを見る様子に、不安になって「これで大丈夫ですか?」と付け加える。

「Bってところかな。点数で言えば七十五点くらい」

「つまり良いんですね?」

「うん。これでお使いはあと一つだね」

 アリスが誰もいないはずの所にヤドリギの入った袋を渡したかと思うと、袋は瞬く間に消えてしまった。

「ところで、カズト君はどうやってヤドリギを手に入れたの?」

「答える前に一つ確認ですけど、僕が採ってこないと駄目、とは言っていないですよね?」

「単純に興味本位だから安心して。やっぱり認めないとかは言わないから」

「音無さんの友達に貰いました」

「農学部……いや、薬学部の子かな?」

 考えるそぶりこそ見せたが、アリスはすぐに答えを導き出す。

 それが、推理であれ、魔法であれ、隠す必要はないだろう。

「よくわかりましたね」

「趣味でヤドリギ採集をしている子なんて、聞いた事ないから」

「僕も聞いたことはないですね」

 聞けるほど友人がいるわけではないけれど。

 アリスは、視線を僕から木の鈴へと移動させた。

「ヤドリギをくれた植物について詳しそうな子なら、カズト君に渡した鈴の凄さが分かったんじゃないかな?」

「オークの木でできているんでしたっけ。凄いのは木で作られているからって言っていたと思いますが、そう言えば音無さんから聞いた話ですね」

「植物の研究をしている子は気が付きさえしなかったのに、唄ちゃんは気が付いたんだね」

 意味ありげに言葉を強調してアリスが言うので、音無さんに何かあるのではないかと勘繰ってしまうのだけれど、横尾さんが鈴の存在に気が付かなかっただけ、という可能性もある。

 気が付いたうえで、話題にするまでも無いと思った可能性もある。

 相手は意味も無く、僕をからかってくる人物なのだから、分からない事を気にする必要はないだろう。

「アリスって、音無さんの名前を知っていたんですね」

「知ってたよ。名前以外にもカズト君に色々教えてあげられる程度には」

「そうでしたね。ところで、次のお使いは何ですか?」

「次はちょっと間を開けようかなって思っているんだよね」

「何かあるんですか?」

 何を持ってくればいいのかは分からないが、アリスとしては早めの方が良いのではないだろうか。

「何ってわけじゃないけど、テストがあるでしょ?」

「もうそんな時期でしたっけ」

 音無さんの事もあり、すっかり忘れていた。

 しかし、アリスに願うほど成績で困っていないし、音無さんと会うようになったからと言って基本の生活は変わっていないので、あまり心配することもない。

 とは言っても、テスト前日や当日に締め切りだと困ってしまうけれど。

「先に何持ってきたらいいかだけ、教えてもらえませんか?」

「水だよ」

 ヤドリギの次だったから、どんな難題が来るのかと思ったのだけれど、拍子抜けだ。

 だが、考えてみたら、今からでも数分のうちに達成できるお使いを、わざわざテスト後に伝えようとしていた事には違和感がある。

 もしかして、お店で売っているようなものや、水道水では駄目なのだろうか。

「また何か条件があるんですか?」

「察しが良いね。私が欲しいのは綺麗な水。

 お店で売っているような水じゃなくて、自然の水って言うのかな」

「川や海の水って事ですか?」

「ううん。悪くはないんだけど、もっと別のものの方が嬉しいね」

「仮にそこの川の水を持って来た場合は、何点ですか?」

「五十九点ってところかな」

 講義であればギリギリ不可。綺麗な水と言っていたし、飲めるような水でないといけないだろう。

 だとしたら、思い浮かぶのは湧き水とか、地下水とかか。

「どれくらいの量が必要なんですか?」

「コップ一杯分くらいあったら十分かな。タンブラー貸してあげようか?」

「水筒とか持っていないので借りたいですが、代価とか言いませんよね?」

「代価を払いたいなら考えるけど」

「いや、払いたくないです」

 余計な事を言ってしまったと反省しつつ、ちゃんと否定しておく。

 冗談でも、どんな代価ですか? と尋ねてしまったが最後、何を要求されるか分からないから。

「私そんなに強欲じゃないと思うんだけど」

「人の考えを読んで、不服そうな顔をしないでください。あと、あわよくば代価を要求する人だと思っていました」

「今回はカズト君が貸してほしいって願ったわけじゃないよね?」

 アリスは願いを叶える魔法使いなのだから、言っている通りなのだけれど、イメージと言うものは恐ろしい。

「でも、強欲って言うのは否定できないかな」

「何か欲しいものでもあるんですか?」

「秘密」

 隠されてしまったけれど、わざわざこんな嘘をつく意味が分からないし、何かあるのだろう。

 アリス程の人が欲しいものっていうのはどういうものなのだろうか。

「アリスが手に入れられないものって存在するんですか?」

「あるよ。言い方は難しいんだけど、私は魔法使いだから、魔法よりも上位の神様とかは使役出来ないんだよね。

 天使や悪魔なら何とかなるんだけど」

 何とかなるのか。どうやら、アリスの話は続くらしく、相槌だけを打って話に集中する。

「人の気持ちとかもかな。惚れ薬は作れるけれど、薬で惚れたものが本当の好意かは分からない。あとは、死者は生き返らないよ」

「逆に普通の人が手に入れられるものは、手に入るんですね」

「地位も名誉も何とかなるだろうね」

 だとするならば、アリスが自分を強欲だと言うのも納得できる。

 きっと、僕には予想だにしないモノなのだろう。それとも、人の気持ちだったりするのだろうか?

「手に入ると良いですね」

「気長に頑張るよ」

 珍しく物悲しげなアリスの表情に何も言葉が出てこなくて、「今日は帰りますね」と逃げるように教室を後にした。

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