2-3


     *


 食事を終えてファミレスを出た後は、大学近くにある運動公園に向かった。

 平日の昼間だと人が少ない割にサークルで使われることも多く、男女が木のテーブルを挟んで雑談していても目立たないから。

 通った人の殆どはサークルの打合せか何かだと思うだろう。何よりお金がかからない。

『でも、良かった。成宮君が優しい人で』

「優しくはないと思うけど」

『確かに優しいフリしているだけって、可能性はあるよね。

 何かと装って近づいてくる人は多かったし』

「僕も装っていないって証明は出来ないんだけど……」

 音無さんの事を考えたら、どうにも気落ちしてしまう。

 木製のテーブルに落とした視界に音無さんの携帯が映った。

『成宮君はそんな人じゃないって信じているよ。

 だって、成宮君とはずっとやり取りしていたからね』

「うん……ありがとう」

 何と言って良いものか分からないままに、曖昧にお礼を言ったせいか、音無さんが何かを考え込んでまた文字を打ち始めた。

 正面にいる僕からでは見えないが、多分音無さんの後ろに回れば何を打っているのか覗き見ることは出来るだろう。

 とてもズルいような気がするから見ないけれど。

『じゃあ、成宮君を信じるって証拠に、連絡先交換しよ?』

「あー……うん。良いんだけど、使い方わからないんだよね。

 親が勝手に連絡先を交換したっきりだから」

 音無さんが目を丸くするので、アドレス帳を開いて見せる。

 驚いている音無さんを無視して「こういうわけだから、やり方が分かるなら音無さんが操作してくれた方が良いかも」と付け加えた。

『いいけど、今まで連絡する時どうしていたの?』

「連絡する必要がなかったから。案外困らないものだよ」

 音無さんが、僕よりも僕の携帯を器用に扱う隣で、質問の答えを返す。

 返事の出来ない音無さんが、じっとこちらを見たのだけれど、その意図をくみ取ることは出来なかった。

 ほどなく寂しかったアドレス帳に花が加わり、内心感動する。

 何故か音無さんも嬉しそうな顔をしていた。

「どうしたの?」

『これで私が成宮君の携帯番号を知っている、最初の友達って事になるでしょ?』

「言われてみたらそうなるね」

『成宮君の初めて奪っちゃった』

 見せたそばから恥ずかしそうに顔を朱に染めないで欲しい。

 こちらだって反応に困る。

『冗談は置いておいて、よろしくね』

「よろしく……はいいんだけど、友達でいいの?」

『駄目なの?』

「駄目じゃないけど、僕で良いのかな?」

『友達って良いとか悪いってモノじゃないと思うよ』

 そう言うものなのかと納得する。僕としても、こうやって話が出来る人が増える事は嬉しいので、これ以上は追及しない。

 音無さんは立ち上がり携帯を弄り始めた。

 しばらくして『じゃあ、また今度ね』とメールが届いたかと思うと、音無さんが手を振っていた。

 こちらも手を振り返したのを見て、音無さんが歩き出す。

 背中を見送る中で、まだ話したいことがあったのにとか、送ろうかと尋ねるべきだったかなとか、思う所はいくつかあったけれど、連絡先も交換したしまた話す機会もあるだろうから僕も気にせずに帰る事にした。


     *


 音無さんと別れた運動公園から下宿までは、歩いて二十分くらいで到着する。

 比較的平らなところが多いこの町は自転車の台数が多く、僕自身も自転車を持ってはいるけれど、徒歩で問題ないので運動ついでに歩いている。

 もしも今日自転車だった場合、家まで十分もかからなかっただろうけれど、別に急ぐ必要が無いのだ。

 音無さんも家についていたらしく、メールが届いていた。

『今日はありがとう。急なんだけど、今週末暇じゃないかな?』

 早速コンビニにでも行くのだろうか。こちらの予定は基本的に授業以外空白なので休日は問題なく空いている。

 何もやる事もないし、大丈夫かなと思いメールを返すことにした。

『こちらこそありがとう。週末は大丈夫だよ』

 こうやってメールを送るのはいつぶりになるだろうか。病気になって仕方なく授業を休む際に教授に送った時以来だと思うが、友達にとなると初めてのような気がする。

 この日は楽しかった事もあり妙に疲れていたのか、そのまま眠ってしまった。


     *


 朝起きたら身体がべたべたしていたのでシャワーを浴び、薄暗い部屋に戻ったらチカチカと携帯が光っていた。

 どうやら音無さんからメールが届いていたらしい。昨日の事は夢ではなかったんだなと確認すると同時に、届いた時間を見て申し訳なくなる。

 送られていたのは昨日の夜。内容は待ち合わせの具体的な情報。

『ごめん、寝てた。時間と場所は大丈夫』

 返信をして、時間を潰す意味も込めて朝食を作る。

 先ほど目に入った時計は六時丁度を指していたが、習慣的に五分早めている時計であるので、六時にはなっていない。

 授業の為に家を出るのが八時だとしても、あと二時間弱はある。


 一通り朝の雑事が終わっても、時間は七時半を過ぎたくらいだった。

 微妙に余ったこの時間では、特に何もできないので、カバンを持って家を出る。

 いつもよりも早く家を出たので、いつもよりもゆっくりと学校に向かう事にした。幸い胸が透くような青空で移動に困る事はなく、もう夏と言って良い季節のためか雲が近くに感じる。

 浮かんだ雲の影が遠く山の上に落ちている様子は、雲の存在を確かに感じられて、小さな悩みがどうでもよくなってきた。しかし、歩いている時は考え事がはかどるもので、昨日の事が思い出された。

 音無さんの声の事、僕は治す方法を一つ知っている。

 アリスが願いを叶えてくれる魔法使いであることを、教えてあげれば良かっただろうか?

 暫く考えてみたが、アリスが要求する代価によっては、ぬか喜びさせるだけになってしまうから、教えなくて良かったと思う。

 アリスの所にはお使いについて話を聞きに行かないといけないので、ついでに音無さんの声の代価も訊いておこうか。

 今日の授業は一限と五限だから、間の時間はいくらでもある。

 気が付けば学校前の横断歩道までやってきていて、赤信号にもかかわらず渡っていく自転車や人を横目に信号が変わるのを待った。


 ここのところ授業に身が入らない。今までだって別に真面目に授業を受けていたとはいわないけれど、早く授業が終わってほしい日が増えた。

 やりたいことが出来た、という意味では喜ばしい事だが、コネが八木しかなく過去問を入手する術のない僕にとっては、テストが怖くなる。

 今日はアリスの所に行って話をするだけだから、急ぐ必要も無いと自分に言い聞かせた。


 アリスのいる――おそらく――元校舎の前、来るのはもう三度目になるのか。

 日光に照らされて熱くなった取っ手を引っ張って中に入る。

 光が遮られた建物の中は、簡単に感じられるほど涼しい。でも魔法とかは関係なく古い建物はこんな風に涼しいイメージがある――イメージと言うだけで、実際行った事なんて数えるほどしかないのだけれど。

 アリスがいる一階の一番奥の部屋までやって来たが、どうやら主は留守らしい。

 過ごしやすい事もあり、適当に椅子に座ってうつらうつらとしていたら、急に肩を叩かれハッと意識を取り戻した。

「おはようカズト君」

「おはようございます」

「無事に彼女とは会えたみたいだね」

 こちらの様子など意に介さないアリスが、話を進めてしまうので、状況把握よりも先に言葉を探す。

「音無さんには会えましたね」

「可愛い子だったでしょ?」

「否定はしませんけど、今日はお使いについてと、音無さんの事について訊きに来ました」

「うん、知ってた」

 前者はともかく、後者を聞いても当然と言わんばかりのアリスに何かされたかなと思ったけれど、よほど意地悪でもない限り音無さんの喉について話に問われることはわかるか。

 早速本題に入ろうかとしたのだが、アリスが「ところで」仕切り直した。

「今日は何時までいるつもりなの?」

「この後五限まで暇なので、適当に居させてもらおうと思ったんですけど、何かあるんですか?」

「ちょっとね。昼休みが終わる前には出て貰わないとかな」

 アリス自身の授業でもあるのだろうか? 授業じゃなくても、用事くらいあるか。

「なら、正午前には帰ります」

「で、カズト君は唄ちゃんの声をどうにかしてほしいから来たんだよね?」

「そうですよ。アリスなら何とかできるんじゃないですか?」

「まあ、治そうと思えば治せるよ」

 猫のように目を細めて笑うアリスの言い方が、何処となく引っかかる。

 しかし、じっとアリスを見てみても、その腹の内をさぐれる気はしない。

「代価は何ですか?」

「今のカズト君が持っていない物、かな。これ以上は秘密」

「音無さんが持っては」

「いないね」

 きっぱり言われて、胸を撫で下ろす。

 音無さんの声をすぐに治すのは、現実では難しいのだろう、結果論になってしまうが、音無さんをぬか喜びさせなくて良かった。

「魔法使いって、皆アリスみたいなんですか?」

「私みたいっていうと?」

「とらえどころがないと言うか、悪戯好きそうと言うか」

 僕の言葉にアリスがフフッと余裕の笑みを見せるので、何だかこちらがいたたまれない。

 ちょっと興味があるだけなんだけれど。

「私はどちらかと言えば異端かな。普通は人の前に姿を見せないらしいから」

「アリスの知っている魔法使いも、人前に姿を見せないんですか?」

「私の師匠は基本的に身を隠しているかな。でも、思いついたように人をからかいに出て来るけど。

 そもそも、魔法使いの知り合いが少なすぎて、他の子がどうだって言われても答え難いね」

「魔法使いってそんなに居ないんですか?」

「ほとんどの人がその存在を知らずに一生を終えるくらいには少ないよ。

 魔法使いって括りで見たら、私は新米だろうから把握できていないだけかもしれないけど」

 魔法使い同士繋がっていると言う事も無いのか。

 考えてみたら、同じ学生として魔法使いがいるこの大学は、世界的にも珍しいのかもしれない。

 だが、実は今までに出会って来た人の中に、魔法使いが居た可能性もある。

「例え魔法使いがいたとしても、魔法使いだって認識できなかったら、居ないも同然って考え方もあるよね」

「自然に考えを読まないでください」

 ニコニコと悪びれる様子も無いアリスには、何を言っても無駄だと悟った。

 少なくともあきれているのだと気持ちだけでも伝えるために、わざとらしくため息をついてから応える。

「確かに知らないままだったら気にしていないと思いますけど、現実に目の前に魔法使いがいて、実際に魔法を見せられたんですから考えずにはいられないんですよ」

「だと思った」

「もう何も言いませんよ」

 拗ねて見せた僕に対して、アリスが「ごめんごめん」と平謝りをする。

「お詫びに紅茶、飲む?」

「いつも紅茶勧めてきますよね」

「要らない?」

「飲みます」

 いつも通り、どこから取り出したのかわからない紅茶入りの紙コップを受け取る。

 紅茶と言う割には紅くはなく、優しく甘い香りがする。

 試しに口をつけて見たところ、スッとした淡い甘みがあって個人的には飲みやすい。

「何か落ち着く味ですね」

「そう言う魔法をかけているから」

「本当ですか?」

「カズト君、カモミールってハーブティー知っている?」

「聞いた事くらいはありますけど」

 詳しくは知らないけれど、カモミールにリラックス効果があるのだろう。

 気持ちが落ち着いたように感じたのは、魔法ではなく紅茶自身の効果というわけか。

「一応念を押しておくけど魔法はかけているよ」

「どっちなんですか」

「どっちも。もともとお茶の持っている効果を、ちょっとだけ後押しするような魔法だからね。

 カズト君が知らないだけで、世の中魔法であふれているのかもしれないよ」

 さっき似たような事を考えていたら、からかわれた記憶があるのだけれど。

 何か言い返したいのを我慢して、別の所を突っつく事にした。

「これハーブティーなんですよね。最初に紅茶って言いませんでした?」

「カズト君はハーブティーとか紅茶とか気にするタイプ?」

「いえ、違いますけど」

「だったら、分かりやすいんじゃない? ハーブティーと紅茶の違い知らないでしょ?」

 正論を言われているようで、言い返せない。

 口を閉ざした僕に対して、アリスの無慈悲な説明が始まる。

「簡単に言うと、紅茶が発酵させた茶葉を煎じたもので、ハーブティーはそれ以外の草花を煎じたものって感じかな」

「そうなんですね」

「ね、興味ないでしょ?」

 アリスの言うとおりであるのだけれど、僕の指摘自体は間違っていなかったとも言える。

 だが、変に意地を張ってもこちらが子供っぽいだけなので、出来るだけ普通の顔をして頷いた。

 目を細めるアリスには、僕の考えはバレバレだったのだろうけれど。

「音無さんの話に戻しますけど、今は持っていないって事は、いつかは手に入るって事ですか?」

「うーん。カズト君次第ってところだけど、無理ってわけじゃないね。

 その時が来たら連絡してあげようか?」

「お願いします。でも、どうやって教えてくれるんですか?

 アリスって携帯持っていましたっけ?」

「心配しなくても大丈夫だよ」

 心配というよりも、興味の方が大きいのだけれど。

 フクロウが手紙を運んで来たり、急にアリスが家の鏡に現れたりするのだろうか?

 そう言えば、家に鏡ってあったっけ?

「カズト君の家に鏡があるかは知らないけど、方法を知りたいなら頑張ってね」

「何を頑張ればいいか分からないけど、頑張ります。

 ところで、次のお使いって何をしたらいいんですか?」

 一つの目的はこれで達したとして、もう一つに移る。だが、アリスが露骨に忘れていたと言う反応を見せたので、言わなければよかったかもしれない。

「言わずにずっとお使いしてくれなかったら、唄ちゃんとの出会いが無かった事になるけどね」

「さらっと凄い事言いますね」

「次のお使いはこれ」

 渡された手のひらサイズのメモ用紙には『ヤドリギ』とだけ書かれている。

「ヤドリギ……ですか?」

「宿り木、書いて字のごとく他の木に寄生する植物だよ」

 アリスが『宿り木』と書き直すけれど、僕もそれくらいは知っている。

 問題は見たことが無いので、どれがヤドリギなのか分からないと言う事だ。

「調べてみたら分かると思うけど、木の高い所にくっ付いている、緑色の球体かな」

「わかりました」

 想像は出来ないけれど、調べたら画像もどういう木に寄生しているのかもわかるだろう。

「今回はどの木のヤドリギでもいいんだけど、取る時に地面に落とさないようにしてね」

「何で落としちゃ駄目なんですか?」

「ヤドリギの力が吸い取られちゃうからね」

 ヤドリギの力って何だろうかと思ったが、アリスは魔法使いなのだ。

 僕には分からない事でも、きっと何かしらの意味があるに違いない。

「やっぱり、魔法的にはヤドリギじゃないといけないんですか?」

「私がやりたい事としては、別にヤドリギじゃなくてもいいんだけどね。

 カズト君に集めてきてもらうものが水銀と硫黄と塩に変わるだけ」

 ヤドリギともう一つ、水銀と硫黄と塩、この二組がどう共通して、どう違うのかは僕にはわからない。

 ただ、ヤドリギと何かと、水銀と硫黄と塩かと言われたら、ヤドリギの方が見つけやすそうな気はする。

「期限はあるんですか?」

「なるべく早い方が良いけど、この日までにって言うのはないよ。

 大きさや部位の指定もまあ、ないかな」

 早い方がと言われても、ヤドリギを持ってくるまでにふつうどれくらいかかるか分からないから、困るのだけれど。

 今日は一度帰って、ヤドリギについて少し調べてみよう。

「じゃあ、もうすぐお昼ですしそろそろ帰ります」

 頭を下げて部屋を出る。

 同い年と言う事なので、軽いあいさつでいいのだろうけれど、どうしても丁寧さが抜けない。

 たぶん僕の中で、仲の良い先輩くらいのポジションとして、アリスを認識しているのだろう。先輩なのに名前だけ呼び捨てだけど、そもそも“アリス”は本名ではないのだから折り合いがついているのだと納得して、一度家に戻る事にした。

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