第104話 アンナリーザは今日も元気

「……つまり、どう足掻いても馴染まない世界でずっと生きるくらいなら、この世界を自分のいいように変えてしまおうと?」

「まあ、そういう事ね」

 すっかりぬるくなった紅茶を一口飲んでからハンナさんは私の言葉に頷く。


 結婚式が終わって一段落した頃、私はジャックとハンナさんを家に招いて、ハンナさんの身の上話を聞いていた。

 アンナリーザとネフィーはニコラスとクリスが寝かしつけている。


「それにしても、ハンナさんには寿命が無いって、本当なんですか?」

「ええ、私も気づいた時には愕然としたわ。本来は棒状であるはずのテロメアが環状になっていたのだから。恐らくは本当に偶然の突然変異なのだろうけれど」


 にわかには信じられない話だけれど、ニコラスの話を考慮すれば、現在彼女は千歳を既に超えている。

 黒竜が長命だとか、他種族との混血は元の種族よりも長生きする事があるらしいという事はあるけれど、これだけの月日を変わりなく生きているというのが、既にその証明のようにも思える。


「簡単に言ってしまえば、子孫を残せない代わりに、何度細胞分裂を繰り返しても老化しない身体という訳だな。今度是非調べてみたい」

 ジャックは理屈的にはありえると頷きながらニヤリと笑う。

 どうやらハンナさんの遺伝子構造を解析するのがかなり楽しみらしい。


「自分が他の人達と同じように老いるために始めた研究でそれがわかるなんて、随分と皮肉よね。だけど、そのまま自殺するなんて、なんだか戦わずに負けたみたいでくやしいじゃない?」


 だから彼女は戦った。

 自分の全てを賭けて、世界全てを自分の望む世界へと作り変えようとした。

 そして、優秀な彼女はそれが出来てしまった。


 確かにそれはとてもすごい事だけれど、同時に彼女の孤独感をさらに加速させたのではないだろうか。


「あの時代の人間以外の種族はね、今も時間を凍結させて各地に埋めてるわ。人間は文明を築ける種族の中で一番寿命が短かったから残したの」

 当時を懐かしむようにハンナさんが言う。


「どういう事です?」

「三代も世代を重ねれば、どんな理不尽な教えもしきたりも当たり前になって、それが文化になるもの。人間はそうなるのに百年もかからない。それが純血統の人間だけを残した理由」

 私が尋ねれば、事も無げにハンナさんが説明する。


「……なら、なんでエルフ教なんて始めたんだ? エルフは人間よりも長命の種族なんだろ?」

「計画が第二段階に入っただけよ。人間達によって私の好む文化や文明が広がったら、その中のえり抜きの魔術に秀でた者達をエルフにして一定数の知識階級を設ける予定だったのよ」

 ジャックの質問にも、ハンナさんは丁寧に答える。


「つまり、ハンナの手によって作られた人間の文化で育った人間を元にした各種族の創造という訳か」

「それはまた、随分と気の長い話ね……」

「私に時間はいくらでもあるもの」

 かなり壮大な話にジャックと私が呆気に取られていると、ハンナさんはにっこりと笑った。


「……だとして、ハンナさんはニコラスをどうしたかったの?」

「あの子は周りに流されやすい所があるから、世界を私好みに作り変えてから、私と同じ不老長寿の身体にしてゆっくりとまた育てなおすつもりだったのよ。任意の相手を不老長寿にする方法はまだ確立できてないけど」


 そう言ってハンナさんは肩をすくめる。

 だからこそ、ニコラスにはまだ眠っていて欲しかったのだろう。


「……でもそれなら、よく今回のジャックの提案を受け入れたわね?」

「その気になれば、また一から全てをやり直せばいいだけだもの……でも、まさか私の遺伝子組み換えによる病状を、あんな形で解決したあなたには期待しているわ」

 私が呟けば、どこか楽しそうに、黒猫の獣人と化したハンナさんは笑う。


「特定の遺伝子を修復不可能なまでに欠損させられたのだから、その遺伝子に頼らなくても身体を維持できるようにしただけさ」


 どこか誇らしげにジャックは言う。

 女王の容態がすっかり良くなったと私が聞いたのは、結婚式が終わってからだった。

「だとして、まさか女王が山羊の耳を生やす事になるなんてね……」


 ジャックが女王に行った施術、それは、彼女を獣人化する事でハンナさんによって修復不可能なまでに破壊された遺伝子を、その部分を使わなくていいようにするというものだった。

 おかげで、現在女王の耳は山羊の物になり、更に角まで頭に生えているという。

 けれど、それ以外は至って健康体らしく、今後は帽子や髪型でそれらをごまかしつつ公務に復帰する予定だそうだ。


「本当に、あなたなら私が千年以上かかって出来無かった事を、二百年で成し遂げてしまうかもしれないわね」

 ハンナさんが肉球のついた左手でジャックの首辺りを撫でる。

「ああ、期待しててくれ」

 ジャックはそう言いながら目を細めつつ、自分からハンナさんの手に頭を擦り付ける。


「あらあら、千年に一人の逸材といえど、やっぱり中身は五十歳にもならない甘えん坊ねえ」

 そう言いながらハンナさんはもう一方の手でジャックの頭を挟むようにモフモフと撫で始めた。

「……まあ、二人が幸せそうで良かったわ」

 とりあえず、向こう二百年くらいは平和になりそうだ。




「大変だレーナ!」

「どうしたのよクリス」

 結婚式から一ヵ月後、日々の生活もすっかり元通りになって、私が昼休みを取っていた頃、慌てた様子でクリスが家に帰ってきた。


「実はアンがこっそり自分で仲間を増やせるトレントを作ってたみたいで、暗がりの森にそれを放って、暗がりの森が今、魔物とトレントとの全面戦争になっててアンとネフィーがその先頭に……」

「ゴメン、ちょっと何言ってるのかわからない」

 本当に何を言っているのかわからない。


 人工で作り出したトレントに自己繁殖能力を付け、更に魔物と群れを成して対立するほどの知能を持たせるなんて、学院の卒業生でも同じ事ができる人間が何人いるだろう。


「トレントの国を作るって言い出して、今ニコが説得してるんだけど……」

「ああ、きっとアンに取り込まれてるわね……」


 ニコラスがアンナリーザのお願いを断れる訳が無い。

 しかも、まさか国という概念まで理解できるという事は、少なくとも言語を理解しているという事で、それなりの知能を持っている事になる。


 人語を解する高度な知能を持つ使い魔やゴーレムの生成なんて、それだけで一生食っていけるレベルの高等技術なのに……!

 これでトレントの権利とか訴えてきたらかなり面倒な事になりそうだ。


 盛大なため息をつきつつ、私は椅子から立ち上がる。

 結婚式を祝ってくれた時、その姿はさながら天使のようだったのだけれど、どうやらアンナリーザのトラブルメーカーぶりも元通りのようだ。


「まったく、アンナリーザは今日も元気ね」

 そう言いながら、私はクリスにアンナリーザの居場所を尋ねる。

 今日も私の娘が天才過ぎてつらい。

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アンナリーザは今日も元気 ~私の娘は規格外~ 和久井 透夏 @WakuiToka

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