第16話 ゴールデンドラゴンの権能
フルボッコ。
もうそれは無残なまでにフルボッコであった。
その棲み処ごと引きずりだされた挙句、一切、反撃の余地を挟む暇さえも与えず、一方的に蹂躙される。
これがこの世界最強の生物。
この世界を統べうる力を持ったゴールデンドラゴンの力。
ダンジョンを自在に把握し・操るだけでもチートなのに、単純戦闘能力についてもほかの追随を許さないだなんて、どれだけ欲張りな存在なのだろうか。
まさしく【魔王のねぐら】なんていうチートスキル名がしっくりくる。
世が世なら魔王になるだけの力を秘めているこの目の前のポニーテールの少女を、だけれど僕は恐ろしいとは思わなかった。
それは彼女が僕の味方だからではない。
彼女が心根の底に、とても温かいモノを持っていることを知っているからだ。
洞窟の中に引きずり込まれた僕を、こうして助けに来てくれたのだってそうだ。
初めて使うチートスキル。
それを十全に使いこなすのは、容易なことではないだろう。
実際、彼女はダンジョン構造の把握だけで、その力に圧倒されて膝をついた。
しかし、ブランシュは僕のためにまたそれをやってみせた。
完全に把握して、このダンジョンの再構築という、説明するまでもないチートな現象を引き起こしてみせた。
そのスキルの本質について知っている、僕が説明するまでもなく。
傍で見ているまでもなく。
その力を十分に使いこなして、この場所まで僕を救い上げたのだ。
その原動力が、
だって僕は彼女と一緒にこの数カ月を過ごした姉弟だから。
いつだって彼女は僕のピンチに、素知らぬ顔をして現れた。
一度だって、僕はピンチに陥ることなく、いざという時に彼女に助けて貰った。
ソラウさんという例外は、確かにあったけれども……。
『ブランシュちゃんがそれとなく良人くんのこと気にかけてくれたの、ちゃんと気がついていたんですね。ニブチンのくせに』
「当たり前ですよ。
『重たい女の子って、ちょっとドン引きしなかったの?』
「全然!!」
即答。
だって、僕はそんな
というか、女の子にそんな風に気を使ってもらえるなんて、僕のようなオタクの人生においてそうそうあるものではない。
『童貞ここに極まれりって感じですね。ちょっと私の方がドン引きです』
「ほんとこの女神ひどい。担当誰か代わってくれないかな」
できれば、もっと優しくて、頼りがいがあって、変なちゃちゃを入れて来ない女神がよかった。転生先も、担当女神も、選べないのが
と、思うや否やぶーたれる駄女神。
『いいですよ、まだ演歌メドレーの途中ですから』
そう言うと、今度はずんどこずんどこ歌い出した。
アニソンといい、演歌といい、この女神、歌のレパートリー広いなぁ。
なんて、蜘蛛の糸にしばられて、呑気に言っている場合じゃないけど。
「うがっ、あっ、がぁっ……」
「俺の
がっくりと、その場に倒れたアラクネ。
下半身を徹底的に破壊されて、もはや、動くことはかなわない。
紅色の髪は地面に落ちて、無残に散った花びらのようになっていた。
相容れない存在と感じた相手だったけれど、こうもあっけなく、倒されてしまうとなんだかちょっとかわいそうな気分になってくる。
彼女もまた必死に、この残酷な世界を、自分の力で生きようとしていただけだ。
それは僕とブランシュが、これまでしてきたことと変わりないのかもしれない。
しかし……。
ここにダンジョンを築くのであれば、彼女はどのみち追い出さなくてはならない。
「ごめんね」
誰にも聞こえないように僕は呟いた。
悪逆非道にして残虐無慈悲な、かつてのこの洞窟の主。
彼女がやったこと。
そして現在進行形でしていたことは許されることではない。
しかし、それでも、僕は無残に前のめりに倒れたアラクネのことを、簡単に切り捨てることはできなかった。
モンスターと相互理解することなんて、やっぱりできないのかもしれない。
けれども、どんな恐怖を味わったとしても、こんなチートスキルを選んだからには、その可能性を否定したくない。
もしかしたら。
生まれてくる環境が違っていたら。
彼女とも分かり合えたかも知れない。
そんなことを、甘っちょろい僕は思ってしまうのだった。
『甘っちょろいですね。その甘さが、いつか自分の首を絞めることになりますよ』
「アネモネさん、それは真面目に言ってます? それとも冗談です?」
『さぁ、女神は基本きまぐれですから、ねぇ』
はぐらかされた。
と、そろそろ僕もこの糸に、拘束されているのがつらくなってきた。
「
「なんだよ、人使いが荒いな
「ごめんよぉ」
「謝るなよ。まったく、世話のかかる弟分だぜ」
アラクネに背中を向けてこちらに向かってくるブランシュ。
よっ、ほっ、せっ。岩肌がむき出しになっている足場を飛んで、こちらにやって来ると、彼女はせっせと僕の体にまとわりついた糸をひきはがしていく。
「あっ、あっ、ちょっと、
「うっせえなぁ。人に頼んどいて注文が多いんだよ。もう、糸ごと燃やしちまうか」
「それは幾らなんでもあんまりだよ。けど、気を付けてよ、うっかり服を破いたりしたら、大参事なんだから……」
『良人や。男の肌が露出しても、ラノベ的にはまったくおいしくないですよ』
分かってますよ。
それでも、異世界転生して唯一持ってきた一張羅が、無残に裂けるのは勘弁してほしいでしょう。
追剥生活で、結構ボロボロになったけれど、それでも、向こうの世界から持ってきた数少ない名残なんですから。
そんなことを思っていた僕の視界に、揺らめくモノが見えた。
それは赤い髪。
そして虚空を掴むように挙げられた、黒い外骨格に覆われた腕。
下半身を破壊され、前のめりになって倒れたはずのアラクネ。
しかし、彼女はまだ、絶命していなかった。
その時、僕の背中を嫌な汗が流れた。
彼女の持っているコモンスキル【ジャイアントキリング】。
自分より圧倒的優位な立場にある敵に対して、会心の一撃を繰り出すそのスキルを使えば。あるいは、この世界で最強のブランシュであっても倒せるかもしれない。
「後ろだ
「あん……んだよ、てめぇ、まだ生きてやがったのか!!」
振り返った姉弟に向かってアラクネが跳びかかる。
よかった、僕が気がつくのが早かったおかげで、なんとか最悪の事態は回避できたみたいだ。
構えて、握りこんだその拳が、ぐっと引かれる。
そのまま、人間の形をした彼女の腹にその拳を叩き込めば、すべて終わる。
……はずだった。
けれども、アラクネは口からそれを吐いた。
糸でもなければ血でもない。呪詛の言葉でもなければ、恐怖の言葉でもない。
「……死にたく、ないぃ。こんなの嫌だ、嫌だぁあぁあ!!」
狂気に泣き叫びながら、アラクネはブランシュの胸に飛び込んだ。
そこにもはや、敵意などというものは微塵も感じられない。
弱者の、力を持たない哀れなモンスターの、悲痛なまでの最後の懇願であった。
足を捥がれて、腹を裂かれ、もはや絶命は不可避。
おびただしく流れる紫色の血は、止まることはない。
もう、その絶叫も数刻のうちにも消えるだろう。
それでも、彼女は生を求めていた。
藁をも縋る思いで。
目の前の、自分をぶちのめした張本人に懇願して。
惨めったらしく、恥も外見もなく、ただただ、その本能に従って。
誰が彼女のその行いを、笑うことができるだろう。
「……姉弟。こいつはお前を襲った張本人だな」
「……うん」
「俺は馬鹿だからどうにも分からねえ。だから、姉弟、俺の代わりに考えてくれないか。勢い余ってこうなったが、こいつはこんな目にあって然るべき奴なのか?」
その
流れ出るアラクネの血は止まらない。
彼女の命を救うのであれば、その言葉を発するのは早ければ早いほどによい。
姉の屍を利用して生き延びた外道。
人を殺めてでも生を求めた畜生。
そして、この洞窟に住み着き、森に棲む鹿たちを誘い込み、エマさんたちの生活を困窮させる一端を造った元凶。
決して相容れることのない、人間とは違う価値観を持ったモンスター。
それを僕は嫌と言うほど思い知ったというのに。
思い知らされたというのに。
どうして、それでも生きようとする彼女の姿に心が揺れた。
どこかその姿が、不器用なブランシュの姿と重なって見えたのだ。
「確かにこのアラクネは外道に間違いない。さっきまで、決して相容れることのない、そういう存在だと僕も思っていた」
「そうか。じゃぁ」
「けど……」
「けど?」
「何も死ぬことはない。僕は今、彼女のこの姿を見てそう感じている」
「……だったら姉弟、どうすればいいか教えてくれ。知っているんだろう、そのための俺の力の使い方を?」
ここに来るに先立って、ブランシュには、彼女が持っている三つのチート能力について簡単な説明をしておいた。
彼女が持つ、【魔王のねぐら】【魔王の勅令】【王道の竜】。
そのどれを使えば、アラクネを救えるのかと、姉弟は聞いているのだ。
ただ、チートスキルと言っても様々だ。
瀕死の重傷を負っている、このアラクネを回復させるだけの力を持った能力が、この三つのどれかによって起こせるのか。
可能性があるのだとすれば。
『さぁさぁシンキングタイム。哀れなアラクネちゃんの命を救うには、いったいどのチートスキルを使えばいいのでしょう。制限時間は、残り十秒』
「アネモネさん!! そういうからには、救うスキルがあるってことですね!?」
あらしまった、私としたことが。
担当女神がうっかりとばかりに脳内で声を上げた。
はたして本当にうっかりなのかは、この際おいておこう。
今は、一匹の蜘蛛の命がかかっているのだ。
確証はなかった。
けれども、アネモネさんの言葉で今、ようやく、試してみる価値があるのではないかと、そう思うことが一つあった。
「……ブランシュ。視線をアラクネに、そして手をかざしながら、僕の言葉に続けて唱えてくれるかい?」
「……分かったぜ、アルノー」
「――スキル発動!! 【魔王の勅令】!!」
「――スキル発動ぉっ!! 【魔王の勅令】ぃっ!!」
ゴールデンドラゴンの緑色の瞳の中に轟轟と燃えるの暗黒の炎が揺らめいた。
その暗黒が揺れる瞳と、かざされた手のひらに魂を吸い込まれるように、途端にアラクネの絶叫が止まる。
しかし、それは彼女の絶命の姿ではなかった。
アラクネの複眼からふっと光が消える。
彼女は今、チートスキル【魔王の勅令】による、催眠の中にある。
そう、このスキルの本質はレアスキルでいうところの【ギアス】にあたるものだ。
術をかけた相手の精神に感応し、命令を遂行させるというものである。
しかし、それは一般的なレアスキル【ギアス】で考えた場合の話。
それよりもランクが一つ上。
チートスキルである【魔王の勅令】であれば、あるいは、このような命令も可能なのかもしれない。
「余はこの世の覇種たるゴールデンドラゴン。その種の権能を持って貴様に命ずる」
「俺はこの世の覇種たるゴールデンドラゴン!! その種の権能を持って、お前に命ずる!!」
「生きよ!!」
「生きろ!!」
おぉ、と、アラクネが再び叫んだ。
それを境にして、彼女のもぎ取られた脚と腹からおびただしく流れていた血が、いきなり止まった。
もぎ取られて、肉片がはみ出していたそこが、急速に再生していく。
手と同じ外骨格により、傷口が蓋をされていく。
その様は少しグロテスクであったが、読みが正解だったことの高揚感の方が、恐怖に勝った。
失血死を直前にして、アラクネの傷口は塞がれたのだ。
この隣に立っているゴールデンドラゴンの権能によって。
暗い天井を仰いで、最後の絶叫を上げるアラクネ。
その複眼を闇色にきらめかせると、彼女は、また、先ほどと同じように、地面にうつぶせになって倒れこんだ。
しかし、確かにその口元からは、静かな寝息が聞こえてくるのだった。
「……上手くいったのか、アルノー」
「……ばっちりだよ、ブランシュ」
そう言って、僕たちは、地面に横たわるアラクネの姿を眺めた。
彼女にも、彼女なりにこうなった理由がある。
そうしなければ生きてこれなかった理由がある。
僕とブランシュが追剥という、アウトローな生き方をしていたように。
そして今、ソラウさんの力を借りて、真っ当に生きていこうとしているように。
このアラクネにも、そういう真っ当な未来が、もしかするとあるのかもしれない。
あるいは彼女は意識を取り戻してすぐ、僕たちを殺しにくるかもしれない。
けど、それならそれ、その時に考えればいい。
僕の隣に立っている姉弟は、そんなことじゃビクともしない、でっかい姉だ。
『だーいせーかーい!! そうです、ここで使うのは、チートスキル【魔王の勅令】!! 流石にどんなモンスターも、魔王に命令されてしまえば、角も急いで生やすし、翼だって生やすし、デッビール!! するのが世の理なのです!! よくそれに気が付きました、流石は私が見込んだ転生者です!!』
「気づいたっていうか、ほぼほぼ博打だったんですけど!!」
『けれどもその博打に、見事乗ってみせた良人くんに、私は敬意を表しよう!!』
「それはありがとうございます……。けど、ちょっと疲れたんで、少し休ませていただけませんか?」
後ろから、大丈夫ぅ、と、ソラウさんの声が響いてくる。
大丈夫です、とは、軽々しく言えず、そして、その問いかけに答えるパワーも残っていなかった僕は、
「まったく!! だらしがねぇぜ、
「
「あ? なんの話だ?」
「
あぁ、そういやそんなこともあったな、と、あっけらかんという姉弟。
キメのシーンだからと、あえて彼女の名前を口にしてみた。
けれども、案外、彼女はそんなこと、気にしていなかったみたいだ。
「というか、そんなこと気にするなんて、水くさいぜ
「
ぐるり、仰向けになって、天井を見上げる。
こちらを見ている黄金色の髪をした少女は満足げに笑うと、優しく拳を僕の前へとさしだしてきた。
この世界で最強のゴールデンドラゴン。
その拳骨は、アラクネの体を簡単に粉砕する。
けれども、その見た目通りに柔らかく、そして、優しい拳だった。
そんなことは、僕はずっと前から、知っていたけれど。
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