第4話 一斉摘発よん!!
異世界のお父さんお母さん。
そしてお年玉に一万円をくれたおばあちゃん。
お元気でしょうか。
僕、安納良人は、異世界で元気にやっております。
異世界でなんのスキルもないのに生きていくというのは大変なことですね。
今になって、お父さんやお母さんが、どんなに苦労して僕を育ててくれていたのか、そういうことを身に染みて感じる今日この頃です。
「おーい!! そっちに逃げたぞ!!」
「ちくしょうすばしっこい奴め!! 今日こそとっちめてやる!!」
あぁ、思い起こせば懐かしい、家族と過ごした日々。
何もしなくても温かい朝食が食べられて、昼まで待っていれば食堂で給食が食べれる。家に帰れば豪勢な夕飯。そしてふかふかのお布団。
「異世界転生なんてするんじゃなかたぁっ!!」
「「待てぇっ、この盗人野郎!!」」
安納良人十七歳。
こちらでは『ひったくりのアルノー』の名で
今日も今日とて、第三商業区――市場がある区域――を、リンゴと干し肉を脇に抱えて絶賛疾走中でございます。
『若いっていいわね。早い、柔らかい、けれども逞しいっ、て奴かしら』
「真ん中のはよく分からないです」
『一か月ですっかりと盗人が板についてきたねって、褒めてあげてるのよぉ。もう、そこまでレディに言わせないで、恥ずかしい』
少しも恥じらいなど感じられない声色で、僕の担当女神は言った。
どうしてこうなった。
誰のせいでこうなった。
全部このイカれた女神さまが、面白半分に中途半端な異世界転生をかましてくれたせいである。
何が神界の慈善事業だろう。
なんの特技も持たない少年を、スラム街に放り出して、見世物にして楽しむなんてあんまりだと思いませんか皆さん。
『いいわいいわ。もっとエシディシィみたいに言って』
「あんまりだぁ~~!!」
僕はね、こんな深夜番組の企画みたいな異世界転生、反対だなぁ。
反対だぁ。
そうこうしていうるうちに、肉屋の親父と八百屋の親父が近づいてくる。
二人とも、商売道具の包丁を振り上げて、鬼気迫る感じで追いかけてくるものだからたまらない。モンスターよりスリルがある。
この異世界の住人は、助ける必要絶対ないよね。
安心してそう言い切れる元気さだ。
むしろ助けて欲しいのはこっちだっての。
「
半べそをかきそうになったところに頭上から声がする。
赤茶色した赤煉瓦の屋根の上を、疾走する黄金色のポニーテールが見えた。
やった、助かった。
ほっと僕は息をつくとその場に立ち止まった。
そんな僕を捕まえようと思えば捕まえられる位置にいる、肉屋と八百屋。
しかし、その歩みもまた、僕の安堵の溜息と共に止まっていた。
「げぇ、あれは」
「狂騒する
肉屋と八百屋の顔が一瞬にして真っ青に染まる。
がぁ、おう、と、ブランシュが咆哮を上げると、第三商業区――青空市場で大いに賑わうそこに一瞬の静寂が訪れた。
続いて、きゃぁ、と、女性の叫び声があがる。
「
「怪我する前に逃げろ!!」
とまぁ、口々に、その場に居た人々は、ブランシュに対する罵詈雑言を浴びせながら逃げまどう。肉屋の店主も、八百屋の店主も、面倒ごとはごめんだとばかり、僕に背中を見せるとその逃げまどう波の中へと紛れ込んだ。
やれやれ。
今日はドジを踏んで、米国のアニメみたいに、一日中追いかけまわされることになるかと思ったけれど、ブランシュが近くに居てくれて助かった。
いやほんと、この仕事って心臓に悪いよね。
「
「うん――ありがとうブランシュ!!」
「だから、
ブランシュのいる屋根の上に、五つほどの人影が伸びた。
どうやら、彼女も追われている最中だったらしい。
いけない。助けに行かなくては――と、思った矢先に、ポイすと空を黒服の男が飛ぶ。それは、青空市場のテントに落下して、きゅうと情けない声をあげた。
うん、これは、僕が居なくても大丈夫だよね。
ゴールデンドラゴン――この世界で最強種であるブランシュだ。
言ってしまえば、ダンジョンのラスボスクラスのモンスター。
レベル1の勇者な僕が、加勢に加わった所でどうなるもんじゃない。
よしここは言われた通りに逃げることに専念しよう。
『情けない。まっこと情けない。勇者良人よ。貴方はそれでいいのですか。いたいけな女の子を置き去りにして、一人だけ先にアジトに逃げるなんて』
「いいのです、だって、この異世界はそういう所ですし」
『スレちゃってまぁ。なんだかお姉さん複雑な気分だわ。担当した異世界転生者が、あっさり悪堕ちして女の子を見捨てて逃げるど外道犯罪者になるだなんて』
そんな世界設定にしたのはどこのどいつでしょうか。
それに、そこについては、僕だって――悩んでいないこともないんだ。
けれど生きていくためには仕方ないでしょう。
「とにかく僕はなんと言われようと逃げますから」
『まぁ、男らしい返事!! やってること以外は、主人公してるんだから!!』
ブランシュの登場で逃げまどう市場の人々。
その中に紛れ込んで、僕はブランシュとのアジト――第八商業区黄金通りの最奥へと向かうのであった。
また、後ろで、あぁーっ、と、黒服の花火が上がっている。
手加減してあげてよねブランシュ。
流石に、軽犯罪までは許されるかもだけれど、殺人とかになっちゃうと、ヘビーな展開で僕もついていけなくなるから。
◇ ◇ ◇ ◇
「
「……いやぁ、ごめんね、ブランシュ」
「だからそれもやめろって言ってるだろ!! 俺たちは
「けど、なんかこう、しっくりこなくってさブラ――
姉はもちろん、兄も妹も弟もいなかった。
一人っ子の僕には、
名前で呼び合う方が親近感があるような気がするのだけれど。
姉曰く、こっちの方がより深い絆で結ばれている、そう感じるそうなのだ。
その気持ちは尊重してあげたいのだけれど。
――むず痒いのだから仕方ない。
文化・種族の違いというのは、どうしようもないよね、やっぱり。
そんなことを考えながら、僕とブランシュは第八商業区は街の外縁部近くの裏通り、ブランシュが罠を張り巡らしたねぐらで一息をついていた。
今日の報酬、リンゴと干し肉を交互にほおばりながら、ブランシュは「くそっ」と、苛立たしそうに顔を歪めて視線を落した。
彼女が何に怒っているのか。
僕がいつまでもたっても、置き引き・万引きの技術が上達しないから。
それとも、昼間に絡まれていて黒服たちが鬱陶しかったから。
『もしかして、女の子の日、とか?』
「え? ドラゴンにもそういうのあるんですか?」
『うふふ、ひ・み・つ』
なら言うなよ駄女神。
余計なセンテンスを使ったなと、深いため息が僕の口から零れ落ちた。そんな僕の姿を見て、また、ブランシュが眉間の皺を深くする。
実のところ、なにがそんなに気に入らないのか、僕は見当がついていた。
おそらくだけれど、それは街の中を獲物を探して歩いている最中に偶然耳にした、町人たちの会話の内容だろう。
「そろそろやるみたいね、第八商業区の一斉摘発」
「狂騒する
「今回のは商業区ギルドの雇い人だけじゃなく、騎士団からも人を出すって話だろう。流石にあの
「前の摘発の際には、大暴れしたが。騎士様相手じゃ無理だろう」
と、なんでもない感じに、町人たちが話していたのだ。
正直、ブランシュの二つ名である「狂騒する
進行方向を変えてまで、その話を聞くため彼らの後をつけたくらいだ。
一斉摘発が近く迫っている。
この、ゴールデンドラゴンの権能で造られた、死の危険すら伴うダンジョンも、数の暴力によりあっという間に破壊されるのだ。
そして、僕たちは商業区ギルドが雇った傭兵や、屈強な騎士たちに取り囲まれる。
そのまま皆殺しか。
見せしめのために市中引き回しの上で磔獄門か。
はたまた、もっとみじめな目にあわされるのか。
人間の言葉は分からないけれど、彼女は過去にそれを経験している。
街に漂っているいつにないピリリとした空気から、おそらくそれが近いのだろう危惧して、ブランシュはちょっと苛立っているのだ。
言うべきか、言わないべきか。
『ここは女神さまに聞いてみるのはどうかしら?』
「……どう思います?」
『男は黙って出て行って、剣で女の子を守るものよ。それこそハードボイルドだわ』
「ブランシュ……いや、
『あれー!? なんで聞いたの!? ねぇ、ちょっと、なんで聞いたの良人くん!? 女神さまのありがたいアドバイス、聞いておいて無下にするってどういうこと、どういうこと、どういうこと!?』
ポンコツ女神のたわごとは置いておくことにした。
そんなチート能力、持っているなら僕だってそうしてる。
ブランシュは……
確かに、彼女は言い逃れのできないアウトロー。
追剥なんてことをしている危険な女の子だ。
けれども、そこには彼女が人語を解することのできない、ゴールデンドラゴンであるからという同情するべき理由がある。
そしてなにより、彼女はこんな素性も分からない僕を、言葉が理解できるという理由だけで仲間と認め、
根っこのところは年頃の娘とそう変わらないのだ。
優しく温かい心を秘めている、そんな女の子なのだ。
そんなブランシュが傷つくのを見過ごせるほど、僕も人間を辞めてはいない。
手にしていたリンゴと干し肉をテーブル代わりの敷物の上に置く。
僕はその場に手をつくと屈み、ブランシュを下から拝むようにして見た。
俯いて、床の上をさまよっていたブランシュの視線が、むっと、そんな僕の顔へと向けられる。
こうして改まって話をするのは、これが初めてだ。
はたして、彼女が理解してくれるといいのだけれど――。
いや、理解して貰うのだ。彼女のためにも。
「
「……あぁ。けど、安心しろ。俺はアレを一度乗り切ってる」
「今回は前回とは違うらしい。商業区ギルドが雇った傭兵だけじゃなく、騎士団からも兵が出されるらしいんだ」
「そんなもん、屁でもねえぜ」
分かりやすいくらいの強がりを、ブランシュは言って僕を睨み付けた。
そんなことを話すために、わざわざ頭を下げたのかよ、とでも言いたげに。
もっと自分を信頼しろ。
どうしてその程度のことで狼狽えるんだ。
姉である自分を信じていないのか。
そんな感情と苛立ちが、ない交ぜになった鋭い目つきに、今日僕は、はじめてブランシュのことを怖いと思った。
同時に、そんな風に僕のことを大切に思ってくれている彼女を愛おしいとも。
『鈍感系主人公がトレンドなのにそういうのいっちゃうと人気出ませんよ』
「黙っててください女神さま。今、大切なところなんです」
そう、ここでブランシュの言葉にあっさりと折れてしまったら、元も子もない。
目の前の少女を救うのだ。
たとえそれが姉弟の契りを交わした姉だとしても。
なんとしても、この危険な状況から、救いだしてみせる。
僕は真剣だった。
こっちに転生してきてはじめて、本気の覚悟で、庇護者であるブランシュに立ち向かっていた。
地面についた手に力が入る。
一度ぐっと目を瞑って、僕は怒り狂うゴールデンドラゴンの緑の眼を見た。
そして――この時思いつく、最良の事態の解決方法について、口にした。
「逃げよう、ブランシュ。この街を出るんだ」
「……あぁ?」
「一斉摘発の時期は、僕がなんとか調べ出してみせる。だから、それに合わせて」
言い切る前に、僕の体が宙を浮いていた。
それが、ゴールデンドラゴンのキックを丹田に喰らってのことだと知ったのは、ヒキガエルのように、その場に大の字で着地した後のことだった。
痛い。
すごく痛い。
息ができないくらいの衝撃だ。
落下した時の痛みもそうだが、腹を蹴られたときの衝撃の方がなお鋭い。
こんなのを、あのブランシュを取り囲んでいる黒服の皆さんは、いつも喰らっていたのかと思うと、なんだか可哀想な気分になった。
けれども、今はそんな風に、他人を憐れんでいる場合じゃない。
「もう一度言ってみろ
碧色のブランシュの瞳がただならぬ怒りに揺れていた。
まさしく、僕の世界の伝承にあるドラゴンのように、凶悪な顔を造った彼女。
金色のポニーテールを逆立たせて、それでもなお足りぬとばかりに禍々しいオーラを肩から放つ。
そうして彼女は、手にしていた干し肉とリンゴを床に捨てると、潰れたヒキガエルと化した僕の前に立ち塞がったのだった。
「誰が逃げるって!! このブランシュさまが、商業区の雇われどもを恐れて、ここから逃げ出すってのか!! 冗談はよせやい!!」
「……けど、
「関係あるか!! 俺に喧嘩を売ってくる奴は、誰だろうがぶっ飛ばす!! ここは俺の場所だ、俺の居場所だ、俺の……」
そう言って、ブランシュは口ごもった。
そして腹立ちまぎれに、床に転がっているリンゴを踏みつぶす。
ゴールデンドラゴンの渾身の力が込められたそれは、もはや果実の形すら残さず、一瞬にして液状化した。
それで分かった。
黒服や、僕を相手にしながら、ブランシュはまだ手加減をしていたのだと。
どうしてか。
そんなのは想像に難しくないだろう。
彼女がその力を本気で使ってしまったならば、もう、話は止まらない。
商業区ギルドが雇った傭兵など飛び越して、騎士たちが飛び出して来る。
彼女の討伐がはじまるだろう。
そして、彼女は死なないにしても、この街に居場所を失う。
彼女はそうしてまで、この居場所を失いたくなかったのだ。
ようやく見つけた自分の居場所。
どんなに歪でいて、世間に背を向けていて、救いのない場所でも。
ここは彼女が見つけた掛け替えのない、自分が存在していていい居場所なのだ。
ゴールデンドラゴン。
この世界最強の生命体は、決して涙を流さない。
そして、決して、僕の提案した逃げるという選択肢に理解を示さない。
「この話は、聞かなかったことにしてやるぜ。
それだけ言うと、ブランシュは、追加で飯が必要になった、と、独り言ちに呟いて、アジトの天蓋を開けて出て行ったのだった。
微かに開いた隙間から、ぽつりぽつりと雨が降ってくる。
泣けない彼女の代わりに、空が泣いているように、僕には思えた。
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